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1. 断罪イベント
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「まあ、なんて可哀想なのでしょう。こんなに美しい薔薇が、もう萎れかけているわ」
社交界の華と謳われる侯爵令嬢が、庭園の薔薇を一輪指して、悲しげに眉を寄せた。周りの令嬢たちも「本当ですわ」「儚い命ですものね」と同調し、美しい花と自分たちの共感性を重ね合わせるように、ため息をつく。
その輪の中心で、私、公爵令嬢セラフィナ・フォン・ルクセンは、ただ静かにお茶を飲んでいた。
そして、事実を述べた。
「いいえ。その個体は剪定時期を過ぎています。栄養が新芽に行き渡るのを阻害するため、本日午後には庭師が摘み取る予定です。生物の世代交代としては、合理的で正常なプロセスかと」
シン、と場の空気が凍った。
令嬢たちの顔から表情が消え、扇の影でひそひそと言葉が交わされる。
「まただわ、あの方…」
「だから『氷の令嬢』って…」
「心がないのかしら…」
(…またか)
私は内心、誰にも聞こえないため息をついた。
悪意はない。
ただ事実を述べ、非合理的な感傷に論理的な回答を提示しただけ。しかし、この世界ではそれが「冷酷」で「無慈悲」なのだという。
いつからだろう。この世界に、拭いきれないほどの違和感を覚えるようになったのは。人々の会話は感情の交換が主目的で、情報の正確性は二の次。論理的な整合性よりも、その場の空気に沿った「共感」が何よりも尊ばれる。
まるで、出来の悪いシミュレーションゲームの住人を見ているようだ。生きづらい。その感覚だけが、ずっと私の胸に澱のように溜まっていた。
「セラフィナ様、本日は皇太子殿下もいらっしゃる夜会ですのに、そのようなお顔をされていては、殿下もご心配なさいますわ」
嫌味とも忠告ともつかない言葉をかけられ、私は顔を上げた。
ああ、そうだ。今夜は婚約者であるアルフォンス皇太子殿下主催の夜会。そして、最近殿下のご寵愛を受けているという、聖女と噂の伯爵令嬢リリア様もいらっしゃるとか。
その二つの名前――アルフォンス皇太子と、聖女リリア――が揃った瞬間。
ズキリ、と。頭の奥で何かが砕けるような、激しい痛みが走った。
(…なんだ、この感覚は…?)
目の前の光景がぐにゃりと歪む。令嬢たちの声が遠のき、代わりに知らないはずの光景が、洪水のように脳内へ流れ込んできた。
――無機質な蛍光灯の光。消毒液の匂い。パソコンのモニターに映る無数のグラフと論文。白衣を着た自分。『認知バイアスが対人魅力に与える影響についての考察』…。
そうだ。私は…。
心理科学者だった、日本の、「リコ」という名前の。
そして、激務の合間に唯一の癒しとしていたのは…。
(乙女ゲーム…『永遠のラピスラズリ』…!)
そうだ、アルフォンス皇太子は、あのゲームのメイン攻略対象。そして聖女リリアは、プレイヤーである主人公。
ならば、公爵令嬢セラフィナ・フォン・ルクセンは――
(ヒロインを虐げ、最後は皇太子から婚約破棄を突きつけられ、没落する悪役令嬢じゃないか!!)
全てのピースが、最悪の形で組み上がった。
今夜の夜会は、ゲームで言うところの「断罪イベント」。私がヒロインを階段から突き落とそうとした(濡れ衣だ)と糾弾され、婚約破棄と追放を言い渡される、私の人生最大の破滅フラグ!
血の気が引いていくのが分かった。
どうする?
どうすれば回避できる?
長年培った科学者としての思考が、高速で活路を探し始める。
だが、その思考は、ある一つの可能性に思い至った瞬間、ピタリと停止した。
(待て。待って。落ち着け、私)
もし、ここが本当に『永遠のラピスラズリ』の世界だというのなら。
皇太子がいて、ヒロインがいるのなら。
(…ということは、彼も、存在する…?)
私の脳裏に、ある一人の男性の姿が鮮やかに浮かび上がる。
ゲームでは隠し攻略対象。無口、無表情、鉄壁の防御を誇り、攻略難易度SSS級。しかし、その氷の仮面の下に隠された優しさと苦悩を知った時、私はコントローラーを握りしめたまま夜を明かした。
近衛騎士団長、ケイン・ブラックウッド卿。
私の、最推し。
「……っ!」
思考が、絶望から歓喜へと反転する。
そうだ。ケイン様がいる。あの、2Dの画面の向こうにしかいなかった、私のただ一人の推しが、この世界では血の通った人間として、息をしている…!
破滅? 没落?
そんなもの、どうでもいい。
皇太子との婚約なんて、むしろ邪魔なだけだ。
(断罪イベント…? 違う。これは、私の『推し活』解放イベントじゃないか!)
私の内に眠っていた、科学者の冷静な頭脳と、オタクの燃えるような情熱が、カチリと音を立てて接続された。
目標設定完了。
目的:氷の騎士団長ケイン・ブラックウッドの心を溶かす。
使用ツール:前世の知識、すなわち心理科学。
「セラフィナ様? 顔色が…」
心配する(フリをする)令嬢の声に、私はゆっくりと顔を上げた。
そして、これまで浮かべたことのないほど、深く、妖艶な笑みを浮かべて見せた。
「いいえ、ご心配なく。ただ、今夜の夜会が…とても、楽しみになっただけですわ」
さあ、始めましょう。
悪役令嬢セラフィナの、最高の舞台を。
――そして、私の推しへのアプローチという、壮大な実験を。
社交界の華と謳われる侯爵令嬢が、庭園の薔薇を一輪指して、悲しげに眉を寄せた。周りの令嬢たちも「本当ですわ」「儚い命ですものね」と同調し、美しい花と自分たちの共感性を重ね合わせるように、ため息をつく。
その輪の中心で、私、公爵令嬢セラフィナ・フォン・ルクセンは、ただ静かにお茶を飲んでいた。
そして、事実を述べた。
「いいえ。その個体は剪定時期を過ぎています。栄養が新芽に行き渡るのを阻害するため、本日午後には庭師が摘み取る予定です。生物の世代交代としては、合理的で正常なプロセスかと」
シン、と場の空気が凍った。
令嬢たちの顔から表情が消え、扇の影でひそひそと言葉が交わされる。
「まただわ、あの方…」
「だから『氷の令嬢』って…」
「心がないのかしら…」
(…またか)
私は内心、誰にも聞こえないため息をついた。
悪意はない。
ただ事実を述べ、非合理的な感傷に論理的な回答を提示しただけ。しかし、この世界ではそれが「冷酷」で「無慈悲」なのだという。
いつからだろう。この世界に、拭いきれないほどの違和感を覚えるようになったのは。人々の会話は感情の交換が主目的で、情報の正確性は二の次。論理的な整合性よりも、その場の空気に沿った「共感」が何よりも尊ばれる。
まるで、出来の悪いシミュレーションゲームの住人を見ているようだ。生きづらい。その感覚だけが、ずっと私の胸に澱のように溜まっていた。
「セラフィナ様、本日は皇太子殿下もいらっしゃる夜会ですのに、そのようなお顔をされていては、殿下もご心配なさいますわ」
嫌味とも忠告ともつかない言葉をかけられ、私は顔を上げた。
ああ、そうだ。今夜は婚約者であるアルフォンス皇太子殿下主催の夜会。そして、最近殿下のご寵愛を受けているという、聖女と噂の伯爵令嬢リリア様もいらっしゃるとか。
その二つの名前――アルフォンス皇太子と、聖女リリア――が揃った瞬間。
ズキリ、と。頭の奥で何かが砕けるような、激しい痛みが走った。
(…なんだ、この感覚は…?)
目の前の光景がぐにゃりと歪む。令嬢たちの声が遠のき、代わりに知らないはずの光景が、洪水のように脳内へ流れ込んできた。
――無機質な蛍光灯の光。消毒液の匂い。パソコンのモニターに映る無数のグラフと論文。白衣を着た自分。『認知バイアスが対人魅力に与える影響についての考察』…。
そうだ。私は…。
心理科学者だった、日本の、「リコ」という名前の。
そして、激務の合間に唯一の癒しとしていたのは…。
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どうする?
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もし、ここが本当に『永遠のラピスラズリ』の世界だというのなら。
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私の、最推し。
「……っ!」
思考が、絶望から歓喜へと反転する。
そうだ。ケイン様がいる。あの、2Dの画面の向こうにしかいなかった、私のただ一人の推しが、この世界では血の通った人間として、息をしている…!
破滅? 没落?
そんなもの、どうでもいい。
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そして、これまで浮かべたことのないほど、深く、妖艶な笑みを浮かべて見せた。
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