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2. 初めての生体反応
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王城の大広間は、宝石と虚飾でできた天の川のようだった。シャンデリアの光が令嬢たちのドレスや宝石に反射し、無数の星屑を振りまいている。しかし、その輝きは私の目には入っていなかった。
私の視線は、ただ一点。
獲物を探す鷹のように、あるいは、希少な観測対象を求める研究者のように、その人物だけを探していた。
(いた…!)
心臓が、歓喜のあまり高鳴る。
玉座の斜め後ろ。王族を守護する近衛騎士の中でも、ひときわ静謐な空気を纏って佇む、一人の男性。
艶のある黒髪。彫刻のように整った顔立ち。そして、いかなる感情の揺らぎも映さぬ、怜悧な灰色の瞳。ゲームの立ち絵そのままの、いや、それ以上の存在感。生きて、呼吸をしている。
近衛騎士団長、ケイン・ブラックウッド卿。
私の、最推し。
(素晴らしい…! 3Dポリゴンとは比較にならない解像度! あの制服の肩のライン、ゲームでは再現しきれていなかった刺繍の細かさ! ああ、尊い…!)
私が内心で早口の詠唱を捧げていると、不意に、ざわついていた会場が水を打ったように静まり返った。
来た。主役の登場だ。
アルフォンス皇太子が、聖女リリアの手を取り、壇上へと歩みを進める。リリアはか弱げに俯き、その肩は小さく震えていた。完璧な被害者の演技だ。
「皆、静粛に!」
皇太子の声が響く。そして、その指が、真っ直ぐに私を指した。
「そこにいる我が婚約者、セラフィナ・フォン・ルクセン! 君の度重なる嫉妬と、リリア嬢への心無い仕打ちは、もはや看過できぬ!」
きたきた。ゲーム通りの台詞。声優さんの演技の方がもう少し威厳があったかしら、などと不謹慎な採点をしていると、リリアが皇太子の腕の中で「わたくしは、大丈夫ですわ…」と健気に呟いた。見事な火に油を注ぐテクニックだ。
案の定、皇太子はさらに激昂する。
「これを見てもまだシラを切るか! 君の冷酷な心に、リリアの清らかな魂がどれほど傷つけられたことか!」
(なるほど。皇太子のこの状態は心理学で言う『確証バイアス』の典型例ね。一度「セラフィナは悪女だ」と思い込むと、その仮説に合致する情報ばかりを集め、反証する事実は無視する。リリア嬢の演技は、そのバイアスを強化する最高のトリガーだわ)
冷静に分析しながら、私はちらりとケイン様を盗み見た。
この世紀の茶番劇を、彼はどう見ているのか。
しかし、彼の表情は能面のように一切変わらない。眉一つ動かさず、ただ前を見据えている。
(…完璧。プロフェッショナルすぎる。周囲の感情的な雰囲気に一切流されないその精神力、さすが私の推し。尊さでHPが全回復する)
皇太子の弾劾は続く。もはや冤罪のオンパレードだ。
「よって、ここに宣言する! セラフィナ・フォン・ルクセン! 貴様との婚約は、ただ今をもって破棄する!」
ついに来た。クライマックスだ。
ここで私は悲劇のヒロインを演じきらねばならない。後の推し活を円滑に進めるためにも、ここで悪目立ちするのは得策ではない。
(よし。涙を出すには、悲しいことを思い出すのが定石。ええと…前世で、楽しみにしていた論文のデータが、保存直前にクラッシュした時の絶望感…!)
じわり、と目の縁が熱くなる。一筋の涙が、計算された角度で頬を伝った。
私は唇を震わせ、か細い声で呟く。
「…そん、な…」
我ながら完璧な演技だった。会場からは同情と侮蔑の入り混じった囁き声が聞こえる。
満足したように頷いた皇太子は、最後の宣告を下した。
「罪を償い、その歪んだ心を省みるがいい! 今後、王城への出入りを禁じ、公爵家の屋敷にて謹慎を命じる!」
――勝った。
私は心の中で、高らかに勝利のファンファーレを鳴らした。
婚約破棄、成立。行動を制限されない屋敷での謹慎。これは追放ではなく、最高の「有給休暇」だ。
私は深々と一礼し、踵を返した。崩れ落ちそうな足取りを演じながらも、背筋は伸ばして。悪役令嬢としての最後のプライドを見せつけるように、毅然と。
大広間から退場する、その瞬間。
私はもう一度だけ、ケイン様の方を見た。
その時、初めて。
ほんの僅か、彼の瞳が私を捉え、その眉がコンマ数ミリ動いたのを、私は見逃さなかった。
それは、憐憫か、侮蔑か、あるいは単なる好奇心か。
分からない。
でも、いい。
無関心ではなかった。ゼロではなかった。
観測対象が、初めて「生体反応」を示した。
それだけで、私の胸は研究者としての興奮と、オタクとしての歓喜で満たされた。
自室に戻るや否や、私は悲劇の令嬢の仮面を脱ぎ捨て、机に向かった。
新しい羽根ペンと、上質な羊皮紙を取り出す。
そして、その一枚目の中央に、力強い筆致でこう記した。
『プロジェクト・ケルベロス:氷の騎士の心をハックする為の観察と実験、および考察』
さあ、始めよう。
私の、私のための、最高の研究を。
私の視線は、ただ一点。
獲物を探す鷹のように、あるいは、希少な観測対象を求める研究者のように、その人物だけを探していた。
(いた…!)
心臓が、歓喜のあまり高鳴る。
玉座の斜め後ろ。王族を守護する近衛騎士の中でも、ひときわ静謐な空気を纏って佇む、一人の男性。
艶のある黒髪。彫刻のように整った顔立ち。そして、いかなる感情の揺らぎも映さぬ、怜悧な灰色の瞳。ゲームの立ち絵そのままの、いや、それ以上の存在感。生きて、呼吸をしている。
近衛騎士団長、ケイン・ブラックウッド卿。
私の、最推し。
(素晴らしい…! 3Dポリゴンとは比較にならない解像度! あの制服の肩のライン、ゲームでは再現しきれていなかった刺繍の細かさ! ああ、尊い…!)
私が内心で早口の詠唱を捧げていると、不意に、ざわついていた会場が水を打ったように静まり返った。
来た。主役の登場だ。
アルフォンス皇太子が、聖女リリアの手を取り、壇上へと歩みを進める。リリアはか弱げに俯き、その肩は小さく震えていた。完璧な被害者の演技だ。
「皆、静粛に!」
皇太子の声が響く。そして、その指が、真っ直ぐに私を指した。
「そこにいる我が婚約者、セラフィナ・フォン・ルクセン! 君の度重なる嫉妬と、リリア嬢への心無い仕打ちは、もはや看過できぬ!」
きたきた。ゲーム通りの台詞。声優さんの演技の方がもう少し威厳があったかしら、などと不謹慎な採点をしていると、リリアが皇太子の腕の中で「わたくしは、大丈夫ですわ…」と健気に呟いた。見事な火に油を注ぐテクニックだ。
案の定、皇太子はさらに激昂する。
「これを見てもまだシラを切るか! 君の冷酷な心に、リリアの清らかな魂がどれほど傷つけられたことか!」
(なるほど。皇太子のこの状態は心理学で言う『確証バイアス』の典型例ね。一度「セラフィナは悪女だ」と思い込むと、その仮説に合致する情報ばかりを集め、反証する事実は無視する。リリア嬢の演技は、そのバイアスを強化する最高のトリガーだわ)
冷静に分析しながら、私はちらりとケイン様を盗み見た。
この世紀の茶番劇を、彼はどう見ているのか。
しかし、彼の表情は能面のように一切変わらない。眉一つ動かさず、ただ前を見据えている。
(…完璧。プロフェッショナルすぎる。周囲の感情的な雰囲気に一切流されないその精神力、さすが私の推し。尊さでHPが全回復する)
皇太子の弾劾は続く。もはや冤罪のオンパレードだ。
「よって、ここに宣言する! セラフィナ・フォン・ルクセン! 貴様との婚約は、ただ今をもって破棄する!」
ついに来た。クライマックスだ。
ここで私は悲劇のヒロインを演じきらねばならない。後の推し活を円滑に進めるためにも、ここで悪目立ちするのは得策ではない。
(よし。涙を出すには、悲しいことを思い出すのが定石。ええと…前世で、楽しみにしていた論文のデータが、保存直前にクラッシュした時の絶望感…!)
じわり、と目の縁が熱くなる。一筋の涙が、計算された角度で頬を伝った。
私は唇を震わせ、か細い声で呟く。
「…そん、な…」
我ながら完璧な演技だった。会場からは同情と侮蔑の入り混じった囁き声が聞こえる。
満足したように頷いた皇太子は、最後の宣告を下した。
「罪を償い、その歪んだ心を省みるがいい! 今後、王城への出入りを禁じ、公爵家の屋敷にて謹慎を命じる!」
――勝った。
私は心の中で、高らかに勝利のファンファーレを鳴らした。
婚約破棄、成立。行動を制限されない屋敷での謹慎。これは追放ではなく、最高の「有給休暇」だ。
私は深々と一礼し、踵を返した。崩れ落ちそうな足取りを演じながらも、背筋は伸ばして。悪役令嬢としての最後のプライドを見せつけるように、毅然と。
大広間から退場する、その瞬間。
私はもう一度だけ、ケイン様の方を見た。
その時、初めて。
ほんの僅か、彼の瞳が私を捉え、その眉がコンマ数ミリ動いたのを、私は見逃さなかった。
それは、憐憫か、侮蔑か、あるいは単なる好奇心か。
分からない。
でも、いい。
無関心ではなかった。ゼロではなかった。
観測対象が、初めて「生体反応」を示した。
それだけで、私の胸は研究者としての興奮と、オタクとしての歓喜で満たされた。
自室に戻るや否や、私は悲劇の令嬢の仮面を脱ぎ捨て、机に向かった。
新しい羽根ペンと、上質な羊皮紙を取り出す。
そして、その一枚目の中央に、力強い筆致でこう記した。
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私の、私のための、最高の研究を。
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