悪役令嬢、心理学無双で氷の騎士様の心を溶してみせます

希羽

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3. 実験1: 単純接触効果(別名: ストーキング)

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 謹慎生活とは名ばかりの、自由な研究生活が始まって数日。

 私の自室は、今や『プロジェクト・ケルベロス』の司令室と化していた。壁には王都の地図が貼られ、ケイン様の予測行動ルートが赤い線で示されている。机の上には、彼の勤務シフトから休憩時間、好きな茶葉の種類(ゲーム知識)まで、あらゆるデータが記された羊皮紙が散乱していた。

「ふむ…計画の第一段階は、やはりこれね」

 私が指さしたのは、計画書の第一項目。『単純接触効果(ザイアンス効果)の実践』である。

(人は、未知の対象には警戒心を抱くが、繰り返し接触することで、その対象への好感度が高まる。重要なのは接触の『時間』ではなく『回数』。つまり、長々と会話するよりも、毎日一瞬でも顔を合わせる方が、親近感を育む上では効果的…!)

 狙うは「偶然、よく見かける気になる令嬢」ポジションだ。ストーカーと誤解されるリスクはあるが、そこは公爵令嬢という身分と演技力でカバーする。

 最初の実験場は、ケイン様が週に三回通るという王城の西庭園路。

 私は侍女に命じて、ルート沿いのベンチに一揃いの読書セットを用意させた。優雅な午後の読書を装い、彼の通過を待つ。完璧な作戦だ。

 しかし、ここで計算外の事態が発生した。

 持参した本――『古代魔法体系における術式構造の変遷』――が、予想以上に面白かったのだ。

「…あ」

 気づいた時には、ケイン様が率いる部隊はすでに私の前を通り過ぎ、遥か彼方だった。集中しすぎて、推しの存在に全く気づかなかった。

 痛恨のミスだ。

 気を取り直して、二度目の通過を待つ。今度は本から目を離し、遠くから近づいてくる騎士団の姿を捉えた。

(よし、来る…! 今度こそ、風に髪をなびかせながら、ふとアンニュイに視線を上げるのよ、私!)

 その瞬間、近くの木から飛び立った鳥の羽ばたきに驚き、私は「ひゃっ」と素っ頓狂な声を上げてしまった。手から滑り落ちた本が、地面に派手な音を立てて落ちる。

 慌てて本を拾う私を、ケイン様は一瞥した。

 その灰色の瞳に宿っていたのは、甘いロマンスの始まりを予感させるものではなく、道端で奇妙な虫でも見つけたかのような、ごく僅かな「いぶかしみ」だった。

(…だ、大丈夫。まだ慌てる時間じゃない。少なくとも、私の存在は彼の網膜に焼き付けられたはず。データポイント1、収集完了)

 自分を鼓舞し、私は次の実験場へと向かった。近衛騎士団の第三訓練場だ。

 ここでも私は「偶然、近くを通りかかっただけです」という雰囲気を出すため、侍女にパラソルとベルベット張りの椅子、そして最高級の茶器セットを用意させた。汗臭い訓練場の片隅に、突如として優雅なティータイム空間が出現した。

 あまりの異様さに、騎士たちの剣戟がピタリと止む。全員の視線が、紅茶をすする私に突き刺さっていた。

 まずい。

 目立ちすぎた。

 すると、ついに観測対象が自ら動いた。ケイン様がまっすぐにこちらへ歩いてくる。

(き、来た…! 推しが私に向かって歩いてくる…! 脚が長い! 一歩の歩幅が私の1.5倍はある! 完璧な黄金比!)

 内心の興奮を押し殺し、私は淑女の微笑みで彼を迎えた。

「ごきげんよう、騎士団長様。お訓練、ご苦労さまですわ」
「…セラフィナ嬢。ここは関係者以外、立ち入り禁止の区域ですが」

 彼の声は、ゲームで聞いたよりも少し低く、耳に心地よかった。

 いや、いけない。今は任務中だ。

「あら、ごめんなさい。わたくし、王国の平和を守る皆様の、そのあまりに献身的なお姿に感銘を受け、つい足を止めてしまいましたの」

 我ながら完璧な言い訳だった。しかし、ケイン様の表情は変わらない。

「…そうですか。ですが、砂埃がひどい。お召し物が汚れます」
「まあ、ご心配なく」
「いえ。万が一、訓練中の剣が手元から離れる事故がないとも限りません。危険です」

 それは、遠回しに「帰れ」と言っているのだ。

 しかし、私のポジティブな科学者脳は、その言葉を別の意味に変換した。

(お召し物が汚れる心配…! 事故に巻き込まれる危険性の指摘…! これは、私の身を案じているということ! つまり、庇護欲を刺激している…! 計画は順調だわ!)

「分かりましたわ。ご忠告、感謝いたします」

 私は満面の笑みでそう答え、優雅に立ち去った。

 ケイン様が、私の去る背中を訝しげな目で見つめていたことなど、今の私には些細な問題でしかなかった。

 その日の午後。

 騎士団の詰所で、こんな噂が囁かれていることを、まだ私は知らなかった。

「おい、見たか? 今日の訓練場にいたご令嬢」
「ああ、見た見た。昨日、西の庭園路で本を落としてた方だろ?」
「なんでも、皇太子殿下に婚約破棄された、あのルクセン公爵家の…」
「一体、何が目的なんだ…?」
「不気味だな…」

 こうして、セラフィナ・フォン・ルクセンの評判は、「氷の令嬢」から、新たに「神出鬼没の不気味な令嬢」へと、静かにアップデートされたのであった。
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