家の庭にダンジョンができたので、会社辞めました。

希羽

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第11話:一ノ瀬さん、社長になる

 庭先での共犯契約から数時間後。
 俺はリビングのソファで、ポチの腹を枕にして寛いでいた。
 テレビでは漫才が流れている。
 平和だ。
 昨晩の権田部長の襲撃や、謎の黒い車の監視が嘘のような平穏さだ。
 だが、その平穏は、インターホンの音ではなく、リビングのドアが開く音によって破られた。

「失礼します、オーナー」
「……オーナー?」

 入ってきたのは、一ノ瀬葵さんだ。
 だが、さっきまでの「ふわっとしたお隣さん」の雰囲気は消え失せていた。
 髪を後ろでキリッとまとめ、銀縁の眼鏡(伊達だろうか?)をかけ、腕にはノートパソコンと分厚いファイルを抱えている。
 その瞳には、かつてブラック企業の最前線で修羅場をくぐり抜けてきた、歴戦のキャリアウーマンの光が宿っていた。

「佐藤さん。いえ、これからは『オーナー』と呼ばせていただきます」
「は、はぁ……」
「早速ですが、危機的状況です」

 一ノ瀬さんは、ドン! とファイルをローテーブルに置いた。
 ポチが「ビクッ」として起きた。

「危機的って……協会が攻めてきたとか?」
「いいえ。もっと恐ろしい敵です」

 彼女は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷徹に告げた。

「国税庁です」
「……あ」
「佐藤さん、現在の口座残高は1億円を超えていますよね? これ、どうやって説明するつもりですか? 来年の確定申告で『庭で拾いました』って書くつもりですか?」

 俺は冷や汗をかいた。
 完全に失念していた。
 日本という国において、殺人よりも確実に人生を終わらせに来る組織、それが税務署だ。
 無職の口座に突然1億円が振り込まれ、その後も継続的に数千万が入金される。
 銀行のシステムが自動検知して、当局に通報するのは時間の問題だ。

「ど、どうすれば……」
「対策は一つしかありません」

 一ノ瀬さんはノートパソコンを開き、画面を俺に向けた。

「法人化しましょう。会社を作るんです」
「会社?」
「はい。佐藤さんのダンジョン収益を『会社の売上』として計上するんです。名目は……そうですね、『希少農産物の生産・販売』および『特殊鉱石の卸売業』あたりで」

 彼女の指がキーボードを高速で叩く。
 カチャカチャカチャッ、タン!
 早い。俺もSEだったが、彼女のタイピング速度は事務処理特化のそれだ。

「会社組織にすれば、経費計上が可能になります。この家の家賃、光熱費、ポチくんの食費、そしてあの高級車。すべて『事業に必要な経費』として処理できます」
「ベンツも経費になるの?」
「営業車と言い張ります」

 頼もしすぎる。
 これが、覚醒した一ノ瀬葵か。

「それに、会社という『鎧』があれば、社会的な信用も生まれます。協会が手を出してきた時も、『一個人の私有地』より『法人の事業所』の方が、法律の壁を高くできます」
「なるほど……」

 俺は頷いた。
 金はあるが、知識と知恵がなかった俺にとって、彼女はまさに欠けていたピースだ。

「わかりました。会社を作りましょう。で、社長は俺が?」
「いいえ」

 一ノ瀬さんは首を横に振った。

「オーナーは表に出ないでください。あなたは『株主』兼『会長』として、裏でふんぞり返っていてください。表向きの代表取締役社長は、私が務めます」
「えっ、いいんですか? 矢面に立つことになりますよ?」
「構いません。それに……」

 彼女はニヤリと笑った。
 その笑顔は、肉食獣のような獰猛さを秘めていた。

「私、一度やってみたかったんです。自分の采配で、組織を動かすのを。前の会社では、無能な上司のハンコをもらうだけで一日が終わりましたから」

 彼女の中の怪物が、鎖を引きちぎろうとしている。
 Sランク食材の過剰摂取による副作用かもしれない。

「わかりました。全権を委任します、一ノ瀬社長」
「承知いたしました、佐藤会長」

 こうして、俺たちの会社設立が決まった。

「で、社名はどうしますか?」
「うーん……」

 俺は窓の外を見た。
 荒れ放題だったが、今は宝の山となった庭。
 全ては、この庭先から始まった。

「『株式会社ニワサキ』で」
「……シンプルですね。まあ、怪しまれなくていいかもしれません」

 一ノ瀬さんは苦笑しながら、書類にその名を打ち込んだ。

【株式会社ニワサキ】
代表取締役:一ノ瀬 葵
事業内容:農産物の生産販売、コンサルティング、その他
資本金:1000万円(俺のポケットマネー)
本社所在地:神奈川県横浜市×××(俺の家)

「登記申請はオンラインで済みます。あとは実印と印鑑証明、定款の作成……。あ、事務所の備品も揃えないといけませんね」

 一ノ瀬さんが立ち上がった。

「会長、ブラックカードをお借りしても?」
「どうぞ。限度額は……たぶん無いんじゃないかな」
「フフッ、では遠慮なく」

 その日の午後、俺のボロ家は劇的ビフォーアフターを遂げた。
 一ノ瀬さんが即日配送させた最新のオフィス家具、最高スペックのパソコン、複合機、シュレッダー。
 リビングの一角があっという間に最先端IT企業のオフィスへと変貌したのだ。
 彼女は電話一本で司法書士を手配し、税理士との顧問契約を取り付け、銀行口座の開設準備まで終わらせてしまった。

「……有能すぎる」

 俺はソファでポチを撫でながら、その光景を眺めていた。
 彼女は水を得た魚だ。
 ブラック企業という檻から解き放たれ、潤沢な資金と裁量権を与えられた結果、そのポテンシャルが爆発している。

「会長、報告です」

 夕方、コーヒーを淹れてくれた一ノ瀬社長が言った。

「当面の売上目標ですが、ドローン買取だけに頼るのは危険です。あれは足がつきます」
「じゃあどうする?」
「独自の販路を開拓します。まずは、あの『ルビー・トマト』と『美容ポーション』。これを富裕層向けの会員制サイトで販売します」

 彼女はパソコンの画面を見せた。
 そこには、既に洗練されたデザインのECサイトのモックアップが表示されていた。

【高級会員制サロン -NIWASAKI-】
『選ばれたあなたに、真の美と健康を』

「ターゲットは、美容に金の糸目をつけない女優、モデル、政治家の妻です。私が代理店時代に培ったコネクションを使って、数人にサンプルを送りつけます。一度効果を実感すれば、あとは口コミで勝手に広がります」
「1個いくらで売る気?」
「トマト1個、1万円。ポーションは小瓶で10万円から」
「ぼったくり!!」
「いいえ、適正価格です。Sランクですよ? 安売りして『怪しい』と思われるより、高値をつけて『ブランド』にするんです」

 彼女の目は本気だった。
 俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
 彼女、もしかして俺より稼ぐ気なんじゃないか?

「それに、強力な顧客を作っておけば、協会も手出しできなくなります。『大女優の○○さんが愛用する農園』を潰せば、世論が許しませんから」

 なるほど。
 金稼ぎと防衛策を兼ねているのか。

「頼もしいよ、一ノ瀬社長」
「任せてください。……その代わり」

 彼女は少しだけ頬を赤らめ、上目遣いで俺を見た。

「お給料、期待してますからね?」
「はい。言い値で払います」

 こうして、俺の家のリビングに、小さな、しかし最強の会社が爆誕した。
 株式会社ニワサキ。
 その快進撃は、まだ誰も知らない。
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