だから私は不倫します

希羽

文字の大きさ
5 / 7

第五話:王都動乱の序曲

しおりを挟む
 幽閉生活が始まって、一月が過ぎた。

 私は文字通り、鳥かごの鳥だった。窓の外の空を眺めることしか許されず、侍女アガサの氷のような視線が、常に私を監視していた。しかし、私の心は絶望に染まってはいなかった。胸元に隠した黒鳥のブローチが、かすかな熱を帯びてルシアンの存在を伝えてくれるからだ。

『マーカスは騎士団の魔術師たちを総動員し、昼夜を問わず研究を続けている。だが、君の理論の根幹を理解できず、皆疲弊しているようだ』
『先日、実験室で小規模な魔力逆流があったらしい。負傷者も出たとか』

 ブローチを通して聞こえるルシアンの声は、私の唯一の希望だった。私たちは夜ごと、マーカスの動向を分析し、来るべき日に備えて計画を練り上げていった。それはまるで、二人だけで戦う秘密の戦争のようで、不思議な高揚感が私を支えていた。

 一方、マーカスは日に日に追い詰められていた。屋敷に戻っても書斎に閉じこもり、時折聞こえてくるのは、羊皮紙を引き裂く音や、苛立ちに満ちた怒声ばかり。私の不在が、彼の自信と才能が砂上の楼閣であったことを、何よりも雄弁に物語っていた。

 そして、運命の日は突然訪れた。

 ある朝、王家からの使者が訪れ、マーカスに一通の書状を届けたのだ。

「……三週間後、建国記念式典の場で、『王盾の天蓋』の初披露を行え、と……国王陛下直々のご命令だ……」

 書斎から出てきたマーカスの顔は、紙のように真っ白だった。後がなくなったのだ。王命となれば、もう失敗は許されない。彼は震える手で私の方へ歩み寄ると、牢の鍵を開ける看守のような目で、封印していた研究室の扉を開けた。

「フィオナ。お前が必要だ。この計画を完成させろ」

 そこには、かつての傲慢な命令口調とは違う、懇願するような響きが混じっていた。

「完成させてくれるなら、お前の望むものを何でもやろう。外出も許す。だから……!」
「……ええ、マーカス様。お引き受けいたしますわ」

 私は静かに答えた。彼の無様な姿に、もはや何の感情も湧かなかった。ただ、復讐の最後の舞台が整ったことだけを、冷徹に理解していた。

 ◇◇◇

 その夜から、私は再び研究室に籠もった。

 ブローチを通して、ルシアンと対話しながら、私は二種類の羊皮紙を準備していた。

 一枚は、マーカスに渡すための『不完全な設計図』。

 それは一見、完璧な魔法陣に見えるが、中心となる制御核に致命的な欠陥を抱えていた。発動すれば、凄まじい魔力を集積するものの、制御できずに暴走する運命にある、時限爆弾のような代物だ。

 そしてもう一枚は、ルシアンに託すための『真の設計図』。

 そこには、暴走した魔力を鎮め、完全に制御下におくための『調律の詠唱チューニング・コマンド』が、古代妖精語で記されていた。それは、私が設計した全ての魔法陣に密かに組み込んでいた、私だけの安全装置。設計者である私と、その言語を理解できるルシアンだけが使える、絶対的な支配権を握るための鍵だった。

『ルシアン、聞こえますか? これが最後の切り札です』
『ああ、受け取った。フィオナ、君は本当にすごい。これはもはや魔術ではなく、神々の詩だ』

 彼の賞賛の言葉が、私の心を温める。
 設計図が完成した夜、私は久しぶりにマーカスの寝室を訪れた。

「……できましたわ」

 やつれた顔で待っていたマーカスに羊皮紙を差し出すと、彼は貪るようにそれに目を通し、狂喜の声を上げた。

「これだ! これだ! やはり君は天才だ!」

 彼は私を強く抱きしめ、感謝の言葉を繰り返す。しかし、その腕に込められているのが、私への愛情ではなく、ただ己の破滅から救われた安堵だけであることが、手に取るようにわかった。

 その夜、彼は勝利を確信し、久しぶりに私を求めた。
 以前のような、心を殺した屈辱はもうなかった。

 闇の中、私は彼の腕の中で目を閉じる。

(可哀想な人)

 もうすぐ、あなたの築き上げた偽りの全てが、音を立てて崩れ落ちるというのに。

 私はただ、来るべき式典の日を待った。

 断罪の劇場の、幕が上がるのを。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

今さら遅いと言われる側になったのは、あなたです

有賀冬馬
恋愛
夜会で婚約破棄された私は、すべてを失った――はずだった。 けれど、人生は思いもよらない方向へ転がる。 助けた騎士は、王の右腕。 見下されてきた私の中にある価値を、彼だけが見抜いた。 王城で評価され、居場所を得ていく私。 その頃、私を捨てた元婚約者は、転落の一途をたどる。 「間違いだった」と言われても、もう心は揺れない。 選ばれるのを待つ時代は、終わった。

アリーチェ・オランジュ夫人の幸せな政略結婚

里見しおん
恋愛
「私のジーナにした仕打ち、許し難い! 婚約破棄だ!」  なーんて抜かしやがった婚約者様と、本日結婚しました。  アリーチェ・オランジュ夫人の結婚生活のお話。

ねえ、テレジア。君も愛人を囲って構わない。

夏目
恋愛
愛している王子が愛人を連れてきた。私も愛人をつくっていいと言われた。私は、あなたが好きなのに。 (小説家になろう様にも投稿しています)

最後に一つだけ。あなたの未来を壊す方法を教えてあげる

椿谷あずる
恋愛
婚約者カインの口から、一方的に別れを告げられたルーミア。 その隣では、彼が庇う女、アメリが怯える素振りを見せながら、こっそりと勝者の微笑みを浮かべていた。 ──ああ、なるほど。私は、最初から負ける役だったのね。 全てを悟ったルーミアは、静かに微笑み、淡々と婚約破棄を受け入れる。 だが、その背中を向ける間際、彼女はふと立ち止まり、振り返った。 「……ねえ、最後に一つだけ。教えてあげるわ」 その一言が、すべての運命を覆すとも知らずに。 裏切られた彼女は、微笑みながらすべてを奪い返す──これは、華麗なる逆転劇の始まり。

能ある妃は身分を隠す

赤羽夕夜
恋愛
セラス・フィーは異国で勉学に励む為に、学園に通っていた。――がその卒業パーティーの日のことだった。 言われもない罪でコンペーニュ王国第三王子、アレッシオから婚約破棄を大体的に告げられる。 全てにおいて「身に覚えのない」セラスは、反論をするが、大衆を前に恥を掻かせ、利益を得ようとしか思っていないアレッシオにどうするべきかと、考えているとセラスの前に現れたのは――。

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

皇太女の暇つぶし

Ruhuna
恋愛
ウスタリ王国の学園に留学しているルミリア・ターセンは1年間の留学が終わる卒園パーティーの場で見に覚えのない罪でウスタリ王国第2王子のマルク・ウスタリに婚約破棄を言いつけられた。 「貴方とは婚約した覚えはありませんが?」 *よくある婚約破棄ものです *初投稿なので寛容な気持ちで見ていただけると嬉しいです

望まない相手と一緒にいたくありませんので

毬禾
恋愛
どのような理由を付けられようとも私の心は変わらない。 一緒にいようが私の気持ちを変えることはできない。 私が一緒にいたいのはあなたではないのだから。

処理中です...