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第四話:芽生える自信と朽ちる威光
アシェルの研究塔での私の新たな生活は、驚きと発見に満ちていた。
「大きな願いは、大きな反動を伴います。まずは小さなことから、ご自身の力を知ることから始めましょう」
アシェルの提案で、私の力の訓練が始まった。
最初の課題は「このハーブティーを、一番美味しくなる温度にしたい」。
私がおずおずと祈りを捧げると、テーブルの上のポットの水が、ふつふつと完璧な湯気を立てた。アシェルが淹れてくれた紅茶は、これまで飲んだどんなものより香り高く、心を解きほぐす味がした。
「すごい…」
「ええ。あなたは今、水の分子運動に直接干渉したのですよ」
次に「散らかったこの本を、テーマごとに整理したい」。
私が祈ると、床に山積みになっていた数十冊の古書が一斉にふわりと浮き上がり、まるで意思を持った鳥のように、歴史、魔術、薬学と、テーマごとに正確な本棚へと収まっていく。
これまで破壊や混乱と隣合わせだった自分の力が、こんなにも穏やかで、建設的に使える。その事実が、凍てついていた私の心を少しずつ溶かしていった。私の顔に、この国に来て初めて、自然な笑みが浮かんだ。アシェルはそんな私の隣で、満足そうに頷いていた。
◇
一方、コンラートとフロリアの生活は、終わりの見えない泥沼と化していた。
数ヶ月が経つ頃には、二人は互いを空気として扱う「沈黙の戦争」に突入。同じ食卓につき、同じ寝室で眠りながら、一言も口をきかない日々が続いた。
その歪な関係は、国の運営にも深刻な影響を及ぼし始める。
宰相や大臣たちとの重要会議の席。コンラートが隣国の軍事行動について真剣な面持ちで語っている最中、隣にいるフロリアが退屈そうにあくびをしたり、侍女と目配せをしたりして、場の緊張感を台無しにする。
ついに我慢の限界に達したコンラートは、机を拳で叩きつけ、会議の場で怒鳴りつけた。
「フロリア! 少しは静かにできんのか!」
「まあ、私だってこんな会議、好きで出席しているのではありませんわ!」
国の未来を決める場で繰り広げられる痴話喧嘩に、大臣たちは唖然とし、ただただ頭を抱えるばかりだった。王子の威光は、もはや見る影もなかった。
夜の寝室は、さらに悲惨だった。一つのベッドの左右の端に分かれ、互いに背を向け合って眠る。しかし、どちらかが寝返りを打つたびに、物理的に相手にぶつかってしまう。
「もっと向こうへ行けと言っているだろう!」
「行けるものなら、とうの昔に行っておりますわ!」
そんな不毛な争いが毎晩繰り返され、二人の目の下には、日に日に濃い隈が刻まれていった。
◇
「なぜ、私を信じてくださったのですか?」
ある晴れた午後、塔のバルコニーでハーブティーを飲みながら、私はアシェルに尋ねた。
アシェルは遠くの森を見つめながら、穏やかに答えた。
「あなたの国の記録を読んだ時から、君の力は物事の『本質』を突くものだと感じていました。多くの人は、目先の過程や枝葉に囚われてしまう。けれど君は、常に最短で願いの根本に到達する。それは、誰もが持てるものではない、素晴らしい才能です」
その言葉は、私がずっと欲しかった承認そのものだった。コンラートとの間には決して生まれなかった、魂が通い合うような安らぎを、私は感じていた。
そんな穏やかな日々の中、不穏な噂がアシェルの元にも届き始めていた。コンラートの国では、指導者の奇行と判断力の低下により政治が停滞。さらに原因不明の凶作が広がり、民の不満が高まっているという。
それは、私の祝福がもたらしたものではない。
私という国の「歪みを正す力」が失われたことによる、当然の帰結だった。
そして、アシェルの国にもまた、古くから続く大きな問題があった。王都の南に広がる『嘆きの森』が、年々枯渇しているのだ。どんな魔法や技術を使っても、その進行を止めることができない。
その日、アシェルは研究資料の中から一枚の古い地図を手に、私の元へやってきた。
「嘆きの森は、古代の複雑な魔力バランスの上に成り立っている。そして、そのバランスを正常化するには…おそらく、因果律そのものに干渉するほどの力が必要になる」
アシェルは真剣な表情で、私をまっすぐに見つめた。
「クラリス。君の力が必要になるかもしれない」
それは、私が初めて向けられた、純粋な期待の眼差しだった。少しの不安と、それを上回る確かな決意を感じながら、私は彼の目を見つめ返した。
ただ怯えるだけだった『欠陥聖女』は、もうどこにもいない。
「大きな願いは、大きな反動を伴います。まずは小さなことから、ご自身の力を知ることから始めましょう」
アシェルの提案で、私の力の訓練が始まった。
最初の課題は「このハーブティーを、一番美味しくなる温度にしたい」。
私がおずおずと祈りを捧げると、テーブルの上のポットの水が、ふつふつと完璧な湯気を立てた。アシェルが淹れてくれた紅茶は、これまで飲んだどんなものより香り高く、心を解きほぐす味がした。
「すごい…」
「ええ。あなたは今、水の分子運動に直接干渉したのですよ」
次に「散らかったこの本を、テーマごとに整理したい」。
私が祈ると、床に山積みになっていた数十冊の古書が一斉にふわりと浮き上がり、まるで意思を持った鳥のように、歴史、魔術、薬学と、テーマごとに正確な本棚へと収まっていく。
これまで破壊や混乱と隣合わせだった自分の力が、こんなにも穏やかで、建設的に使える。その事実が、凍てついていた私の心を少しずつ溶かしていった。私の顔に、この国に来て初めて、自然な笑みが浮かんだ。アシェルはそんな私の隣で、満足そうに頷いていた。
◇
一方、コンラートとフロリアの生活は、終わりの見えない泥沼と化していた。
数ヶ月が経つ頃には、二人は互いを空気として扱う「沈黙の戦争」に突入。同じ食卓につき、同じ寝室で眠りながら、一言も口をきかない日々が続いた。
その歪な関係は、国の運営にも深刻な影響を及ぼし始める。
宰相や大臣たちとの重要会議の席。コンラートが隣国の軍事行動について真剣な面持ちで語っている最中、隣にいるフロリアが退屈そうにあくびをしたり、侍女と目配せをしたりして、場の緊張感を台無しにする。
ついに我慢の限界に達したコンラートは、机を拳で叩きつけ、会議の場で怒鳴りつけた。
「フロリア! 少しは静かにできんのか!」
「まあ、私だってこんな会議、好きで出席しているのではありませんわ!」
国の未来を決める場で繰り広げられる痴話喧嘩に、大臣たちは唖然とし、ただただ頭を抱えるばかりだった。王子の威光は、もはや見る影もなかった。
夜の寝室は、さらに悲惨だった。一つのベッドの左右の端に分かれ、互いに背を向け合って眠る。しかし、どちらかが寝返りを打つたびに、物理的に相手にぶつかってしまう。
「もっと向こうへ行けと言っているだろう!」
「行けるものなら、とうの昔に行っておりますわ!」
そんな不毛な争いが毎晩繰り返され、二人の目の下には、日に日に濃い隈が刻まれていった。
◇
「なぜ、私を信じてくださったのですか?」
ある晴れた午後、塔のバルコニーでハーブティーを飲みながら、私はアシェルに尋ねた。
アシェルは遠くの森を見つめながら、穏やかに答えた。
「あなたの国の記録を読んだ時から、君の力は物事の『本質』を突くものだと感じていました。多くの人は、目先の過程や枝葉に囚われてしまう。けれど君は、常に最短で願いの根本に到達する。それは、誰もが持てるものではない、素晴らしい才能です」
その言葉は、私がずっと欲しかった承認そのものだった。コンラートとの間には決して生まれなかった、魂が通い合うような安らぎを、私は感じていた。
そんな穏やかな日々の中、不穏な噂がアシェルの元にも届き始めていた。コンラートの国では、指導者の奇行と判断力の低下により政治が停滞。さらに原因不明の凶作が広がり、民の不満が高まっているという。
それは、私の祝福がもたらしたものではない。
私という国の「歪みを正す力」が失われたことによる、当然の帰結だった。
そして、アシェルの国にもまた、古くから続く大きな問題があった。王都の南に広がる『嘆きの森』が、年々枯渇しているのだ。どんな魔法や技術を使っても、その進行を止めることができない。
その日、アシェルは研究資料の中から一枚の古い地図を手に、私の元へやってきた。
「嘆きの森は、古代の複雑な魔力バランスの上に成り立っている。そして、そのバランスを正常化するには…おそらく、因果律そのものに干渉するほどの力が必要になる」
アシェルは真剣な表情で、私をまっすぐに見つめた。
「クラリス。君の力が必要になるかもしれない」
それは、私が初めて向けられた、純粋な期待の眼差しだった。少しの不安と、それを上回る確かな決意を感じながら、私は彼の目を見つめ返した。
ただ怯えるだけだった『欠陥聖女』は、もうどこにもいない。
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