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第十話:断崖の赤い花
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翌朝、私が城門へ向かうと、リアン様は既に出立の準備を整えて待っていた。軽装の武人姿の彼は、昨日よりもさらに精悍に見える。
「行くぞ。俺の馬に乗れ」
有無を言わさぬ口調に、私は少し戸惑いながらも頷いた。彼が軽々と馬に跨り、私に手を差し伸べる。その無骨で大きな手に引かれ、私は彼の背後へと乗り込んだ。馬がゆっくりと歩き出すと、彼の背中の温もりと、すぐそばで聞こえる規則正しい呼吸に、心臓が大きく音を立てた。
「この谷は薬草の宝庫だ。だが同時に、危険な獣も多い。一人で森に入るな」
馬に揺られながら、リアン様はぽつりぽつりと、この土地について語ってくれた。厳しい冬を越える知恵、春の芽吹きを待つ人々の思い、そして、この土地を守るという彼の揺るぎない覚悟。彼の言葉の一つ一つから、彼がいかにこのスターリング領を深く愛し、熟知しているかが伝わってきた。
やがて私たちは、霧深い谷を見下ろす断崖絶壁にたどり着いた。
「……あそこだ」
リアン様が指差す先、切り立った崖の中腹に、まるで血の滴りのように鮮やかな赤い花が数輪、風に揺れていた。あれが『竜の吐息』。ギデオン様を救う、最後の鍵。
リアン様は手際よく岩にロープを固定すると、私に向き直った。
「ここで待っていろ。俺が採ってくる」
「いえ、参ります」
私は、きっぱりと首を振った。「薬草は、その根や茎の状態まで確かめて採らねば、最高の薬効は得られません。それは、薬師にしか分からないことです」
私の頑なな瞳を見て、リアン様は諦めたように短く息をついた。
「……分かった。だが、無茶はするな」
彼の真剣な声に、私は力強く頷いた。
腰にロープを巻きつけ、リアン様に支えられながら、私はゆっくりと崖を降りていく。眼下には雲海のような霧が広がり、まるで空を歩いているかのようだった。
目的の花に、あと少しで手が届こうとした、その瞬間。
私が足をかけた岩が、ガラリと音を立てて崩れ落ちた。
「きゃっ!」
体がぐらりと傾き、宙に投げ出される。死を覚悟した私を、しかし、上からの強烈な力ぐいっと引き止めた。ロープが、私の体に食い込む。
「クララッ!」
初めて名前を呼ばれた。彼の、焦りを滲ませた声だった。
渾身の力で引き上げられ、崖の上で倒れ込むように助け出された私の手には、鮮やかな赤い花が、確かに握りしめられていた。
「……す、すみません……」
「馬鹿者。なぜ手を離さなかった」
荒い息をつく彼の声は怒っているようで、それでいて、心の底から安堵しているのが分かった。すぐ目の前にある彼の灰色の瞳が、これまでにないほど強く、私を捉えている。
帰りの道は、どちらからともなく無言だった。
夕焼けが、荒涼とした谷間を燃えるような赤色に染めている。その美しい光景を眺めながら、私はリアン様の背中に、先ほどよりも強く温もりを感じていた。
「……礼を言う。ギデオンも、喜ぶだろう」
城砦が見えてきた頃、彼がぽつりと呟いた。
そして、少しの間を置いて、言葉を続ける。
「お前は……ただの薬師ではないな」
その言葉に含まれた、確かな信頼と敬意。
私は彼の背中に向かって、誰にも見えないように、そっと微笑んだ。二人の間を流れる空気が、出会った頃とは全く違う色に染まっていることに、私たちはもう、気づいていた。
「行くぞ。俺の馬に乗れ」
有無を言わさぬ口調に、私は少し戸惑いながらも頷いた。彼が軽々と馬に跨り、私に手を差し伸べる。その無骨で大きな手に引かれ、私は彼の背後へと乗り込んだ。馬がゆっくりと歩き出すと、彼の背中の温もりと、すぐそばで聞こえる規則正しい呼吸に、心臓が大きく音を立てた。
「この谷は薬草の宝庫だ。だが同時に、危険な獣も多い。一人で森に入るな」
馬に揺られながら、リアン様はぽつりぽつりと、この土地について語ってくれた。厳しい冬を越える知恵、春の芽吹きを待つ人々の思い、そして、この土地を守るという彼の揺るぎない覚悟。彼の言葉の一つ一つから、彼がいかにこのスターリング領を深く愛し、熟知しているかが伝わってきた。
やがて私たちは、霧深い谷を見下ろす断崖絶壁にたどり着いた。
「……あそこだ」
リアン様が指差す先、切り立った崖の中腹に、まるで血の滴りのように鮮やかな赤い花が数輪、風に揺れていた。あれが『竜の吐息』。ギデオン様を救う、最後の鍵。
リアン様は手際よく岩にロープを固定すると、私に向き直った。
「ここで待っていろ。俺が採ってくる」
「いえ、参ります」
私は、きっぱりと首を振った。「薬草は、その根や茎の状態まで確かめて採らねば、最高の薬効は得られません。それは、薬師にしか分からないことです」
私の頑なな瞳を見て、リアン様は諦めたように短く息をついた。
「……分かった。だが、無茶はするな」
彼の真剣な声に、私は力強く頷いた。
腰にロープを巻きつけ、リアン様に支えられながら、私はゆっくりと崖を降りていく。眼下には雲海のような霧が広がり、まるで空を歩いているかのようだった。
目的の花に、あと少しで手が届こうとした、その瞬間。
私が足をかけた岩が、ガラリと音を立てて崩れ落ちた。
「きゃっ!」
体がぐらりと傾き、宙に投げ出される。死を覚悟した私を、しかし、上からの強烈な力ぐいっと引き止めた。ロープが、私の体に食い込む。
「クララッ!」
初めて名前を呼ばれた。彼の、焦りを滲ませた声だった。
渾身の力で引き上げられ、崖の上で倒れ込むように助け出された私の手には、鮮やかな赤い花が、確かに握りしめられていた。
「……す、すみません……」
「馬鹿者。なぜ手を離さなかった」
荒い息をつく彼の声は怒っているようで、それでいて、心の底から安堵しているのが分かった。すぐ目の前にある彼の灰色の瞳が、これまでにないほど強く、私を捉えている。
帰りの道は、どちらからともなく無言だった。
夕焼けが、荒涼とした谷間を燃えるような赤色に染めている。その美しい光景を眺めながら、私はリアン様の背中に、先ほどよりも強く温もりを感じていた。
「……礼を言う。ギデオンも、喜ぶだろう」
城砦が見えてきた頃、彼がぽつりと呟いた。
そして、少しの間を置いて、言葉を続ける。
「お前は……ただの薬師ではないな」
その言葉に含まれた、確かな信頼と敬意。
私は彼の背中に向かって、誰にも見えないように、そっと微笑んだ。二人の間を流れる空気が、出会った頃とは全く違う色に染まっていることに、私たちはもう、気づいていた。
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