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第十話:新たな日常と最初の弟子
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井戸の一件から一夜明け、辺境の村の空気は、まるで別世界のように変わっていた。
私が納屋の外に出ると、昨日まで向けられていた警戒心に満ちた視線は、尊敬と感謝の眼差しへと変化していた。村人たちは、はにかみながらも「昨日はありがとう」「あなたのおかげだ」と口々に言い、焼きたてのパンや、搾りたてのミルク、庭で採れた野菜などを私の足元に置いていく。
王都では、私の知識は常に嫉妬と畏怖の対象だった。このような純粋で、直接的な感謝の表明は、私の人生において初めて観測される、新しい変数だった。
「……どうも」
私は少し戸惑いながらも、その小さな善意を、静かに受け取った。
私の新しい「研究室」となった納屋で、昨日の井戸再生オペレーションのデータを羊皮紙にまとめていると、不意に入り口の戸が叩かれた。
「……いるか」
そこに立っていたのは、レオンだった。昨日までの敵意は消え、代わりに気まずさと、抑えきれない好奇心がその目に浮かんでいた。彼は納屋に一歩足を踏み入れると、壁一面に書きつけられた数式を見て、わずかに顔をひきつらせた。
「昨日の……あれは、一体何だったんだ。俺が知っているどんな魔法とも違った」
彼の問いは、真理を求める者のそれだった。私はペンを置き、私の最初の「弟子」になるかもしれない男に向き直った。
「あれは、あなたの魔法の『本質』を引き出したに過ぎませんわ。簡単な例えで説明しましょう。あなたの魔法は、巨大な滝です。途方もないエネルギーを持っていますが、その力はあらゆる方向へ無秩序に飛散している。わたくしの数式は、その滝の真下に置かれた、精密な水車のようなもの。あなたの力を一滴も無駄にせず、受け止め、一つの目的のために回転させるための設計図です」
レオンは、まだ完全には理解できていないようだったが、真剣な顔で私の言葉に耳を傾けていた。
「試しに、簡単な演習をしてみましょうか」
私は彼に、掌を上にして差し出すように言った。
「その掌に、小さな炎を灯してみてください。ただし、祈りやイメージではありません。『エネルギー出力Eを、一定値Cに保つ』ことだけを意識して。わかりますか? 炎を大きくするのでも、強くするのでもなく、ただ、同じ状態で維持し続けるのです」
レオンは戸惑いながらも、言われた通りに集中を始めた。彼の掌に炎が揺らめく。だが、それはすぐに大きくなったり、消えかかったりと、全く安定しなかった。
「……くそっ、難しいな、これ」
「当然です。力任せに放出することより、精密に制御することの方が、何倍も高度な技術なのですから」
彼の悪戦苦闘を横目に、私は自分の研究へと意識を戻した。
私の当面の目標は、この村の近くにあるという古代遺跡の調査だ。そのためには、まずこの村を、魔物の脅威から完全に守れる、安全な研究拠点へと作り変える必要がある。王都の崩壊は、感情と伝統に依存したシステムの脆弱性が招いた、必然的な数学的帰結だった。同じ過ちをここで繰り返すわけにはいかない。
そんなことを考えていると、今度は村長のドルガンが、満面の笑みで納屋を訪ねてきた。
「リディア殿! いやはや、昨日は本当に村を救ってくださった! これからも、どうか我々に力を貸してほしいのじゃ!」
「ええ、そのつもりですわ。ちょうど良い機会ですから」
私は村長に、以前から指摘していた防壁の脆弱性について、改めて説明した。最近、魔物の活動が活発化しているという彼の言葉は、私の計画を後押ししてくれた。
「これは、単なる木の柵の補強案ではありません」
私はドルガンと、そして炎の維持に苦戦しているレオンの前に、一枚の新しい設計図を広げてみせた。そこに描かれていたのは、単なる壁ではなかった。幾何学的な原理に基づき、堀や罠、迎撃用の櫓が数学的に配置された、複合的な「防御システム」の青写真だった。
「これは……城壁、か……?」
ドルガンの驚きの声に、私は首を横に振る。
「いいえ、村長殿。これは城塞です」
そして、私はレオンへと視線を向けた。彼の掌の炎は、まだ揺らいでいたが、先ほどよりは遥かに安定していた。
「この城塞を完成させるには、木や石だけでは足りません。それを動かすための、強力で安定したエンジンが必要です。レオン、あなたの力が必要になりますわ。もはや、無秩序な滝としてではありません。この村を守るための、巨大な水車を回す、原動力として」
私の言葉に、レオンは掌の炎をふっと消した。
彼は目の前の、常識を超えた設計図と、私の顔を交互に見つめると、やがて、決意を秘めた目で、はっきりと頷いた。
井戸という小さな問題は解決した。
そして今、この辺境の村そのものを造り変えるという、壮大な実験が始まろうとしていた。
私が納屋の外に出ると、昨日まで向けられていた警戒心に満ちた視線は、尊敬と感謝の眼差しへと変化していた。村人たちは、はにかみながらも「昨日はありがとう」「あなたのおかげだ」と口々に言い、焼きたてのパンや、搾りたてのミルク、庭で採れた野菜などを私の足元に置いていく。
王都では、私の知識は常に嫉妬と畏怖の対象だった。このような純粋で、直接的な感謝の表明は、私の人生において初めて観測される、新しい変数だった。
「……どうも」
私は少し戸惑いながらも、その小さな善意を、静かに受け取った。
私の新しい「研究室」となった納屋で、昨日の井戸再生オペレーションのデータを羊皮紙にまとめていると、不意に入り口の戸が叩かれた。
「……いるか」
そこに立っていたのは、レオンだった。昨日までの敵意は消え、代わりに気まずさと、抑えきれない好奇心がその目に浮かんでいた。彼は納屋に一歩足を踏み入れると、壁一面に書きつけられた数式を見て、わずかに顔をひきつらせた。
「昨日の……あれは、一体何だったんだ。俺が知っているどんな魔法とも違った」
彼の問いは、真理を求める者のそれだった。私はペンを置き、私の最初の「弟子」になるかもしれない男に向き直った。
「あれは、あなたの魔法の『本質』を引き出したに過ぎませんわ。簡単な例えで説明しましょう。あなたの魔法は、巨大な滝です。途方もないエネルギーを持っていますが、その力はあらゆる方向へ無秩序に飛散している。わたくしの数式は、その滝の真下に置かれた、精密な水車のようなもの。あなたの力を一滴も無駄にせず、受け止め、一つの目的のために回転させるための設計図です」
レオンは、まだ完全には理解できていないようだったが、真剣な顔で私の言葉に耳を傾けていた。
「試しに、簡単な演習をしてみましょうか」
私は彼に、掌を上にして差し出すように言った。
「その掌に、小さな炎を灯してみてください。ただし、祈りやイメージではありません。『エネルギー出力Eを、一定値Cに保つ』ことだけを意識して。わかりますか? 炎を大きくするのでも、強くするのでもなく、ただ、同じ状態で維持し続けるのです」
レオンは戸惑いながらも、言われた通りに集中を始めた。彼の掌に炎が揺らめく。だが、それはすぐに大きくなったり、消えかかったりと、全く安定しなかった。
「……くそっ、難しいな、これ」
「当然です。力任せに放出することより、精密に制御することの方が、何倍も高度な技術なのですから」
彼の悪戦苦闘を横目に、私は自分の研究へと意識を戻した。
私の当面の目標は、この村の近くにあるという古代遺跡の調査だ。そのためには、まずこの村を、魔物の脅威から完全に守れる、安全な研究拠点へと作り変える必要がある。王都の崩壊は、感情と伝統に依存したシステムの脆弱性が招いた、必然的な数学的帰結だった。同じ過ちをここで繰り返すわけにはいかない。
そんなことを考えていると、今度は村長のドルガンが、満面の笑みで納屋を訪ねてきた。
「リディア殿! いやはや、昨日は本当に村を救ってくださった! これからも、どうか我々に力を貸してほしいのじゃ!」
「ええ、そのつもりですわ。ちょうど良い機会ですから」
私は村長に、以前から指摘していた防壁の脆弱性について、改めて説明した。最近、魔物の活動が活発化しているという彼の言葉は、私の計画を後押ししてくれた。
「これは、単なる木の柵の補強案ではありません」
私はドルガンと、そして炎の維持に苦戦しているレオンの前に、一枚の新しい設計図を広げてみせた。そこに描かれていたのは、単なる壁ではなかった。幾何学的な原理に基づき、堀や罠、迎撃用の櫓が数学的に配置された、複合的な「防御システム」の青写真だった。
「これは……城壁、か……?」
ドルガンの驚きの声に、私は首を横に振る。
「いいえ、村長殿。これは城塞です」
そして、私はレオンへと視線を向けた。彼の掌の炎は、まだ揺らいでいたが、先ほどよりは遥かに安定していた。
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私の言葉に、レオンは掌の炎をふっと消した。
彼は目の前の、常識を超えた設計図と、私の顔を交互に見つめると、やがて、決意を秘めた目で、はっきりと頷いた。
井戸という小さな問題は解決した。
そして今、この辺境の村そのものを造り変えるという、壮大な実験が始まろうとしていた。
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