【進路には勝てないと悟った調理師志望女子のゴールデンウィーク】

カズト チガサキ

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二日目

第6話 二日目 1/4

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 日乃実ちゃんの進学希望先である学校は調理師科以外にも、スポーツ科や医学科、ITやエンタメに至り、さらにはインテリアデザイン科なども内包しているらしいことが校舎案内から見て取れた。

 数ある教室のうち、僕たちは調理師科が保有している講義室で学科説明会の真っ最中だった。

 講義室とは言っても、僕たちが座っているのはあの学生時代特有の風情ある木目調の机とイスではない。
 白い長テーブルと前後にしか動かないイスは、どちらかと言えばオフィスを連想させる。
 向かって正面にあるはずの黒板はなく、代わりにホワイトボードが取り付けられていた。

 中学校の教室と比べているのか、日乃実ちゃんは様相の違いに「木じゃない。すごっ。広っ」と呟く。
 が、どうしたことか、僕の部屋に上がったときより反応は鈍く、たったそれだけリアクションを済ませたあとは大人しく座してしまった。

 今日の彼女は朝ご飯に昨晩のカレーの残りを食べ(やはり山盛り)、部屋を出発した――あたりでだんだんと大人しくなっていき――やがて説明会が始まる頃には、ガチガチに震える指で学科資料のページをめくるに至った。

 ぱっと見でもわかるが、要するに。
 日乃実ちゃんが緊張しているのだ。

「――――学科説明は以上になります。では10分休憩を挟んだのち体験授業に移りますので、担当の教員が来るまで今しばらくお待ちください」

 説明を終えて補助員が教室を後にしたそのとき。

「すぅぅーーー……っふぅーーー」
 ただならぬ深呼吸が聞こえる。

「このあと体験授業だって、行けそうかいね?」
「チャーハンづくりでしょ。よ、余裕ヨユー」

 余裕ならばなぜ目を泳がせるのか。

 この調理師科のオープンキャンパスの段取りは三工程だ。
 一つは今しがた終わった学科説明会。
 二つ目に昼食を兼ねたチャーハンづくり体験実習。
 最後に質疑応答。という流れなので、日乃実ちゃんたち体験生はこれから調理実習室で実際に手を動かす予定なのだ。

 が、当の日乃実ちゃんはというと。

「私……ちょっとトイレに」

 ふむ。着いてから四回目の花摘みか。心配にもなる。

「う、うるさいっ女の子の用足しの回数なんか数えんなっ、シンタローのデリカシーなしヤローっ! 行ってくるっ」

 今はとにかくコンディションが良くないらしい。無論、緊張から来る不調なのは言うまでもない。

「先生には僕から伝えとくから、ゆっくりでいいぞ」
「そ、そんなにこもらないしぃっ!」

 いや、結果的に彼女はそんなにこもった。

 彼女がトイレにこもる間に、在校生や学科の教員がぞろぞろと教室に入って来る。

 マンツーマン指導らしく、他の体験生たちは挨拶を交わしだすが、依然として日乃実ちゃんは花摘みから帰ってこない。

「どうもはじめまして~、本日担当のミツコと申します~。お兄さんが今日の生徒さん……ではないですわよね?」

 口に手を当ててオホホホ、なんて笑い出しそうなミツコという教員が日乃実ちゃんの担当らしい。
 四十代後半の僕を「お兄さん」と呼ぶので……五十代くらいだろうか。少々恰幅の良い、いかにもマダム風なおばあさま先生だ。

「島慎太郎です。今日はどうもよろしくお願いします。で、すみませんがうちの娘は……というか娘でもないんですけど、いまトイレにいってましてね」
「あらまぁ~そうでしたか。じゃあ実習室へはワタクシたちだけ後からついて行くとしましょ。ゆっくりでも全然大丈夫ですから~」

 他の体験生と担当者が続々と教室を出ていく中、僕はミツコ先生と二人ここに取り残されてしまった。

「いや、すいません。日乃実ちゃんどうも緊張してるっぽくて」
「そういう子も時々いますのよ。ワタクシどもも慣れてますからご心配なさらず。それはそうと――――」

 ミツコ先生が思いついたように何か――名簿だろうか――のページを繰る。

「苗字が違いますのね。お兄さんは親御さんではなく、お義兄にいさんとかですの?」
「ああそれ、実は」
「お待たせしましたー!」

 無遠慮なくらいに威勢の良い声が教室に響く。先ほどまでの大人しさはどこへやら、僕たちを待たせた日乃実ちゃんはテヘとおどけつつ駆け足で教室にやってきた。

「お待たせしました! 計屋日乃実、調理師志望です! 趣味はお料理、特技はお料理、夢は調理師!」

 妙に聞き覚えのある挨拶と右手で額にビシッと三角を形作る敬礼。

「今日はよろしくお願いしまっす、先生」
「あら~元気が良くておばちゃんもなんだか嬉しいわねぇ。よろしくね日乃実ちゃん」

 それまで「ワタクシ」だった一人称が孫を前にしたかのように「おばちゃん」に変わる。

 ミツコ先生のおおらかさに安心したのだろうか、日乃実ちゃんの表情は普段彼女がしているみたいにニヒっと崩れる。そのカオにさっきまでの堅苦しさはなかった。

 いや、思い返せば「お待たせしました」の時点で彼女の緊張は手品みたいに消えていた気がする。花摘みのおかげですっかり持ち直したらしく、少し安心する。

 挨拶が済んだところで、ミツコ先生の案内の下、僕たちは調理実習室に向かう、その道中。

「緊張することないのよ~チャーハンづくりって言っても、レシピとかはそばに書いてあるし、ね?」
「ありがとミツコセンセ。でもダイジョーブッ! 私、いまならナニ作れって言われてもいけそうだよっ、ですっ」

 日乃実ちゃん、敬語が危うい。

「あら本当~。でもわかんないところはなん~でもおばちゃんを使ってくれていいんだからね?」

 意気揚々と脇をしめて両こぶしを握る。日乃実ちゃんの気合十分なポーズを見て僕は「調子を取り戻したかな」なんて心中で独りごちた。

「覚悟が決まったんだ?」
「へ? ぅう~むぅ……覚悟というか」

 彼女は言い淀み、きれいな形の眉を数瞬ひそめたのち答えた。

「そんな大げさなカンジじゃなくてさっ。なんか、励みに気づいた、みたいなっ?」
「ほう? 励みとな」
「……あーあ、シンタローってばぜ~んぜんピンと来てないじゃん」
「まぁまぁ、どんな励みなんだ?」
「それはフツーに鈍感っ。自分の胸に聞いてくださーい」

 そう言い残して彼女はミツコ先生の案内通りに女子更衣室へさっさと入ってしまった。

 実習の準備として体験生は調理服に、同伴者も調理師科で用意した抜け毛対策の帽子を身に着ける必要があるらしい。

 かくして着替えを終えた僕たちは調理実習室に集まる。

「あらまぁサイズギリギリじゃないかしら。どう日乃実ちゃん、変な感じしないかしら?」

 僕は日乃実ちゃんの格好を見やる。
 テレビなんかでよく目にする――僕の場合は取材で――真っ白い洋物調理服に身を包み、赤のスカーフで首を隠している。

 しかし。その装いうんぬんよりも、印象的なある事実に目が向いてしまう。

「日乃実ちゃん。これはちょっと、どうだ?」

 調理師科は男子ばかりの学科らしく、女子である日乃実ちゃんの背丈では服のサイズが明らかに大きすぎたのだ。
 袖と丈は捲り上げられ、腹回りや端々は少々ダボついている。
 スカーフも巻くというより、小さな肩幅を目いっぱい使って積載している風に見える。馬子にも衣装。とは言い難かった。

「はいそこシンタロー、いま失礼なこと考えたっ」
「ぐっ。そのようなことは、決して……」
「あら、じゃあワタクシもっと小さめのを探してこようかしら?」

 いやいや、大丈夫だよっ、ですっ。と日乃実ちゃんが止める。
 日乃実ちゃんに限って遠慮するわけもないから、きっと調理に支障はないという判断だ。

「ごめんなさいな。ワタクシついお節介を」

 そういうミツコ先生は、日乃実ちゃんと同じ調理服を纏っているはずなのに食堂のおばちゃん感が拭えなかった。

 服のことでややあってから、それではとミツコ先生はテーマであるチャーハンのレクチャーを始める。いちおう僕も、日乃実ちゃんの隣で話を聞くことにした。

 いくつか決め事があるらしい。

 その一。使う野菜の切り方や調理法は勝手にアレンジしないこと。これは体験生の調理手際の良さを推し量るためのルール。いわばレギュレーションらしい。

 その二。味付けの加減は自由にしてよいこと。体験生に料理の醍醐味を文字通り体験して欲しいから、とのこと。

 その三。楽しくやりましょうね。お兄さんも、もっとそばで見守っていただいて良いのよ。とのことなので遠慮なく。

「ハイ! 私、がんばります!」

 説明を一通り聞き終えた日乃実ちゃんは、やるぞと声を上げて調理手順に目を落とす。

(………………?)

 その返事には若干の気負い成分が含まれているように聞こえた。

 気のせいかとも考えたが、レシピを持つ彼女の手は小刻みに震えている。
 口では平気だと言っていたけど、全く緊張しないなんてことはやっぱりありえないだろう。

「気が散るようなら、僕はなるべく離れてようか?」

 日乃実ちゃんに思う存分腕を振るってもらうためにできる僕の、せめてもの提言だったけど。

「へ? んーん別に、近くでも気にしないよっ」

 いつもの何気ない笑みで言われた。その言葉自体に嘘はないだろう。
 だけど彼女の平静さが表面的なものでしかないことは、実際に顔を合わせて二日目の僕ですらわかった。

「そっか。それなら遠慮なく、ここらへんで見てるから」

 結局、僕は彼女の調理の邪魔にならない程度の距離から見守ることにした。

 ……今のところ、僕は彼女に何もしてあげられないてないな。

 今日、不安でトイレに何度も駆け込む彼女に、僕は気の利いた言葉を一つくらいはかけてあげられていただろうか。

 そこそこ参っていただろうに、それでも本人は一人の力で立ち上がって教室へ戻ってきた。

 そしてその後、当人からも気にしなくていいと告げられてしまった。

 歯痒かった。昨晩、一人で覚悟を決めに来た彼女のために自分にできることをしたいと、そう決めたはずだったのに。

 日乃実ちゃんは一つ深呼吸を置いて、チャーハンの具材を手に取り、包丁の刃をサクと入れていく。

 調理が始まってしまえば、もはや僕にできることはない。

 そして日乃実ちゃんは。
 緊張こそすれ、調理場の彼女は堂々としているように見えた。
 今はただ、僕の助けなど必要ないくらいに。
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