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2章
みーちゃん
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お父さんとお母さんが再婚して、みーちゃんが引っ越して、智ちゃんは進学を理由に家を出て行った。
私達はバラバラになってしまった。
それでも、みーちゃんは時々会いに来てくれた。
おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に、迎えに来てくれることがあり、遊びに行くことが何度かあった。
変わらず「ぼくのお姫様」と言ってくれたみーちゃん。
だけど、私からみーちゃんに会いに行くのはお母さんに悪い気がして言い出せなかった。
ここから、車で1時間以上かかるおじいちゃんの家。
子どもには、簡単に会いに行ける距離ではなかった。
途方もない距離がかかることで、お母さんには何だか悪いと思ってしまいお願いが出来なかった。
だから、1年の内に数回おじいちゃんの家にお泊まりに行くことがとても楽しみだったのを覚えている。
ママがいる時も、お泊まりは何回も行った。
だから、楽しい記憶が多くある。
会えることも、すごく嬉しい。
だけど、私の目の症状が出てくるようになって、お母さんとおじいちゃんの間がぎくしゃくし始めてしまった。
私のせいで。
原因は、はっきりと私にあるんだと自覚したから。
あの時に…。
「のんちゃん?」
みーちゃんの声に、考え事をしていたことに気付く。
「じぃじが、会いたがっているよ?」
「…うん」
「ばぁばから、手紙を預かって来たよ?」
「…うん」
みーちゃんの優しい声に、じわりと涙が浮かぶ。
「…悲しいの?」
「ううん」
「辛い?」
「…ううん」
「寂しい?」
「…そう、なのかな?」
「じゃあ、どうしたの?」
聞いて来るみーちゃんの声は、変わらず優しい。
暖かくて、縋りつきたい気持ちになる。
柔らかい手?指?が触れ、涙を拭われる。
それでも、じわりじわりと浮かんでくる涙。
流れている目には、何も映らない。
真っ黒な世界。
ずっと暗闇にいる私。
「のんちゃん?」
「…ごめんなさい」
「何で謝るの?」
「わ、悪いと…思って、いるから」
「誰に?」
「みんな、に…」
「ぼくにも?」
「…うん」
「じゃあ、いいよ」
『ごめんね』
『いいよ』
昔、みーちゃんがお友達の家に着いて来て、私は『嫌だ』と言ってしまった。
みーちゃんは、『何で』と言っていた。
私はお友達と遊びたかったのに、結局みーちゃんとしか遊んでいなかった。
それはそれで楽しかったけれど。
でも、そうじゃなかった。
みーちゃんは、私と遊びたかったんだと言っていた。
私もみーちゃんと遊ぶのが嫌だったわけじゃない。
みーちゃんと遊ぶのはいつでもできるから。
その時は、お友達と遊びたかっただけ。
でも、私が『嫌だ』と言ったことで、みーちゃんは私がみーちゃんを嫌がったと思って怒ってしまった。
そのことをママに言うと、ママはお互いに『ごめんなさい』をしたらどうか提案してくれた。
ケンカとまではいかないけれど、ツンツンしていたみーちゃんと何だかモヤモヤした私。
お互いに『ごめんなさい』と謝って、お互いに『いいよ』と言った。
そうしたら、何だかスッキリしたんだっけ?
それから、みーちゃんは謝る度に『いいよ』と言ってくれた。
そのことに救われた。
目がみえなくなった時も、謝ることしかできない私に何度も『いいよ』って言ってくれた。
そのことに、いつでも安心した。
何回も謝る私に、何度でも『いいよ』と言ってくれた。
「また、たくさん遊ぼう?」
みーちゃんの優しい声に、思わず自分から抱き着いた。
しゃくりあげる私。
泣いている自分が、1番ずるい。
みんなに良い顔をしたい私がいけない。
だけど、この優しいお兄ちゃんに見放されたくない私。
見えなくなった私に、みーちゃんはいつも私が楽しめることを探してくれた。
色んなことを見つけて、私に教えてくれる。
遊ぶこともそうだ。
手の感覚だけで遊べる玩具や、手の感覚の方が大事なブラインドゲームなど。
目が見えなくなって、塞ぎ込む私に『遊ぼう』そう言って誘ってくれた。
優しい優しいお兄ちゃん。
目が見えなくても、一緒に遊べるのだと何度も言ってくれたみーちゃん。
私は見えなかったあの4日間で、何度もみーちゃんに助けられた。
本当に、優しいみーちゃん。
色んなことを思い出して、みーちゃんにしがみつく。
声にならないごめんなさい。
そして、会いに来てくれてありがとうという気持ち。
私からは怖くて会いに行けなかった。
拒否されてしまったら、と思うとすごくすごく怖かった。
優しいみーちゃんに嫌われたくなかった。
だから、1年も空いてしまった。
でも、こうやって来てくれた。
遠いのに。
そのことに、嬉しくなる。
おじいちゃんとおばあちゃんもそうだ。
『いつでもおいで』そう言ってくれる優しい2人。
お母さんと何も変わらない。
優しい。
みんな、私にとても優しい。
だからこそ、申し訳ない気持ちがなくならない。
「のんちゃん、そんなに泣いたら体がカラカラになっちゃうよ?」
みーちゃんの声に、何度も頷く。
私が泣くことを気にして、違う話題を言ってくれる。
「ただでさえ軽い体が、もっともっと軽くなっちゃうよ?」
その声にも、こくりと頷く。
「家に帰すの、心配だなぁ」
後頭部を撫でられながら声をかけられ、しゃくりあげるのが止まるのを待つ。
みーちゃんの歩く速度はゆっくりだ。
その振動に、落ち着いて少しずつ涙が止まる。
みーちゃんは、ずっと私のことを抱っこしてくれた。
中学生にもなって恥ずかしいのに。
でも、「降りる」とは言わなかった。
私が泣き止むと、振動が止まった。
「ほら、のんちゃん。あーん」
みーちゃんの声に、首を傾げる。
「あーん、してごらん?」
優しい声に、口を開ける。
「これ、なーんだ?」
小さい塊は、口の中で弾けた。
甘い果汁を飲み込む。
私の、好きな果物。
「…ぶどう」
「大正解。ばぁばが持たせてくれたんだ。保冷剤があったから、ぬるくないでしょ?」
その声にも、こくりと頷く。
「のんちゃんが好きだからって、持たせてくれて感謝だね。後でばぁばにお礼言わないと。これがなかったら、のんちゃんが泣き過ぎてカラカラになっちゃう所だった」
大袈裟な言い方に、思わず笑ってしまった。
「泣かないで?ぼくのお姫様」
「…みーちゃん、ありがとう…」
「どういたしまして」
そのまま抱えられて、私は家に帰った。
みーちゃんは、また明日来ると言って帰って行った。
家には上がらないで、玄関でお別れになった。
みーちゃんは、家には上がらない。
理由がないと、中には入ろうとしない。
一緒に育った家なのに、みーちゃんが拒否しているように感じた。
遠慮して上がらないのか、上がりたくないのかは分からない。
だから、私も上がってほしいとは言えなかった。
玄関には、心配したさやかがいた。
さやかも短縮日課だったらしい。
でも、家に帰った時に迎えてくれた以外の声は聞こえなかった。
お母さんと挨拶をして、みーちゃんは私の瞼をなぞり頭を撫でて帰って行った。
「おねえ?おなかすいたでしょ?あの人とどこにいたの?どこまで行ったの?その足で歩いたの?痛くない?」
「さやか?みーちゃんは、お兄ちゃんだよ?」
さやかの質問が多すぎて、違うことを言ってしまった。
そのことに返答がない。
「さやか?」
名前を呼ぶけれど、それにも返事はなかった。
「…さやか」
名前しか呼べなかった。
今は、何も考えられない。
返事がないことで、少しだけ不安になる。
でも、さやかが怒っていなくなることは何回かあった。
おじいちゃんの家に泊まりに行ったり、智ちゃんとお出かけした日なんかは特に。
置いていかれて、寂しいんだと思っていつも時間をかけて謝った。
でも今日は、急にみーちゃんが来て思わず泣いてしまって、気持ちが置いてけぼりだった。
さやかがいないか確認してから動くのに、今日はそれをしていなかった。
声がしないから、いないと思ってしまった。
前の方にお母さんがいるみたいなので、その方向に顔を上げる。
「私、先にお風呂に行くね」
「ゆっくり入って来て。それから、ごはんにしましょう?」
「はい」
着替えでは、この気持ちは切り替えられない。
そう思って、壁伝いに歩き出した。
家の中だったこともあり、油断していた。
「ダメ!」
後ろから、おんぶのようにさやかが私の体にくっついた。
いきなりのことで、足で支えられずバランスを崩す。
状況が分からないまま、前のめりになった。
「危ない!」
お母さんが、支えてくれたのだろう。
支えてくれた、温かくて柔らかい感触にそう思った。
「…ありがとう、お母さん」
びっくりしたけれど、転ばなかったのでお母さんにお礼を言えた。
「良いのよ。足は痛くない?」
「はい」
「さやか、危ないでしょう!」
さやかがいたことに驚くが、真上から聞こえてきたお母さんの声にも驚く。
さやかに叱る声。
一緒に怒られている気持ちになる。
「…ごめんなさい」
思わず声に出してしまった。
「のぞみは、何も悪くないでしょう?お母さんは、さやかに怒っているの」
「ごめんなさい!おねえ、ごめん!」
さやかは私の背中にくっついたまま謝った。
「さやか?あなたは、もうのぞみに追いつくくらい体が大きいのよ?のぞみに、負担をかけちゃいけないの」
しっかりとした言葉。
「はい」
「ギブスは短くなって、普通に歩けるけれどまだ完治はしていないの。それは、この間言ったばかりでしょう?」
「はい」
「拗ねたかったら、1人で拗ねていて。のぞみを巻き込むのはやめてちょうだい」
「…はい。ごめんなさい、おねえ」
さやかの声は、少し震えていた。
「大丈夫だよ?さやか。寂しかった?ごめんね」
「…うん」
「これ以上くっついていたら、苦しいよ?」
なので、私も少し笑いながら言った。
「もう少し!もう少しだけ!」
「うん」
もう、自分の足でも支えられそうなので、そろそろとお母さんの体から離れようとする。
「足は?支えられる?」
「はい」
ゆっくりと、温もりが離れた。
「さやか、のぞみはお風呂に行きたいのよ」
「…分かってる」
お母さんの溜め息が聞こえた。
「じゃあ、のぞみの時間を大事にしないと」
「分かってる!」
「のぞみは、さやかのためにいるんじゃないのよ?」
背中にいるさやかは、離れたくないようで動かない。
「のぞみにも、1人になりたい時間があるのよ?」
「…だってぇ」
さやかの小さな声が聞こえた。
「おねえ、もう、私といるの、嫌になったんだ」
「そんなことないよ?さやか?」
「私のこと、嫌わないで」
「嫌うわけないでしょ?さやかが好きだよ」
お母さんの気配がして、さやかの体が離れた。
さやかに向き合うように、体を動かす。
「さやか?」
手探りで、さやかを探す。
さっきはしなかったけれど。
さやかがここにいることを知っているので、私からさやかを探す。
腕から手を探して、しっかりと両手を繋ぐ。
私とさやかの身長は、本当に同じくらいだ。
なので、今目の前にさやかがいると思いながら手に力を入れる。
「さやかが好きだよ。だから、泣かないで?」
「ごめんなさい!嫌いにならないで!…家から、いなくならないで…」
言われた言葉に、泣きそうになる。
でも、ぐっとこらえる。
「いなくならないでぇ。おねえがここからいなくなるなんて、そんなの嫌だよ!」
「さやか…」
「おねえがいなくなったら、私1人になっちゃう!置いていかないでぇぇ…」
引きつるような、さやかの声。
戸惑うけれど、私はお姉ちゃんだからと自分に言い聞かす。
繋がれた手から右手だけ離し、さやかの頭を探す。
腕から肩へ、肩から髪に触れゆっくりと頭に到着する。
私も不安そうな顔をしているのだろう。
でも、笑っている自分を想像する。
「私の家は、ここだよ?」
「…本当に?」
「うん。さやかのことを置いてどこにも行かないよ?」
「本当の本当に、家からいなくならない?」
「…それは、お泊まりとかお出かけとかはすると思うけど」
さやかの頭に触れる私の手を、今度はさやかが握った。
「おねえは、ここの家にいてくれる?」
「うん、いるよ」
「…良かった」
「うん」
「お風呂、一緒に入っちゃダメ?」
伺うようなさやかの声。
返答に困る。
「さやか」
お母さんの声がした。
「さっき、言ったことを思い出して?のぞみも、1人になりたい時間があるの」
「分かってる!」
「じゃあ、お風呂は我慢して?」
「さやか?あのね、明日も試験だから、早めにお風呂に入って明日の準備をしたいの。…だから」
「…まだ勉強するの?」
「今日はもうしないよ?ただ、明日も見えなくなったら試験で困るから、早く休もうと思っているよ?」
「試験?」
「テストと同じかな?」
「テストできないと困る?」
「うん、追試を受けないといけなくなっちゃう」
私は笑えているかな?
自分では笑っているつもりだ。
「今日、おねえと一緒に寝て良い?」
さやかの譲歩に、小さく頷いた。
「早く寝るならね?」
「…分かった」
「のぞみはお風呂の準備をするんでしょう?」
「はい」
「さやかは、先にごはんにする?」
「おねえを待ってる!」
さやかがお母さんとリビングに行き、私は2階に行く。
お風呂の準備をして、ゆっくりとお湯に浸かった。
それから、ごはんの時間があったけれど、ぼんやりしていることが多くてあまり食べられなかった。
夜も、さやかは言葉が少なかった。
でも、私にぴったりくっついていた。
お母さんの声に流されるように、就寝時間になった。
2人で固まって夜も眠った。
さやかの呼吸を感じながら、何故か涙が出てしまう私がいた。
私達はバラバラになってしまった。
それでも、みーちゃんは時々会いに来てくれた。
おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に、迎えに来てくれることがあり、遊びに行くことが何度かあった。
変わらず「ぼくのお姫様」と言ってくれたみーちゃん。
だけど、私からみーちゃんに会いに行くのはお母さんに悪い気がして言い出せなかった。
ここから、車で1時間以上かかるおじいちゃんの家。
子どもには、簡単に会いに行ける距離ではなかった。
途方もない距離がかかることで、お母さんには何だか悪いと思ってしまいお願いが出来なかった。
だから、1年の内に数回おじいちゃんの家にお泊まりに行くことがとても楽しみだったのを覚えている。
ママがいる時も、お泊まりは何回も行った。
だから、楽しい記憶が多くある。
会えることも、すごく嬉しい。
だけど、私の目の症状が出てくるようになって、お母さんとおじいちゃんの間がぎくしゃくし始めてしまった。
私のせいで。
原因は、はっきりと私にあるんだと自覚したから。
あの時に…。
「のんちゃん?」
みーちゃんの声に、考え事をしていたことに気付く。
「じぃじが、会いたがっているよ?」
「…うん」
「ばぁばから、手紙を預かって来たよ?」
「…うん」
みーちゃんの優しい声に、じわりと涙が浮かぶ。
「…悲しいの?」
「ううん」
「辛い?」
「…ううん」
「寂しい?」
「…そう、なのかな?」
「じゃあ、どうしたの?」
聞いて来るみーちゃんの声は、変わらず優しい。
暖かくて、縋りつきたい気持ちになる。
柔らかい手?指?が触れ、涙を拭われる。
それでも、じわりじわりと浮かんでくる涙。
流れている目には、何も映らない。
真っ黒な世界。
ずっと暗闇にいる私。
「のんちゃん?」
「…ごめんなさい」
「何で謝るの?」
「わ、悪いと…思って、いるから」
「誰に?」
「みんな、に…」
「ぼくにも?」
「…うん」
「じゃあ、いいよ」
『ごめんね』
『いいよ』
昔、みーちゃんがお友達の家に着いて来て、私は『嫌だ』と言ってしまった。
みーちゃんは、『何で』と言っていた。
私はお友達と遊びたかったのに、結局みーちゃんとしか遊んでいなかった。
それはそれで楽しかったけれど。
でも、そうじゃなかった。
みーちゃんは、私と遊びたかったんだと言っていた。
私もみーちゃんと遊ぶのが嫌だったわけじゃない。
みーちゃんと遊ぶのはいつでもできるから。
その時は、お友達と遊びたかっただけ。
でも、私が『嫌だ』と言ったことで、みーちゃんは私がみーちゃんを嫌がったと思って怒ってしまった。
そのことをママに言うと、ママはお互いに『ごめんなさい』をしたらどうか提案してくれた。
ケンカとまではいかないけれど、ツンツンしていたみーちゃんと何だかモヤモヤした私。
お互いに『ごめんなさい』と謝って、お互いに『いいよ』と言った。
そうしたら、何だかスッキリしたんだっけ?
それから、みーちゃんは謝る度に『いいよ』と言ってくれた。
そのことに救われた。
目がみえなくなった時も、謝ることしかできない私に何度も『いいよ』って言ってくれた。
そのことに、いつでも安心した。
何回も謝る私に、何度でも『いいよ』と言ってくれた。
「また、たくさん遊ぼう?」
みーちゃんの優しい声に、思わず自分から抱き着いた。
しゃくりあげる私。
泣いている自分が、1番ずるい。
みんなに良い顔をしたい私がいけない。
だけど、この優しいお兄ちゃんに見放されたくない私。
見えなくなった私に、みーちゃんはいつも私が楽しめることを探してくれた。
色んなことを見つけて、私に教えてくれる。
遊ぶこともそうだ。
手の感覚だけで遊べる玩具や、手の感覚の方が大事なブラインドゲームなど。
目が見えなくなって、塞ぎ込む私に『遊ぼう』そう言って誘ってくれた。
優しい優しいお兄ちゃん。
目が見えなくても、一緒に遊べるのだと何度も言ってくれたみーちゃん。
私は見えなかったあの4日間で、何度もみーちゃんに助けられた。
本当に、優しいみーちゃん。
色んなことを思い出して、みーちゃんにしがみつく。
声にならないごめんなさい。
そして、会いに来てくれてありがとうという気持ち。
私からは怖くて会いに行けなかった。
拒否されてしまったら、と思うとすごくすごく怖かった。
優しいみーちゃんに嫌われたくなかった。
だから、1年も空いてしまった。
でも、こうやって来てくれた。
遠いのに。
そのことに、嬉しくなる。
おじいちゃんとおばあちゃんもそうだ。
『いつでもおいで』そう言ってくれる優しい2人。
お母さんと何も変わらない。
優しい。
みんな、私にとても優しい。
だからこそ、申し訳ない気持ちがなくならない。
「のんちゃん、そんなに泣いたら体がカラカラになっちゃうよ?」
みーちゃんの声に、何度も頷く。
私が泣くことを気にして、違う話題を言ってくれる。
「ただでさえ軽い体が、もっともっと軽くなっちゃうよ?」
その声にも、こくりと頷く。
「家に帰すの、心配だなぁ」
後頭部を撫でられながら声をかけられ、しゃくりあげるのが止まるのを待つ。
みーちゃんの歩く速度はゆっくりだ。
その振動に、落ち着いて少しずつ涙が止まる。
みーちゃんは、ずっと私のことを抱っこしてくれた。
中学生にもなって恥ずかしいのに。
でも、「降りる」とは言わなかった。
私が泣き止むと、振動が止まった。
「ほら、のんちゃん。あーん」
みーちゃんの声に、首を傾げる。
「あーん、してごらん?」
優しい声に、口を開ける。
「これ、なーんだ?」
小さい塊は、口の中で弾けた。
甘い果汁を飲み込む。
私の、好きな果物。
「…ぶどう」
「大正解。ばぁばが持たせてくれたんだ。保冷剤があったから、ぬるくないでしょ?」
その声にも、こくりと頷く。
「のんちゃんが好きだからって、持たせてくれて感謝だね。後でばぁばにお礼言わないと。これがなかったら、のんちゃんが泣き過ぎてカラカラになっちゃう所だった」
大袈裟な言い方に、思わず笑ってしまった。
「泣かないで?ぼくのお姫様」
「…みーちゃん、ありがとう…」
「どういたしまして」
そのまま抱えられて、私は家に帰った。
みーちゃんは、また明日来ると言って帰って行った。
家には上がらないで、玄関でお別れになった。
みーちゃんは、家には上がらない。
理由がないと、中には入ろうとしない。
一緒に育った家なのに、みーちゃんが拒否しているように感じた。
遠慮して上がらないのか、上がりたくないのかは分からない。
だから、私も上がってほしいとは言えなかった。
玄関には、心配したさやかがいた。
さやかも短縮日課だったらしい。
でも、家に帰った時に迎えてくれた以外の声は聞こえなかった。
お母さんと挨拶をして、みーちゃんは私の瞼をなぞり頭を撫でて帰って行った。
「おねえ?おなかすいたでしょ?あの人とどこにいたの?どこまで行ったの?その足で歩いたの?痛くない?」
「さやか?みーちゃんは、お兄ちゃんだよ?」
さやかの質問が多すぎて、違うことを言ってしまった。
そのことに返答がない。
「さやか?」
名前を呼ぶけれど、それにも返事はなかった。
「…さやか」
名前しか呼べなかった。
今は、何も考えられない。
返事がないことで、少しだけ不安になる。
でも、さやかが怒っていなくなることは何回かあった。
おじいちゃんの家に泊まりに行ったり、智ちゃんとお出かけした日なんかは特に。
置いていかれて、寂しいんだと思っていつも時間をかけて謝った。
でも今日は、急にみーちゃんが来て思わず泣いてしまって、気持ちが置いてけぼりだった。
さやかがいないか確認してから動くのに、今日はそれをしていなかった。
声がしないから、いないと思ってしまった。
前の方にお母さんがいるみたいなので、その方向に顔を上げる。
「私、先にお風呂に行くね」
「ゆっくり入って来て。それから、ごはんにしましょう?」
「はい」
着替えでは、この気持ちは切り替えられない。
そう思って、壁伝いに歩き出した。
家の中だったこともあり、油断していた。
「ダメ!」
後ろから、おんぶのようにさやかが私の体にくっついた。
いきなりのことで、足で支えられずバランスを崩す。
状況が分からないまま、前のめりになった。
「危ない!」
お母さんが、支えてくれたのだろう。
支えてくれた、温かくて柔らかい感触にそう思った。
「…ありがとう、お母さん」
びっくりしたけれど、転ばなかったのでお母さんにお礼を言えた。
「良いのよ。足は痛くない?」
「はい」
「さやか、危ないでしょう!」
さやかがいたことに驚くが、真上から聞こえてきたお母さんの声にも驚く。
さやかに叱る声。
一緒に怒られている気持ちになる。
「…ごめんなさい」
思わず声に出してしまった。
「のぞみは、何も悪くないでしょう?お母さんは、さやかに怒っているの」
「ごめんなさい!おねえ、ごめん!」
さやかは私の背中にくっついたまま謝った。
「さやか?あなたは、もうのぞみに追いつくくらい体が大きいのよ?のぞみに、負担をかけちゃいけないの」
しっかりとした言葉。
「はい」
「ギブスは短くなって、普通に歩けるけれどまだ完治はしていないの。それは、この間言ったばかりでしょう?」
「はい」
「拗ねたかったら、1人で拗ねていて。のぞみを巻き込むのはやめてちょうだい」
「…はい。ごめんなさい、おねえ」
さやかの声は、少し震えていた。
「大丈夫だよ?さやか。寂しかった?ごめんね」
「…うん」
「これ以上くっついていたら、苦しいよ?」
なので、私も少し笑いながら言った。
「もう少し!もう少しだけ!」
「うん」
もう、自分の足でも支えられそうなので、そろそろとお母さんの体から離れようとする。
「足は?支えられる?」
「はい」
ゆっくりと、温もりが離れた。
「さやか、のぞみはお風呂に行きたいのよ」
「…分かってる」
お母さんの溜め息が聞こえた。
「じゃあ、のぞみの時間を大事にしないと」
「分かってる!」
「のぞみは、さやかのためにいるんじゃないのよ?」
背中にいるさやかは、離れたくないようで動かない。
「のぞみにも、1人になりたい時間があるのよ?」
「…だってぇ」
さやかの小さな声が聞こえた。
「おねえ、もう、私といるの、嫌になったんだ」
「そんなことないよ?さやか?」
「私のこと、嫌わないで」
「嫌うわけないでしょ?さやかが好きだよ」
お母さんの気配がして、さやかの体が離れた。
さやかに向き合うように、体を動かす。
「さやか?」
手探りで、さやかを探す。
さっきはしなかったけれど。
さやかがここにいることを知っているので、私からさやかを探す。
腕から手を探して、しっかりと両手を繋ぐ。
私とさやかの身長は、本当に同じくらいだ。
なので、今目の前にさやかがいると思いながら手に力を入れる。
「さやかが好きだよ。だから、泣かないで?」
「ごめんなさい!嫌いにならないで!…家から、いなくならないで…」
言われた言葉に、泣きそうになる。
でも、ぐっとこらえる。
「いなくならないでぇ。おねえがここからいなくなるなんて、そんなの嫌だよ!」
「さやか…」
「おねえがいなくなったら、私1人になっちゃう!置いていかないでぇぇ…」
引きつるような、さやかの声。
戸惑うけれど、私はお姉ちゃんだからと自分に言い聞かす。
繋がれた手から右手だけ離し、さやかの頭を探す。
腕から肩へ、肩から髪に触れゆっくりと頭に到着する。
私も不安そうな顔をしているのだろう。
でも、笑っている自分を想像する。
「私の家は、ここだよ?」
「…本当に?」
「うん。さやかのことを置いてどこにも行かないよ?」
「本当の本当に、家からいなくならない?」
「…それは、お泊まりとかお出かけとかはすると思うけど」
さやかの頭に触れる私の手を、今度はさやかが握った。
「おねえは、ここの家にいてくれる?」
「うん、いるよ」
「…良かった」
「うん」
「お風呂、一緒に入っちゃダメ?」
伺うようなさやかの声。
返答に困る。
「さやか」
お母さんの声がした。
「さっき、言ったことを思い出して?のぞみも、1人になりたい時間があるの」
「分かってる!」
「じゃあ、お風呂は我慢して?」
「さやか?あのね、明日も試験だから、早めにお風呂に入って明日の準備をしたいの。…だから」
「…まだ勉強するの?」
「今日はもうしないよ?ただ、明日も見えなくなったら試験で困るから、早く休もうと思っているよ?」
「試験?」
「テストと同じかな?」
「テストできないと困る?」
「うん、追試を受けないといけなくなっちゃう」
私は笑えているかな?
自分では笑っているつもりだ。
「今日、おねえと一緒に寝て良い?」
さやかの譲歩に、小さく頷いた。
「早く寝るならね?」
「…分かった」
「のぞみはお風呂の準備をするんでしょう?」
「はい」
「さやかは、先にごはんにする?」
「おねえを待ってる!」
さやかがお母さんとリビングに行き、私は2階に行く。
お風呂の準備をして、ゆっくりとお湯に浸かった。
それから、ごはんの時間があったけれど、ぼんやりしていることが多くてあまり食べられなかった。
夜も、さやかは言葉が少なかった。
でも、私にぴったりくっついていた。
お母さんの声に流されるように、就寝時間になった。
2人で固まって夜も眠った。
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それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
王女様は美しくわらいました
トネリコ
児童書・童話
無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。
それはそれは美しい笑みでした。
「お前程の悪女はおるまいよ」
王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。
きたいの悪女は処刑されました 解説版
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