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いつも通り
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ランが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、改めて空間を見る。
紡ぎ司が住む、住居兼仕事場。
1階はシンプルだ。
仕事場と作業場を一緒にしたような広い空間がメイン。
メイン空間が良くも悪くも中心だ。
そのお隣にキッチンがあり、キッチンの奥にはパントリーと裏口。
キッチンとは反対側の空間に簡易応接室がある。
応接室と言いながら、完全に空間が区切れることはなくカーテンのみ設置されている。
使う予定もないので、区切るはずのカーテンは常に開いたままだ。
応接室の横に珍しく扉があり、玄関へと続く少しの廊下が見える。
廊下の途中には、2階に続く階段がある。
キッチンとほぼ真逆の位置にあるのが、トイレと浴室と洗濯場だ。
洗濯場は土間のようになっている。
1階はほぼスペースのみで区切られている。
私が紡ぎ司になってから、そうするようにしてもらった。
紡ぎ司になって初めて来た時に、この家に扉が多かったので不思議に思った。
冬季に暖を逃がさないためらしいが、今は家ごと温かくする技術がある。
床暖房や2重窓など。
寒さを家の中に持ち込まない加工も出来る。
色々な術があるので、扉が邪魔くさく思った。
前は、メイン空間のみを区切るドアがいくつもあった。
キッチンから浴室に行くまで、2つか3つ扉を開けないと移動が出来なかった。
家自体はそこまで狭くないのに。
なので、開放感を求めて扉は不要だと伝えたら、いつの間にかなくなっていた。
部屋という括りでいったら、このホールと応接室のみだ。
キッチンや浴室は“部屋”という扱いではないだろうし。
え?違うのかな?
まぁ、応接室もカーテンのみだし。
でも、それで3年間不便を感じたことはない。
2階には寝室というか、部屋が3つある。
そして小さな洗面台とトイレ。
中でも狭い部屋が好みで私は使用している。
ランには1番広くて、豪華な部屋が代々紡ぎ司が使う部屋だと言われていた。
私が気に入った部屋は、使用人部屋だとも…。
だけど、あの豪華で広い部屋は1人で使うにはやや物寒い。
適度な狭さが好きなのだ。
それに、あの部屋は何より月明かりが常に入る。
天窓が上にあるので、どの季節でも月の光源があり気に入っている。
あとは謎の秘密基地感?
それが、とてもお気に入りだ。
なので、本当に稀に来る客人用に広い部屋は空いている。
そうだ。
住み慣れたはずの紡ぎ司の家が、少しだけ様子が違うのは何故なんだろう。
さっきランは、魔力の流れと言った。
それは、魔法使いや魔女しか見えないはず。
「ランは、そんなすごいことが出来るんだ、流石」
私の言葉にきょとんとした表情を浮かべるラン。
「…すごい、ですかね?」
「すごいでしょう?だって、魔力の流れって、簡単には見えないんだし。鑑定と同じでしょ?」
私は鑑定など出来ない。
そう考えると、余計なスキルや技術がなくても出来る紡ぎ司は本当に私の天職だ。
焦らないで動くだけで、ほとんどのことは何でも出来る。
「サーヤ、この空間。何が違う?」
ノアさんに尋ねられても、“何”とは言い表せない。
「広さ?くらいしか分かりません」
ランとは違い、少しだけよそよそしい返答。
人見知りじゃないはずなのに、ノアさんは偉い人だと思うと余計なことは言わない方が良いと思ってしまう。
そうじゃなくても、東の地出身のランと顔見知りと言うことはノアさんもその可能性が高い。
私は根っからの村人だ。
東の地は王都だ。
貴族や王族もいるという。
西の地は、昔王族が住んでいたということで町全体がとても格式が高い、気がする。
古い職や人や、尊いと言われている高位魔法の関係者が多いという。
だから、紡ぎ司の本部や宙屋も西の地にあるのだろう。
時々訪れるだけで、少し空気が重い気がするので長居はしたくない。
なのでいつも、西の地に行く時はランに行ってもらうようにしている。
私が西の地に行くのは、本当に1年に1度あるかないか。
「広さのみ?」
ノアさんの言葉に、コクリと頷く。
「何となくしか分かりませんし」
「じゃ、何で気付く?」
何でって。
「毎日見慣れた空間と、物の見え方が違うから、としか…」
そうだ。
この作業場からキッチン側の棚が見えるはずなのに、ここからじゃ見えなくなった。
でも、空間の拡張とかって確かすごいお高いはずだ。
「そうか」
というか、作業場が見えるように政務机を配置するなんて。
確かに、空間を増やすならこの位置しかないだろうけれど。
でも、じゃあ応接室をもう少し広くして机を入れても良かったし。
そうだ。
応接室なら、元々扉があったんだし。
政務机に座るノアさんは、私の真横辺りに座る位置だ。
少し高い位置にあるためか、作業机で作業している私の手元は丸見えだ。
え?私のことも監視している?
何で?
応接室のように、少しだけ生まれた空間は本当にノアさんのための空間なのだろう。
気まずい。
どうせなら、空間ごと別にしてくれたら良いのに。
「…あの」
「何だ?」
「どうせなら、応接室のように空間そのものを増やせば良いのでは?というか、部屋を1つ増やせば良いはずなのに」
私の見えない所に。
「不満か?」
「…いえ、不満ではないですけど」
「その顔で?」
「どの顔ですか?」
「どっちにしろ、もうこの空間はいじれない」
「そうなんですか?」
「あぁ、安定させるためにしばらく動かせなくなった」
「…そんな。じゃあ、応接室とか?」
「狭い」
「物をどかせば…」
「あの机が入るのか?」
親指を立てた先には、とても大きな机がある。
応接室にもあるけれど、比にならない位に大きい。
5倍は違うだろう。
無理だ。
あの机を入れたら、空間の圧迫感がひどくなる。
「まぁまぁ、サーヤ?」
ランの言葉に、自然と入っていた力を抜く。
ま、言った所で聞いてくれるとは思えないけれど。
「…そうね、ありがとう。ラン」
「いいえ。明日からと言っていたのに、すぐに来たのは俺も驚いたけれど…」
束ね直した糸を、籠に戻して行く。
ちらりと様子を伺うと、ランはいつも通りの表情だった。
「ラン、このコーヒーは微かに甘い香りがするんだが…」
ノアさんの言葉に、ランは嬉しそうに頷いた。
「薄めた蜜を入れると、芳醇な香りが増すから」
ランの言葉に、ノアさんは手元のコーヒーに視線を落とす。
「…そうか」
2人は知り合いなのだろう。
今、そんなことを思った。
でも、言うのはやめておこう。
私も淹れてもらったコーヒーを飲み、残りの糸に意識を向ける。
「今日も、晴れましたね」
「うん」
北の地は空気が澄んでいる。
それこそ、月を近くに感じる。
今日から、満月に向けてエネルギーが溢れていく。
世の中にいる魔物達も、活動的になるとか…。
だけど、ここでは魔物の被害はほぼない。
北の地は寒すぎてしまい、魔物にも嫌われているのだろう。
ただ、例外が春先だ。
温かくなり、北の地にも本当に数年に1度辺りで被害が出るとか。
なので、嫌われたままでいてほしいと思ってしまう。
そう、勝手に願っている。
まぁ被害など、ない方が良いに決まっている。
そうだ。
平和なのが一番だ。
休憩後も、黙々と欠片を直す作業を行う。
集中していると時間の流れはあっという間だ。
でも、くるくると回る金具の輪と、シュンシュンと巻かれていく糸の音で心地良い時間は一瞬に感じる。
「おなか、空かない?」
「…えぇ?」
もう、お昼?
「今日のお昼は、何が良い?」
「何…」
ちらりと見えた政務机は、見慣れないままだ。
視界に入れないようにキッチンへと移動する。
「昨日、フォンさんがくれたトマトのペーストが残っていましたね」
フォンさんは、お隣の奥さんだ。
私は『奥さん』としか呼んでない。
昨日は、それを元にパスタにした。
「あ、じゃあそのペーストを薄めてスープにしよう」
ミネストローネ。
おいしいだろう。
トマトは、南の地でも好んで食べていた。
地元を思い出せる食べ物の1つだ。
北の地でもトマトが手に入るのは嬉しいと、奥さんは言っていた。
奥さんは元々東の地の住人だ。
いつまで北の地にいるのか分からないが、いずれは戻るのだろうか?
考えても仕方がないが…。
「スープか。良いですね」
ランもミネストローネは好きだったはず。
「ついでにマカロニを入れよう」
「あ、おいしそうだね」
2人でほのぼのと、お昼ごはんについて考える。
平和だ。
この地は、これで良いのに。
何で、明日から候補生が…。
それは今日からいるノアさんにも該当する。
「俺は、スープ系はあまり好かん」
後ろから聞こえた声は、ノアさんだろう。
「じゃあ、ノアは本部に帰って食事すれば良い。明日からの候補生にも、それは伝えないと」
ランの言葉。
言い方は穏やかだ。
だけど、言っている内容は少しだけ酷い気がする。
「何だと?」
案の定、ノアさんは嫌そうな声を出した。
怖くて見れないけど。
「あぁ、でも折角西の地でも煩いノアがいなくなってせいせいされているのに、ご飯時に現れるなんてどんな噂を立てられるか分からないかぁ」
「ラン…」
ノアさんの声は、不機嫌そうだ。
「何ですか?ここは紡ぎ司の作業場ですよ。そもそも、助手や秘書も連れずにこの地に来たのがいけないのでしょう?サーヤに帰れと言われていたのに、無理やりこの地に来たのはノアの我儘だ」
え?
私?
帰れなんて言ったっけ?
「すみま…」
「サーヤは何も悪くない。明日から来ると言ったのに、それすらも実行できない人間が仮にも紡ぎ司の責任者なんて、本部の質も落ちたものだ?」
「…分かった。急に無理を言って悪かった」
ノアさんの声に、ようやく後ろを振り返る。
怒っても不機嫌でもないノアさん。
その表情に、少しの既視感を覚える。
えぇと。
どこで?
思い出せない。
でも、あの表情は知っている気がする。
何でだろ?
「その、スープは苦くないのか?」
ノアさんの気まずそうな声。
「え?ミネストローネが?」
何で?
酸っぱいなら分かるけど。
「ノア、トマトが元のスープが苦いわけがないでしょう?それとも、あなたのは魔法省お手製のお弁当でも頼もうか?」
「いやいい。結構だ。」
「じゃあ、黙っていたら良い」
「…そうする」
こうやってると、ノアさんとランは兄弟のようにも思える。
言わないけど。
やはり、仲が良いのだろう。
気にしないように、お玉を手に取る。
寸胴から、3掬い分くらい入れる。
くつくつしたペーストを薄めた蜜で伸ばしていく。
追加で、更に薄めた蜜を入れる。
くつくつしていたけれど、水分で薄めたことでスープらしくなった。
ついでに、味付けの素にと奥さんがくれた固形の調味料を入れる。
「あぁ、良い香り」
太めのマカロニも、奥さんがくれた物だ。
少しだけ煮込む時間が必要だけど、これはこれでとてもおいしい。
「これで、午後も頑張れるなぁ」
「サーヤ、昨日の夜は何を食べましたか?」
昨日の夜。
何食べたっけ?
えぇと。
お風呂に入って、気持ちが良くて…。
「だから、冷蔵庫の中が減らないんだ」
「ごめん」
「…いや、俺も報告があるとすぐに戻ったのがいけなかった。結局虚偽報告には間に合わなかったのに。なら、サーヤと夜ご飯を食べてから本部に行けば良かった」
ランの言葉は、まっすぐだ。
「サーヤは、本当に南の地の産まれだな」
「そうなの?」
「好奇心が旺盛で、自分のことよりも熱中したことに気持ちが行ってしまう民族だ」
「そう、かな?」
「そうでしょう?」
自分ではどうにも分からない。
というか、熱中したことって。
それは、あの鉱物バカと同じだと思われている?
「それは、心外」
「そう?」
「寝ても覚めても、対象のことを考えているなんてのは稀にしかいないよ」
あの工房の郷でも、数える程しかいないはず。
それでも、芽が出ないのはどういう気持ちなんだろう。
打ち込んでも打ち込んでも、それが成果にならないのは。
あの、マイペースな幼馴染がパッと浮かぶ。
それでも、彼女は呑気に好きな鉱物と一緒にいるのだろう。
そんなことを思ってしまった。
私が紡ぎ司しかできないのと同じだ。
「サーヤ」
ふと動かしていた深めのフライパンを見ると、マカロニを入れ過ぎてしまったようでとても膨張していた。
「うわ!」
「もう、いくらマカロニが好きでも入れ過ぎだったね」
「これは多いね」
「…そうですね。おかわりしてもまだあるので、フォンさんにお裾分けしましょう」
「良いねそれ」
「…運ぶのは俺が行くから」
私は、お遣いもあまり上手に出来ない。
だから、奥さんが心配してしまうのだろう。
「じゃ、先に出来たてを持って行きますね」
ランは素早くスープ皿にスープを入れると、さっさと裏口から出て行った。
「ありがとう」
じゃあ、私はランの分と。
お皿を持とうとして、3枚あることに気付く。
ランが出してくれたからだ。
仕事が早いなぁ。
スープをよそい、お盆に置く。
このくらいなら、私だって出来る。
でも、3つ置いたらお盆はぎゅうぎゅうになった。
「俺が運ぼう」
すぐの距離だけど、ノアさんがそう言ってお盆を持つ。
「ありがとうございます」
「いい」
キッチンのテーブルは4人掛けだ。
私とランの位置は何となく決まっているけれど、ノアさんはどこに。
「ただいま、フォンさん喜んでたよ」
「ありがとう」
「あの、ラン?ノアさんの席って?」
「ノアの?仕事机で良いんじゃないの?」
ランの言葉に、首を傾げる。
「でも、仕事と食事場所は変えた方が良いって」
私の言葉に、ランは笑った。
「そっか。サーヤは優しいな。じゃあ、この椅子を移動させて」
椅子の移動?
長方形の長い部分から、椅子がなかった場所に椅子を移動する。
「俺はここで」
ランは移動した先に座るようだ。
私とランは横になる位置。
今までは向かい合って座っていたのに。
必然的に、ノアさんは私の斜め前に座る位置になった。
遠くない?
「そこ?」
私の横も空いてるけど。
「うん、そこ」
ノアさんは何とも言えない表情だった。
紡ぎ司が住む、住居兼仕事場。
1階はシンプルだ。
仕事場と作業場を一緒にしたような広い空間がメイン。
メイン空間が良くも悪くも中心だ。
そのお隣にキッチンがあり、キッチンの奥にはパントリーと裏口。
キッチンとは反対側の空間に簡易応接室がある。
応接室と言いながら、完全に空間が区切れることはなくカーテンのみ設置されている。
使う予定もないので、区切るはずのカーテンは常に開いたままだ。
応接室の横に珍しく扉があり、玄関へと続く少しの廊下が見える。
廊下の途中には、2階に続く階段がある。
キッチンとほぼ真逆の位置にあるのが、トイレと浴室と洗濯場だ。
洗濯場は土間のようになっている。
1階はほぼスペースのみで区切られている。
私が紡ぎ司になってから、そうするようにしてもらった。
紡ぎ司になって初めて来た時に、この家に扉が多かったので不思議に思った。
冬季に暖を逃がさないためらしいが、今は家ごと温かくする技術がある。
床暖房や2重窓など。
寒さを家の中に持ち込まない加工も出来る。
色々な術があるので、扉が邪魔くさく思った。
前は、メイン空間のみを区切るドアがいくつもあった。
キッチンから浴室に行くまで、2つか3つ扉を開けないと移動が出来なかった。
家自体はそこまで狭くないのに。
なので、開放感を求めて扉は不要だと伝えたら、いつの間にかなくなっていた。
部屋という括りでいったら、このホールと応接室のみだ。
キッチンや浴室は“部屋”という扱いではないだろうし。
え?違うのかな?
まぁ、応接室もカーテンのみだし。
でも、それで3年間不便を感じたことはない。
2階には寝室というか、部屋が3つある。
そして小さな洗面台とトイレ。
中でも狭い部屋が好みで私は使用している。
ランには1番広くて、豪華な部屋が代々紡ぎ司が使う部屋だと言われていた。
私が気に入った部屋は、使用人部屋だとも…。
だけど、あの豪華で広い部屋は1人で使うにはやや物寒い。
適度な狭さが好きなのだ。
それに、あの部屋は何より月明かりが常に入る。
天窓が上にあるので、どの季節でも月の光源があり気に入っている。
あとは謎の秘密基地感?
それが、とてもお気に入りだ。
なので、本当に稀に来る客人用に広い部屋は空いている。
そうだ。
住み慣れたはずの紡ぎ司の家が、少しだけ様子が違うのは何故なんだろう。
さっきランは、魔力の流れと言った。
それは、魔法使いや魔女しか見えないはず。
「ランは、そんなすごいことが出来るんだ、流石」
私の言葉にきょとんとした表情を浮かべるラン。
「…すごい、ですかね?」
「すごいでしょう?だって、魔力の流れって、簡単には見えないんだし。鑑定と同じでしょ?」
私は鑑定など出来ない。
そう考えると、余計なスキルや技術がなくても出来る紡ぎ司は本当に私の天職だ。
焦らないで動くだけで、ほとんどのことは何でも出来る。
「サーヤ、この空間。何が違う?」
ノアさんに尋ねられても、“何”とは言い表せない。
「広さ?くらいしか分かりません」
ランとは違い、少しだけよそよそしい返答。
人見知りじゃないはずなのに、ノアさんは偉い人だと思うと余計なことは言わない方が良いと思ってしまう。
そうじゃなくても、東の地出身のランと顔見知りと言うことはノアさんもその可能性が高い。
私は根っからの村人だ。
東の地は王都だ。
貴族や王族もいるという。
西の地は、昔王族が住んでいたということで町全体がとても格式が高い、気がする。
古い職や人や、尊いと言われている高位魔法の関係者が多いという。
だから、紡ぎ司の本部や宙屋も西の地にあるのだろう。
時々訪れるだけで、少し空気が重い気がするので長居はしたくない。
なのでいつも、西の地に行く時はランに行ってもらうようにしている。
私が西の地に行くのは、本当に1年に1度あるかないか。
「広さのみ?」
ノアさんの言葉に、コクリと頷く。
「何となくしか分かりませんし」
「じゃ、何で気付く?」
何でって。
「毎日見慣れた空間と、物の見え方が違うから、としか…」
そうだ。
この作業場からキッチン側の棚が見えるはずなのに、ここからじゃ見えなくなった。
でも、空間の拡張とかって確かすごいお高いはずだ。
「そうか」
というか、作業場が見えるように政務机を配置するなんて。
確かに、空間を増やすならこの位置しかないだろうけれど。
でも、じゃあ応接室をもう少し広くして机を入れても良かったし。
そうだ。
応接室なら、元々扉があったんだし。
政務机に座るノアさんは、私の真横辺りに座る位置だ。
少し高い位置にあるためか、作業机で作業している私の手元は丸見えだ。
え?私のことも監視している?
何で?
応接室のように、少しだけ生まれた空間は本当にノアさんのための空間なのだろう。
気まずい。
どうせなら、空間ごと別にしてくれたら良いのに。
「…あの」
「何だ?」
「どうせなら、応接室のように空間そのものを増やせば良いのでは?というか、部屋を1つ増やせば良いはずなのに」
私の見えない所に。
「不満か?」
「…いえ、不満ではないですけど」
「その顔で?」
「どの顔ですか?」
「どっちにしろ、もうこの空間はいじれない」
「そうなんですか?」
「あぁ、安定させるためにしばらく動かせなくなった」
「…そんな。じゃあ、応接室とか?」
「狭い」
「物をどかせば…」
「あの机が入るのか?」
親指を立てた先には、とても大きな机がある。
応接室にもあるけれど、比にならない位に大きい。
5倍は違うだろう。
無理だ。
あの机を入れたら、空間の圧迫感がひどくなる。
「まぁまぁ、サーヤ?」
ランの言葉に、自然と入っていた力を抜く。
ま、言った所で聞いてくれるとは思えないけれど。
「…そうね、ありがとう。ラン」
「いいえ。明日からと言っていたのに、すぐに来たのは俺も驚いたけれど…」
束ね直した糸を、籠に戻して行く。
ちらりと様子を伺うと、ランはいつも通りの表情だった。
「ラン、このコーヒーは微かに甘い香りがするんだが…」
ノアさんの言葉に、ランは嬉しそうに頷いた。
「薄めた蜜を入れると、芳醇な香りが増すから」
ランの言葉に、ノアさんは手元のコーヒーに視線を落とす。
「…そうか」
2人は知り合いなのだろう。
今、そんなことを思った。
でも、言うのはやめておこう。
私も淹れてもらったコーヒーを飲み、残りの糸に意識を向ける。
「今日も、晴れましたね」
「うん」
北の地は空気が澄んでいる。
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ただ、例外が春先だ。
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そうだ。
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でも、くるくると回る金具の輪と、シュンシュンと巻かれていく糸の音で心地良い時間は一瞬に感じる。
「おなか、空かない?」
「…えぇ?」
もう、お昼?
「今日のお昼は、何が良い?」
「何…」
ちらりと見えた政務机は、見慣れないままだ。
視界に入れないようにキッチンへと移動する。
「昨日、フォンさんがくれたトマトのペーストが残っていましたね」
フォンさんは、お隣の奥さんだ。
私は『奥さん』としか呼んでない。
昨日は、それを元にパスタにした。
「あ、じゃあそのペーストを薄めてスープにしよう」
ミネストローネ。
おいしいだろう。
トマトは、南の地でも好んで食べていた。
地元を思い出せる食べ物の1つだ。
北の地でもトマトが手に入るのは嬉しいと、奥さんは言っていた。
奥さんは元々東の地の住人だ。
いつまで北の地にいるのか分からないが、いずれは戻るのだろうか?
考えても仕方がないが…。
「スープか。良いですね」
ランもミネストローネは好きだったはず。
「ついでにマカロニを入れよう」
「あ、おいしそうだね」
2人でほのぼのと、お昼ごはんについて考える。
平和だ。
この地は、これで良いのに。
何で、明日から候補生が…。
それは今日からいるノアさんにも該当する。
「俺は、スープ系はあまり好かん」
後ろから聞こえた声は、ノアさんだろう。
「じゃあ、ノアは本部に帰って食事すれば良い。明日からの候補生にも、それは伝えないと」
ランの言葉。
言い方は穏やかだ。
だけど、言っている内容は少しだけ酷い気がする。
「何だと?」
案の定、ノアさんは嫌そうな声を出した。
怖くて見れないけど。
「あぁ、でも折角西の地でも煩いノアがいなくなってせいせいされているのに、ご飯時に現れるなんてどんな噂を立てられるか分からないかぁ」
「ラン…」
ノアさんの声は、不機嫌そうだ。
「何ですか?ここは紡ぎ司の作業場ですよ。そもそも、助手や秘書も連れずにこの地に来たのがいけないのでしょう?サーヤに帰れと言われていたのに、無理やりこの地に来たのはノアの我儘だ」
え?
私?
帰れなんて言ったっけ?
「すみま…」
「サーヤは何も悪くない。明日から来ると言ったのに、それすらも実行できない人間が仮にも紡ぎ司の責任者なんて、本部の質も落ちたものだ?」
「…分かった。急に無理を言って悪かった」
ノアさんの声に、ようやく後ろを振り返る。
怒っても不機嫌でもないノアさん。
その表情に、少しの既視感を覚える。
えぇと。
どこで?
思い出せない。
でも、あの表情は知っている気がする。
何でだろ?
「その、スープは苦くないのか?」
ノアさんの気まずそうな声。
「え?ミネストローネが?」
何で?
酸っぱいなら分かるけど。
「ノア、トマトが元のスープが苦いわけがないでしょう?それとも、あなたのは魔法省お手製のお弁当でも頼もうか?」
「いやいい。結構だ。」
「じゃあ、黙っていたら良い」
「…そうする」
こうやってると、ノアさんとランは兄弟のようにも思える。
言わないけど。
やはり、仲が良いのだろう。
気にしないように、お玉を手に取る。
寸胴から、3掬い分くらい入れる。
くつくつしたペーストを薄めた蜜で伸ばしていく。
追加で、更に薄めた蜜を入れる。
くつくつしていたけれど、水分で薄めたことでスープらしくなった。
ついでに、味付けの素にと奥さんがくれた固形の調味料を入れる。
「あぁ、良い香り」
太めのマカロニも、奥さんがくれた物だ。
少しだけ煮込む時間が必要だけど、これはこれでとてもおいしい。
「これで、午後も頑張れるなぁ」
「サーヤ、昨日の夜は何を食べましたか?」
昨日の夜。
何食べたっけ?
えぇと。
お風呂に入って、気持ちが良くて…。
「だから、冷蔵庫の中が減らないんだ」
「ごめん」
「…いや、俺も報告があるとすぐに戻ったのがいけなかった。結局虚偽報告には間に合わなかったのに。なら、サーヤと夜ご飯を食べてから本部に行けば良かった」
ランの言葉は、まっすぐだ。
「サーヤは、本当に南の地の産まれだな」
「そうなの?」
「好奇心が旺盛で、自分のことよりも熱中したことに気持ちが行ってしまう民族だ」
「そう、かな?」
「そうでしょう?」
自分ではどうにも分からない。
というか、熱中したことって。
それは、あの鉱物バカと同じだと思われている?
「それは、心外」
「そう?」
「寝ても覚めても、対象のことを考えているなんてのは稀にしかいないよ」
あの工房の郷でも、数える程しかいないはず。
それでも、芽が出ないのはどういう気持ちなんだろう。
打ち込んでも打ち込んでも、それが成果にならないのは。
あの、マイペースな幼馴染がパッと浮かぶ。
それでも、彼女は呑気に好きな鉱物と一緒にいるのだろう。
そんなことを思ってしまった。
私が紡ぎ司しかできないのと同じだ。
「サーヤ」
ふと動かしていた深めのフライパンを見ると、マカロニを入れ過ぎてしまったようでとても膨張していた。
「うわ!」
「もう、いくらマカロニが好きでも入れ過ぎだったね」
「これは多いね」
「…そうですね。おかわりしてもまだあるので、フォンさんにお裾分けしましょう」
「良いねそれ」
「…運ぶのは俺が行くから」
私は、お遣いもあまり上手に出来ない。
だから、奥さんが心配してしまうのだろう。
「じゃ、先に出来たてを持って行きますね」
ランは素早くスープ皿にスープを入れると、さっさと裏口から出て行った。
「ありがとう」
じゃあ、私はランの分と。
お皿を持とうとして、3枚あることに気付く。
ランが出してくれたからだ。
仕事が早いなぁ。
スープをよそい、お盆に置く。
このくらいなら、私だって出来る。
でも、3つ置いたらお盆はぎゅうぎゅうになった。
「俺が運ぼう」
すぐの距離だけど、ノアさんがそう言ってお盆を持つ。
「ありがとうございます」
「いい」
キッチンのテーブルは4人掛けだ。
私とランの位置は何となく決まっているけれど、ノアさんはどこに。
「ただいま、フォンさん喜んでたよ」
「ありがとう」
「あの、ラン?ノアさんの席って?」
「ノアの?仕事机で良いんじゃないの?」
ランの言葉に、首を傾げる。
「でも、仕事と食事場所は変えた方が良いって」
私の言葉に、ランは笑った。
「そっか。サーヤは優しいな。じゃあ、この椅子を移動させて」
椅子の移動?
長方形の長い部分から、椅子がなかった場所に椅子を移動する。
「俺はここで」
ランは移動した先に座るようだ。
私とランは横になる位置。
今までは向かい合って座っていたのに。
必然的に、ノアさんは私の斜め前に座る位置になった。
遠くない?
「そこ?」
私の横も空いてるけど。
「うん、そこ」
ノアさんは何とも言えない表情だった。
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“スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。
そして14歳で、まさかの《定年》。
6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。
だけど、定年まで残された時間はわずか8年……!
――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。
だが、そんな幸弘の前に現れたのは、
「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。
これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。
描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。
ぴょんぴょん騒動
はまだかよこ
児童書・童話
「ぴょんぴょん」という少女向け漫画雑誌がありました 1988年からわずか5年だけの短い命でした その「ぴょんぴょん」が大好きだった女の子のお話です ちょっと聞いてくださいませ
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