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午後
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食事の時間は、何とも言えない空間だった。
斜め前にいるノアさんが気になるけれど、私から何かを話すことはなかった。
何を話しても、不機嫌になりそうで。
そう思ったら、話をしなくても良いことに気が付いた。
黙々とスープを口に運ぶ。
時々、ランが何かを私に振るけれど、他愛もない話なので2~3回やりとりをすれば終わってしまう。
他の食べ物も進められたけれど、くたくたになったマカロニがおいしくてそればかりを食べていた。
ノアさんはスープ系が好きではないと言っていたのに、おかわりをしていた。
ま、口にあったなら良いや。
そして、気まずさを感じながら私は自分の分のお皿を洗って、再び作業場に戻る。
「サーヤ?食後の紅茶は?」
ランのいつも通りの声に、忘れていたことを思い出す。
「あ」
忘れてた。
まだ、作業に移らなかったこともあり、ノアが紅茶を淹れて運んでくれた。
今日はミルクティーだ。
ゆっくりと登る湯気に、焦らないで良いとぼんやり思った。
どの飲み物にも、薄めた蜜は入っている。
「あ、サーヤ?」
「ん?」
「あの、キッチンの薄めた蜜だけど、もうすぐ温かくなるから、もう寸胴はやめにしようか?」
「そっか」
たとえ北の地でも、気温が高くなると出したままの食べ物は傷んでくる。
それは、飲み物や薄めた蜜も同じだった。
ランの言葉に、薄めた蜜が腐る所は見たことがないけれど『勿体ない』と怒られてしまうので素直に頷く。
「では、午後は俺がそれをするから」
「ありがと」
「いいえ」
ミルクティーを飲み、また糸の巻き直しを行う。
金具の回る音は、やはり心地良い。
月に何度も使うわけではないけれど、それでも手に馴染んでいる道具はとても使いやすい。
糸をゆっくりと巻いて行く。
日が傾いているのか、少しずつ室内の光がオレンジを帯びて来る。
北の地は、太陽が出ている時間が短い。
のんびりと糸を巻き、残りの分を巻き終えた。
夕方までには終えたらしい。
間に合わなければ、ランが教えてくれただろうし。
さて、少し休憩して今日の分を紡ぐか。
指先を解し、席を立つ。
「サーヤ」
ランはキッチンから私を呼んだ。
「何?」
「薄めた蜜ですが、キッチン地下の貯蔵庫に3本。そして、冷蔵庫に1本あります」
地下の貯蔵庫を開けると、南の地で作ってもらった少し厚めのお酒を入れる瓶が並んでいるのが見えた。
透明な液体がほぼ満タンに入っていた。
「わぁ、ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
「そして、料理に使う分などは冷蔵庫の瓶の中の物を使いましょう?」
「冷蔵庫ね」
「えぇ、サーヤが南の地で作ってもらった大き目の牛乳瓶が、とても丁度良いです」
牛乳瓶の大きいサイズは、口が大きくて入れるのも使うのも勝手が良い。
といっても気付いたのは、ランだけど。
住人に配っているのは、中くらいのサイズだ。
500㎖入るくらいの大きさだ。
これを、大・中・小で分けて販売するのも良いと言っていた。
ランは商売上手だ。
私は、中くらいのサイズでたくさん売れば良いと思っていた。
だけど、使う人がどのサイズが良いか分からないので、住人が選べるようにしたら良いとランが教えてくれた。
今は、大の瓶が冷蔵庫にあるのだろう。
口が大きいから、料理をする時にお玉で受けようとしても結局零れてしまい、そのままお鍋の中に注がれるあの時間。
私は料理も上手に出来ない。
本当に紡ぎ司しか出来ないのだ。
これは、大丈夫なのだろうか。
ふと心配になったけれど、今は紡ぎ司なので特に問題がないことに気付き考えるのをやめた。
自分のことを考える短い時間。
「うん、分かった」
これから、少し短いけれど冬ではない季節が巡る。
すぐにそっちに意識が向く。
そう思うと、ワクワクする気持ち。
籠に入ったたくさんの欠片を見て、満足する。
満月には、また綺麗な糸になるのだろう。
楽しみだ。
満月まで、残りの欠片は1週間分だ。
これからは、毎日次の日の午前中には再度巻き直す時間が続く。
そうしないと、満月の日にすぐに糸を浸せなくなるから。
夕方には、現れる月を眺めながら糸を静かに桶に沈めて行く時間。
と言っても並べるわけでもないし、桶の中にゆっくりと入れていくだけだ。
「さて、じゃあ今日の分を紡ぎますか?」
私は作業机の上に置いてある水晶を手にする。
「は?」
聞こえて来た声は、ノアさんの物だった。
今まで、黙って会話を聞いていたのだろうか。
そう気づくと、ランとの会話も少し気を付けないといけない。
ノアさんは“視察”と言っていた。
私のいい加減な紡ぎ方を知って、また見習いからやり直すなんてことになったら…。
地獄だ。
あの、11歳から13歳までの2年間は何も知らなかったから出来ただけ。
もう17歳の私が、今更規則正しい生活とお祈りと、家事と研修と…。
考えただけで、ゾッとする。
黙り込んだ私に、ノアさんは再度『は?』と言いそうな雰囲気だ。
怖いなぁ。
私の心配を察してか、ランが「どうしました?」と問いかけてくれた。
助かる。
「上がる月を見ながら、調整するのではないのか?」
あー、候補生時代に言われたなぁ。
でも、私はもうすでに手の感触と巻いた糸の量で何となく出来てしまう。
だから、私は夕方の内に済ませてしまう癖がついた。
紡ぐのは宙に上がりきるまでに出来れば良いのだ。
そう。
決して短い時間ではない。
だけど紡いでいると、余計なことを考えてしまう。
月を目視しながら行うのは、確かに見習い生前までに覚えたやり方だ。
それが当たり前だったし、日常だった。
だけど、それは候補生になってガラリと変わった。
だからほぼ見ないまま紡ぐことを覚えた。
というか、東の地ではそういう無茶振りをされていた。
紡ぐのは結局勘だ、と。
目だけじゃなくて、手の感覚だけで紡ぐくらいはやってみなさい、と。
でも、そのおかげで昇る月に合わせて紡ぐと言う難しいことをやらなくても済むようになった。
見えていると、結局紡ぎ方が一定のリズムじゃなくなってしまう。
大事なのは、紡ぐ速さと強弱だ。
引き方が一定でも、早さが違えば糸の質は変化する。
同じように、早さを安定させても引く量が変われば太さに差が出てしまう。
それは、この3年で何よりも大事にすることになった。
ほら、また魔法など関係ない方法だ。
だから、私は北の地でしか紡ぎ司が出来ないのだろう。
人気のない地。
そう、言われたのを思い出す。
紡ぎ司のサイクルが早く、皆すぐに音を上げてしまう北の地。
過酷な状況で、人としての生活が出来ない。
私が来る前に東の地でそう言われた。
東の地の紡ぎ司に。
あの、厳しい紡ぎ司は今はどうしているのだろう。
候補生時代、無茶振りに次ぐ無茶振りをこれでもかとされた。
ま、私だけじゃない見習い生や候補生も振り回されていたけど。
…薄情なようで、もう名前も思い出せないが。
私が北の地に移動して、割とすぐ位の頃に紡ぎ司を退いたと聞いた。
ランに。
見習い生時代、言われていたことはほとんど役に立っていない。
候補生時代での、東の地での記憶。
言われた内容も、実地研修も何かも見習い生時代とは違うことの連続だった。
でも、東の地での時間はあっという間だった。
それだけ、忙しさに追われていたのだろう。
住むには適さないなんて、全くの嘘だ。
私はこの地が合っていたようで、今では動きたくない気持ちの方が大きい。
ま、それも本部に言われたらどうにもできないけど。
“視察”のノアさんの機嫌を損ねるのは、あまり良くないだろうなぁ。
今、北の地でのんびりと紡げるのは有難い。
だから、それを守らないといけない。
「見ながらじゃないと、いけないですか?」
月を見ながらでも出来るだろう。
多分、出来るだろう。
そもそも、この人は紡ぎ司の責任者だって言ってた。
ノアさんがダメだって言うのなら、見習い生時代のような紡ぎ方をしないといけない。
しんどいけど。
出来る、だろう。
速度を遅くすればいけるはずだ。
渋る私を見て、ノアさんが意外そうな顔をした。
何で?
「…いや、必ずしもいけないということでは…」
ノアさんが、ゆっくりとそう言った。
やった。
言質いただき。
ならば、気にせず…。
「じゃあ、やりますか?」
日が沈む空間で、ゆっくりと指先と肩を解して席に座り直す。
それからは、昨日までの日常と同じだ。
水晶を軽く撫で、指先で表面を少しずつ手繰り寄せる。
しばらくは、何の手応えもない。
それでも、一定のリズムで指先を動かし続ける。
すると、見えない何かを掴める感覚が湧いて来る。
指先だけで、その細くて頼りない物をしっかりと掴む。
そして手繰り寄せながら、同じ速さで正確に繋いでいく。
水晶のすぐ横に置いてあるバットに円を描きながら収まっていく。
なるべく糸巻きをしやすいように、大きな円を保ちたい。
しかし、それはやはり手作業。
円は色々な大きさを作りながらバットの中に積み上がる。
同じ速度で引いているのに、月の欠片は存在が柔らかい。
だからか、バットの中で割と自由に収まって行く。
短い時も長い時もある。
艶々の、光り輝く細い物体。
これが後に糸になっていく。
この地を支える、職人の収入源になる。
北の地の住民のために、しっかりと紡ぐ。
今日も、月が半分も昇らない内に紡ぎ終えた。
紡ぐ量が増えても、ほとんど速さに差は出ない。
それは、慣れと経験だ。
だけど…。
気のせいか、今日は少しだけ空気が冷えている。
春になるとはいえ、まだ外には雪が残っている。
だからだろうか?
「何か、キラキラしてる。埃?」
「え?見えるんですか?」
ランの驚いた表情。
「何が?」
「何って…」
「日中は時々、日の光に反射して見えるじゃん?あんな感じに似てる」
私の言葉に、ランがポカンとした顔をした。
「どうしたの?」
「今は?」
ランは、ノアさんを気にしながらも短く問いかけて来た。
だから、何が?
「今は何?」
「今は、そのキラキラは見える?」
「ううん。さっき、そう感じただけ」
「…そうですか」
「日中の時もそうじゃない?光の角度とか、風の流れで埃とか煙に直射した光みたいな?」
窓から差し込んでくる、流れていくものたち。
あれと似てる。
埃とか塵の類だろう。
明日の午前中は、掃除をしっかりしよっと。
月の欠片をひもで結わいて、籠に入れる。
明日の朝に巻き直すから、別に良いでしょう。
「さて、お風呂に入ろっと」
立ち上がった私に、2人がハッとしていた。
何?
終わりにしても良いでしょう?
私の仕事は終わったんだし。
「では、今日の業務は終了ですね。お疲れさまでした」
ランの言葉に、肩に入っていた力を抜く。
「ノアは?まだ仕事するんでしょう?なら、本部に戻るように」
「…何故?」
「何故?もう、サーヤは今日の分の仕事が終わったからだ」
ランの言葉に、ノアさんは眉間に皺を寄せた。
「日中で終わらない仕事なんて、いくらやっても終わらないですよ。もう、ここは今から紡ぎ司の生活圏内になる」
ランの言葉に、ノアさんは溜め息を付いた。
「…分かった」
「良かったですね。サーヤ?今日の夜は何を食べますか?」
ランの言葉に、曖昧に頷く。
「ノアのことは気にしないで良いから」
「…でも」
「そうそう、空間が落ち着いたら、確かにサーヤの言うように別の部屋を作りましょう。何ならこの外に離れのように、追加で空間を繋げても良いかもしれない」
「何で?」
呟いたのは私だった。
「何で?ここは、あくまで紡ぎ司のための空間だから、ですよ?」
紡ぎ司のため。
つまりは、私のための空間。
そういうこと?
「本部で、報告書やら会議資料やら、見習い生の試験日程リストや候補生の進捗状況など、毎日変化していくものを統括するには、ここは不便過ぎる」
「ラン」
「何ですか?」
「俺…私は別に、支障を感じていない」
ノアさんの言葉に、本当なのか疑いたくなる。
この地に、偉い人が来ることなんて聞いたことがない。
「不便じゃない?」
ノアさんの言葉に、ランの表情が揺れた。
「あ、いや、特に他意はなくて…」
「…でしょうね?もし、他意があったなどと言うのなら、本当に」
『下克上か…』
聞こえて来た声は、空耳だろう。
ランは、穏やかだ。
いつでも。
そんな、ランが物騒なことを言うはずがない。
疲れたから、そんなことが聞こえただけ…。
ちらりと視線を動かせば、今日の成果がすぐに確認できる。
紡いだ欠片たちは、今日も綺麗な光を放っている。
紐で簡単に結わいて、籠に入れる。
明日の朝には、また巻き直しをするんだし。
相棒をするりと撫で、今日の時間が終了した。
柔らかい布を被せ、いつもの場所に置く。
「お疲れ様です。今日も、良い月ですね」
ランの言葉に、登りかけた月をチラリと見上げる。
「そうね」
紡ぎ終えた月には、あまり興味がない。
見えている内に、綺麗なままでいてくれたら何も言うことはない。
斜め前にいるノアさんが気になるけれど、私から何かを話すことはなかった。
何を話しても、不機嫌になりそうで。
そう思ったら、話をしなくても良いことに気が付いた。
黙々とスープを口に運ぶ。
時々、ランが何かを私に振るけれど、他愛もない話なので2~3回やりとりをすれば終わってしまう。
他の食べ物も進められたけれど、くたくたになったマカロニがおいしくてそればかりを食べていた。
ノアさんはスープ系が好きではないと言っていたのに、おかわりをしていた。
ま、口にあったなら良いや。
そして、気まずさを感じながら私は自分の分のお皿を洗って、再び作業場に戻る。
「サーヤ?食後の紅茶は?」
ランのいつも通りの声に、忘れていたことを思い出す。
「あ」
忘れてた。
まだ、作業に移らなかったこともあり、ノアが紅茶を淹れて運んでくれた。
今日はミルクティーだ。
ゆっくりと登る湯気に、焦らないで良いとぼんやり思った。
どの飲み物にも、薄めた蜜は入っている。
「あ、サーヤ?」
「ん?」
「あの、キッチンの薄めた蜜だけど、もうすぐ温かくなるから、もう寸胴はやめにしようか?」
「そっか」
たとえ北の地でも、気温が高くなると出したままの食べ物は傷んでくる。
それは、飲み物や薄めた蜜も同じだった。
ランの言葉に、薄めた蜜が腐る所は見たことがないけれど『勿体ない』と怒られてしまうので素直に頷く。
「では、午後は俺がそれをするから」
「ありがと」
「いいえ」
ミルクティーを飲み、また糸の巻き直しを行う。
金具の回る音は、やはり心地良い。
月に何度も使うわけではないけれど、それでも手に馴染んでいる道具はとても使いやすい。
糸をゆっくりと巻いて行く。
日が傾いているのか、少しずつ室内の光がオレンジを帯びて来る。
北の地は、太陽が出ている時間が短い。
のんびりと糸を巻き、残りの分を巻き終えた。
夕方までには終えたらしい。
間に合わなければ、ランが教えてくれただろうし。
さて、少し休憩して今日の分を紡ぐか。
指先を解し、席を立つ。
「サーヤ」
ランはキッチンから私を呼んだ。
「何?」
「薄めた蜜ですが、キッチン地下の貯蔵庫に3本。そして、冷蔵庫に1本あります」
地下の貯蔵庫を開けると、南の地で作ってもらった少し厚めのお酒を入れる瓶が並んでいるのが見えた。
透明な液体がほぼ満タンに入っていた。
「わぁ、ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
「そして、料理に使う分などは冷蔵庫の瓶の中の物を使いましょう?」
「冷蔵庫ね」
「えぇ、サーヤが南の地で作ってもらった大き目の牛乳瓶が、とても丁度良いです」
牛乳瓶の大きいサイズは、口が大きくて入れるのも使うのも勝手が良い。
といっても気付いたのは、ランだけど。
住人に配っているのは、中くらいのサイズだ。
500㎖入るくらいの大きさだ。
これを、大・中・小で分けて販売するのも良いと言っていた。
ランは商売上手だ。
私は、中くらいのサイズでたくさん売れば良いと思っていた。
だけど、使う人がどのサイズが良いか分からないので、住人が選べるようにしたら良いとランが教えてくれた。
今は、大の瓶が冷蔵庫にあるのだろう。
口が大きいから、料理をする時にお玉で受けようとしても結局零れてしまい、そのままお鍋の中に注がれるあの時間。
私は料理も上手に出来ない。
本当に紡ぎ司しか出来ないのだ。
これは、大丈夫なのだろうか。
ふと心配になったけれど、今は紡ぎ司なので特に問題がないことに気付き考えるのをやめた。
自分のことを考える短い時間。
「うん、分かった」
これから、少し短いけれど冬ではない季節が巡る。
すぐにそっちに意識が向く。
そう思うと、ワクワクする気持ち。
籠に入ったたくさんの欠片を見て、満足する。
満月には、また綺麗な糸になるのだろう。
楽しみだ。
満月まで、残りの欠片は1週間分だ。
これからは、毎日次の日の午前中には再度巻き直す時間が続く。
そうしないと、満月の日にすぐに糸を浸せなくなるから。
夕方には、現れる月を眺めながら糸を静かに桶に沈めて行く時間。
と言っても並べるわけでもないし、桶の中にゆっくりと入れていくだけだ。
「さて、じゃあ今日の分を紡ぎますか?」
私は作業机の上に置いてある水晶を手にする。
「は?」
聞こえて来た声は、ノアさんの物だった。
今まで、黙って会話を聞いていたのだろうか。
そう気づくと、ランとの会話も少し気を付けないといけない。
ノアさんは“視察”と言っていた。
私のいい加減な紡ぎ方を知って、また見習いからやり直すなんてことになったら…。
地獄だ。
あの、11歳から13歳までの2年間は何も知らなかったから出来ただけ。
もう17歳の私が、今更規則正しい生活とお祈りと、家事と研修と…。
考えただけで、ゾッとする。
黙り込んだ私に、ノアさんは再度『は?』と言いそうな雰囲気だ。
怖いなぁ。
私の心配を察してか、ランが「どうしました?」と問いかけてくれた。
助かる。
「上がる月を見ながら、調整するのではないのか?」
あー、候補生時代に言われたなぁ。
でも、私はもうすでに手の感触と巻いた糸の量で何となく出来てしまう。
だから、私は夕方の内に済ませてしまう癖がついた。
紡ぐのは宙に上がりきるまでに出来れば良いのだ。
そう。
決して短い時間ではない。
だけど紡いでいると、余計なことを考えてしまう。
月を目視しながら行うのは、確かに見習い生前までに覚えたやり方だ。
それが当たり前だったし、日常だった。
だけど、それは候補生になってガラリと変わった。
だからほぼ見ないまま紡ぐことを覚えた。
というか、東の地ではそういう無茶振りをされていた。
紡ぐのは結局勘だ、と。
目だけじゃなくて、手の感覚だけで紡ぐくらいはやってみなさい、と。
でも、そのおかげで昇る月に合わせて紡ぐと言う難しいことをやらなくても済むようになった。
見えていると、結局紡ぎ方が一定のリズムじゃなくなってしまう。
大事なのは、紡ぐ速さと強弱だ。
引き方が一定でも、早さが違えば糸の質は変化する。
同じように、早さを安定させても引く量が変われば太さに差が出てしまう。
それは、この3年で何よりも大事にすることになった。
ほら、また魔法など関係ない方法だ。
だから、私は北の地でしか紡ぎ司が出来ないのだろう。
人気のない地。
そう、言われたのを思い出す。
紡ぎ司のサイクルが早く、皆すぐに音を上げてしまう北の地。
過酷な状況で、人としての生活が出来ない。
私が来る前に東の地でそう言われた。
東の地の紡ぎ司に。
あの、厳しい紡ぎ司は今はどうしているのだろう。
候補生時代、無茶振りに次ぐ無茶振りをこれでもかとされた。
ま、私だけじゃない見習い生や候補生も振り回されていたけど。
…薄情なようで、もう名前も思い出せないが。
私が北の地に移動して、割とすぐ位の頃に紡ぎ司を退いたと聞いた。
ランに。
見習い生時代、言われていたことはほとんど役に立っていない。
候補生時代での、東の地での記憶。
言われた内容も、実地研修も何かも見習い生時代とは違うことの連続だった。
でも、東の地での時間はあっという間だった。
それだけ、忙しさに追われていたのだろう。
住むには適さないなんて、全くの嘘だ。
私はこの地が合っていたようで、今では動きたくない気持ちの方が大きい。
ま、それも本部に言われたらどうにもできないけど。
“視察”のノアさんの機嫌を損ねるのは、あまり良くないだろうなぁ。
今、北の地でのんびりと紡げるのは有難い。
だから、それを守らないといけない。
「見ながらじゃないと、いけないですか?」
月を見ながらでも出来るだろう。
多分、出来るだろう。
そもそも、この人は紡ぎ司の責任者だって言ってた。
ノアさんがダメだって言うのなら、見習い生時代のような紡ぎ方をしないといけない。
しんどいけど。
出来る、だろう。
速度を遅くすればいけるはずだ。
渋る私を見て、ノアさんが意外そうな顔をした。
何で?
「…いや、必ずしもいけないということでは…」
ノアさんが、ゆっくりとそう言った。
やった。
言質いただき。
ならば、気にせず…。
「じゃあ、やりますか?」
日が沈む空間で、ゆっくりと指先と肩を解して席に座り直す。
それからは、昨日までの日常と同じだ。
水晶を軽く撫で、指先で表面を少しずつ手繰り寄せる。
しばらくは、何の手応えもない。
それでも、一定のリズムで指先を動かし続ける。
すると、見えない何かを掴める感覚が湧いて来る。
指先だけで、その細くて頼りない物をしっかりと掴む。
そして手繰り寄せながら、同じ速さで正確に繋いでいく。
水晶のすぐ横に置いてあるバットに円を描きながら収まっていく。
なるべく糸巻きをしやすいように、大きな円を保ちたい。
しかし、それはやはり手作業。
円は色々な大きさを作りながらバットの中に積み上がる。
同じ速度で引いているのに、月の欠片は存在が柔らかい。
だからか、バットの中で割と自由に収まって行く。
短い時も長い時もある。
艶々の、光り輝く細い物体。
これが後に糸になっていく。
この地を支える、職人の収入源になる。
北の地の住民のために、しっかりと紡ぐ。
今日も、月が半分も昇らない内に紡ぎ終えた。
紡ぐ量が増えても、ほとんど速さに差は出ない。
それは、慣れと経験だ。
だけど…。
気のせいか、今日は少しだけ空気が冷えている。
春になるとはいえ、まだ外には雪が残っている。
だからだろうか?
「何か、キラキラしてる。埃?」
「え?見えるんですか?」
ランの驚いた表情。
「何が?」
「何って…」
「日中は時々、日の光に反射して見えるじゃん?あんな感じに似てる」
私の言葉に、ランがポカンとした顔をした。
「どうしたの?」
「今は?」
ランは、ノアさんを気にしながらも短く問いかけて来た。
だから、何が?
「今は何?」
「今は、そのキラキラは見える?」
「ううん。さっき、そう感じただけ」
「…そうですか」
「日中の時もそうじゃない?光の角度とか、風の流れで埃とか煙に直射した光みたいな?」
窓から差し込んでくる、流れていくものたち。
あれと似てる。
埃とか塵の類だろう。
明日の午前中は、掃除をしっかりしよっと。
月の欠片をひもで結わいて、籠に入れる。
明日の朝に巻き直すから、別に良いでしょう。
「さて、お風呂に入ろっと」
立ち上がった私に、2人がハッとしていた。
何?
終わりにしても良いでしょう?
私の仕事は終わったんだし。
「では、今日の業務は終了ですね。お疲れさまでした」
ランの言葉に、肩に入っていた力を抜く。
「ノアは?まだ仕事するんでしょう?なら、本部に戻るように」
「…何故?」
「何故?もう、サーヤは今日の分の仕事が終わったからだ」
ランの言葉に、ノアさんは眉間に皺を寄せた。
「日中で終わらない仕事なんて、いくらやっても終わらないですよ。もう、ここは今から紡ぎ司の生活圏内になる」
ランの言葉に、ノアさんは溜め息を付いた。
「…分かった」
「良かったですね。サーヤ?今日の夜は何を食べますか?」
ランの言葉に、曖昧に頷く。
「ノアのことは気にしないで良いから」
「…でも」
「そうそう、空間が落ち着いたら、確かにサーヤの言うように別の部屋を作りましょう。何ならこの外に離れのように、追加で空間を繋げても良いかもしれない」
「何で?」
呟いたのは私だった。
「何で?ここは、あくまで紡ぎ司のための空間だから、ですよ?」
紡ぎ司のため。
つまりは、私のための空間。
そういうこと?
「本部で、報告書やら会議資料やら、見習い生の試験日程リストや候補生の進捗状況など、毎日変化していくものを統括するには、ここは不便過ぎる」
「ラン」
「何ですか?」
「俺…私は別に、支障を感じていない」
ノアさんの言葉に、本当なのか疑いたくなる。
この地に、偉い人が来ることなんて聞いたことがない。
「不便じゃない?」
ノアさんの言葉に、ランの表情が揺れた。
「あ、いや、特に他意はなくて…」
「…でしょうね?もし、他意があったなどと言うのなら、本当に」
『下克上か…』
聞こえて来た声は、空耳だろう。
ランは、穏やかだ。
いつでも。
そんな、ランが物騒なことを言うはずがない。
疲れたから、そんなことが聞こえただけ…。
ちらりと視線を動かせば、今日の成果がすぐに確認できる。
紡いだ欠片たちは、今日も綺麗な光を放っている。
紐で簡単に結わいて、籠に入れる。
明日の朝には、また巻き直しをするんだし。
相棒をするりと撫で、今日の時間が終了した。
柔らかい布を被せ、いつもの場所に置く。
「お疲れ様です。今日も、良い月ですね」
ランの言葉に、登りかけた月をチラリと見上げる。
「そうね」
紡ぎ終えた月には、あまり興味がない。
見えている内に、綺麗なままでいてくれたら何も言うことはない。
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