宙の蜜屋さん

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「サーヤちゃん!」
奥さんの声に、我に返る。
あれ?
ここどこだっけ?

温かい感覚に、うとうとしていたことを思い出す。
というか、これは寝ていた?
「うん?」
「起きてるかい!?」

奥さんの声が、お風呂場の横から聞こえる。
「サーヤちゃん!」
「…っはい!」
「…起きてるかい?」

さっきよりも、声が小さく聞こえた。
「…はい」
「寝てるのかい?」
「起きてますよ」

意識は飛んだけど。
それは、寝たとは違うはず…。
気持ち良い気分は、残っている。

逆上せてはいない。
あの時とは体の耐性が違う。
ふわふわは、多分しているけれど。
暖かくて心地良いだけだ。

「…ごめんなさい」
「良いけど…返事がないと、心配になるからね」
奥さんの少し遠い声に、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなる。
自分が入っている浴槽は、ランが改装してくれたこともあって座った状態で溺れたりしないようになっている。
背もたれに寄りかかったまま、ボーっと上を見つめる。

浴室は温かい空気で満ちている。
だけど、時折涼しい風が通り抜ける。
小窓が微かに開いているからだろう。
座ったままだった体を動かす。

お湯の温度は丁度良い。
人肌よりも少しだけ温かい。
私用の設定だ。
浴槽は広いので、私は浴槽の半分ほどで足りてしまう。

座ったら、余計に広く感じる浴槽。
広いのに、危ないと感じないのはランのおかげだ。
手すりとか、ちゃんと付いている。
だから、座ってるのが気持ち良い。
まだここにいたい。

浴室にある小窓は、すっかりオレンジ色に反射している。
日没なのだろう。
さっきまで、あんなに空が青かったのに。
もうすぐ夜になるのだろう。

「また、声をかけるからね」
「はーい」
奥さんの声に、返事をする。
温かいお湯は、本当に心地良い。

だから、お風呂が好きなのだ。
もう少し長くいたい。
眠気は今は感じない。
さっきも、あまり感じてはいなかったのに…。

ふん、ふふーん。
反射する音。
頭に浮かんだものを、鼻歌で刻む。
小さく反射する音の連なり。

気持ち良い。
小窓は微かに開いてる。
外の風がささやかに入って来る。
だから、浴室は湯気が少ない。

お湯からは、常に湯気が上がっているのに。
夕焼けが小窓から入り込み、また反射するようにキラキラする。
湯気に反射しているのかな?
お風呂場だから、埃の方じゃないし。

まぁ、いっか。
楽しいし。
鼻歌は続く。
区切りの良い所まで止まらないやつだ。

ふん、ふん、ふふふーん。
口ずさむだけで、落ち着くし本当は仕事中でもやりたいけれど。
それで何かあったら、困るからやらないけど。

これは楽しい。
自分でもワクワクする。
気分が上がる。
あれ、候補生の時にはやってたっけ?

南の地にいた時にはしていなかった。
このメロディ。
東の地で覚えた音?
それとも、北の地に来てからだっけ?
思い出せない。
だけど、時々していたはず。

キラキラが強くなってる気がするが、気にせずに刻む。
自分で思う区切りの良い所まで節を回し、浴槽から上がる。
滴る雫もキラキラしているように見える。
反射って、すごい。

お風呂場から、脱衣場に移動する。
あ、お風呂場の水滴とか綺麗にした方が良いかな?
開かれたままの扉から、大きくて綺麗な浴室が見える。

床や壁が濡れているけれど、いつもと同じ綺麗なままだ。
毎日ランが掃除もしてくれているから。
私が出来ることは、ほぼない。

また、口をついて出てしまうメロディ。
あれ?これはメロディだったっけ?
何かの言葉だったっけ?
まぁ、いっか。

機嫌良く、着替えを済ませてようやくお風呂の時間が終わった。
るんるんしている私が戻ると、すでに台所の机にランとノアさんがいた。
ノアさんはやや不機嫌そうだ。
でも、お仕事は終わったのだろうか?

「サーヤ、ゆっくり休めました?」
ランが聞いて来る。
「うん、今日もお風呂の準備ありがとう。すごく気持ち良かった」
ほかほかと、体から湯気が立っていそう。

「なら良かったです。俺も後で入るので…」
「うん!」
ランの機嫌も良さそう。
「何だい、すっかり家族みたいじゃないか?」
「そう?」

奥さんの言葉に首を傾げる。
「まぁまぁ、フォンさん…」
「何だい?嬉しそうにしちゃって…」
「え?嬉しいの?」
私の言葉に奥さんは笑い、ランは少しだけがっかりしていた。

「え?」
「さ!良いから良いから!食べようじゃないか?」
奥さんの声に、目の前に置いてあった鍋に意識が向く。
「わぁ!おいしそう」
「そうだろ?たくさんお食べ」
「うん!いただきます」

奥さんが丁寧に取り分けてくれる。
「ありがとう!」
麺は太いはずなのに、少し平らなおかげで食べやすい。
ふーふーと息を吹きかけ麺を冷ます。

冬の間は、この麺が好きで割と高頻度で食べていた。
ランや奥さんが色々な味で作ってくれるから。
飽きずに食べていた。
「野菜も食べるんだよ?」
麺のみ食べていたことを見透かされたようで、小さく返事する。

「本当に、サーヤちゃんは…」
ごふぇんなふぁいごめんなさい
熱いので、はふはふしながら謝る。
「全く、落ち着いて食べな?」
呆れたような奥さんの声に、がっついて食べていたことを自覚する。

いけない。
東の地出身の3人に、食いしん坊だと思われている可能性がある。
いや、食いしん坊なのは変わりないけど。
もう少し、ゆっくり食べれば良かった。

意識すると、3人の視線が気になる。
何で、こっち見てるの?
何してるの?
みんな、食べないの?

思わず手を止めてしまった私。
「どうした?サーヤ?」
「…恥ずかしいね。おなかが空いてたからって、ガツガツしてたと思って」
小さな声で言う私に、横にいるランはニコリと笑う。

「ガツガツ?してないよ」
「うそだー」
「サーヤは、全部が小さいよ?口に入れる量も少ないから」
「だって、じっと見てる」

「見ていたいだけ」
ランの言葉に、首を傾げる。
「変なの」
人の食事風景を見てるだけじゃ、空腹はなくならないのに?

「食事マナーなんて知らないよ?」
「大丈夫。サーヤの食べ方は、見ていて不快にならないから」
「それ、理由になってない」
「そう?」
「ランも食べて」
「はいはい」

ランは、食べ方も綺麗だ。
多分、お貴族だから。
でも、そのことに触れようとすると、ランははぐらかす。
横にいるランに、不思議な気持ちになる。

南の地では、触れ合うことのなかった貴族という人達。
それが、今では同じ家でご飯を食べてる。
「サーヤちゃん?」
奥さんの声に、止まっていたことを思い出す。
「あ、食べるよ。奥さんも食べてる?」
「勿論」

横にいる奥さんも、私を見ていた。
多分。
奥さんは自分のことを平民だって言ってるから、見られていても気にはならない。
最後に斜め前に座るノアさんへ、そろそろと意識を向ける。

「何だ?」
怖いなぁ。
見られていたから見ただけなのに。

と、いけないいけない。
勝手に怖がらないって話をしたんだっけ。
ノアさんは、怖くない。
大丈夫。

「何でもないです」
視線を合わせることもなく、自分の器に視線を落とす。
「サーヤ」
「…はい」
呼ばれたけれど、やっぱりノアさんは私を見ていない。

「俺に対して、敬語はいらない」
「…え?」
ノアさんの言葉は私に向かっているけど、視線は交わらないままだ。
見られて困ってたから?

「でも、ノアさんは…」
「さん付けもいらない」
重ねて言われる言葉に、首を傾げる。
「“ノア”で良い」

駄目だ。
紡ぎ司の本部の偉い人に、敬語なしなんて。
それに、呼び捨てなんて。
「無理です…ぅぅ」

「何故?」
でも、何でもないことのように聞き返される。
困るなぁ。
何故って。

「だって」
貴族の偉い人だし、何か失礼なことしてたらと思うとゾッとする。
不敬罪って言うんだって。

幼馴染が言ってた。
自分では、そういうつもりがなくても相手には失礼になることが、世の中にはいくらでもあるんだって。
今日も、散々言われたのに。
常識がないみたいなこと。

ランにも、ノアさんにも、奥さんにも。
自分でも、自覚してる。
お魚の値段だって、知らない私なんだし。
そんな村人は、貴族に近付いちゃいけない。

「ノアさん、貴族じゃないですか?」
「だから何だ?」
認めた。
ほら、もう別世界の人。

「だから、村人の私には、礼儀…?分からないので…」
「気にするな」
「気にしますよ」

ノアさんが溜め息を付いた。
何で?
「礼儀は、覚えれば良い」
「…そうですけど」
「じゃあ、何だ?」
「年上、だし…」

「…ランと、奥方には敬語がないだろう?」
それは、慣れだし。
確かに使ってないけど。
確かに、ランと奥さんには敬語なんて使ってなかった。

いや、奥さんにも最初は使ってた。
だけど、奥さんが私に気を遣ってくれたんだ。
『そんな畏まった話し方じゃ疲れちまうよ』って。
まだ私が子どもなんだから、無理はしなくて良いって。

そのまま、大きくなってしまった。
そうだった。
奥さんとの繋がりは、候補生の頃からだ。
長いはずだ。

それが、この地でも一緒になるなんて。
不思議なご縁。
縁と呼ばずに何と言えば良いのか。

それとランか。
ランは最初の頃、私に敬語だった。
でも、私が嫌がった。
奥さんの気持ちが少しだけ分かった気がした。

私よりも年上で、多分貴族の人で。
そんな人が私に敬語を使うなんて。
住むことや過ごすことが不安だと、初めて感じた。
紡ぐことは変わらなかったのに。

だけど、ランはずっと優しかった。
だから、せめて言葉くらいは普通にしてほしいってお願いしたんだっけ?
私のことを『尊敬しています』『力になります』と支えてくれるラン。

そんなランに、敬語まで使われてしまったら。
困る私にランが提案してくれた。
敬語を使わない代わりに、同じようにランにも使わないで欲しいって言ってたんだ。
そしたらその方が楽だし。
じゃあ、いっかってなった。
その日から、今に続く。

だけど、ノアさんは違う。
17の私が出会った、ちゃんとしたエライ人だ。
だから、その言葉に『はいそうですか』って聞くわけにはいかない。
はず。

「ま、それは追々で」
「え?」
ノアさんは、食事を進める。
もう、私のことを見ないつもりだ。
この話は終わりってことだろう。

えー?
でも、無理だよ。
ノアさんには敬語出ちゃう。
多分。

手に持っていた器にはまだ麺が入ってる。
でも、何かもうおなかいっぱいだ。
まだ、食べられるつもりだったのに。
そして、眠い。

急に。
「サーヤ?」
ランの声に、何でもないと首を振る。
「サーヤちゃん?まだ、麺はあるよ?」
奥さんの声にも、コクリと頷く。

とりあえず、取り分けた分だけはどうにか食べる。
おかしいな。
さっきの勢いがどこにもない。
つるつるの麺は、変わらずおいしい。

時間が経ってもおいしいし、冷めてもおいしい。
奥さんの料理が上手だからだろう。
でも、もう入らない。
「ごちそうさま」
手を合わせて、もう寝ようと思う。
「サーヤ、部屋まで運ぼうか?」
「…大丈夫」

歯を磨いて、2階に行くくらいは出来る。
「じゃあ、皆さんごゆっくり」
ペコリと頭を下げ、洗面台に向かう。
歯を磨きながら、鏡に映る自分を見る。
さっきと同じで、顔色は良い。

お風呂上がりのような赤い顔。
熱はない。
逆上せてもない。
なのに、眠いのは何でだろう?

今日は、お昼寝を2回もしたのに。
あ、お風呂では寝てない。
…いや、寝てた。

だけど、今はもう眠い。
仕方ないか。
こういうことは、何回かあったはず。
でも、眠れば直る。

過去の経験上、眠れば何でも次の日には戻ってる。
ぐっすり眠れるのは、昔から私の得意なことだ。
南の地で、東の地で、そしてこの北の地で。
眠れば、次の日には何でも出来る。

だから、おやすみなさい。
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