宙の蜜屋さん

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覚醒

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しっかり眠ったこともあり、朝の早い時間に目が覚めた。
まだ、外は暗い。
ベッドの中で視線だけキョロキョロする。

夢は見ていない。
多分。
何も覚えていなかったから。

というか、昨日はお昼寝でも夢を見た。
なんか騒がしい夢。
たくさん遊んで、少し疲れる夢。

子どもの頃に見ていたような夢。
と言っても、子どもの頃は夢なのか現実なのか。
そのくらい毎日時間があっという間だった気がする。
日常遊びの延長線上のような夢。
それを繰り返し見ていた気がする。

いつでも遊んでいるような夢を見ていた。
昨日は、久々に見たなぁ。
遊ぶ夢。
何か、懐かしい景色や花の匂いや草原の風…。

夢って匂いまであるんだっけ?
風を感じることができるんだっけ?
考えながら、まぁいっかと首を振る。

というか、いつの間に遊ばなくなったんだっけ?
見習い生になってから?
いや、候補生になってからだ。

毎日紡ぐことの繰り返しで、夢の中でしか遊んでいなかったかもしれない。
その内に、日常でも遊ぶことはなくなった。
だって東の地では、自然な空間がほぼ無かったから。
南の地では人工物の方が少なかった。

最初は、物珍しいから東の地でもあちこち建物とかお店を見ていた。
南の地では見かけない、背の高い建物や大きな家。
立派な教会とかもそうだった。
最初の頃は、街中を歩いていたと思う。

だけど気持ちは不思議と自然を求めていたのだろう。
交代で時々やってくる空いた時間。
ただの散歩の時間が、緑を求めて歩く時間になった。

その隙間で、ひたすら歩いた記憶がある。
場所はどこでも良かった。
人工物ではない、自然の緑を探してふらふらと歩き回る。
東の地の端の方にある森まで歩いたこともある。

時間がない時は、寮からすぐの公園に行っていた。
そこには背の高すぎない気が植えられていたから。
椅子に座って、その木を眺める時間。
眺めている内に、気分が落ち着いて“帰ろう”となる。

そして、また紡ぐことの繰り返し。
紡ぐことの隙間に緑を眺めるだけの時間。

あれは、私なりのホームシックだったのだろう。
昨日のエリザさんを見ていて、そんなことを思い出した。
候補生になったあの頃の自分。
ふと思い出した出来事。

紡ぐことしかなかったと思っていたけれど、実はその他の時間もあったみたいだ。
忘れてただけで。
暗い中で、そんなことを思い出した。

「まだ起きない方が良いかな?」
でも、喉が渇いた。
下で薄めた蜜か、水でも飲もっと。

そう思いベッドを降りる。
空気はしんと冷えている。
でも、寒いという感覚ではない。
床に触れる裸足の足も、冷たいとは感じない。

ランが温かくしてくれているから。
生活魔法で、家を快適にするものがあるんだとか。
魔法には詳しくないから、私にはよく分からないけど。
家の中の気温は、とても過ごしやすい温度だ。
スリッパを履かずに、裸足でペタペタと歩く。

ドアを開けて、ふと気付く。
横の部屋のドアが閉まっていることに。
普段は開いている部屋なのに。
誰もいない部屋は開いている。

現に、1番大きい部屋のドアは開いたままだ。
そこには誰もいないんだろう。
ということは、昨日はランはこの家に泊まったんだ。
閉まっているドアで、そのことを察する。

「スリッパ…」
足音がペタペタすることに今更気付く。
ランが起きてしまったらどうしよう。
そう思い、スリッパを履きに戻る。
なるべくゆっくり歩いて、ベッド横に置いたままのスリッパを履く。

スリッパを履いて、またゆっくりと歩く。
下に行くと、まだ早い時間だからだろう。
外からも朝の気配は感じなかった。
窓の外は私の部屋で感じたのと同じく真っ暗だ。

冬が終わると、朝早くから活動する人が増える。
散歩や畑仕事、趣味で行っている人と仕事の一環の人。
だけど、今日はどの気配も存在してない。

「ふふ、世界で私だけが早起き…」
まるで、この世の中で私しか起きていない感覚になる。
そんなわけはないけれど。

この世の中に、いくらでも活動している人はいる。
冒険者や魔女や祈祷師など、大体の人が寝ている時間でも起きている人達。
喉が渇いたことを思い出し、キッチンに進む。
冷蔵庫の中の冷たいものではなく、常温の水道水で良いか。
ふと、貯めたままの桶の中が気になった。

木の蓋をどかし、桶の中の水を見る。
この桶も不思議な桶だ。
横から見るときちんと桶なのに、上から覗くと底なしの井戸のように感じることがある。
反射する水面と、その奥に広がる黒い空間。
じっと見つめても、覗き込む私しか映らない。

まるで、別の世界に繋がっているような気になる。
桶の中に手を入れてみたい衝動が湧く。
だけど、蜜を精製するのにそれはしてはいけないだろう。
みんなが口にする蜜を作る桶だから。

「やっちゃダメ」
多分だけど。
今度、違う桶を用意して試してみよっと。
底なしだったらどうしよう。
自分の考えに、自分で笑う。

そんなわけはないのに。
だけど、今度試してみよう。
覚えてたらだけど。

流し台に置いたままの私のカップを手にする。
水道水の水を注ぎ、それを一口飲むとほっと息を付く。
呼吸は白くない。
白くならないのは当たり前だ。

寒いわけじゃない。
だけど、試してみたくなる。
まだ、外では雪が残っている所もある。
飽きずに、息を吐き出す。

しばらく繰り返し、気が済んだ。
そもそも、家の中は過ごしやすい温度なんだから出るわけがない。
それは、分かっていたことだ。

ふと、外なら息が白くなるのか気になった。
桶とは違ってこれは、すぐに試せそう。
キッチンの窓の鍵を開けようかと思い、玄関の方が良いかとそっちに進む。
だって、キッチンで音を立ててランが起きてしまったら大変だ。

昨日の夜は、遅かったのかもしれない。
そういう日や、朝が早い日などランはこの家に泊まる。
奥さんの言葉がこだまする。
『家族みたいな』
確かに。

私に兄がいたら、あんな感じだったのかな。
ランなら、ケンカにならないから共同生活も苦ではなさそう。
自分で思って、それはないかと浮かんだ考えを払う。
あんなにしっかりした人が、私の兄のはずがない。

ランは助手だ。
それも多忙な。
紡ぎ司関係だけじゃなくて、私の生活まで見てくれる。

明日、いやもう今日か。
朝からランは忙しなく動くのに。
夜もゆっくり休めないなんてそれは申し訳ない。

「しー…」
誰に言うわけでもないのに、口から出た静かにしようという気持ち。
階段に続く廊下を見るが、何の音もしない。
ランはまだ寝ている。
大丈夫。

だから、足音を立てないように玄関に行き、鍵を開ける。
ドアを開けると、外はやはり暗いままだった。
まだ、眠ったままの世界。
靄がかかっているのか、いつも見える景色ではない。

だけど、怖さなどない。
上を見ても、月の明かりはそこまで届かない。
やはり、怖さは感じない。
自分で開けたドアの先。

「ふふ」
不思議。
南の地でも良くあった。
早く目が覚めると、原っぱに行ったり屋根に上ったり。

息を吐くが、少しだけ白いのが見えた。
「やっぱり、外はまだ寒いんだ…」
家の中が快適だから、勘違いしそうになる。

開いたままの玄関は、無限に広がる世界に感じた。
やはり靄が出ているようで、視界は悪い。
だけど、微かに感じる月の気配。
空がうすぼんやりとしているのは、そこに月があるからだろう。

水の中の景色のように滲む世界。
だけど、そのぼんやりした空気が良い。
春が来ていると思える空気。

冬の間は空気がピンとしている。
張り詰めた糸のような。
肌を刺すような寒さ。
今はそれを感じない。

急に湧いた冒険心。
急に探検したい気分になった。
何でだろう?

遊びたい?
ううん、それとは違う。
何か行ってみたいと思う気持ち。

さっきから中途半端に出たままの自分の姿を思い浮かべて笑ってしまう。
怖いと感じていたのかな?
それももう分からないや。
だけど、今は外に出たい。

「裏まで行こうかな?」
祠の側まで。
思わず踏み出した一歩。

「すぐだし」
近いからなぁ、なんて思いながら。
なのに、私の腕が何かに触れた。

体が思わずびくりとする。
「どこに行くの?」
ランだった。
空気と同じくひやりとした声。

さっきまで、足音はしていなかった。
階段も廊下も、気配はなかった。
さっき見たばかりだから、それは確かなのに。
固まる私に、ランは同じく『どこに行くの?』と繰り返した。
右手はドアノブを握ったまま、左手はランに繋がれたまま。

何で、ランがここにいるのか?
いや、家に泊まったのは分かったけど。
というか、起こしてしまった?
ドアを開けて、ブツブツ喋っていたから?

「ごめん」
ランの表情は、少しだけ困っていた。
「うるさかった?」
そうだよね。
折角寝ていたのに、下で騒いでいたら。

「…違うよ」
ランは、困ったように笑った。
じゃあ、何で?
ランがここにいるのか。
「でも、起こしちゃったでしょ…」

「そうじゃないよ」
ランの否定の言葉に首を傾げる。
「…そうじゃない?」

だって、ランは私が起きなければ起きる必要がなかったわけで。
「じゃ、何で分かったの?」
私がここにいることが。
私の問いかけに、ランは少しだけ視線を逸らした。
「…玄関が、開いたから」

「…玄関」
私の右手はまだ玄関のドアノブに触れている。
左手、というか左腕はランが握っている。
「やっぱり、起こしちゃったんだね?ごめん」
見られているのが分かったけど、何か気まずいので視線を逸らす。

「違うよ?サーヤ。それより、外に何の用事だったの?」
用事?
用事と言う用事はない。

急に沸き上がった冒険心?探検心に負けてしまっただけ。
そうただ、祠に行こうと思っただけ。
「祠に…」
だけど、理由という理由はない。
だから、途中で言葉に困ってしまった。

「祠に用事があったの?」
用事なんて何もない。
「用事?ううん、ないよ?」

「…でも、ドアを開けた」
「うん」
「外にも出た」
「…うん」

確かに、私の右足は玄関の扉を跨いでいた。
自分で自分の足を確認する。
「どうして?」
ランの言葉に、どう答えた方が良いのか。
「…何となく?」

曖昧に答えた私。
ランの視線は私に向いたままだ。
それが分かる。
俯く私に、静かな声がかかる。

「呼ばれた?」
ランの言葉の意味が分からなかった。
誰にも呼ばれてなんかいない。
なのでふるふると首を振る。

「誘われた?」
誘う?
こんな真夜中に何に誘われるんだろう?
ふと、ランを見上げる。
ランは、ただ私を見ている。

「誘うような用事はないでしょ?」
なのでそう答えると、ランは苦笑した。
今のランは怖くない。
というか、さっきのランも怖くはなかった。

だけど、少しだけ驚いた。
さっきの『どこに行くの?』という問いかけ。
聞いたことのない、ランの声だった。
しんとした空気と同じで、少しだけ緊張しているみたいだった。

そうか、ランも緊張していたのかな?
私がこんな暗い中を外に出ようとしてたから。
焦ってたのかもしれない。

「心配かけてごめんね」
「ううん、それは良いんだけど」
「良くはないでしょ?」
起こされたんだし。

「サーヤ?」
「うん?」
「どうして外に?何か思い出したの?誰かと用事でもあったの?」
「こんな時間に誰と?」

友達もいないのに、こんなに夜更け(夜明け?)にするような出来事は何もない。
というか、さっきから何でそんなに用事があったのか気にするのか。
「誰も起きてないでしょ?」
返す私の言葉に、ランは『違うのか』と呟いた。

何か私のことで、ランを困らせている?
「あのね、息がね…」
私のまごまごした言葉に、ランは『うん?』と優しい返事をしてくれた。
「家の中じゃ、白くならないでしょ?」

ランが温かくしてくれているから。
「だからね、外なら白く見えるのかなって…」
伝える私にランが驚いたような顔をして、それからふにゃりと笑った。
「…そっか、もうすぐ春だけどまだ外は寒いから、試したくなっちゃった?」
「うん、そうなの」

言いながら、少しだけ外に視線を向ける。
私の言葉と一緒に、白い煙のように吐息が流れていく。
ふふ、寒いのは半分だけ。
不思議。

「じゃあ、サーヤ?外はまだ暗いから、明るくなってから祠に行こう?」
ランの優しい声に、コクリと頷く。
私が頷くと、ランは嬉しそうに笑った。

何でだろう?
安心したのかな?
私がどこかに行ったら、ランは探すしかないから。
今度は明るくなってから遊びに行こう。
ランが探さなくても良いように。

「じゃあ、もう少し眠ろうか?」
ランの言葉に、もう1度素直に頷く。
返事をしないとと思ったのに、口が動かなかった。
急に訪れた睡魔だ。
さっきまで、あんなに目が冴えていたのに。

「サーヤ?」
目の前にいるランの顔が、少しずつ見えなくなっていく。
おかしいな。
さっきまで、あんなにワクワクしていたのに…。

自分で目を開けていられないほど、瞼が重く感じる。
不思議。
閉じていく私をおかしいと思ったのか、また『サーヤ?』と呼ぶランの声がした。

返事をしないといけないのに。
部屋に戻らないといけないのに。
立っているのも、おかしいくらいに膝がカクンとなった。

ランのしっかりとした腕に支えられているのに、足取りがフラフラする。
「…サーヤ、運ぶね?」
ランの問いかけに答える余裕はやっぱりなかった。
急速に閉じる瞼。
ふわりと浮く感覚。

それが覚えている最後の感覚だった。
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