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試み

お試しという

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「好きだなぁ」
思わず呟いた声に、目の前に座る渋い彼がふっと笑った。
その表情も良い。
流す感じね。

「あのね、佐々木さん。もう課題出したんだから、帰って良いんですよ?」
こちらを見ないで、そんなことを言う。
「先生、ツレナイこと言わないで?」
「そういうのも、良いから」

とても良い声、バリトンとでもいうのか重低音が心地良い。
「あれー、また佐々木パイセン?」
耳に馴染んだパイセンという響き。
3人組の女子が、私を見てクスクス笑う。

若人が。
見た目も年齢も若い女子を羨ましいと思うのは仕方あるまい。
「パイセン言うな」
私も軽い口調でそう返事をする。

私の言葉に、『はーい』と返事するのは安定の軽さ。
返事は「はい」だろ?
「社会に出て苦労しろ」
私の言葉に、また3人がケラケラ笑う。

「聞いた?こわ!」
「苦労してる人は言うことが違うなー」
「さっすがパイセン。また明日ねー」
私の言葉を気にしないように、高い声で口々に手を振って教室を出て行く。

「はいはい、気を付けて帰って」
もういなくなって。
そう思いながら手を振る。
「パイセンも『はい』は1回ね」
「そうだね、はいよ」

早く帰れ。
暇人達よ。
は、いけないいけない。
目の前に座る彼を見ると、気にしてないように課題を眺めていた。

「佐々木さんも、明日は仕事でしょう?」
目線はレポートなのに、問いかけは私に。
器用な人だな。
「はい、先生」

「佐々木さんの方が年上なんだから、先生って一々言わなくても…」
「えー、女性に年のこと言う?そういうところ、無粋。…でも好き」
「…はい、分かりました」
表情も変わらずにそう答えるのは彼の技?

本当に?
分かってくれてる?
それとも適当に流されてる?

「意外に悪い男」
ポツリと呟く私に、また彼がふっと笑った。
「それは、どうも」
その答えも、私好み。

「研修、面倒だなぁ」
思わず零れた声に、先生は課題を机に置いた。
「大人でしょう?」
“いい加減にしてください”
そんな副音声が聞こえた。

見つめたいだけ見つめて、満足したので立ち上がる。
「では、先生また来週」
彼女達には『また明日』だけど、先生には『また来週』


社会人の私が、社長に言われて何でかヘルパーの資格を取ることになった。
私になった理由も、また適当。
普通の会社員だってば。
『なんか、補助が降りるんだって。仕事も免除される?らしいから、佐々木君よろしくね』
そんな小さな会社。

私が勤める会社で新しいサービスを始めるとかで、ヘルパーの資格が必要なのか無理やり繋げるのか。
そんな始まり。
若い子に交じって学校に行くのも嫌だったし。
勉強も嫌いだったし。
何より、休みに行くのとか絶対にだるかった。

会社が勧める大学で、短期の講義を受けて資格を取る。
この春から、新しく増えた私の日常。
休みの日に、わざわざ勉強しに行くという現実。

休みの日は、ダラダラするのが良かったのに。
休まらない日々。
だけど、そんな私の活力になってくれるものが出来た。
それが先生だ。

偶然私の担当になってくれた、助教授の先生が見事に私好みだった。
本当にドンピシャ。
まず、声が良い。
そして、優しくない。

無駄に優しい男よりもよっぽど良い。
会社の中で荒んでいた私に、良い出会いとなり。
ずっと仏頂面だった私が、ようやく前向きになった瞬間だった。
掌を返した私に、社長はほくほくだった。

期間は6ヶ月。
無事に資格が取れたら、学費もいくらか返って来るんだって。
ありがたい。

社会人になってから、付き合う人は本当にたまにしかいなかった。
だけど、続かないもので。
いつの間にか、会社で働く自分しか残ってなかった。

いつでも彼氏がいたら良いなぁとかは思ってたけど。
本当に思うだけだった。
気が付いたら、すでにアラサーなんてとっくに通り越していた。

39歳。
ストレートで入った子にとっては、母とも呼ばれる年。
助教授の先生は、35歳。
まさかの年下だった。

今まで年下なんて、興味もなかったのに。
というか、会社にいる35歳なんて私のこと怖がってる世代だわ。
違うか、年下はみんな私のこと怖がってる、が正解だな。
先生は、福祉系の先生だけどもこの学校に毎日来るわけじゃない。

だけど、公開とも言うのか先生に好きだという気持ちを伝えたら、遠巻きにしていた学校の子達が話しかけてくれるようになった。
そう、『佐々木パイセン』というあだ名で。

若い子の感覚にはついていけない。
もうずっと。
だけど、好きだという気持ちは共通のようだった。

「パイセン、垣田かきたのどこが良いの?」
「暗くない?というか真面目?」
3人組の女子がそれきっかけで話しかけてくれるようになった。
「マジで、どこに魅力感じたの?」

面白がるような声にも、同調はしない。
だてに女子の中で長いこと生きて来てない。
「その暗さが良い」
答えた私に、3人は肯定的な意思表示をしてくれた。
それから、ちらほらとクラスの子や講義が重なる子達が挨拶を返してくれるようになった。

生徒と先生なのに、そわそわするわけでもない。
ま、高校生じゃないし、何なら成人してるし。
だからか、他の教授や先生も静観してるという状態。
間違いなんて、起きようもない。

いや、期待はしてるか。
ワンナイトとか、鼻で笑うわ。
あの真面目な先生が、のこのこホテルに来るとも思えないし。
というわけで、まずはヘルパー資格が必要だから。

ということで、絶賛アピール中。
まずは、課題や出席などきちんとする。
人として、真面目にしてれば印象はまず良くなるはず。

きっかけなんて、何もない。
悲しいかな。
資格を取るのに、授業で分からないことや疑問なんて浮かばない。
今どきのテキストはなんて優しいんだろうか。
疑問など出てこないほど、詳しい解説がどこにでも載っていた。
それとも、理解できる私の脳がいけないのか。

「先生、週末は何をしてるんですか?」
授業は真面目に受けて、放課後に喋りに来る私。
「何って、普通に生活してますよ」
真面目。

そもそも、普通に生活って何?
普通ってどこが?
私が聞きたいのは、家で何をしているのかであって、当たり障りのない会話では分からない。

いや、良いことだけど。
これが、『買い物に』とか『映画に』なんてアクティブな返事だったら合わない。
私はインドア派だから。

いや、これをきっかけに外にも出るのも良い。
「佐々木さん」
考え事をする私。
「…はい」
「研修はどうだったんですか?」

「研修?」
聞き返す私に、先生は少し呆れた顔をした。
「…先週、言っていたじゃないですか」
研修。
あぁ、新人研修ね。

「マナー講習でしたね。新人さんは、かちこちでしたよ」
「…はい?」
「やっぱり、社会に出ないと分からないこともありますもんね」
「…そうですね」

あれ、微妙に噛み合ってない。
「見る度に毎回思い出しますけど…」
私も適当に会話を続ける。
研修の何を聞きたかったのかな?
会話の端に出てくるきっかけをキャッチ出来なかった?

「参加したんですよね?」
先生の言葉に、あぁそうかってようやく気付く。
「…私は、開催側ですね。新入職員のために、毎年この時期にマナー講習を行うんですよ。名刺を交換したり、挨拶の角度とか。参加というか、私は主に資料を配布したり、新人職員のフォローでしたね」

そう、アラフォーの私は、毎年講師の方と一緒に見本を見せる側だ。
もはや、研修に参加とは言えない。
そう、ただ研修がある、としか言えない。
私の説明に、今度は先生も納得したように頷いた。

だけど、先生の会話の本質はこれじゃない。
何だろう?
私個人に興味が?
そんなわけないか。
まっさきに否定できる私は、しっかり大人だ。

「先生、何か聞きたいことでも?」
私の問いに、先生ははっとした後『何でもないです』と小さく返した。
何だろう。
会社でもいるわ、話題に出したいのに切り出せない後輩のような。

「先生」
「…はい」
「聞きたいことは、ちゃんと言葉にしてください」
「…そうですね」

「私に関することですか?」
「…そのような、そうじゃないような」
煮え切らない。
会社だったら、ブチ切れ…。
いや、そこまでじゃないか。

「私のこと、迷惑ですか?」
ようやく認識してもらえたのに。
久しぶりの春かも、とか。

「違います」
先生の言葉は真面目だ。
「佐々木さんは、からかって私に声をかけているわけではないんですよね」
「勿論です」
即答だ。

この年で、そんなふざけたことするわけがない。
先生は、とても神妙な顔をしていた。
「他の方に、佐々木さんは本気で、その…、」
言い淀む先生、可愛すぎか。
「はい、先生のことを口説いてます」

「くど…」
途中で言葉を区切り、先生が言葉を詰まらせる。
赤くはならないけど、困ってる先生に少し嬉しくなる。
「あからさまでしたか?じゃあ、アプローチ?アピール?何にせよ、好きですよ」
まぁ、迫ってるという意味ではどれでも一緒だけどね。

「それは、すみませんでした」
謝る必要ある?
「いいえ。何も謝る必要なんか」
「長いこと、講師なんてしてると、どうしても時々こういうことがあって」
「えぇ、そうでしょうね」

「どの方も、悪気はないようですが、その…本気で、というわけではなくて…」
あわよくば、的なことだったの?
勿体ない。
先生の言い方では、今まで先生に粉かけた人はみんな本気じゃなかったってことになる。

十人十色とはよくいったもので、人の好みなんてそれぞれだ。
先生を好きになる人も、中にはいたでしょう。
だけど、先生にとっては本気と思える何かがなかった。
「私はいつでも全力で本気です」
「はい、そうみたいですね」

え?他人事?
先生のことなのに。
だけど、そんな先生が私は好き。
無頓着なのも好ましい。
ほら、もう私のツボ。

「佐々木さんが、本当に私のことを知りたいと思っていて…」
「はい」
「その、こうやって話に来てくれるのであれば…」
「えぇ」
前向きな言葉に、少しずつドキドキが大きくなる。

「知り合ったばかりで、色々と失礼なことをしていたのかな、と…」
「いいえ」
それは、先生の防衛本能でしょう。
仕方がない。

「佐々木さんの気持ちを疑ったりして、すみません…」
「いいえ、確かに出会ってすぐでしたもんね」
私がアプローチを始めたのって。
それは、疑いたくもなるか。

確かに。
まだ5ヶ月はゆうにある。
それでも、先生には本気と思える何かがなかったということ。
私のアピール力の低さがいけなかったのか。
だけど、先生は気付いてくれた。

「佐々木さんの行動力を見誤っていました」
「それはそれです。見込みもないのに、縋りつくのはみっともないので。その気がないなら、次に切り替えるしかないですから」
私の言葉に、先生は少し見慣れたあの渋い顔で笑ってくれた。
「潔いですね」

「だてに、この年まで1人でいませんよ」
胸を張って言える言葉ではない。
だけど、自身を持ってこの気持ちは偽りではないと言える。

「はい、なので私もしっかりと考えたいと思います」
先生の言葉は、きちんと私に届いている。
小さなドキドキが、もう少し大きくなる。
考えるって何を?
しっかりって、どこを?

「私も、佐々木さんに向き合おうかと…」
「本当ですか?」
晴天の霹靂。

「本当に?先生こそ、正気ですか?」
急なシフトチェンジ。
「私、今まで以上に絡みに行きますよ?」
うざいくらいに。

「えぇ、といっても講義中とかは…」
「それは、わきまえていますけど…」
大人ですから。
「今迄みたいに、放課後とかは遠慮しませんよ?」
勢いで言っちゃえ。

「…えぇ」
はにかむ先生。
「はい、お試しで…、なんて古いですかね?」
「いいえ。お試し最高です」

即答です。
嬉しい。
本当に。
私には嬉しいチャンス。

「『まずは、お友達から』なんてベタなんですか?」
私の言葉に、先生は今度は苦笑した。
「それこそ、一昔前の文化では?」
「え?そうなんですか?」

やばい。
会話で年寄とか思われるのは辛いかも。
しかも付き合いたいとか思っているのに。
これは、幸先が良いのか悪いのか。
それでもお試しなんだから勢いに任せてしまえ。

新しい生活に、新たな試みを。
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