鷹村商事の恋模様

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それなら

~おまけ~

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徹と決めた前向きな生活に切り替えてから、今日も保育園のお迎えに小走りで向かう。
あの時は、お世話になった先生に、しばらく気まずい思いをしていたけれど…。
こちとらまだお世話になるつもりなんだから、極力問題ごとは避けたい。

だけど意外なことに、先生はあの出来事を好意的に思ってくれていた。
何でだ?
まぁ、美優は、一言で言えば手のかからない子だ。
先生を困らせることも、我儘を言うこともほとんどない。
それは1歳から見てくれている、歴代の先生のお言葉だ。

だから、私もそう思っていた。
でも、子どもなので時々注意を受けることもある。
先生はそれを私に伝える時、いつも申し訳なさそうにしてくれる。
別に良いのに。

子どもなんて怒られてなんぼだ。
自分の子ども時代を思い出しても、それは溢れてとめどないほどに出て来る。
美優は良い子過ぎる時があるので、やんちゃをしてくれると徹と安心できるから。
それでも先生は、美優が私に話したことに驚いていた。
何せ、『ママに内緒で』と言ったのは、当の本人なのだから。

だから翌日、先生に謝罪とお礼を伝えた時、先生は『それなら』とばりに口が軽くなった。
迎えに行った時は、全く情報をくれなかったくせに…。
あんなに元気のない美優の姿に、私だってとても驚いていたのに。
ていうか、先生本当は言いたかったんでしょ?と思ったもの。

「美優ちゃん、本当に落ち込んでしまって。何を言っても何も聞いても、全然動いてくれなくて…本当に心配したんです。だけど、ようやくお話してくれたと思ったら、『お父さんに、2分で良いから電話したい』って。泣きながら言われてしまったら…」

先生の顔は、本気も本気だ。
なのに、どこか嬉しそう。
頼られたことが嬉しかったのだろうか。
不思議。

演技&泣き落とし。
…我ながら怖い娘だ。
2分とか、微妙にリアルな時間配分。

先生も『それなら』となってしまったのだろう。
本当に、徹に似て用意周到。
…私に似ないで。
これだから、おませな娘は…。

今では、先生は美優が少しでも元気ないと『パパにお電話しようか?』と聞いてくれるらしい。
そこは『ママに』じゃないのかい、先生?
絶対に、『ママに内緒で』とか笑って言ってるんだろうな。

あとは、たっくんママに会わないように気を付けている。
こそこそと。
美優が元気をなくした、元凶だから。
美優から、その後の話は聞いていない。

だけど会いたくないな、と思ってしまったらもうそうなっていた。
あの時の出来事は、家とは別の話だ。
考えない。
思い込みの可能性も大きいけれど、会ったら不適切な言葉を言ってしまいそうだから。

と言っても、普段ならすれ違わない。
微妙に時間がすれているから。
向こうは、いつも17:30頃に来る。
私はなるべくその前に美優を回収できるように頑張っている。

そのおかげで、私の平穏は保たれている。
…はずだった。

「美優ちゃんママ!」
たっくんママがいた。
気まずい。
何で?

こっそり、自分の腕時計を確認する。
今日も割とすぐに上がれたので17:18だった。
…17:30にはなっていない。
当たり前の確認。

たっくんの家は、パパさんが少し気の弱そうな感じで、ママさんがはっきり意見を言う感じのご夫婦だ。
どこの家も、似たようなものだ。
ちなみに徹は、気が弱そうではない。
明るく社交的なイメージ。
保育園に迎えに来ると、他の子も寄って来る。
私と違って、子どもに好かれるタイプだ。

私は腰が低いくせに、意見はきちんと言う。
子どもでも、あまり赤ちゃん対応をしない。
美優が入園した時、回りは全て年上だった。
『これだから若い母親は』と言われたくなくて、背伸びした結果だ。

たっくんママは、早めにお迎えに来たのだろう。
たっくんは、少し離れた所で本を読んでいた。
先生が何も言わないということは、先生にも手回しをされている?
「会いたかったの」

笑顔でそう言うたっくんママに、少しだけ逃げたい気持ちになる。
「…そうなんですか?」
敵前逃亡も考えたが、ここはゲームじゃない。
現実世界だ。

私に、ママ友と言える人はいない。
お喋りする人なら、そこそこいる。
休みの日に、遊びに行くことも遊びに来られることもない。
一軒家なのに。

楽しく話せる人も、中にはいる。
価値観が近い人も…。
でも、それはママ友ではない。
美優の友達のママとも、特に仲が良いというわけでもない。

適度な距離感と、適度な態度。
それが私だろう。
保育園に残ってお喋りもしない、先生とも必要な時にしか話はしない。

美優も、それで良いと言ってくれるのでそれに甘えている私。
本当は、残って遊んでいる子や、固まっている子を見て『良いなぁ』と思っているかもしれない。
でも、それを要求することはない。
不思議な子。

何を言われるのか、内心ドギマギしている私。
「この間、美優ちゃんとお話していて…」
げ、余計なこと言ったな。
「何か、ご不快にさせてしまいましたか?すみません、とてもおませな子で…」
なので、とりあえず謝る。

おませな子、良いじゃん。
私も徹も美優が大事だ。
たっくんママは、とても良い顔だった。
怖い。
何を言われるのだろうか?

「この間、楓ちゃんの赤ちゃんの話で、タツもすごく下の子を希望して…」
そうですよね?
それで、あなたが息子さんに『産まない』って言ったと。
私も、美優からの話のみだから、全部が本当ではないと思っている。
でも、言っても良いことと、悪いことはあるでしょう?

「でも、話をしている内に、タツを産んだ時の話になって…」
たっくんママは、少しだけ頬を染めた。
「恥ずかしい…。痛いから、もう産まないなんて、かわいそうなこと…」
「あぁ…」
私も言葉がない。

「美優ちゃんから『ママの子で良かったって思われたいって、ママが言ってた』って聞いた時、私はどうなんだろう…と。タツにひどいことを言ってしまったって気付いて…」
気付いてくれたなら、良かった。
美優の口ぶりでは、他の子も多分聞いていたはずだ。

「でも、1つだけ言い訳をするのなら、その時もタツに『これだけ痛くて辛い思いをしたんだから、大事にしないわけにいかない。もう2度と産めそうにないんだから』って言ったはずなんです。言い回しが多くて、タツには理解されなかったんだ、と…美優ちゃんから『たっくんも、産みたくなかったの?』と、聞かれてハッとして」

たっくんママの言葉に、「ですよね」と思った自分がいた。
そうだ。
みんな、それなりに痛い思いをして子供を産んでいる。
痛くない人なんて、ほとんどいないだろう。

自分の体に、10ヶ月も宿して。
すくすくと大きくなる鼓動に、何も感じない母親はいないだろう。
そうだ。
私も美優の言葉を鵜呑みにし過ぎた。

「たっくんママ、私こそ。美優からの言葉のみで、たっくんママのことを少し誤解していたみたいです。すみません」
私の謝罪に、たっくんママはきょとんとする。
「美優の言葉を聞いて、そんな酷いことを、と言ってしまいました。ごめんなさい」
私の言葉に、たっくんママは綻んだ顔をした。

「いいえ。それで、思ったんです。美優ちゃんが、こんなに素直で、素敵な女の子になるのは、きっと美優ちゃんママと美優ちゃんパパが、とても素敵なんだろうって」
美優が褒められて、嬉しい。
こういう時、美優の母親で良かったと思える。

「美優ちゃん、タツのことも気にしてくれて…。ママ友仲間から、たっくんかわいそうって言われていたらしいけれど、美優ちゃんがタツはママのことを好きだって思ってるって、私の子に産まれて良かったって、言ってたって…」

たっくんママは言いながら、目が少し潤んでいる。
「私も、タツに私の子で良かったって言いたくなって。勿論タツにも、母親が私で良かったって、これからも言って欲しくて、だから美優ちゃんママにお礼を言いたくて…。ありがとうございます」
「…いいえ。気付けたのは、たっくんママも素敵だからですよ?」

こういえば、大人のマナー的には大丈夫かな?
良かった。
文句じゃなくて。
てか、良かった。

たっくんママが怖い人じゃなくて。
面と向かって、『産まなきゃ良かった』なんて聞かなくて。
まだ卒業まで期間はあるのに、思わず胸倉掴んじゃう所だった。

危ない危ない。
どこのグラセフよ?
ゲームのし過ぎですな。
そんなに野蛮じゃないわよ。
現実世界では…。

「美優ちゃんママ、いつも忙しそうだから。先生にもお迎えの時間を聞いてたんだけど…何か会わなかったから」
それはごめんなさい。
意図的に避けてました。
でも、そんなこと言わない。

角が立つから。
大人ですから。
「美優ちゃんママ、若いのにすごくしっかりしてるって、先生も言ってたし」
えー、先生?
よいしょが上手なんだから。

思いながら、しっかりと照れる。
「ねーママ?」
手を繋いで待っていた美優も、流石に痺れを切らしたか?
「ごめんごめん」

「お話、もう終わるから。あ、じゃあたっくんママ、わざわざお時間いただいてありがとうございます」
美優をダシに、切り上げる。
「えぇ、今度ゆっくりとお話したいわ」
たっくんママから、好意的なイメージがつくなら結果オーライでしょ。

今度が存在するかは別として…。
「お疲れ様です。美優、待っててくれてありがとう」
たっくんママに挨拶し、足早に車に行く。
先生にも、『お世話になりましたー』と頭を下げてそそくさと。

「ごめんね?退屈だったでしょ?」
車に乗り、美優に尋ねる。
運転席からミラーで確認する。
「ううん。だってママが褒められるの、聞いていて嬉しいもん」
おませな子め。

「ありがとう。ママも美優が褒められるの聞くの、嬉しかった。美優はすごいね、たっくんにも優しくできたんだね。偉いなー」
「まあね、お姉ちゃんになるんだし」

美優のドヤ顔に、少し苦笑する。
まぁ、まだ現実的じゃないんだけど…。
でも、有耶無耶にしとく。

「大丈夫?そんなに早く、お姉ちゃんにならなくても良いんだよ?」
私の心配していた赤ちゃん帰りは、美優が断固拒否した。
拒否ってなんだし。
もう、笑ってしまうな。
でも予定は未定だ。

実際に、赤ちゃん返りしても、徹が何とかサポートしてくれるでしょう?
そのくらい、気軽に考えられるようになった。
そのために徹は美優と仲が良いんだから、って。

私も、今では赤ちゃんが待ち遠しい。
授かるのなら、いつでも来いだ。
そのくらい、自信がついた。
ゆうて、経産婦だし。
もう、初産じゃないし。

また、産休ギリギリまで働こうっと。
そして、育休も早く切り上げようっと。
もう、若手でもないくせに、そんなことを思ってしまう。
でも、その時の私は全く想像していなかった。

2人目なのに、悪阻が重くなることがあることを。
あんなに、待ち望んでいたはずの妊娠が、どれだけ大変な日々だったかを忘れていたことを。
産休までなんて言わずに、徹が早めに産休申請するようなことを。
あれだけ頼りがいのある義母が、今度は義母側から万全の体制家に泊まりでサポートしてくれると徹に言っていたことを。

人生、何があるか分からない。
徹に言わせれば、『それも込みで、賛同したんでしょ?』って言われるやつ。
これだから、用意周到な人は…。
でも、これも幸せの出会いのためと思えば耐えられますよ…。
痛くて、辛くてもね?

まぁ、徹が頼りがいのある旦那様なのは、今後も絶対に変わらないことなんですけど。
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