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第1章/

第3話:演劇部部長、中村初江

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「ふーん、そうだったのか?」
 部室で開始前の柔軟の開脚ストレッチをしながら先程の違和感を知らせた僕に、上体を床にペターッと付けたままで顔を上げた信行が言った。
「相変わらず、俺には分からんかったけどな」
 面白くは無さそうに、口を尖らせながら。
 ……どうでも良いけどこいつ、柔らか過ぎない?
 今度は立ち上がって足を肩幅に開き、手を腰に当てて上半身を後ろに逸らす。
「まあ、怒気みたいなものは、向けられている本人には却って伝わりにくいって云うのも有るんだろうけど」
「……かも知れないけどな。でも、……よっと」
 信行はそのまま手を伸ばし、床に手の平を付けた。
「でも?」
「普通に考えたら、幼馴染のお前の事を悪く言われて、面白くなかったんじゃねえの?」
 やっぱりそう思うか。
 ……「でも」と、上半身を起こして体勢を戻す。
「今はあいつと、こんな状態だけど……」
「ああ、まあそれがどんな感情に依る物かは分かんねえけどな。……少なくとも犬山は小5迄のお前は良く知っているし、あの宣言もした訳だしな。『守の事を何も知らない癖に』とか思ってムッとしたとしても、何もおかしくは無いと思うぞ?」
 信行も起き上がって、僕の目を見ながら言ってくれた。
 ……そんな物かな。
「自分で悪く言うのは良いけど、他人に言われると何だか面白くないってやつだな。お前の事を悪くは思ってないって事だけど、こんな事位で気を抜くんじゃないぞ」
 昨日もそうだったけど、こいつに言われると、『やっぱり何かそんな物か』と思って、落ち着く事が出来る。
 口調は少しぶっきらぼうではあるけど、あくまで落ち着いたトーンで、真剣に考えてくれているからかな。
 ――だから、こう返す。
「ああ、分かってるよ」
 ……尤も、宣言前の昨日とかだったら、ことりも一緒になって言っていた可能性も否めないけど。

「全員集合!」

 部長が部室の角に置かれたホワイトボードの前で手を叩きながら声を上げたので、そこで話をめ、皆と一緒にそちらに移動した。

 全員が集まったのを確認し、部長の中村初江なかむらはつえ先輩は、再び口を開いた。
「さて、コンクールの地区大会が7月下旬に有ります。それまで約2カ月となったので、そろそろ、それに向けての稽古に入ろうと思います。脚本は今月中には用意する心算ですが、それ迄は有り物の台本のシーン稽古を通して、1年生は”台本上の役を演じる”と云う事を、2・3年生はより密な感情表現を学んで行きましょう」
 言い終えた部長はそのまま、声を揃えて「はい!」と返事をした部員一人一人の顔を確認して行く。
 ……と、不意にその視線が僕で止まった。
 小首を傾げて、口許に手を当てたまま涼しい顔で何事か考えている。
 ……え、何?
「あの、部長……?」
 中村先輩は僕の声が聞こえなかったかの様にそれには何も応えず、不思議な物を見る様な目で僕をロックオンしたまま、顔をズズイと寄せて来た。
 何これ、急に近い。
「美浜守君……。君、……何か変わった?」
「ぅえっ?」
 不意を突かれ、思わず変な声が漏れた。
「いや、外見的な事じゃ無くてね。……何て言うか、気持ち的な部分で」
「ああ。こいつ、昨日から気持ちを置き換えたんですよ。前を向く様に」
 人の背中をバシバシ叩きながら、信行が先輩の問いに答えた。
「ああ、それでなのかな。理由が分かってスッキリしたよ、ありがとう」
 ……こっちは寧ろ、モヤッとしているんですけど。
 何で、先輩まで簡単に見抜くんですか。
 憮然としている僕の横で、信行がそんな先輩に話し掛けた。
「でも先輩、良く見抜きましたね。俺も言われた上でも違いとか分かんなくて……。一目で見抜いたの、こいつの幼馴染くらいですよ」
 ……全部員が見ている前でことりの話をされるのは、少し、恥ずかしいんだけど……。
「へえ、犬山さんがねえ。……そうか、そうか。……へえ」
 先輩は先輩で、信行の言葉を聞いて薄笑いを浮かべながら、コクコクと小刻みに頷いている。
 ……ん?
「ああ、皆ごめん、話が逸れてしまったね。それでは、シーン台本を用意してあるから、三人で組を作って、先ずは色々考えながらやってみて欲しい」
 一頻り噛み締めた先輩は部長の顔に戻り、再び部員の顔を見渡しながら告げた。

   〇〇〇


「部長、さっきは吃驚しましたよ。何で僕の気持ちの変化に気付いたんですか」
 部活が終わり、中村先輩に声を掛けて信行と3人で昇降口が有る本校舎に向かって、文化部棟の廊下を話をしながら歩く。
 普段は先輩は一緒じゃないけど、今日はさっきの事が気になったから。
「まあ、役者が出すものを感じ取って、それを生かすのが演出だからね」
 思っていた事を訊いてみると、前を歩いている先輩はそう言ってカラカラと笑った。
 ……ん? でも、それだと……。
「入部してからまだ舞台に立った事は有りませんけど、それでも僕は役者で良いんですか?」
「勿論! 演劇部の門を叩いてくれた時点で、君達はもう立派な役者だよ!」
 くるりと軽やかに振り向いて僕の手を握って答えた先輩は、「それにね」と続けた。
「私の個人的な考えなんだけど……、人生はロールプレイだと思っているんだ」
「ロールプレイ?」
 信行はその言葉を繰り返して、質問にした。
「うん、ロールプレイ。直訳すると、”役割を演じる”って言うのかな。……んん、そう言っちゃうと自由度が無い様なイメージが出るから、”終わりの無いエチュード”って言った方が分かり易いかな」
 ”エチュード”とは、役の設定や舞台だけを決めた、筋書きの無い自由演技の事。
 エチュードは部活動の中で何回かやった事が有るけれど、そう言われると、確かに分かり易い。
 ”生まれ”が最初の設定の事で、芝居を積み上げて、成りたいモノに成って行く。
 着地点は、その時々の気持ちや目標によって随時修正しながら。
 ――そして、途中で拙い芝居をしたり、そこまでの道を見失ったりしてしまうと、評価が下がって目指していた所よりも着地点が低くなる事が有る。
「……って、ただの持論だから、人に押し付けたりする気は無いんだけどね。共感してくれた人と、共有出来れば良いかなって」
 そう言って涼やかに笑った先輩は、不意に手の指をワキワキさせて目の奥を濁らせて行った。
「それを映像研究部の連中は『人生は神ゲーとクソゲーのどっちだと思う?』とか何処かで訊いて来た様な事をしたり顔で何度も訊いて来て抑々何でゲーム前提なのこっちは人生をゲームだとか思ってないっての大体あの人達はいつも………………」
 ……何か分からないけど、その肺活量を生かして息継ぎもせずにしゃべり続けられると、只々怖い。
 先輩の前では、映像研究部の話はしない様にしよう……。
「……部長? 部長!」
「――っと、……あっ、……ご、ごめん!」
 呼び掛けながら肩を揺さ振ると先輩の瞳は光を取り戻し、頭を軽く振って、素直に謝ってくれた。
 ……こんな中村初江先輩の姿は初めて見たけど……、年上の人に失礼かも知れないけど、中々可愛い。
「べ、別に、人生をゲームに例える事を否定する訳じゃ無いよ! それで素晴らしい作品とか、沢山有るし!」
 ……先輩、誰に言い訳をしているんですか?
「大丈夫、分かってますよ、部長。自分の考えを普遍的な物と思って押し付けないで欲しいって事ですよね」
「……う、うん、そうなの。……それで、何の話だったっけ……」
 先輩は頬を真っ赤にしながらコホンと咳払いをして、ゴニョゴニョと言った。
「……終わりの無いエチュード?」
「ああ、そうだったね、清須君。……だから、……何なら、生きている人は皆、役者だと思っているんだよ」
 呆れた様に信行が促すと、落ち着きを取り戻した先輩はそう言って口角を人差し指で押し上げた。
「役作りや台本作りのために人を観察するのも、習慣になってしまっているしね」
「観察ですか?」
「そう、観察。特に君は、入部当初からずっとアンニュイな空気を醸し出していたし、気になっていたんだよ、美浜守君?」
 ……そう云う意味では無いって分かっていても、ドキっとして頬が熱を帯びてしまう。
「……と、アレは……」
 何かに気付いた先輩は、僕の後ろに向かって大きく手を振った。
「おおい、犬山さん!」
 ……このタイミングで?
 背後でパタパタと聞こえる足音が、早くなって近付いて来る。
 自分を落ち着かせようと頬をペチペチと叩いて落ち着かせている内に、足音が止まった。
「中村先輩! 清須君も。……と、守。……何やっているの?」
 背中越しに聞こえる、呆れた声。
 ……本当、何やっているんだろう。ペチペチ。
「そう言えばさっきも思ったんですけど、先輩と犬山って知り合いなんすか?」
「……うん。犬山さんは、三年生の間でも評判でね」
 信行に訊かれた先輩は、ことりの顔を見ながらそう答えた。
 ……流石ことり。
「私個人的には、美術部に用事があって行った時に話した事が有るんだよ。……ああ、そう言えばその時に犬山さんはね……」
「ちょ、ちょっと先輩! それは内緒って!」
 話を続けようとした先輩の口を、ことりは慌てて塞いだ。
 こんなことりを見るのも、何だか久し振りの様な気がする。
 ……さっきの話じゃないけど、ことりも今では多少なりとも演じているのかな。
 昔は、そんな感じは全く無かったけど。
「え、何々? 内緒って?」
 信行はその二人の中に、愉快そうな顔で加わって行く。

「内緒は内緒なの!!!」 なの!! なの! なの……――。

 顔を真っ赤にしたことりの悲痛な叫びが、文化部棟の廊下に木霊した。
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