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第1章/

第4話:妹、美浜麻実

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「それじゃあ私は駅から地下鉄だから。……あ、まだ先だけど、清須君も美浜君も、期末テストでは赤点を取らない様にね。暫く部活動禁止になって、地区大に出れなくなっちゃうから」
 そう言って手を振りながら駅の方に向かう、中村先輩と別れた。

「じゃあ、俺もこっちだから。2人共、また明日な!」
 そう言って道を曲がって行った、信行とも別れた。

 ……そんな訳で、必然的にことりと2人きりになった、夕暮れの帰り道。
 先輩や信行が居る時は楽しそうに話していたのに、一転して粛々と僕の少し前を歩く、ことり。
 沈黙が耳に痛い。
 ……折角だし、少しでも話がしたいな……。
「そう言えばさ。ことりって、中村先輩と知り合いだったんだね。吃驚したよ」
「…………うん」
 意を決して話し掛けた僕に、ことりの背中はそれだけを返して来た。
 ……負けてたまるか。
「えっと、それで、さっき内緒って言っていた話は」
「内緒」
 さっきのとは裏腹に、今度は食い気味にピシャリと言い切る背中。
「……」
「……」
 流石にそうされてしまうと食い下がるのは良ろしくない様な――逆効果な気がして、口を噤む。
 ことりも矢張り口を開く事も無く、2人の間に再び、沈黙が戻った。
 ――今、ことりはどんな表情をしているんだろう。
 せめて、僕と一緒に歩いているこの時間を、忌々しく思ってはいないと良いな……。
「……」
「……」
 遠くの公園で遊ぶ子供の声や大通りを走る車の音、歩行者用信号の音や何処かで鳴く虫の声がハッキリと聞こえて来る。
 僕とことりの2人が発するのは、ただ、一定のリズムの足音だけ。
 ザッザッザッザッ……。
 ザッザッザッザッ……。

「……守も、中村先輩と……、……あ、部活か……。……じゃ、また学校で」
 結局お互いに無言のまま着いた家の前で、ことりはチラリとこちらを振り返り、それだけを言って扉の向こうに消えて行った。
「うん、また学校で」
 聞こえないかなとは思いながらも、閉まった扉に、声を掛ける。
 ……ふう。
 それでも変な緊張感からは解放され、不必要に全身に籠っていた力が一気に抜けた。


「お兄ちゃん、お帰り!」
 玄関の扉を開けた途端、元気な声を上げた麻実が飛びついて来た。
 ……ん?
「……お前、まさか、今のを見て……」
「えへへへへ、たまたまだよ。お兄ちゃんまだかなーって思って玄関開けたら、何かお話をしていたから」
 若干ドモりながら訊くと、麻実はそう言って無垢な笑顔を浮かべた。
 ……ううん、怒れない。
「お兄ちゃん、ことりちゃんとまた前みたいに仲良くなれたの?」
 嬉しそうな笑顔が、胸に刺さる。
 さっきだって正確に言えば、話をしていた訳でも無い。
「……いや、まだ……」
「そっかぁ。……また皆で遊びたいな……」
 僕の返事に、麻実は悲しそうに呟いた。
 ……お兄ちゃんも、同じ気持ちだよ。
 申し訳無さに、俯いている妹の頭を撫でる。

「ね! 晩御飯まだだから、一緒にゲームしよ!」
 暫く撫でていたら麻実はコロッと表情を変えて、僕の腕を引っ張った。
 正直な話としては、ご飯までの間に今日の授業の復習くらいはしたかったけど、お兄ちゃんだから仕方が無いか。
 ……子供の頃は『お兄ちゃんだから我慢しなさい』とか『お兄ちゃんでしょ!』とか言われると悲しい気持ちになって憤りや反発しか生まれなかったけど、今は『お兄ちゃんだから』は自分の中では積極的な言葉になっている。
 こんなに素直に懐いてくれているのは嬉しいし、何より、……ずっと変わらないこの純粋な笑顔が、あの時も僕を支えてくれたから。
「どのゲームをやるんだ?」
「えっとね、モンスターを狩るやつ!」

   〇〇〇

 それから程無くして帰って来た母さんが夕飯を作っている間に、3個のクエストをクリアした。
 毎回2落ちしていたのは、ターゲットを見付けるなり『てりゃー!』と突っ込んで行く麻実を止めたり庇ったりしていたから。

『あら、一緒にゲームやってるなんて、最近では珍しいわね。いつ振り?』

 帰って来た時、リビングで一緒にゲームに興じる僕らの姿を認めた母さんは、そう言って優しく微笑んだ。
 親としては矢張り、子供達の仲は良い方が嬉しいのだろうか。
「……」
 でもそう言えば、麻実がゲームに誘って来るの自体が久し振りだったな。
「……なあ、麻実」
「んん? お兄ちゃん、なぁに?」
 コントローラーをテーブルに置いた麻実は、眠そうに目を擦りながら呼び掛けに反応した。
「今日は何年か振りにゲームに誘って来たけど、急にどうしたの?」
「んんん。……何かぁ、今のお兄ちゃんだったらぁ、やってくれると思ったからぁ……」
 麻実はそのままソファに寝転び、僕の太腿に頭を乗せて「おやすみぃ……」と目を閉じた。
 ……気を遣わせていたんだな。

 お兄ちゃんなのに、ごめん。
 これからはもっと、ちゃんとお兄ちゃんをするよ。

 頭をそっと撫でると、麻実は擽ったそうに「ふにゅうぅ」と笑った。

   〇〇〇

「ご馳走様でした!」
 夕飯を食べ終わった麻実は、満足の声を上げた。
 僕もご馳走様をして一緒にお皿を流しに置きに行くと、「ねえ、2人共」と、母さんが洗い物をしながら話し掛けて来た。
「何、母さん」
「明日は帰るのが遅くなりそうだから、2人で何か食べておいてくれる? ウーバーとかで頼んでも良いから」
 ……ふむ。
 イーツとかは魅力的だけど、ここは1つ……。
「じゃあ明日は、私が作るよ!」
 …………言おうとした事を、麻実に先に言われた。
 ……って、えっ?!
「お前、料理出来るのか?!」
 思わず、驚きの声が口から洩れた。
 麻実の手料理なんて物は、今まで一度たりとも食べた事は無い。
「あー、お兄ちゃん酷いんだぁ。検索すれば、レシピは直ぐに出て来るんだよ!」
 そう言ってエヘンと胸を張る、麻実。
 ……自慢気なところ悪いけど、『料理出来るのか』の答えにはなっていないぞ。
 この返事の時点でお察しってやつか。
「……まあ、そっちの方が安上がりだろうから、助かるのは助かるけど。……守は、それで良い?」
「うん」
 不安気な声で母さんが訊いて来たので、頷いておく。
 どんな料理が出て来たって、完食してみせるさ。
 だって、僕はお兄ちゃんだから。
 家では料理をした事が無い麻実だって家庭科の授業で調理実習はして来ている筈だし、レシピをちゃんと見てやれば、独りでも最初から上手く出来る事も有る。
 …………多分。

「ねえお兄ちゃん、もう一回ゲームしよ!」
 そう言って麻実は、僕をリビングのソファに座らせようとした。
「さっきもやっただろ。ちょっとやり過ぎじゃないか?」
 『ゲームは1日1時間』
 母さんはその辺は好きにやらせてくれているけど、連射が得意だとか言うスキンヘッドのおじさんが、テレビでそう言っているのを最近見た。
「……でも、お兄ちゃんと久し振りのゲーム、楽しかったんだもん……」
 麻実はしゅんとして、口を尖らせながらモゾモゾと言った。
 ……ここでそんなしおらしく言うのはズルい。
 そうかと言って、やる気になり始めたばかりのところ――出鼻を挫かれるのは拙い。
 ここはどうにか、きちんと勉強をしておきたいところだ。
 ……となると……。
「お兄ちゃんは勉強したいからゲームは出来ないけど、ここで一緒に勉強するか?」
「うん! それでも良いよ!」
 提案してみると、麻実は間髪入れる事無く元気に言った。
 ……ただ、一緒に居たかっただけって事か?

「えーっと、田原先生がこう言っていたから……」
 リビングに勉強道具を持って来て、僕は世界史の復習から始めた。
 麻実は、英語の教科書を覗き込んでいる。
 今日のノートには、板書を簡単に纏めて写した物と、先生が話の中で言った『因みに』の予備知識をメモしてある。
 黒板に書かれる様な事は教科書や資料集に書いてあるのと同じだしと思い付きで試しにやってみた事だけど、意外にこれは良さそうな気がする。
 板書を事務的に写す作業が無くなった事で授業中に眠くなる事が無くなり、……そうすれば、ことりにあの表情を向けられて死にたくなる様な事も無くなる。
「ねえお兄ちゃん、どうしても分かんない所が有って教えて欲しいんだけど、……分かる?」
 麻実はそう言って、持っていた教科書をテーブルに置いた。
「分かると思うよ。……どこ?」
 その教科書を、身を乗り出して覗き込んだ。
 流石に、中1の英語を分からない高校1年生はヤバいと思う。
 ……居たらごめん、頑張って。
「うん! ここなんだけどさ、ほら、この人達。『これはペンですか?』『いいえ、これはノートブックです』って会話してるの。何で見て分かんないの?」
 麻実は嬉しそうな笑顔で訊いて来る。
 うん……。
「……ごめん、それはお兄ちゃんにも分かんない……」
 …………というか、この世の誰にも分からないと思う。
「そっかぁ……」
 残念そうにボソッと言う麻実。
「友達に訊いても、誰も分かんなかったんだよね……」
「まあそれは、文法とかの使用例として便宜上載せているだけだと思うから、そんなに気にしない方が良いと思うぞ?」
「うん、そうなんだけどぉ……」

 ……誰か、こんな時の模範的な解答例を教えて下さい……。
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