くまさんといっしょ

水戸けい

文字の大きさ
上 下
3 / 7

第3話

しおりを挟む
 ゲームセンターにやってきた薫は、キョロキョロと鷹也を探した。

(いないな)

「あの、すみません」

 カウンターにいた店員に声をかけると、あれっと首をかしげられた。

「この間の、久間さんを助けた人ですよね。ちょっと待っててください」

「あ、はい」

 自分の作品を好きだと言ってくれた人だと、従業員室に声をかける彼女の背中を見ながら思い出す。

「久間さん。恩人さんが来てますよ」

「恩人さん? 誰だそりゃ」

「あの、おっきい人ですよ。くまさんみたいな」

「俺みたいな?」

「そうじゃなくって、動物のくまさんみたいな!」

 やりとりに吹き出した薫は、口元をこぶしで押さえてクックと肩を震わせた。

「なんだよ、動物のくま……ああ」

 出てきた鷹也は薫を見て、なるほどという顔になった。

「くまねぇ」

 ニヤニヤしながら私服で出てきた鷹也に、ざっと全身をながめられる。

「本物のくまじゃなく、童話とかなんかに出てくる、ぬぼっとした感じの間抜けな方か」

 カァアと満面を朱色に染めた薫を、鷹也を呼んだ店員が「ひどい」とかばう。

「助けてもらったのに、そういう言い方ひどいですよ」

「いいんだよ。コイツは怖くねぇどころか、ちょっとトロくて気の優しい、ほら、あの森のくまさんみたいなタイプだからよ」

 なあっと腕を叩かれて、薫はますます赤くなった。

(なんで俺、赤くなってんだろう)

「うーん、たしかに。物語の優しいくまさんって感じですよね。でも、それならもっと、いい表現があるじゃないですか。テディベアとか、そんな感じ?」

「いいんだよ、言葉はどうでも。そこに入ってる気持ちってのが伝われば。なあ? 薫」

(わ。呼び捨て)

 しかも言葉に入っている気持ちと聞いて、薫は満面から火を噴いた。

「やだ、かわいい」

「だろう? このくまは、動物のじゃなく童話のくまなんだよ」

(どんな気持ちで、そんなことを言ってくれているんだろう)

 嫌われていないどころか、親しみを感じてくれているとはわかる。けれど、鷹也の気持ちが明確にわかるわけじゃない。

(久間さんは、どう思ってくれているのかな)

 間抜けという音の中にあった親しみがうれしくて、赤くなってしまったのだと薫は気づいた。

(でも、なんで俺は……)

「俺ちょうど上がりだからさ、そこのフードコートで飯でも食おうぜ」

「あ、はい」

 先に立って歩く鷹也の背中は、現実的には自分よりもずっとちいさいのに、ものすごく広く大きく見える。

(きっと久間さんが、すごくかっこいいから)

 あこがれの気持ちがあるから、そう見えているのだ。

(俺もあんなふうになれたらいいのにな)

 外見に見合う内面になろうと、幾度思ったかしれない。そのたびに挫折を繰り返した。

 それならばと、自分は自分でいいと言い聞かせてみるも、やはりおなじ理由で悩んでしまう。

(久間さんはどうやって、自分を受け入れて納得したんだろう)

 それを聞けるいい機会だと、薫は背筋を伸ばした。

 ゲームセンターの向かいにあるフードコートは、ソファ席もある居心地のいい空間で、幼い子どもを連れた主婦の姿や学生の姿が多くみられる。鷹也はラーメン定食を、薫はオムライスを購入して席に着いた。

「久間さんって、けっこう食べるんですね」

「そうか? こんくらい普通だろ」

 そう言ってラーメンをすする鷹也の姿に、男らしいなと目を細める。

「あの、久間さん」

「うん?」

「久間さんって、どうやって……その、外見と中身のギャップを克服したんですか?」

 ずるっと音を立てて麺を口の中に引き入れた鷹也が、モグモグと口を動かすのをながめつつ返事を待つ。頬がパンパンにふくらんで、なんだかハムスターみたいだ。

「克服なんて、してねぇよ」

 咀嚼し終えた鷹也の言葉に、薫は目をまるくした。

「え」

「おまえと会ったときみてぇに、しょっちゅうナメられるし。居酒屋で酒を頼んだら、身分証明書を出せって言われたこともあるんだぜ」

 むくれた鷹也に、思わず軽く笑ってしまった薫は、笑うんじゃねぇよと肩を叩かれた。

「ちっせぇことから、迷惑なことまで、いろいろあるからな。いちいちムカついたりもすんぜ? 俺がもっと、誰かさんみてぇだったらって考えもするし」

 ニヤリとされて、誰かさんが自分を指すのだと気づいた薫は身を縮めた。

「俺も久間さんみたいだったらって、思います」

「だろう? でも、そりゃあ仕方ねぇことなんだよ。ないものねだりってのは、誰だってするもんだろ。芸能人を見て、あんな顔だったらなぁとかさ」

「でも、それとはちょっと違うっていうか」

「実害を被っていないだけで、似たようなもんなんだよ。まあ、その実害が問題なんだけどな」

 その通りだ。

 薫はじっと鷹也を見つめた。

「だから、その、克服というか、なんというか、受け入れ方? ですかね。教えてもらいたいんです」

「友達とか恋人とか、そういうのに教わったことはねぇのか」

「気にするなとか、そのままでいいとか、言われたりはするんですけど……。でも、納得しきれないっていうか、なんというか」

 そんな薫を見かねた姉が、ブログ開設を勧めてくれたのだ。周囲を気にせず、自分をそのまま表現できる場所として。

 けれどそれは一時的な気持ちの逃げ場になっているだけで、現実的な部分の解決にはなっていない。

「うーん。なんつうか、その、あれだ」

 餃子をつまみながら、空中に視線をさまよわせて言葉を探す鷹也に、薫は期待の目を向けた。

「おまえの話によく出てくる姉ちゃんな? あれは、そのままでいいとか言ってくれるだろ」

「はい」

「それはでも、身内びいきだからとか、そういうので納得できねぇんじゃねぇか」

 そのとおりなので、薫はうなずく。

「友達とかのも、気を使って言ってくれてんだとか、そんなふうに考えてんじゃね?」

「みんな、いい人だから」

「そこなんだよ」

 箸先を向けられても、なにが“そこ”なのか、薫にはさっぱりわからない。

「文句なく納得できる相手に、そういうおまえだから好きなんだって言われなきゃ、身に沁みねぇんだよな」

「あの、それは……久間さんは、そういう相手にそう言われたから、だから、その」

 ズキリと胸が痛んで、薫は不思議になった。

(どうして俺、おびえながら質問しているんだろう)

 そうだと言われたくない。けれど鷹也の言葉はそういう相手がいると示している。それなのに答えを求める自分の心理がわからなくて、薫は混乱した。

 ちょっと首をかしげた鷹也にデコピンされる。

「いたっ」

「どっちだろうなぁ?」

 ニヤニヤされて、薫は額をさすりながらムスッとした。答えられなかった安堵と、ごまかされた苛立ちが心の中でせめぎ合う。

「ほら。さっさと食わねぇと、さめちまうぞ」

「はい」

「そう、むくれるなって。ガキかよ……って、成人したてのガキだったな? 後でお兄さんがアイスおごってやっから」

 年より上に見られるばかりの薫にとって、こんなふうに年下として、あしらいつつ甘やかされるのははじめてで、みぞおちのあたりがくすぐったくなった。思わず唇をほころばせた薫に、鷹也の柔和な笑みが向けられる。庇護的なとろける笑みに、薫の心臓がドキリと跳ねた。

(わ……。なんだ、これ)

 ドキドキと激しく脈打つ鼓動にとまどい、そこから意識をそらそうと、薫はオムライスにがっついた。先に食べ終わっていた鷹也は、薫が食べ終わるのをながめながら待っている。

 視線に体中を包まれている気がして、薫はなんだか照れくさくなった。

(どうしたんだろう、俺)

 わけがわからないけれど、不快どころかうれしくて、もっと鷹也に見ていてもらいたいと思う。

(子どもが親に見てもらいたがっているみたいだ)

 きっと鷹也が頼りがいのある、しっかりとした大人だから。だからそんな感情になっているんだと薫は解釈した。

「よし。そんなら約束どおり、アイス買ってやる。クッキーとかついてるアレでもいいぞ。遠慮すんなよ」

 食器を片づけ、アイスクリームショップの前に立った鷹也が、腰に手を当てて言うのを店員がこっそりと、クスクス笑いながら見ているのに気がついた薫は、腹の底がモヤモヤした。

「どうした、薫」

「いえ、その」

「迷ってんのか? そんなら、ふたつでもいいぞ」

「いえ、そういうんじゃなくて」

 もしも鷹也が気づいていないなら、わざわざ知らせる必要もない。薫は気を取り直して、それじゃあとワッフルコーンサンデーのイチゴを選んだ。

「それでいいのか?」

「はい」

 ふうんとメニューに目を落とした鷹也が、それとコーヒーを注文する。砂糖とミルクを断った鷹也はコーヒーを手にすると、「先にテーブルに戻ってるから」と受け渡しカウンターを離れた。

「大変ですね」

「え?」

「こういうもの注文するの、気恥ずかしくなりますもんね」

 店員が目配せで鷹也を示す。

「彼は甘いものが苦手なんです。それに俺は、別に恥ずかしくありませんから」

 えっ、と驚く店員に仏頂面を向けて商品を受け取った薫は、鷹也のところへ戻った。

「おう。なんか、機嫌の悪い顔してんなぁ」

「別に、なんでもないです」

「似合わねぇとでも言われたか」

「ええ、まぁ」

「ふうん?」

 薫はなんだか申し訳なくなった。

「すみません」

「は?」

 鷹也の耳に入らないまでも、あんな印象を他人に持たせてしまったことに、薫はうなだれる。

「なんだよ。そんなシケた顔してっと、せっかくのアイスがマズくなんだろ? なにを言われた」

「いえ、別に……」

「別にって顔じゃねぇだろ」

「ほんとに、なんでもないんです。いつものことですから」

「いつもぉ? 毎回おまえは、そうやってバカ正直に落ち込んでんのか。ったく」

 あきれられたとヒヤリとすれば、鷹也があたたか味のある声音でもらした。

「かわいいなぁ、おまえは」

「は? ええ?!」

「ん?」

 妙なことでも言ったか? という顔をされ、薫は首を振ってアイスにスプーンを突き立てた。

「おいしいです」

「そりゃよかった。あ、タバコ吸っていいか?」」

 どうぞと言えば、サンキュと鷹也は灰皿を取りに行った。

(俺たちの外見が逆だったら、ピッタリの注文だと思われたんだろうな)

 そう思うと、甘いアイスが苦くなった。他人の目など気にせずに、堂々としている鷹也がうらやましく、ますますかっこよく感じられて、薫はさらに羨望と好意を深める。

「なんだ。機嫌、なおってんじゃねぇか」

「え?」

「いいこった」

 ドカリと腰を下ろした鷹也が、タバコに火を点ける。慣れた手つきをながめつつ、やっぱりかっこいいなと薫はアイスをたいらげた。

「ごちそうさまでした」

「おう」

 ニカッと歯を見せた鷹也が、灰皿にタバコを押しつける。

「そんじゃ、行くか」

「あ!」

「どうした」

 すっかり忘れていたと、薫は手作りの鷹のマスコットを取り出した。

「これ、その……だらりくまのお返しというか、お礼というか」

「ふん?」

 受け取った鷹也がジロジロとマスコットをながめるのを、薫はドキドキしながら見守った。

(どうか、いらないって返されませんように)

「これ、おまえから?」

「はい。いえ、あの……姉からです」

「ふうん」

 袋を開けた鷹也がスマホケースにつけるのを見て、薫はホッとした。

「あんま趣味じゃねぇけど、俺の名前とかけてるっぽいし、ありがたくもらっとく」

「よかった」

「なんだよ、その反応」

「受け取ってもらえなかったらどうしようって思ってたから。久間さんは、その、かわいいもの好きじゃないかもなって」

「なんだそれ。まるで、おまえが選んだみたいな言い方だな」

「あっ、それは、その……姉が作っているのを見ていたので」

「姉想いな弟だな。てことは、これは手作りか。ますます大事にしねぇとな」

 鷹也の笑顔に、薫の胸がよろこびと愁いに軋む。

(俺が作ったって言っても、久間さんはそんなふうに、笑って大事にするって言ってくれるのかな)

 自分がついたウソなのに、薫は姉に嫉妬した。

「それに、かわいいもんは嫌いじゃねぇぞ。どっちかっつうと好きかもな」

「え?」

「でなきゃ、おまえを誘ってねぇって」

(どういう意味だろう)

 からかわれているのかなと、ぼんやりしているとスマートフォンを見せられた。

「出したついでだ。連絡先、教えろ」

「あ、はい」

 慌ててスマートフォンを取り出して、鷹也の連絡先を登録し、薫の連絡先も伝える。

「うし。これで、なんかあったらお互い呼び出せるな」

(なにかあったらって、なにがあるんだろう)

 想像もつかないが、鷹也と連絡先を交換できたのは単純にうれしいので、うなずいておく。

「そんじゃ、帰るか」

 あっさりと立ち上がった鷹也と共に、ショッピングモールの入り口まで行くと、俺こっちと言われて駐車場に向かう彼と別れた。

 しばらく鷹也の背中をながめてから、手芸店を覗いて帰ろうと建物内に戻った薫は、スマートフォンを取り出した。

(お礼のメールとか、はやすぎるかな)

 家に帰ってからにするか、それともいますぐ打つべきか。

(うーん)

 悩みながら画面を操作し、薫はブログの管理画面を開いた。

【鷹のマスコット。よろこんでくれないかも、と心配をしていましたが、無事に受け取ってもらえました! しかも目の前でさっそくスマホにつけてくれて、手作りだったら大切にしないとな、とまで言ってもらえたんです!! めちゃくちゃうれしい! でもちょっと、マスコットに嫉妬です】

 本当は姉になのだが、ブログの読者はKAOが作り届けたと知っている。ここではウソをつく必要がない。

 読み直した薫は、ふと文面どおりマスコットに嫉妬している錯覚にとらわれた。

(あいつはずっと、久間さんと過ごせるんだもんな)

 理由がなくても傍にいられる。当たり前のように、鷹也の日常に入り込んでしまった。

 自分で作った、お守りになるよう気持ちをこめたものなのに、なんだかちょっと憎らしくなった。そんな自分に苦笑して、記事をアップする。

(もっともっと、久間さんのことが知りたいな)

 そして自分のことを知ってもらいたい。

 彼との時間を反芻しながら、薫は手芸店へと向かった。
しおりを挟む

処理中です...