暁光の王と漂着した私

水戸けい

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第2章 求めと疎み

1.

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 自覚しているよりもずっと、自分は神経が図太いのかもしれない。

 ぐっすり眠ったカナミは、すっきりとクリアな頭で自分にあきれた。背中に人の温もりがある。規則正しい寝息から、クラベスが眠っているとわかった。

(これってば、長すぎる夢……、なのかな)

 しかし夢の中で2度も眠りに落ちることなど、あるのだろうか。

(でも、現実にしてはちょっと信じられないよね)

 どう考えても外国な場所に行きついて、物の名前がわからないことは別として、言葉はきちんと通じているのだから。

(まさか、願いが叶っちゃったとか、そういう――?)

 カナミの脳裏に、いきなり盛り上がった波が浮かぶ。あれはまるで、大きな手だった。自分の願いがクラベスの願いと重なり、海の神がカナミをここへ連れてきたのだろうか。

(なんて――、ね)

 笑おうとして、カナミは失敗した。そのほかに納得のできそうな説明が浮かばない。

 そっと寝返りをうち、無防備に眠るクラベスを見る。ふわふわの髪を指先でつついて、寝顔をじっと見つめた。

(すごい美形)

 そんな人が、平凡どころか地味な自分を妻にだなんて、できすぎている。きっとどこかに落とし穴があるはずだ。浮かれてはいけないと自分をいましめるカナミの心は、クラベスの寝顔にほぐれてしまう。見ているだけで、しあわせな心地になれる無邪気な姿は、動物の寝姿をながめている感覚に似ている。それよりももっと、胸に差し迫るものがあった。

(どうしちゃったんだろう、私)

 これほど秀麗な相手なのだから、ときめいてしまうのは当然だとは思う。

(でも、それだけじゃないんだよね)

 芸能人などに対する、ミーハーなときめきではない、もっと身近な感情がカナミの内側に目覚めていた。

(ひとめぼれ、とはちょっと違うけど……。でも、そんな感じ?)

 それを素直に認められないのは、現実離れした異常な状況だからだ。

「妻、かぁ」

 漠然と、いつかは結婚をして子どもを産んだりするんだろうなぁ、とは考えていた。

(でも、いきなりこんな状況になっちゃって、そうなんですかって納得できるわけないよね)

 童話のお姫様とか、ほんとすごいなと妙な感心をしてしまう。

 つらつらと、そんなことを考えているカナミの耳に、ノックが聞こえた。

(カバサかな)

「はーい」

 身を起こして気楽に答えると、扉を開けて入ってきたのはラチェットだった。喉の奥でちいさな悲鳴を上げたカナミは、あわてて毛布を持ち上げて胸元を隠した。

 ずかずかと険しい顔で近づいてきたラチェットは、カナミを無視してクラベスに声をかける。

「お目覚めの時間です、クラベス様」

「ん、んぅ……」

「さあ、もう朝食の準備も整っておりますよ」

 眠気を含んだうなりを発して、クラベスが眠たげな顔を持ち上げる。

「……おはよう、ラチェット」

「おはようございます、クラベス様」

 ラチェットの礼を受けたクラベスは、ふわんとカナミに笑いかけた。真っ白い綿毛のようにまっさらでやわらかな笑みに、カナミは思わず赤くなる。

「おはよう、カナミ」

「お、おはよう」

 カナミの手を取ったクラベスがうやうやしく指先に唇を寄せると、見ていたラチェットが眉をひそめた。

「クラベス様。朝議に間に合わなくなります」

「そう急かすな、ラチェット。私はようやく望みのものを手に入れたんだ。それが夢ではなかったと、確認をするくらいかまわないだろう」

 笑いを含んでベッドから降りたクラベスの肩に、ラチェットが腕にかけていたガウンをかける。

「カナミ」

 手を差し伸べられ、カナミは迷った。いちおう服は着ているものの、シュミーズとドロワーズでは寝間着そのもの、というかドレスの下着として着ていたのだから、このまま毛布から出るのは恥ずかしい。それと気づいたクラベスがラチェットを見た。

「カナミのガウンは?」

「彼女の支度はカバサが行います。クラベス様は、どうぞお先に食卓へ」

 うん、とうなずいたクラベスが、にっこりと「では、また」とカナミの指にふたたび唇を寄せて名残惜しむ。ギロリとラチェットににらまれて、おびえながらも「またね」と返したカナミは、ふたりが出て行くと深々と息を吐いた。

「はぁ……、疲れる」

 起きたばかりなのに、ものすごく疲労している。それもこれもクラベスの親身な態度と、ラチェットの剣呑な気配のギャップが原因だ。

「あーあ」

 これからどうなってしまうのか。困惑しつつベッドでゴロゴロしていたら、カバサが水桶を持ってやってきた。

「おはよう、カナミ。よく眠れた?」

「ああ、カバサ」

 同年代の彼女の存在は、現状ではなによりも心強い。カバサのほかに気やすく話せる人はいないと、カナミは緊張を解いた。

「よく眠れはしたけど、すっごく疲れた」

「なあに、それ」

「いきなり妻だとか言われても、さっぱりわかんないし。それにラチェットさん、怖い顔でにらんでくるんだもん」

 ぷうっと頬をふくらませると、カバサが「ああ、ラチェット様ねぇ」と納得した。

「あの方はクラベス様の御身を守る使命があるから、カナミを警戒しているのね」

「それって、クラベスが誰かに狙われているってこと?」

 ごまかす笑みを浮かべたカバサに促され、顔を洗ったカナミはたっぷりとフリルのついた豪奢で軽い薄紫のドレスと、シルクのシュミーズとドロワーズを渡された。

「えっ……?」

「いま着ているのは、私たち召使い用の麻の下着だから、こっちに着替えて。ドレスは昨日、クラベス様がいそいで仕立てさせたのよ。黒髪に薄い紫は映えるだろうし、クラベス様の髪色に似ているからね」

「えっと、でも――」

「ラチェット様は難しい顔をなされていたけど、クラベス様はカナミを妻にするって決めちゃってるから。そんな人が私たちとおなじものを着ていたら、しめしがつかないでしょう? これは、ラチェット様も承知だから大丈夫よ」

「……、う、うん」

(でも、こんなにフリフリなの、ちょっと恥ずかしいな)

「着てみて、具合が悪かったら言ってね。すぐに直すから」

 言いながら裁縫道具を取り出すカバサに、カナミは驚いた。

「カバサ、裁縫ができるの?」

「よっぽど不器用じゃないかぎり、女なら自分のドレスぐらい自分で縫えるわ。王族や貴族たちでもね。――カナミは?」

「私は、既製品ばっかり」

「きせいひん?」

「ええっと、もうできあがっている服のことで、私のいたところでは、たいていみんな自分に合ったサイズのものを服屋で買うの」

「ふうん? それぞれの専門職がいる世界なのね」

「うん、まあ、そうとも言うかなぁ」

「カナミはどんな専門職だったの?」

「えっ……」

 専門職と言うほどのことでもない、ただの一般事務だと言っても通じないだろう。なんと言えばいいのか考え考え、やっと出てきたものは、

「注文の整理、かな」

 説明になっているのかいないのか、わからないものだった。

「注文の整理? ああ、御用聞きってことね」

「そうそう、そうなの」

(よくわかんないけど、そういうことにしておこう)

 そんな会話の間にも、カバサはてきぱきとカナミにドレスを着せて、あちこちをつまんでは確かめている。

「裾は、どんな感じ?」

「もっと短いほうがいいかも。これじゃあ、歩くときに踏んじゃいそう」

「じゃ、くるぶしくらいまで、裾上げするわね」

 いったん脱いでと言われて、ドレスをカバサの手に渡す。彼女は待ち針で留めた箇所を確認し、

「昼までには直しておくわ」

 と、昨日、カナミに着せたものとおなじドレスを出してきた。

「終わるまでは、これでガマンして」

「ガマンもなにも。こっちのほうがずっと居心地がいい気がする」

「こういうドレスは好きじゃない?」

「好きとか嫌いとかの前に、なんか、くすぐったいっていうか、慣れない? かな」

「御用聞きをしていたんなら、そうでしょうねぇ」

 どういう職業なのかは知らないが、きっと庶民の就く仕事なのだろうと予測して、カナミはうなずいた。

「それがいきなり王妃だなんて、すごい出世よね」

「王妃?」

「あれ。言ってなかった? クラベス様は、ここグリッサン国の王よ」

「えぇえええ?!」

 カナミは人生初と言っても過言ではないほど、大きな叫びを上げた。

「気がつかなかった?」

「だって、ええっ? 王様って、もっとこう年上で髭モジャで王冠をかぶってて、付き人を大勢つれて歩いているものなんじゃないの」

「お髭をたくわえていらっしゃった方もいらしたみたいだけど、クラベス様には似合わないわよね」

「確かに……、じゃなくって。えっと、本当に、王様? クラベスが……」

「そうよ。第7代目のグリッサンド国王、クラベス様よ」

 ほへぇ、と妙な声を出したカナミは、豪奢なベッドの天蓋を見上げた。

「お金持ちっていうか、なんか貴族みたいだなぁとは思っていたけど。……王様かぁ」

 そういえば連れてこられたここはお城だったなと、今更ながらに浜から見た建物の姿を思い浮かべる。

「だから、その方の妻になるカナミは、こういうドレスを着なきゃいけないってわけ」

「……せめて、フリルはすくなめにして」

「あら。かわいいのに」

「もっとシンプルなほうが好きなの」

「そう? じゃあ、そのようにクラベス様に伝えて、手直しするわ」

「ありがと」

 驚き疲れてぐったりしたカナミは、やれやれと息を吐いた。

(とんでもないところに、来ちゃったなぁ)

 もはや、あの願いが叶ったと思うほかないと、カナミは現状を受け入れることにした。

(夢か現実か、なんて考えるより、これからどうするかを考えないと。これ以上わけわかんないことになったら、困るもんね)

 納得というよりは開き直りの心境で、カナミはシルクの下着の上に、カバサとおなじドレスを身に着けた。

「それじゃあ、朝ごはんにしましょ。クラベス様は自室に戻られて召し上がっていらっしゃるから、朝はひとりご飯だけど、かまわないわよね」

「カバサも一緒に食べてくれると、ありがたいんだけど」

「そう言うかもしれないと思って、クラベス様からカナミの相伴にあずかってもいいって許可をいただいているわ。一緒に食べましょ」

「うん。ありがと、カバサ」

「こちらこそ。一度でいいから、背もたれに彫刻のあるイスに座ってみたかったのよ」

 はしゃぐカバサに連れられて、カナミは隣室の食卓へ着いて朝食を楽しんだ。
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