1 / 21
1
しおりを挟む
体を弛緩させようとしているとしか思えない、眠りに誘う、うららかな日中。あふ、と口元に笏を当てあくびをし、時の帝である旭は脇息に体重を預けた。――まったくもって、つまらぬことよ。
御簾越しに、ほほと笑いながら何やら話をしている公家たちの姿が見える。はたしてこの中で、自分が今退屈をしていると気付いている者がいるだろうかと目を向けてみるも、誰も旭のことを気に止めている様子はない。それぞれに好きなことを話し、腹を探りあい、つまらぬ見栄と体面の為に意識を使っているのだろう。
あふ、ともう一度、今度は口元を隠さずに退屈を示して瞼を下す。柔らかな光が、瞼の裏を赤く染めた。――この時間は、あとどれほどすれば終わるのだろうか。
終わったとしても、旭にとって退屈この上ない時間が続くことには変わりがない。が、これほどにぬるく柔らかい気温と程よい日差しのたゆたう日中であれば、御簾の裏でつまらぬ話に耳を探られるよりも、別の退屈を味わいたい。――父帝も、このように退屈な日々を過ごしたのだろうか。
隠居をし、表舞台から退いた父帝――斉彬上皇が旭に代わり政を行っている。権威は旭にあるが、実権は斉彬上皇が握っていると言える状態では、ここに居る者たちが今、旭のことを気に留める必要はないのだろう。
いつだったか、父帝が漏らしたことがあった。即位してから退位するまでは、我らは高貴な種馬よ、と。その意味が、今はわかる。目の前にいる者たちも、この場にいない者たちも娘を持つ公家は皆、旭の後宮へいかにして娘を入れるかを考えている。その娘が男児を産み、それが即位すれば自分は国の祖父となり、好きに振舞えるからだろう。旭の祖父、藤原博雅のように。
祖父は、政よりも自分がいかに居心地良く過ごせるかを大切にしている。それを、ほかの公家たちも理解しているらしく、旭を理由に博雅の機嫌取りをしているとしか思われない昼餉の後の政の場は、終始さまざまなうわさ話で満ちていた。――このように退屈なのであれば、早々に退位をし、好きにしたいものよ。
そうは思っても、位を譲ることの出来るものが居ない。旭にはまだ、子がなかった。
細く長く息を吐き、異母兄弟のことを思う。姫はすべからく降嫁した。男は権力争いに使われる前に、祖父が根回しをして追いやったらしい。
御簾向こうでの会話はまだ、続いている。無為に時を過ごすことに慣れている旭でも、今日は特につまらなく思えた。――庭を眺めながら、こうしておるほうがどんなに楽だろうか。御簾越しではなく、うららかな日差しを直接にうけながら夕餉までの刻を過ごしたい。
だんだんと、皆の話し声が子守唄に聞こえ始めた旭の耳に、ふと差し込まれた声があった。
「帝の事を哀れとは、なんとも大それたことを言う」
はっとして身を起し、耳をそばだてる。
「民よりもと、申したそうな」
「世迷言を。神の子である帝を、石ころと変わらぬ者どもよりも哀れ、とは」
ほほ、とゆるやかな嘲りの声が広がる。
「それは、どのような者が、どのような時に申したのだ」
ざわ、と旭の声に場の気配が突風にさらされた木の葉のように乱れる。この場で、旭が何かに興味を示し声を発することは、今まで一度たりともなかった。
「帝の耳に、このような話を入れるとは」
「言い出したのは、誰ぞ」
和やかな雰囲気が一変、糾弾するものに変わった。
「橘森繁殿が話始めよの」
したり、と誰かの声が標的を定めて他の者に追随を促す。名を挙げられた森繁は御簾越しからでもわかるほどに、うろたえていた。
「森繁」
「は」
こちらに身を向けて、蛙のように這いつくばる彼に言葉を投げる。
「聞かせろ」
「――は」
「詳しく、聞かせろ」
旭の声が好奇のみを浮かべていることに気付いたらしい。森繁は関心を引けたことに喜び、他の者は舌打ちをこらえるように目をそらした。
「街角で、男がそのように申しておったとか」
「それは、ただの民か」
「直垂を着ていたとの話ですので、武家か、あるいはとるに足らぬ身分の公家でありましょう」
「そのようなものが、我を哀れと申したか」
ふいに、笑いが込み上げた。そのようなことを言う男、会ってみたい。
「もっと、詳しく」
求めると、森繁は他を威圧するような気配を膨らませ、言った。
「では、我が娘、朔宮の住まう院にいらしてくださりました折、直に、ゆるゆると」
「そうか。ならば明日にでも、参る」
旭の言葉に、場の空気が一変した。そわそわとした気配が漂う。姫を入内させている者たちも、いずれ姫を入内させようと思っている者たちも、その男の事を調べるための手を頭に描く。ことによっては男を自分の手の者とし、旭が姫の元へ足しげく通うよう、次の帝を腹に授かる可能性を高めるために利用しようと考えた。
「は」
先んじた森繁がほくそ笑む気配を――祖父博雅が少し眉間にしわを寄せているのを、御簾越しに眺めながら、男のことを旭は思った。
御簾越しに、ほほと笑いながら何やら話をしている公家たちの姿が見える。はたしてこの中で、自分が今退屈をしていると気付いている者がいるだろうかと目を向けてみるも、誰も旭のことを気に止めている様子はない。それぞれに好きなことを話し、腹を探りあい、つまらぬ見栄と体面の為に意識を使っているのだろう。
あふ、ともう一度、今度は口元を隠さずに退屈を示して瞼を下す。柔らかな光が、瞼の裏を赤く染めた。――この時間は、あとどれほどすれば終わるのだろうか。
終わったとしても、旭にとって退屈この上ない時間が続くことには変わりがない。が、これほどにぬるく柔らかい気温と程よい日差しのたゆたう日中であれば、御簾の裏でつまらぬ話に耳を探られるよりも、別の退屈を味わいたい。――父帝も、このように退屈な日々を過ごしたのだろうか。
隠居をし、表舞台から退いた父帝――斉彬上皇が旭に代わり政を行っている。権威は旭にあるが、実権は斉彬上皇が握っていると言える状態では、ここに居る者たちが今、旭のことを気に留める必要はないのだろう。
いつだったか、父帝が漏らしたことがあった。即位してから退位するまでは、我らは高貴な種馬よ、と。その意味が、今はわかる。目の前にいる者たちも、この場にいない者たちも娘を持つ公家は皆、旭の後宮へいかにして娘を入れるかを考えている。その娘が男児を産み、それが即位すれば自分は国の祖父となり、好きに振舞えるからだろう。旭の祖父、藤原博雅のように。
祖父は、政よりも自分がいかに居心地良く過ごせるかを大切にしている。それを、ほかの公家たちも理解しているらしく、旭を理由に博雅の機嫌取りをしているとしか思われない昼餉の後の政の場は、終始さまざまなうわさ話で満ちていた。――このように退屈なのであれば、早々に退位をし、好きにしたいものよ。
そうは思っても、位を譲ることの出来るものが居ない。旭にはまだ、子がなかった。
細く長く息を吐き、異母兄弟のことを思う。姫はすべからく降嫁した。男は権力争いに使われる前に、祖父が根回しをして追いやったらしい。
御簾向こうでの会話はまだ、続いている。無為に時を過ごすことに慣れている旭でも、今日は特につまらなく思えた。――庭を眺めながら、こうしておるほうがどんなに楽だろうか。御簾越しではなく、うららかな日差しを直接にうけながら夕餉までの刻を過ごしたい。
だんだんと、皆の話し声が子守唄に聞こえ始めた旭の耳に、ふと差し込まれた声があった。
「帝の事を哀れとは、なんとも大それたことを言う」
はっとして身を起し、耳をそばだてる。
「民よりもと、申したそうな」
「世迷言を。神の子である帝を、石ころと変わらぬ者どもよりも哀れ、とは」
ほほ、とゆるやかな嘲りの声が広がる。
「それは、どのような者が、どのような時に申したのだ」
ざわ、と旭の声に場の気配が突風にさらされた木の葉のように乱れる。この場で、旭が何かに興味を示し声を発することは、今まで一度たりともなかった。
「帝の耳に、このような話を入れるとは」
「言い出したのは、誰ぞ」
和やかな雰囲気が一変、糾弾するものに変わった。
「橘森繁殿が話始めよの」
したり、と誰かの声が標的を定めて他の者に追随を促す。名を挙げられた森繁は御簾越しからでもわかるほどに、うろたえていた。
「森繁」
「は」
こちらに身を向けて、蛙のように這いつくばる彼に言葉を投げる。
「聞かせろ」
「――は」
「詳しく、聞かせろ」
旭の声が好奇のみを浮かべていることに気付いたらしい。森繁は関心を引けたことに喜び、他の者は舌打ちをこらえるように目をそらした。
「街角で、男がそのように申しておったとか」
「それは、ただの民か」
「直垂を着ていたとの話ですので、武家か、あるいはとるに足らぬ身分の公家でありましょう」
「そのようなものが、我を哀れと申したか」
ふいに、笑いが込み上げた。そのようなことを言う男、会ってみたい。
「もっと、詳しく」
求めると、森繁は他を威圧するような気配を膨らませ、言った。
「では、我が娘、朔宮の住まう院にいらしてくださりました折、直に、ゆるゆると」
「そうか。ならば明日にでも、参る」
旭の言葉に、場の空気が一変した。そわそわとした気配が漂う。姫を入内させている者たちも、いずれ姫を入内させようと思っている者たちも、その男の事を調べるための手を頭に描く。ことによっては男を自分の手の者とし、旭が姫の元へ足しげく通うよう、次の帝を腹に授かる可能性を高めるために利用しようと考えた。
「は」
先んじた森繁がほくそ笑む気配を――祖父博雅が少し眉間にしわを寄せているのを、御簾越しに眺めながら、男のことを旭は思った。
0
あなたにおすすめの小説
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
結婚間近だったのに、殿下の皇太子妃に選ばれたのは僕だった
釦
BL
皇太子妃を輩出する家系に産まれた主人公は半ば政略的な結婚を控えていた。
にも関わらず、皇太子が皇妃に選んだのは皇太子妃争いに参加していない見目のよくない五男の主人公だった、というお話。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
発情期のタイムリミット
なの
BL
期末試験を目前に控えた高校2年のΩ・陸。
抑制剤の効きが弱い体質のせいで、発情期が試験と重なりそうになり大パニック!
「絶対に赤点は取れない!」
「発情期なんて気合で乗り越える!」
そう強がる陸を、幼なじみでクラスメイトのα・大輝が心配する。
だが、勉強に必死な陸の周りには、ほんのり漂う甘いフェロモン……。
「俺に頼れって言ってんのに」
「頼ったら……勉強どころじゃなくなるから!」
試験か、発情期か。
ギリギリのタイムリミットの中で、二人の関係は一気に動き出していく――!
ドタバタと胸きゅんが交錯する、青春オメガバース・ラブコメディ。
*一般的なオメガバースは、発情期中はアルファとオメガを隔離したり、抑制剤や隔離部屋が管理されていたりしていますが、この物語は、日常ラブコメにオメガバース要素を混ぜた世界観になってます。
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる