9 / 21
9
しおりを挟む
皆が集まる場に向かう前に、旭のもとへ祖父博雅が顔を出しに来た。
「葵とは、むつまじくなされたとお伺いいたしまして」
「そうだな。今まで見てきたものとは違うものを、知れた」
「それはそれは、良うございました。葵はまだまだ、女として熟れゆく身。これからも存分に、可愛がって戴きたく」
頭を下げる博雅にあいまいな笑みを浮かべ、立つ。ゆるゆると進む後を彼が追従し、皆が待つ場の御簾裏へ腰を落ち着けると、すぐに公家達のさざめきが始まった。
「彼の者は、わざと庭草を整えずに居るそうな」
「あの庭には、物の怪を飼っているとか」
「妙な薬の材料となるものを育てておるのを隠すため、伸ばし放題と聞いたぞ」
庭の草のことは旭も気になっていたところなので、多少の興味は湧いたが本人に聞けばいいと半ば聞き流し、この後に話題の人、木曾義直に会いに行くことに意識を向けた。
昨日の蜜時が、あわあわとした暖かさをはらんで旭を包んでいる。出逢ってまだ二日であるというのに、旭はまるで熱病にかかったように彼に心を火照らせていた。
「これは、木曾義直という男と懇意にしておるという白拍子、小松より聞いた話だが」
大きな咳払いをしてから言ったのは、義直のうわさを一番にこの場にもたらした橘森繁で、彼は心なしか胸をそらし、常よりも大きな声を響かせた。
「小松によれば、彼の男は目ぼしい公達を篭絡し、その者たちに貢がせて生活しているとか。男相手なれば子が出来る心配もなく、また向うも気安く心を解くのだとか。昨日も、小松は美しき男を連れた義直の姿を見たそうで、どこの者かは知らぬが毒牙にかかり哀れだと漏らしておったそうにござります」
「なんと不埒な」
「なれど、それほどまでに形が麗しい男、ということか」
「普段我らは言葉を操り姫の懐中へ存在を記すもの。そして、その逆のことには不慣れ。かの男は言葉巧みに誘い、あっという間に相手を篭絡せしめるそうな。庭の草が高いのは、そのようなことが見咎められぬようにと、中の様子を隠すためであるとか」
ちらりと森繁の視線が御簾に注がれる。その奥では、旭が顔面を蒼白にしていた。
――あの、小松という白拍子が言うたのか。
昨日の義直に対する気安い雰囲気を、彼女の悋気を帯びた瞳を思い出す。本当のことなのではないかという声と、こちらの素性も知らぬのに貢がせるためなどありえぬという声が旭の中で沸き起こり、せめぎあう。――もしも、あの優しい瞳も腕も声も全て、演技だったのだとしたら。
「過去に篭絡された者のことは知っているが名は明かせぬと、白拍子は口を閉ざしておったそうにございますが、今宵にでも召して舞わせ、話なりと――――帝?」
ふらり、と旭は立ち上がり、気分が優れぬと言い置いて、側に控えていた女房に連れられ自室に戻った。彼の関心を引き、再び朔宮の院へと導こうと目論んだ森繁は心中で舌を打ち、他の者は誰よりも早く小松という白拍子を召して話を聞かねばと、気もそぞろに場を終えた。
自室でひとり、旭は先ほど聞いた言葉が反響する身を横たえさせていた。小松という白拍子の顔が、親しげに言葉を交わしていた義直の姿が浮かんでは消える。その合間に彼を見つめ優しく触れた義直の姿が混じり、旭の胸は絞られるように痛んだ。
事実であるのか、事実ではないのか――本人に直接聞きに行くことができるのに、義直にどう問えばいいのかがわからない。もし本当のことだったとしても、否と言われる可能性のほうが高いだろう。もしも食うためにそのようなことをしているというのであれば、いっそ彼を召し抱えてしまえば――けれど、そうするための、皆を納得させる理由が見つからない。
ひとりでこうしていても答えなど出るはずもないのに、考えることを、思うことを止められず、行き着く先のない思考は旭の心を蝕んでいく。不安の種はすくすくと育ち、旭を絡めて魂に食い込みながら締め上げる。
「――っ」
唇を強く噛み、体を丸めてやり過ごそうとしても、打ち寄せる不穏は嵐に舞う木の葉のように旭を乱した。
「我は、何を」
喘ぐように呟き、気付く。思う以上に義直に囚われている自分と、これほどまでに何かに固執したことなど一度もなかった、ということに。
「我は、何を望んでいる」
ぽつりと、こぼす。
「我は、何を望んでいる」
両掌をかざし、見つめた。
「我は、何をしたい」
拳を握り、さらに体を丸めて唸る。
「どう、したいのだ」
答えが出ぬままに、たった二度しかない逢瀬での義直の姿が、声が、旭を抱きしめる。鼻の奥がツンと痛み、込み上げたものを瞼の隙から溢れさせながら、旭はただ自問を繰り返す。
「義直――ッ」
頭が痛くなるほどに涙し、疲れが引き込む夢の中までも、旭は答えの出ない問いに悩み続けた。
「葵とは、むつまじくなされたとお伺いいたしまして」
「そうだな。今まで見てきたものとは違うものを、知れた」
「それはそれは、良うございました。葵はまだまだ、女として熟れゆく身。これからも存分に、可愛がって戴きたく」
頭を下げる博雅にあいまいな笑みを浮かべ、立つ。ゆるゆると進む後を彼が追従し、皆が待つ場の御簾裏へ腰を落ち着けると、すぐに公家達のさざめきが始まった。
「彼の者は、わざと庭草を整えずに居るそうな」
「あの庭には、物の怪を飼っているとか」
「妙な薬の材料となるものを育てておるのを隠すため、伸ばし放題と聞いたぞ」
庭の草のことは旭も気になっていたところなので、多少の興味は湧いたが本人に聞けばいいと半ば聞き流し、この後に話題の人、木曾義直に会いに行くことに意識を向けた。
昨日の蜜時が、あわあわとした暖かさをはらんで旭を包んでいる。出逢ってまだ二日であるというのに、旭はまるで熱病にかかったように彼に心を火照らせていた。
「これは、木曾義直という男と懇意にしておるという白拍子、小松より聞いた話だが」
大きな咳払いをしてから言ったのは、義直のうわさを一番にこの場にもたらした橘森繁で、彼は心なしか胸をそらし、常よりも大きな声を響かせた。
「小松によれば、彼の男は目ぼしい公達を篭絡し、その者たちに貢がせて生活しているとか。男相手なれば子が出来る心配もなく、また向うも気安く心を解くのだとか。昨日も、小松は美しき男を連れた義直の姿を見たそうで、どこの者かは知らぬが毒牙にかかり哀れだと漏らしておったそうにござります」
「なんと不埒な」
「なれど、それほどまでに形が麗しい男、ということか」
「普段我らは言葉を操り姫の懐中へ存在を記すもの。そして、その逆のことには不慣れ。かの男は言葉巧みに誘い、あっという間に相手を篭絡せしめるそうな。庭の草が高いのは、そのようなことが見咎められぬようにと、中の様子を隠すためであるとか」
ちらりと森繁の視線が御簾に注がれる。その奥では、旭が顔面を蒼白にしていた。
――あの、小松という白拍子が言うたのか。
昨日の義直に対する気安い雰囲気を、彼女の悋気を帯びた瞳を思い出す。本当のことなのではないかという声と、こちらの素性も知らぬのに貢がせるためなどありえぬという声が旭の中で沸き起こり、せめぎあう。――もしも、あの優しい瞳も腕も声も全て、演技だったのだとしたら。
「過去に篭絡された者のことは知っているが名は明かせぬと、白拍子は口を閉ざしておったそうにございますが、今宵にでも召して舞わせ、話なりと――――帝?」
ふらり、と旭は立ち上がり、気分が優れぬと言い置いて、側に控えていた女房に連れられ自室に戻った。彼の関心を引き、再び朔宮の院へと導こうと目論んだ森繁は心中で舌を打ち、他の者は誰よりも早く小松という白拍子を召して話を聞かねばと、気もそぞろに場を終えた。
自室でひとり、旭は先ほど聞いた言葉が反響する身を横たえさせていた。小松という白拍子の顔が、親しげに言葉を交わしていた義直の姿が浮かんでは消える。その合間に彼を見つめ優しく触れた義直の姿が混じり、旭の胸は絞られるように痛んだ。
事実であるのか、事実ではないのか――本人に直接聞きに行くことができるのに、義直にどう問えばいいのかがわからない。もし本当のことだったとしても、否と言われる可能性のほうが高いだろう。もしも食うためにそのようなことをしているというのであれば、いっそ彼を召し抱えてしまえば――けれど、そうするための、皆を納得させる理由が見つからない。
ひとりでこうしていても答えなど出るはずもないのに、考えることを、思うことを止められず、行き着く先のない思考は旭の心を蝕んでいく。不安の種はすくすくと育ち、旭を絡めて魂に食い込みながら締め上げる。
「――っ」
唇を強く噛み、体を丸めてやり過ごそうとしても、打ち寄せる不穏は嵐に舞う木の葉のように旭を乱した。
「我は、何を」
喘ぐように呟き、気付く。思う以上に義直に囚われている自分と、これほどまでに何かに固執したことなど一度もなかった、ということに。
「我は、何を望んでいる」
ぽつりと、こぼす。
「我は、何を望んでいる」
両掌をかざし、見つめた。
「我は、何をしたい」
拳を握り、さらに体を丸めて唸る。
「どう、したいのだ」
答えが出ぬままに、たった二度しかない逢瀬での義直の姿が、声が、旭を抱きしめる。鼻の奥がツンと痛み、込み上げたものを瞼の隙から溢れさせながら、旭はただ自問を繰り返す。
「義直――ッ」
頭が痛くなるほどに涙し、疲れが引き込む夢の中までも、旭は答えの出ない問いに悩み続けた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
結婚間近だったのに、殿下の皇太子妃に選ばれたのは僕だった
釦
BL
皇太子妃を輩出する家系に産まれた主人公は半ば政略的な結婚を控えていた。
にも関わらず、皇太子が皇妃に選んだのは皇太子妃争いに参加していない見目のよくない五男の主人公だった、というお話。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
発情期のタイムリミット
なの
BL
期末試験を目前に控えた高校2年のΩ・陸。
抑制剤の効きが弱い体質のせいで、発情期が試験と重なりそうになり大パニック!
「絶対に赤点は取れない!」
「発情期なんて気合で乗り越える!」
そう強がる陸を、幼なじみでクラスメイトのα・大輝が心配する。
だが、勉強に必死な陸の周りには、ほんのり漂う甘いフェロモン……。
「俺に頼れって言ってんのに」
「頼ったら……勉強どころじゃなくなるから!」
試験か、発情期か。
ギリギリのタイムリミットの中で、二人の関係は一気に動き出していく――!
ドタバタと胸きゅんが交錯する、青春オメガバース・ラブコメディ。
*一般的なオメガバースは、発情期中はアルファとオメガを隔離したり、抑制剤や隔離部屋が管理されていたりしていますが、この物語は、日常ラブコメにオメガバース要素を混ぜた世界観になってます。
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる