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【迷い】

11.

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 父である先王が、口癖のように言っていた。それを自分の軸として、ホスセリは生きてきた。いつの間にかそれが自分の口癖になっていることを、いつだったかシキタカに指摘をされて気がついた。

(我は、まだまだ未熟だったのだ)

 なによりも大切な、愛する人と弟の気持ちを知りながら、気づかぬふりで踏みにじっていたのだから。

 長い間、抑え込んでいた想いの決壊を知ったふたりは、精根果てるまで睦み合うだろう。

(これでいい)

 ホスセリは胸深くに、清涼な夜気を吸い込んだ。

 この気持ちは、時間がたてば折り合いをつけられるだろう。どれほど求めても、自分はトヨホギとつながることができないのだから。

 熱心に自分を諭しながら、ホスセリは私室に向かった。誰かが訪れるよりも先に目を覚まして、いかにも今朝がた寝室から戻ってきましたという顔をしていれば、誰も怪しんだりはしない。いまはトヨホギに夢中になっているシキタカも、精を放てば冷静になる。人が来る前に身を隠すだろう。

 トヨホギに不貞の妻という汚名を着せるような、無様なことになりはしない。

「トヨホギ」

 ホスセリは祈るように名を呼んだ。彼女の笑顔がわずかも曇らないようにと、さきほど目にした星々に願いながら長椅子に横になり、目を閉じた。

   ***

 シキタカはトヨホギの奥深くに己の欠片を注ぐと、ちいさく痙攣をして息を吐いた。体中がまだ熱い。獣追いをしたとき同様に汗みずくだ。トヨホギも桃色に染まった肌に汗をかいている。

「トヨホギ」

 シキタカは彼女の耳朶に唇を寄せて、ささやいた。トヨホギは焦点の合わぬ目をさまよわせて、物憂げな息をこぼした。

「トヨホギ」

 シキタカはもう一度、彼女を呼んだ。トヨホギの目がシキタカを認識して、焦点が結ばれる。ぞくりとシキタカの心臓がわなないた。いとおしさが呼気となってこぼれ出る。それを彼女の唇に注ぐと、トヨホギは緩慢に応えた。

「……シキタカ」

「ああ」

 トヨホギは満ち足りたシキタカの表情に、自身の幸福を見つけた。泥の中に埋まっているかのように、空気に重さを感じている。けれど心は空中に浮かんでいるかと思うほど、軽く自由だった。

「シキタカ」

 トヨホギが呼ぶと、シキタカは口吸いで応えた。ふたりはしばらく互いの唇をついばみ、交合の余韻を惜しんだ。

 しばらくして、違和感に気づいたのはトヨホギが先だった。なにげなくシキタカからそらした視界の中に、あるべきはずのものが見当たらない。

(なにかが……、足りないわ)

 シキタカの唇とたわむれながら考えたトヨホギは、不足しているものに気づいて跳ね起きた。

「ホスセリ!」

 叫び起きた彼女の声に、シキタカも兄の姿が見えないと知る。

「兄者?」
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