大便戦争

和スレ 亜依

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第五糞

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 静岡県立鰤便ぶりべん高等学校。通称鰤高ぶりこうは進学校のため、夏休みに入れば補講もある。
 今日はそのいくつかある補講日のうちの一日だ。
「ちっす、和人」
 教室に入ると、和人に声がかかった。
 彼は小川おがわ泰平たいへい。中学の時の同級生だ。しかし、例の事件以来、話しかけてこなかった。なぜ今になって話しかけてきたのだろうかと疑問に思いつつ挨拶を返す。
「ん、ああ。ちっす」
 泰平が和人を隅に連れて行く。
「どうしたんだ?」
 そう尋ねると、彼は小声でしゃべる。
「実は相談があるんだ」
「いいけど、応えられるかどうかは内容によるぞ?」
「まあとにかく聞いてくれ」
「分かった」
「俺な、岩崎いわさきさんに告ろうと思うんだ」
「頑張れ、応援してる」
 高校生活がすでに終わってしまっている和人は、素っ気ない応援と共に自分の席へと向かう。
「ちょ、ちょっと待てって! 協力してくれたら何でもするから!」
 ピクッと和人のまゆが動く。
「今、何でもすると言ったか?」
「あ、ああ」
「俺が『お前も授業中に脱糞しろ』と言ったらしてくれるのか?」
「ごめん、それは無理だ」
「じゃあの」
 再び席へ向かおうとする和人を必死で止める泰平。
「頼むよ! 俺にはお前くらいしか頼めるやつがいないんだよ!」
 和人がため息をつく。
「……学食の鰤弁当一週間分だ」
 和人は目に涙をためて喜び、和人の手を握る。
「ありがとう……ありがとう! 持つべきものは真の友人だ!」
(ああ、お前と俺は友人かもしれない。でも、お前今さりげなくズボンの後ろで手を拭いただろ)
 泰平はスキップをしながら手洗い場へと向かった。
(ズボンで拭くだけじゃとれないのかよ)


 数日後。
「何であんたがいるのよ、和人」
 今日は地元の花火大会だ。屋台も出てだいぶにぎわっている。
 そんな中、和人が待ち合わせ場所に来てみると、泰平の他にも先客がいた。
「何でも何もそういう話だっただろ、大石」
 大石聡美さとみ。彼女は泰平と同じく中学時代の同級生だ。それほど仲が良かったわけではないが、普通に会話くらいはしていた。彼女が態度を急変させたのも例の事件からだ。
「それにしても浴衣とは気合いが入ってるな。ただの地元の花火大会だろ?」
「う、うるさいわねっ!」
 怒った大石は泰平に詰め寄る。
「ちょっと! どういうことよ泰平!」
「いや、ほら! 女二人に男一人じゃ気まずいしバランス悪いだろ!」
「……まあ、いいわ。なるべく話しかけないでちょうだい。臭いが移るから」
 そう言い放ったあと、聡美は無言を貫いた。

「あ、みんな早いね。もう着いてたんだ」
 十分後に現れた今回のターゲット、岩崎。
 彼女も浴衣を着込んでいる。ショートカットの髪がいい具合に似合っていた。
「あ、ううん。そんなに待ってないよ」
(おい何だその取りつくろったような優しい声音は)
 泰平のニヤニヤ顔を見ながら白い目になる和人。
「大石さん素敵ぃ!」
「ありがとぉ! 岩崎さんもかわいいぃ!」
(オロロロロロロロロロロロォ!)
 両手を合わせてこびを売る聡美の変わりっぷりに、危うく口から脱糞しそうになった。
 そのジェスチャーを横目で見て、聡美が和人に蹴りを入れる。
「いてぇ!」
「池谷くんどうしたの?」
(このストゥール池谷の心配をしてくれるとは、岩崎いいやつじゃないか。どこかの性格ゴリラとは大違いだ)
「ううん、何でもないから早く行こう」
(何でお前が返事をする、ゴリラ)
「あ、冷やしナスだって! おいしそう」
 屋台を指さして岩崎がそう言うと、泰平がすかさず反応する。
「マジうまそー! 俺、買ってくるよ!」
 説明しよう。冷やしナスとはナスを丸々一本漬けたものをキンキンに冷やしただけの一品だ。
「買ってきたよ! はい、岩崎さん」
「ありがとー」
「ほらお前らの分も」
 泰平が露骨に優しい人アピールをしてくる。
「あ、俺ナス嫌いなんで」
「あ、私も」
 和人と聡美は声を揃えて拒否した。
「え、じゃあこれどうしよう」
 泰平が困っていると岩崎が声をかける。
「あ、じゃあもう一本もらうよ。好きだし」
「岩崎さん……ありがとう! いやー俺いっぱい食べる子って好きだなー」
 露骨すぎる。
「あはは、ありがとう!」

 ドーン。
 いよいよ花火が始まった。河川敷沿いには人が溢れかえっている。
「ちょっと人多いね、向こう行こっか」
 大石がいい具合にフォローし、人気が少ない方に皆を誘導する。
「あ、ここからでもよく見えるんだ」
 ターゲットの雰囲気は好感触だ。
「綺麗だねー」
「う、うん。綺麗だね!」
(大丈夫か、泰平。声が上擦ってるぞ、頑張れ)
 しばし、花火に見とれる四人。口数が少なくなってきたところで和人が切り出す。
「あ、俺ちょっとお腹減ってきちゃった」
「あ、じゃあ私何か買ってくるよ」
「いや、岩崎さんは待ってて。石川も何も食べてないっていうから一緒に行ってくるよ!」
 和人は聡美の手を引っ張って茂みに消えていく。

「ねぇ」
「ん、何だ。ナイスプレイだっただろ?」
「そうじゃなくて、その臭い手を離しなさいよ」
「ああ、そうだな。臭くないがな」
「あと、もう少し向こうに行きなさい」
「そんなことしたら見つかるだろ」
「ちっ」
 聡美は舌打ちをしながら茂みから泰平と岩崎の様子をうかがう。
「ねえ、泰平モジモジし過ぎじゃない?」
「そうだな、でもモジモジというよりモゾモゾ、か?」
「ああ、確かに」
(モゾモゾ……ん? あの動き何度か見たことがある気がするぞ)
 泰平は尻のあたりを抑えながら、必死に何かをしゃべっている。恐らく告白をしているのだろうが、その動きは奇妙だ。
(あの動き……間違いない)
 ということはこれは非常にまずい状況なのではないか。
(一世一代の大告白。よりにもよってその場面で……脱糞!)
 しかし、今さら和人にできることはない。
えろ! 堪えるんだ! お前のことはそれほど好きじゃないが、脱糞による悲しみを俺は知っている! いや、俺は脱糞していないが……それでも堪えてくれ!)
 和人は我が事のように自分の尻を押さえる。
「あんた、何やってんの?」
 隣で汚物を見るかのような目で見る聡美。
「分からないのか? 俺とあいつは今、一心同体なんだ!」
「いや、分からないわよ。ていうか、急にどうしたの、キモいわよ」
 目を血走らせながら尻を押さえる和人は狂気じみていた。
 やがて、岩崎が何事かを返答すると、泰平は一目散いちもくさんに駆けていった。
「あの様子じゃダメだったみたいね」
「いや」
「なに?」
「あいつはやり遂げた」
「何をよ。つか、何涙流してるの、普通にキモいよ」
「あいつは……あいつは男の中の男だ!」
「聞いてないし」
 と、そこで和人のスマホが振動した。
「もしもし」
『俺だ! 助けてくれ!』
「どうした、泰平!?」
『まずいんだ……俺、このままじゃ――』
「おい、泰平! 泰平! 返事をしてくれえええええ!!」
「ばか! 岩崎さんに聞こえちゃうわよ!」
「あれ? 石川さんに池谷くん?」
「ほら言わんこっちゃない!」
「大石」
「何よ」
「ここは頼んだ、俺は親友を助けに行く」
「え? ちょっ、ねぇ! ……行っちゃったし」
 呆れる聡美だが、なぜだか和人の真剣な眼差しが脳裏に残った。

「泰平! 泰平! どこだ? どこにいるっ」
 必死で泰平を探す和人。
「和人ぉ……ここだぁ」
 微かな声が聞こえた。
「泰平か!」
 声が聞こえてきた斜面の方向を見ると、なぜか木の枝から逆さに吊る下がっている泰平を見つけた。
「何だってそんなことに……いや、今はそんなことどうだっていい! 今助けに行くからな!」
 斜面を滑り降りる和人。
 しかし、木の根っこにつまずいてバランスを崩した。
(しまった!)
 そのまま転がり落ちる和人。
 世界が暗転し、気づけば自分も木の枝に逆さで吊り下がっていた。
「泰平」
「おう」
「便所は行ってきたか」
「和人」
「おう」
「何があっても友達でいてくれるか」
「ああ」
「良かった」
 泰平は一筋の涙を流した。

「それでは、本日のフィナーレ! 大スターマイーン!!」
 夜空に大きな花が咲いた。
 しくも、大スターマインに皆が魅了される中、地上でも小さなスターマインが花を咲かせていた。
 脱糞スターマインである。


 一方その頃聡美と岩崎は。
「大石さんて池谷くんと仲いいよね」
「私が? ないない」
「そう? 仲良さそうに見えたけど」
「中学が一緒だっただけだって。それより、岩崎さんこそ、何であいつと普通に話せるの?」
「普通に?」
「だってほら……あんなことがあったじゃない」
 聡美がためらいがちに言うと、岩崎は何でもないことのように告げる。
「なんだ、そんなこと。人生でたった三年間しかない高校の出来事なんて、大したことないと思うよ。それより、みんなと楽しく過ごした方が素敵じゃない?」
(女神だ。女神様がいる)
 聡美は両手を組んで目の前の女神をあがめる。
「それに」
 岩崎は続ける。
「それに?」
 聡美が聞き返すと、彼女はスターマインのように最高の笑顔を咲かせた。

「私も今、漏らしてるもの」


 翌日、冷やしナスによる食中毒が保健所から公表された。
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