その娘、カエル令嬢につき

フルーツミックスMK2

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 ミルスがガストと晩餐を共にしてから一週間後。ビクトル学園では、授業に出席するミルスの姿があった。
 
 これまでの彼女は、いつも実物のカエルと一緒に登校していたが、この日は緑の軍隊は引き連れておらず、お気に入りのカエルの髪飾りも身に着けていない。
 自由奔放だった態度は慎ましくなり、仕草や所作も上品なものへと変わっている。その姿は伯爵令嬢の名に相応しく、教員一同は驚きと共に、強い関心を抱いていた。
 しかし、急に一変した彼女に対して、同じクラスの生徒は困惑せずにはいられなかった。

「ねえ、最近のミルス様ったらどうしちゃったのかしら?急に慎ましくなったようだけど...」
「さあ、何か心境の変化でもあったんじゃない?それにしても、相変わらず綺麗なお顔立ちよね」
「ええ本当に。お人形さんみたいで可愛らしいわ!」
 小声で交わされる数々の内緒話。同じクラスの生徒にとって、久しぶりに顔を出したミルスは注目の的だった。
 そんな好奇の視線を受けながら、自席に座るミルスがため息を吐く。

 ──つまらない。

 父、ガストからお叱りを受けてからというものの、私の世界は一変した。
 毎朝のルーティーンだった、カエルの起床鳴き真似はやらなくなり、日課であるカエルの擬態ジャンプ練習も控えるようになった。我が子同然であるマロンちゃんのお世話も、今は家の使用人に任せている。

 学園内での生活態度も改めた。出先用の護衛兼、友人枠のカエル達を連れてくるのを止めたし、食料保存用の虫かごを持参するのも止めた。行きと帰りはちゃんと馬車を使うようになったし、ロザンナには悪いと思っているが、放課後にはテラスに行く事も無くなった。

 その甲斐もあり、学園内での私の印象が変わりつつある事は知っている。多少なりとも、クラスメイトとも馴染み始めている気がする。
 しかし、私の心は晴れない。当然、それはカエルという存在がないからである。

 授業も出席してはいるが、内容が余り頭に入っておらず、ついついカエルの事が頭に浮かんでしまう。音楽の授業なんかは音符がオタマジャクシに見えて仕方がない。

 まるで──私だけが時の止まった世界に取り残されてしまったようだ。

 ぼんやりとした気持ちのまま、学園の授業を受ける。気が付けば、放課後になっていた。明日は秋季パーティという事もあって、授業は午前中で終わりのようだった。
「ミルス様、ごきげんよう」
「ごきげんよう。バナナーナ様」
 同じクラスの令嬢へ挨拶を済ませると、校門の方まで行ってみる。迎えの馬車は着いていなかった。

「流石にまだ来ていないか...」
 実家には学園が午前中で終わる事を伝えていない。各日程は学園の年間表に記載されているのだが、その紙は入学初日にペットのカエル達に食べられてしまったのだ。

 暫くの間、校門で迎えの馬車を待ってみるが、我が家の馬車は影も形も見えず、他の生徒の馬車が砂煙を立てるだけである。
 やがて、手持ち無沙汰になった私は時間を潰す為に、久しぶりにあの場所へ足を運んでみる事にした。
「久しぶりにあそこに行ってみるか...」
 学園の端にある、木目調の広々としたテラスに着く。まだそれほど時間が経っていないにも関わらず、そこは酷く懐かしい感じがした。

「ここは相変わらずだな」
 テラスの中は一週間前と変わらず、紅葉が景色に色を付けていた。一つ変わった事があるとすれば、地面に落ちた紅葉の葉に薄っすらと霜が張っている点だろうか。秋も中盤に差し掛かったこの時期は、冬に向けて寒くなってくる頃だ。

 いつもの低めの椅子に腰を掛ける。
 私と同じように帰りの馬車を待っているのだろうか。遠くで女生徒が数人、お互いに着ている防寒具について語り合っている。流行りのファッションか何かなのだろう。実に楽しそうだ。
 最近は肌寒くなってきており、マフラーや手袋などの防寒具を着る生徒が増えてきている。かくいう私も、カエル同様に寒さにはそれほど慣れてはいない為、防寒具を着て登校していた。
 伯爵家御用達の防寒具は厳選された布地で出来ており、見た目も上品で落ち着いた装いのものばかりだ。下級貴族や平民達から羨望の目で見られる事も少なくない。きっと私も、あの女生徒の輪の中に入れば、会話に華を咲かせる事は可能だろう。
 しかし、そんな気は更々起きず、心はちっとも晴れない。

「こんな服の何がいいんだ...」
 椅子の上で一人、疑問と不満を含んだ口調で呟く。
 例年であれば、この時期にはニホンアマガエルを模したマフラーや、暖かいヤドクガエルの手袋。斑模様が入った緑一色のアマガエルのコートに、通気性の良いウシガエルのニット帽を愛用してきた。しかし、今はそれらの逸品を一切身に着けていない。全ては伯爵令嬢に恥じない振る舞いをする為である。

 このまま慎ましい学園生活を送れば、前のように孤立する事はなくなるだろう。新しく、気の許せる友達だって出来るかも知れない。
 けれど、決してそれが明るい未来だとは思えなかった。自分が自分でないような気がしてならないのだ。
「うう......カエル成分が恋しいよぉ...」
 涙の跡が地面を濡らす。瞬く間に霜が張って固まっていく様は芸術的だが、そんな光景に目をやる余裕はない。
 そんなとき、背後から一週間ぶりの懐かしい声が届いた。
「ミルス!」
 振り返ると、そこには純白のコートに身を包んだ黒髪淑女の姿があった。首に巻いているのは今流行りのマフラーだろうか。深み掛かった焦茶色がオスのマングースのように勇ましい。

「ロザンナ...」
「今日は来ていらっしゃったのね!この一週間、貴女が居なかったから心配しましたのよ──って...どうして泣いてますの!?」
 ロザンナが駆け寄ってくると、甘い香りと共に端正な顔が映った。彼女の気遣わしげな表情を見た時、私の心は限界を迎えた。
「ロザンナぁぁ...。私のカエルが...カエルがぁぁ...」
「えっ!?カエルがどうかしましたの?ってか、急に抱きつかないで下さいまし!?私のお気に入りのコートに鼻水がぁぁ!」
 抵抗するロザンナの胸の中で涙を流す。まるでお母様に泣きついている感覚だった。
 一頻り泣き終えたところで、ぽつぽつと彼女に事の顛末を話す。私は仲の良い友達に打ち明ける事で、少し気持ちが晴れるのを感じていた。

 全てを聞き終えた後、ロザンナが小さく溜息を吐く。
「成る程...そういう事でしたのね。貴女があんな言い方をするから、てっきりカエルさんの身に何かあったのかと思いましたわ」
 カエルの安否が分かり、ほっとしたように息を吐く彼女だったが、直ぐに表情を真剣なものに戻した。
「でもまさか...貴女がそんな家庭内事情を抱えているとは思いませんでしたわ。まあ...貴族の倣わしで言えば、御父君の考えは至極真っ当なのですけど...」
 ロザンナが正論を口にする。私もお父様の考えは正しいと思うし、貴族令嬢としてごく当たり前の事だと分かっている。それでも割り切れないのだ。

「私はもう駄目なんだよ。カエル要素のない私なんて、オタマジャクシの排泄物よりも矮小な存在なんだもの。きっと私の今後は、望まない結婚をさせられて生涯を終えるんだ...」
「流石にそれは話が飛躍し過ぎではありませんこと?というより、素の貴女ってそんな喋り方でしたのね。そちらの方が驚きですわ」
 ロザンナが驚愕したと言った風に目を瞬かせる。
「今までの喋り方は、全部お父様の真似をしていたから...」
「なんですの、その微笑ましい理由。貴女可愛すぎませんこと?」
「全然可愛くないよ。今の私はバクテリアより非力だもの...」
「そして意外と面倒臭い性格してますのね!?」
 ロザンナが落ち込む私にズバッと告げる。自覚がある分、彼女の言葉は胸を締め付けるものだったが、取り繕わないで言ってくれる事が意外にも嬉しかった。

 ふいに、私の手に肌触りの良い白い手が重なる。
「ミルス、もう一度きちんと御父君と話し合うべきですわ。ちゃんと貴女の意思を伝えるの」
「伝えるって言ったって...きっと叱られるだけだよ」
 一週間前の、闇夜を纏う彫りの深い顔が浮かんで萎縮してしまう。私が「カエルを愛でたい」などと言ったところで、厳格な父は許してはくれないだろう。最悪の場合、新しく晩餐のメニューにカエルが加わる可能性だってある。

 ──怖くて堪らない。

 父の恐ろしい姿が思い浮かび、思わず身震いする。秋は中盤だが、冬が訪れたように寒い。
 そんな私に対して、闇夜を照らすような純白のコートを着たロザンナが、重ねた手に力を込めた。
「それは伝えてみなければ分からないでしょう?貴女は御父君に一度でも、自分が好きなカエルの話をした事があるの?」
「そ...それは──...」
 思わず口を噤む。

 ──なかった。言われてみればない。

 正確には幼い頃にはあるのだが、ここ数年の間──特にお母様がイグアナの研究の為に他国へ旅立ってからは、父と禄に話す機会はなかった。
 お母様がいなくなってからというものの、お父様は増々顔面の迫力に磨きが掛かり、仕事も忙しそうな様子だったのだ。だからこそ私も邪魔はしないようにと、一人の時間を多く作った。ペットのマロンちゃんや他のカエル達を飼い始めたのも、丁度その頃だ。そうして気が付けば、家で気さくに話せるのは使用人だけになっていた。

 もしも、あの時に私が勇気を出してお父様と接していれば、今とは違った未来があったかも知れない。
 そこまで考えてハッとする。
 そう──変わったのはお父様じゃない。私の方だ。
 ──そして、カエルの首を締めてしまっているのも私の方だったのだ。

「自分の気持ちに気が付きまして?」
「ロザンナ、私...間違ってた。お母様が居なくなってから、お父様とあんまり会話をしてきた事がなかったもの」
「なら、もう一度良く話し合った方がいいですわよ。......て、え...?お母様が居なくなってって...もしかして貴女...御母君も亡くして......?」
「よし、何だか元気が出てきたよ!」
 意気揚々とその場を立ち上がる。曇っていた雨雲は晴れ、心に光芒が差した気がした。今ならば、非力なオタマジャクシでも変態が出来そうだ。

「ありがとう、ロザンナ。君のお陰で気が楽になったよ」
「えっ?あ、いえ、別に構いませんわ。大した事はしてませんもの。それより貴女の御母君は──...」
「早速、お父様に自分の気持ちを打ち明けてくるとするよ」
「あら、それは随分とお早いことで。......なにやら不穏な単語が聞こえた気がしますけども、気にしない方向で行きますわ。なにはともあれ、頑張りなさいませ」
 小さく息を吐くロザンナ。彼女が居なければ、私は腐ったままだっただろう。持つべきものは信頼出来る友とは良く言ったものだ。
 手の甲で固まった鼻水を拭うと、徐ろに椅子に座るロザンナへと手を差し出す。
「ロザンナ、君は本当に最高の友だよ」
「ミルス...」
 頬を紅く染めたロザンナが微笑む。持ち前の美しさもあって、その表情は秋の紅葉よりもずっと優美だった。
 そんな彼女が一言告げる。
「お褒めに預かり光栄ですけど、その不潔な手で触らないで下さいまし」
「...年頃の娘とは難しいものだな」
「貴女も同い年でしょうに」

 つづく
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