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二章
微笑みの奥に
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フィリシアは、豪華な一人用の食堂で朝食をとっていた。
窓から差し込む朝の光が、白いテーブルクロスを柔らかく照らしている。
銀のカトラリーが並ぶ皿の上には、ふわりと焼き上げられたバタークロワッサン。
その隣には、ハーブ入りのスクランブルエッグと、薄くスライスされたスモークサーモン。
紅茶は、香り高いダージリン。湯気の向こうに、静かな朝が広がっていた。
けれど、フィリシアの心は穏やかではなかった。
「たしか……前の記憶では、ルシアン様の妹君はずっと留学されて帰ってこないはず……」
小さく呟いた言葉は、紅茶の湯気に紛れて消えていく。
(なぜ違うのだろう?)
フォークを動かしながらも、思考は止まらなかった。
街で出会った、あの美少女。
(まさか……)
どこかで見たような気がしたのは──彼女が、ルシアン様と同じ金髪碧眼だったからだ。
その気品、あの瞳の色。
とても、ルシアンに似ていた。
フィリシアは、クロワッサンを口に運びながら、指先に残る指輪の感触を思い出していた。
──何かが、確かに違っている。
---
講堂には、全学科の生徒たちが整然と座っていた。
高い天井から差し込む光が、磨かれた床に反射して、空間全体を静かに照らしている。
壇上に立つ教師が、一歩前に出て、声を張った。
「ウィステリア王国からの留学に帰国し、今日からグラフィス学園貴族院学科の1年生として学ばれる──」
一瞬、空気が止まる。
「アウレリア・シルヴィ・デ・ヴァレンシュタイン様です」
その名が響いた瞬間、講堂の空気が揺れた。
生徒たちの視線が、一斉に壇上の中央へと向けられる。
そこに立っていたのは──
金色の髪が、光を受けて柔らかく揺れていた。
碧眼が、静かに前を見据えていた。
白い制服が、彼女の気品を際立たせている。
まるで、天使が舞い降りたかのようだった。
フィリシアは、息を呑んだ。
(……あの子……)
記憶の中の少女と、今目の前にいる少女が、重なっていく。
周囲のざわめきが、遠くに感じられた。
フィリシアの視線は、ただその少女に釘付けだった。
──運命の再会は、静かに始まった。
金髪の輝くカールが、講堂の光を受けて柔らかく揺れる。
宝石のような青い瞳が、静かに微笑んだ瞬間──
講堂の空気が、まるで祝福されたかのように澄み渡った。
「天使みたい……」
誰かが小さく呟いた声に、周囲の生徒たちが頷く。
その可憐さに、多くの生徒たちは見入っていた。
まるで、彼女の存在がこの場に“正しく”あるかのように。
だが──フィリシアだけは、違った。
紹介が終わり、拍手が静かに広がる中。
フィリシアは、胸の奥に広がるざらついた感覚に目を伏せた。
(……やっぱり、おかしい)
アウレリアの姿は、記憶の中の彼女と寸分違わぬものだった。
髪の色も、瞳の輝きも、微笑みの角度さえも。
(こんなこと……ありえる?)
フィリシアは、手のひらをそっと握りしめる。
(もしや……私が気づかぬうちに過去と今を変えてしまった?)
周囲の歓声が、遠くに感じられる。
フィリシアの視線は、壇上の少女に釘付けのまま、動かなかった。
──この再会は、ただの偶然ではない。
何かが、確かに“変わって”いる。
---
講堂の紹介が終わると、アウレリアの周囲には瞬く間に生徒たちが集まった。
「アウレリア様!ぜひ私が学園内をご案内いたしますわ!」
「いいえ!私がご案内します!」
「アウレリア様!今日、一緒にお食事でも!まだご編入されたばかりで、色々分からないことが多いかもしれないので!」
その声の波に、アウレリアは少しだけ目を丸くした。
けれど、すぐに天使のような微笑みを浮かべる。
その可憐さに、生徒たちはますます熱を上げていた。
だが──アウレリアは、首を傾げて言った。
「うーん……ごめんね、皆さん。私、一緒に学園内を周る人がいるの」
ガーン!
生徒たちは、目に見えて落胆した。
肩を落とす者、呆然とする者、ため息を漏らす者──
その反応は、まるで夢から醒めたかのようだった。
──その時だった。
「アウレリア様」
凛とした、低い声が講堂に響いた。
その声には、さっきまでの生徒たちのような浮ついた響きはなかった。
アウレリアは、その声に気づくと、ふっと表情を緩めた。
フィリシアは、その声の主に目を向ける。
そして──胸の奥が、わずかにざわめいた。
---
(ライナー!?)
フィリシアは思わず目を見開いた。
講堂の入り口に立つその姿は、いつもの彼とは違って見えた。
ライナーは、ゆっくりとアウレリアの前へと歩み寄る。
その足取りは迷いなく、まっすぐだった。
「ご紹介が遅くなり申し訳ありません。
私、今日からアウレリア様の学園内での護衛としてお供させて頂く──
ライナー・アルマン・レオンハルトと申します」
その声は低く、よく通る。
騎士としての礼節と誇りを感じさせる口調だった。
フィリシアは、ただその様子を見つめていた。
「王女様は貴族院学科、私は剣技学科と学科が違うので離れることもありますが──
お供できる時は、王女様の護衛として尽力致します」
それは、フィリシアに向ける時の顔ではなかった。
冗談を言う時の柔らかさも、気遣いの笑みも、そこにはない。
凛とした、男らしさを感じる顔。
真っすぐで、揺るぎない顔だった。
「あら?あなたがライナーさんね。これからよろしくお願いするわね」
アウレリアは、柔らかく微笑んだ。
その笑顔は、まるで春の陽だまりのようだった。
フィリシアは、言葉を失ったまま、その光景を見つめていた。
胸の奥が、きゅっと締めつけられるような感覚。
──ライナーが、誰かの“騎士”として立っている。
それは、フィリシアが今まで見たことのない姿だった。
---
その時、講堂の扉が再び開いた。
「アウレリア……そこにいたんだね」
柔らかく、けれどどこか疲れたような声が響いた。
フィリシアが振り向くと、そこにはルシアンが立っていた。
「お兄様!」
アウレリアは、ぱっと顔を輝かせてルシアンの元へ駆け寄った。
その笑顔は、さっきまでの“王女”ではなく、ただの妹のそれだった。
「ライナー、ありがとね。
本当は……お父様が無理言って、俺はあんまり賛同する気じゃなかったんだけど……」
ルシアンの言葉に、フィリシアは思わず眉を寄せた。
(……お父様?賛同?)
ライナーは、少しだけ肩をすくめて答えた。
「いえ、大丈夫です。
まあ、俺もできる範囲でしかできないけど……」
その言葉は、どこか距離を保った響きだった。
フィリシアは、そのやり取りを見つめながら──
(……え?ライナーがアウレリア様の護衛?
ルシアン様のお父様が無理を言った?
賛同してない?……何それ?)
頭の中が、はてなで埋め尽くされていく。
ライナーが、王族の護衛に?
ルシアンが、それに反対していた?
なのに、今は普通に話している?
フィリシアは、講堂のざわめきの中で、ひとりだけ取り残されたような気持ちになっていた。
──何かが、確実に動いている。
でも、自分はその“外側”にいる。
アウレリアは、遠くに立っていたフィリシアの姿を見つけると、ぱっと顔を輝かせた。
「お兄様!あの方ってもしかして……」
ルシアンはその視線を追い、笑顔で手を振った。
「ん?ああ、フィリシアだよ。おーい、フィリシア!」
フィリシアは、自分が呼ばれたことに気づき、戸惑いながらも足を動かした。
講堂のざわめきの中、視線が集まるのを感じながら、ゆっくりとアウレリアたちの元へ向かう。
「どういうことって表情してるね……」
ルシアンの軽い言葉に、フィリシアは唖然としたように答えた。
「私……何が何だか」
そして、ちらりとアウレリアの方を見る。
その瞬間、フィリシアの中で“貴族としての礼節”が呼び起こされた。
彼女はすぐに姿勢を正し、スカートの裾を優雅に持ち上げて、綺麗なカーテシーをした。
「お初にお目にかかります、アウレリア様。
私、リュミエール侯爵家の娘、フィリシア・フォン・リュミエールでございます。
以後、お見知り置きを」
その所作は、完璧だった。
けれど、フィリシアの心は揺れていた。
アウレリアは、その挨拶を微笑みながら見つめていた。
そして、柔らかく言った。
「また、会えたわね──フィリシアさん」
フィリシアは、目を見開いた。
そして、ぎこちない笑顔を浮かべながら答えた。
「え……ええ。そうですわね」
(やっぱりあの時の…!)
何も知らないルシアンが、首を傾げて聞いた。
「また?どういうこと、アウレリア?」
アウレリアは、くすっと笑って答えた。
「ふふっ、この前に街で会ったのよ。
でも、たしかに初めてまともに顔合わせするわよね。
よろしく、フィリシアさん!」
その笑顔は、まるで何もかも分かっているかのようだった。
フィリシアは、少しだけ間を置いてから、静かに返した。
「……ええ、もちろん」
その声は、どこか遠くを見ているようだった。
──記憶が、確かに繋がった。
けれど、それが何を意味するのかは、まだ分からない。
「何だ……二人とも会ってたんだね。
じゃあなおさら、フィリシアを驚かせちゃったかな」
「あ……いえ、とんでも。 でも──なぜ、ライナーが?」
フィリシアの視線は、少し離れた場所に立つ青年へと向けられていた。
その瞳には、戸惑いと、ほんの少しの痛みが混じっていた。
ライナーは、無言のまま、こちらを見ていた。
その表情は変わらず、冷静で、どこか遠い。
ルシアンは、何も気づかないまま、朗らかに答えた。
「ああ……ライナーは今日からアウレリアの護衛として一緒にいてくれるんだ。
父上が“大事な娘だから”って、無理言ってね……。
ライナーには悪いけど、これからアウレリアと一緒に行動してもらうよ。 もちろん、できる範囲でね」
その言葉に、フィリシアは息を呑んだ。
(護衛……?アウレリア様の……?)
心の奥に、何かがざらりと引っかかった。
ライナーが、アウレリアの傍にいる──それだけで、胸がざわついた。
フィリシアは、視線を落とし、静かに言った。
「……そう、ですのね」
ライナーは、何も言わなかった。
ただ、フィリシアの視線を受け止めていた。
──二人の間に、言葉にならない何かが流れていた。
アウレリアは、ふとフィリシアの顔を見て、何かを思いついたように微笑んだ。
その笑みは、どこか不敵で──まるで、何かを試すような光を帯びていた。
「フィリシアさん!髪にゴミがついているわ。ちょっといいかしら」
そう言って、彼女はすっとフィリシアの髪に手を伸ばした。
指先が、銀の髪を優しく撫でる。
その瞬間だった。
アウレリアは、囁くように言った。
「ねぇ……フィリシアさんって、ライナーさんのこと──好きなの?」
フィリシアの心臓が、跳ねた。
「えっ……」
戸惑いが言葉にならないまま、アウレリアはもう一度、問いかける。
「ねえ、どうなの?」
フィリシアは、動揺を隠すように微笑んだ。
「……そんなわけないですよ。アウレリア様、何をおっしゃるのですか」
その笑顔は、礼儀正しく、完璧だった。
けれど、声の奥には確かな震えがあった。
「え?何?」
何も聞こえなかったルシアンが、首を傾げて尋ねる。
アウレリアは、くすっと笑って言った。
「そう!なら良かったわ!」
そして、ルシアンにはこう続けた。
「ううん!何でもないわ、お兄様」
その笑顔は、まるで何もなかったかのように明るかった。
けれど──フィリシアには、違って見えた。
その微笑みの奥に、何かが潜んでいる。
何かを知っていて、何かを見透かしているような──そんな気配。
フィリシアは、目を見開いてアウレリアを見つめていた。
──この少女は、ただの王女ではない。
そして、ただの再会でもない。
窓から差し込む朝の光が、白いテーブルクロスを柔らかく照らしている。
銀のカトラリーが並ぶ皿の上には、ふわりと焼き上げられたバタークロワッサン。
その隣には、ハーブ入りのスクランブルエッグと、薄くスライスされたスモークサーモン。
紅茶は、香り高いダージリン。湯気の向こうに、静かな朝が広がっていた。
けれど、フィリシアの心は穏やかではなかった。
「たしか……前の記憶では、ルシアン様の妹君はずっと留学されて帰ってこないはず……」
小さく呟いた言葉は、紅茶の湯気に紛れて消えていく。
(なぜ違うのだろう?)
フォークを動かしながらも、思考は止まらなかった。
街で出会った、あの美少女。
(まさか……)
どこかで見たような気がしたのは──彼女が、ルシアン様と同じ金髪碧眼だったからだ。
その気品、あの瞳の色。
とても、ルシアンに似ていた。
フィリシアは、クロワッサンを口に運びながら、指先に残る指輪の感触を思い出していた。
──何かが、確かに違っている。
---
講堂には、全学科の生徒たちが整然と座っていた。
高い天井から差し込む光が、磨かれた床に反射して、空間全体を静かに照らしている。
壇上に立つ教師が、一歩前に出て、声を張った。
「ウィステリア王国からの留学に帰国し、今日からグラフィス学園貴族院学科の1年生として学ばれる──」
一瞬、空気が止まる。
「アウレリア・シルヴィ・デ・ヴァレンシュタイン様です」
その名が響いた瞬間、講堂の空気が揺れた。
生徒たちの視線が、一斉に壇上の中央へと向けられる。
そこに立っていたのは──
金色の髪が、光を受けて柔らかく揺れていた。
碧眼が、静かに前を見据えていた。
白い制服が、彼女の気品を際立たせている。
まるで、天使が舞い降りたかのようだった。
フィリシアは、息を呑んだ。
(……あの子……)
記憶の中の少女と、今目の前にいる少女が、重なっていく。
周囲のざわめきが、遠くに感じられた。
フィリシアの視線は、ただその少女に釘付けだった。
──運命の再会は、静かに始まった。
金髪の輝くカールが、講堂の光を受けて柔らかく揺れる。
宝石のような青い瞳が、静かに微笑んだ瞬間──
講堂の空気が、まるで祝福されたかのように澄み渡った。
「天使みたい……」
誰かが小さく呟いた声に、周囲の生徒たちが頷く。
その可憐さに、多くの生徒たちは見入っていた。
まるで、彼女の存在がこの場に“正しく”あるかのように。
だが──フィリシアだけは、違った。
紹介が終わり、拍手が静かに広がる中。
フィリシアは、胸の奥に広がるざらついた感覚に目を伏せた。
(……やっぱり、おかしい)
アウレリアの姿は、記憶の中の彼女と寸分違わぬものだった。
髪の色も、瞳の輝きも、微笑みの角度さえも。
(こんなこと……ありえる?)
フィリシアは、手のひらをそっと握りしめる。
(もしや……私が気づかぬうちに過去と今を変えてしまった?)
周囲の歓声が、遠くに感じられる。
フィリシアの視線は、壇上の少女に釘付けのまま、動かなかった。
──この再会は、ただの偶然ではない。
何かが、確かに“変わって”いる。
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講堂の紹介が終わると、アウレリアの周囲には瞬く間に生徒たちが集まった。
「アウレリア様!ぜひ私が学園内をご案内いたしますわ!」
「いいえ!私がご案内します!」
「アウレリア様!今日、一緒にお食事でも!まだご編入されたばかりで、色々分からないことが多いかもしれないので!」
その声の波に、アウレリアは少しだけ目を丸くした。
けれど、すぐに天使のような微笑みを浮かべる。
その可憐さに、生徒たちはますます熱を上げていた。
だが──アウレリアは、首を傾げて言った。
「うーん……ごめんね、皆さん。私、一緒に学園内を周る人がいるの」
ガーン!
生徒たちは、目に見えて落胆した。
肩を落とす者、呆然とする者、ため息を漏らす者──
その反応は、まるで夢から醒めたかのようだった。
──その時だった。
「アウレリア様」
凛とした、低い声が講堂に響いた。
その声には、さっきまでの生徒たちのような浮ついた響きはなかった。
アウレリアは、その声に気づくと、ふっと表情を緩めた。
フィリシアは、その声の主に目を向ける。
そして──胸の奥が、わずかにざわめいた。
---
(ライナー!?)
フィリシアは思わず目を見開いた。
講堂の入り口に立つその姿は、いつもの彼とは違って見えた。
ライナーは、ゆっくりとアウレリアの前へと歩み寄る。
その足取りは迷いなく、まっすぐだった。
「ご紹介が遅くなり申し訳ありません。
私、今日からアウレリア様の学園内での護衛としてお供させて頂く──
ライナー・アルマン・レオンハルトと申します」
その声は低く、よく通る。
騎士としての礼節と誇りを感じさせる口調だった。
フィリシアは、ただその様子を見つめていた。
「王女様は貴族院学科、私は剣技学科と学科が違うので離れることもありますが──
お供できる時は、王女様の護衛として尽力致します」
それは、フィリシアに向ける時の顔ではなかった。
冗談を言う時の柔らかさも、気遣いの笑みも、そこにはない。
凛とした、男らしさを感じる顔。
真っすぐで、揺るぎない顔だった。
「あら?あなたがライナーさんね。これからよろしくお願いするわね」
アウレリアは、柔らかく微笑んだ。
その笑顔は、まるで春の陽だまりのようだった。
フィリシアは、言葉を失ったまま、その光景を見つめていた。
胸の奥が、きゅっと締めつけられるような感覚。
──ライナーが、誰かの“騎士”として立っている。
それは、フィリシアが今まで見たことのない姿だった。
---
その時、講堂の扉が再び開いた。
「アウレリア……そこにいたんだね」
柔らかく、けれどどこか疲れたような声が響いた。
フィリシアが振り向くと、そこにはルシアンが立っていた。
「お兄様!」
アウレリアは、ぱっと顔を輝かせてルシアンの元へ駆け寄った。
その笑顔は、さっきまでの“王女”ではなく、ただの妹のそれだった。
「ライナー、ありがとね。
本当は……お父様が無理言って、俺はあんまり賛同する気じゃなかったんだけど……」
ルシアンの言葉に、フィリシアは思わず眉を寄せた。
(……お父様?賛同?)
ライナーは、少しだけ肩をすくめて答えた。
「いえ、大丈夫です。
まあ、俺もできる範囲でしかできないけど……」
その言葉は、どこか距離を保った響きだった。
フィリシアは、そのやり取りを見つめながら──
(……え?ライナーがアウレリア様の護衛?
ルシアン様のお父様が無理を言った?
賛同してない?……何それ?)
頭の中が、はてなで埋め尽くされていく。
ライナーが、王族の護衛に?
ルシアンが、それに反対していた?
なのに、今は普通に話している?
フィリシアは、講堂のざわめきの中で、ひとりだけ取り残されたような気持ちになっていた。
──何かが、確実に動いている。
でも、自分はその“外側”にいる。
アウレリアは、遠くに立っていたフィリシアの姿を見つけると、ぱっと顔を輝かせた。
「お兄様!あの方ってもしかして……」
ルシアンはその視線を追い、笑顔で手を振った。
「ん?ああ、フィリシアだよ。おーい、フィリシア!」
フィリシアは、自分が呼ばれたことに気づき、戸惑いながらも足を動かした。
講堂のざわめきの中、視線が集まるのを感じながら、ゆっくりとアウレリアたちの元へ向かう。
「どういうことって表情してるね……」
ルシアンの軽い言葉に、フィリシアは唖然としたように答えた。
「私……何が何だか」
そして、ちらりとアウレリアの方を見る。
その瞬間、フィリシアの中で“貴族としての礼節”が呼び起こされた。
彼女はすぐに姿勢を正し、スカートの裾を優雅に持ち上げて、綺麗なカーテシーをした。
「お初にお目にかかります、アウレリア様。
私、リュミエール侯爵家の娘、フィリシア・フォン・リュミエールでございます。
以後、お見知り置きを」
その所作は、完璧だった。
けれど、フィリシアの心は揺れていた。
アウレリアは、その挨拶を微笑みながら見つめていた。
そして、柔らかく言った。
「また、会えたわね──フィリシアさん」
フィリシアは、目を見開いた。
そして、ぎこちない笑顔を浮かべながら答えた。
「え……ええ。そうですわね」
(やっぱりあの時の…!)
何も知らないルシアンが、首を傾げて聞いた。
「また?どういうこと、アウレリア?」
アウレリアは、くすっと笑って答えた。
「ふふっ、この前に街で会ったのよ。
でも、たしかに初めてまともに顔合わせするわよね。
よろしく、フィリシアさん!」
その笑顔は、まるで何もかも分かっているかのようだった。
フィリシアは、少しだけ間を置いてから、静かに返した。
「……ええ、もちろん」
その声は、どこか遠くを見ているようだった。
──記憶が、確かに繋がった。
けれど、それが何を意味するのかは、まだ分からない。
「何だ……二人とも会ってたんだね。
じゃあなおさら、フィリシアを驚かせちゃったかな」
「あ……いえ、とんでも。 でも──なぜ、ライナーが?」
フィリシアの視線は、少し離れた場所に立つ青年へと向けられていた。
その瞳には、戸惑いと、ほんの少しの痛みが混じっていた。
ライナーは、無言のまま、こちらを見ていた。
その表情は変わらず、冷静で、どこか遠い。
ルシアンは、何も気づかないまま、朗らかに答えた。
「ああ……ライナーは今日からアウレリアの護衛として一緒にいてくれるんだ。
父上が“大事な娘だから”って、無理言ってね……。
ライナーには悪いけど、これからアウレリアと一緒に行動してもらうよ。 もちろん、できる範囲でね」
その言葉に、フィリシアは息を呑んだ。
(護衛……?アウレリア様の……?)
心の奥に、何かがざらりと引っかかった。
ライナーが、アウレリアの傍にいる──それだけで、胸がざわついた。
フィリシアは、視線を落とし、静かに言った。
「……そう、ですのね」
ライナーは、何も言わなかった。
ただ、フィリシアの視線を受け止めていた。
──二人の間に、言葉にならない何かが流れていた。
アウレリアは、ふとフィリシアの顔を見て、何かを思いついたように微笑んだ。
その笑みは、どこか不敵で──まるで、何かを試すような光を帯びていた。
「フィリシアさん!髪にゴミがついているわ。ちょっといいかしら」
そう言って、彼女はすっとフィリシアの髪に手を伸ばした。
指先が、銀の髪を優しく撫でる。
その瞬間だった。
アウレリアは、囁くように言った。
「ねぇ……フィリシアさんって、ライナーさんのこと──好きなの?」
フィリシアの心臓が、跳ねた。
「えっ……」
戸惑いが言葉にならないまま、アウレリアはもう一度、問いかける。
「ねえ、どうなの?」
フィリシアは、動揺を隠すように微笑んだ。
「……そんなわけないですよ。アウレリア様、何をおっしゃるのですか」
その笑顔は、礼儀正しく、完璧だった。
けれど、声の奥には確かな震えがあった。
「え?何?」
何も聞こえなかったルシアンが、首を傾げて尋ねる。
アウレリアは、くすっと笑って言った。
「そう!なら良かったわ!」
そして、ルシアンにはこう続けた。
「ううん!何でもないわ、お兄様」
その笑顔は、まるで何もなかったかのように明るかった。
けれど──フィリシアには、違って見えた。
その微笑みの奥に、何かが潜んでいる。
何かを知っていて、何かを見透かしているような──そんな気配。
フィリシアは、目を見開いてアウレリアを見つめていた。
──この少女は、ただの王女ではない。
そして、ただの再会でもない。
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