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第四章 錆色の迷宮
52:澱みの夏2
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「紅也と? うん、出かけるよ。でも旅行なんていいものじゃないんだ……」
数ヶ月前に初めて見た頃より、弁当屋の裏に集まる猫たちは毛並みもよく、丸くなった。
たっぷりの食事と愛情を注いでくれる蒼ちゃんに、我先にと群がる様子を見ていると、自分も同類だと再確認する。
紅君には短い言葉しか返せないのに、蒼ちゃんの前だと私は少し饒舌になる。
「自分探しの旅だって言ってた……」
「うん。我が弟ながらうまいこと言うなー。まさにそのとおりだよ」
猫に囲まれながら、蒼ちゃんが笑った。
その屈託のない笑顔にほっとする。
笑い返すことはまだ難しいが、蒼ちゃんの前でだけ私の肩の力が抜けることには、おそらく本人も気がついているだろう。
その証拠に、可愛がっている猫たちにも負けないほど、一番多く私に笑顔を向けてくれる。
たとえ悲しい言葉を紡いでいる時でも、いつも――。
「事故で失くした記憶を、とり戻したいらしいんだ……僕はあまりさせたくないんだけど……」
「……蒼ちゃん?」
心の中に秘めている私の思いを、蒼ちゃんが代弁したのかと驚いた。
呼びかけた私に真っ直ぐ顔を向けたまま、表情さえ笑顔のままで、蒼ちゃんは言い切る。
「紅也には言ってないんだけど……事故の前にあいつがお世話になっていた人は、あいつの事故と前後するようにして、ちょっと気の毒な亡くなり方をしてるんだ。思い出しても辛くなるだけだろうし、正義感の強い奴だから、きっと自分を責めると思う……だから僕は、紅也に思い出してほしくない……」
顔色が蒼白になっていないことを祈りながら、私は頷いた。
紅君と再会し、彼が記憶を失くしたと知ってから、私が抱えていたのと同じ気持ちを、蒼ちゃんも抱いていたことに驚いた。
「自分勝手だってわかってる……でもやっぱり僕は紅也が大切だし……今よりもっと幸せになってほしい……あいつ自身は過去を知りたいと願っているのに……酷い兄だね」
「そんなことない! 蒼ちゃんは優しい! 優しくって、本当に紅君が大切だから、そう思うんだもの……酷くなんてない! 絶対ない!」
不思議だ。
蒼ちゃんを庇う時の私にはまったく迷いがない。
頭で考えるのが追いつかないほど、次から次へと言葉が口から出てくる。
その上、相手がたとえ本人であっても、蒼ちゃんを悪く言われるのは我慢がならないらしい。
涙がこみ上げそうになる。
「まいったな……幻滅されたっておかしくないのに、そんなふうに言うから……自重しようって思ってるのにどんどん調子に乗る……」
いつもとは少し違った笑い方で、しゃがんだ体勢のまま私を見上げた蒼ちゃんに、ドキリとした。
蒼ちゃんの瞳は、どうしても忘れられない面影を私に思い出させる。
今は本人を目の前にしても思い出せない『俺もちいが好き』と告げてくれた時の紅君の眼差しだ。
「前に言ったでしょ? 僕は誰に何を言われたって、それが君以外からだったら傷つかない。本当に図太い人間だから……僕を諌めることができるのは千紗ちゃんだけなのに……許すの?」
複雑な想いが絡んだ蒼ちゃんの表情に、心臓が激しく脈打ち、思考も真っ白になり、何も考えられないのに、私の口は私自身の判断など待ちもせず、即答する。
「許す。こんな偉そうなこと言える立場じゃないけど……蒼ちゃんが私に判断を託すのなら、私はいくらだって許す。許すよ。そして手伝う! 蒼ちゃんが紅君を守るのを、私も手伝う!」
ふわりと蒼ちゃんが笑った。
それは私の大好きな、紅君に――そして亡くなった私の父によく似ている笑顔だった。
「ありがとう……」
次の瞬間には蒼ちゃんはいつもの満面の笑顔になり、私の心臓も少しずつ落ち着きをとり戻したが、しばらくは忘れられなかった。
私を真っ直ぐに見上げた、蒼ちゃんの真摯な瞳が頭から離れなかった。
(紅君……)
その瞳の向こうに、幼い頃の紅君の姿を重ね見ている私のほうが、自分を卑下して『酷い』と言う蒼ちゃんより、よほど酷い人間だ。
その自覚はあった。
涙が浮かぶほどに強く、私はいつでも自責の念に駆られていた。
数ヶ月前に初めて見た頃より、弁当屋の裏に集まる猫たちは毛並みもよく、丸くなった。
たっぷりの食事と愛情を注いでくれる蒼ちゃんに、我先にと群がる様子を見ていると、自分も同類だと再確認する。
紅君には短い言葉しか返せないのに、蒼ちゃんの前だと私は少し饒舌になる。
「自分探しの旅だって言ってた……」
「うん。我が弟ながらうまいこと言うなー。まさにそのとおりだよ」
猫に囲まれながら、蒼ちゃんが笑った。
その屈託のない笑顔にほっとする。
笑い返すことはまだ難しいが、蒼ちゃんの前でだけ私の肩の力が抜けることには、おそらく本人も気がついているだろう。
その証拠に、可愛がっている猫たちにも負けないほど、一番多く私に笑顔を向けてくれる。
たとえ悲しい言葉を紡いでいる時でも、いつも――。
「事故で失くした記憶を、とり戻したいらしいんだ……僕はあまりさせたくないんだけど……」
「……蒼ちゃん?」
心の中に秘めている私の思いを、蒼ちゃんが代弁したのかと驚いた。
呼びかけた私に真っ直ぐ顔を向けたまま、表情さえ笑顔のままで、蒼ちゃんは言い切る。
「紅也には言ってないんだけど……事故の前にあいつがお世話になっていた人は、あいつの事故と前後するようにして、ちょっと気の毒な亡くなり方をしてるんだ。思い出しても辛くなるだけだろうし、正義感の強い奴だから、きっと自分を責めると思う……だから僕は、紅也に思い出してほしくない……」
顔色が蒼白になっていないことを祈りながら、私は頷いた。
紅君と再会し、彼が記憶を失くしたと知ってから、私が抱えていたのと同じ気持ちを、蒼ちゃんも抱いていたことに驚いた。
「自分勝手だってわかってる……でもやっぱり僕は紅也が大切だし……今よりもっと幸せになってほしい……あいつ自身は過去を知りたいと願っているのに……酷い兄だね」
「そんなことない! 蒼ちゃんは優しい! 優しくって、本当に紅君が大切だから、そう思うんだもの……酷くなんてない! 絶対ない!」
不思議だ。
蒼ちゃんを庇う時の私にはまったく迷いがない。
頭で考えるのが追いつかないほど、次から次へと言葉が口から出てくる。
その上、相手がたとえ本人であっても、蒼ちゃんを悪く言われるのは我慢がならないらしい。
涙がこみ上げそうになる。
「まいったな……幻滅されたっておかしくないのに、そんなふうに言うから……自重しようって思ってるのにどんどん調子に乗る……」
いつもとは少し違った笑い方で、しゃがんだ体勢のまま私を見上げた蒼ちゃんに、ドキリとした。
蒼ちゃんの瞳は、どうしても忘れられない面影を私に思い出させる。
今は本人を目の前にしても思い出せない『俺もちいが好き』と告げてくれた時の紅君の眼差しだ。
「前に言ったでしょ? 僕は誰に何を言われたって、それが君以外からだったら傷つかない。本当に図太い人間だから……僕を諌めることができるのは千紗ちゃんだけなのに……許すの?」
複雑な想いが絡んだ蒼ちゃんの表情に、心臓が激しく脈打ち、思考も真っ白になり、何も考えられないのに、私の口は私自身の判断など待ちもせず、即答する。
「許す。こんな偉そうなこと言える立場じゃないけど……蒼ちゃんが私に判断を託すのなら、私はいくらだって許す。許すよ。そして手伝う! 蒼ちゃんが紅君を守るのを、私も手伝う!」
ふわりと蒼ちゃんが笑った。
それは私の大好きな、紅君に――そして亡くなった私の父によく似ている笑顔だった。
「ありがとう……」
次の瞬間には蒼ちゃんはいつもの満面の笑顔になり、私の心臓も少しずつ落ち着きをとり戻したが、しばらくは忘れられなかった。
私を真っ直ぐに見上げた、蒼ちゃんの真摯な瞳が頭から離れなかった。
(紅君……)
その瞳の向こうに、幼い頃の紅君の姿を重ね見ている私のほうが、自分を卑下して『酷い』と言う蒼ちゃんより、よほど酷い人間だ。
その自覚はあった。
涙が浮かぶほどに強く、私はいつでも自責の念に駆られていた。
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