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第四章 錆色の迷宮
58:交錯する想い3
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「学校……これまでみたいに一緒に登下校するのは、もう終わりにしたいんだ……」
短い夏休みが終わり、新しい学期が始まった初日。
いつもの駅のホームで紅君から切りだされた時、悪い予感が的中したと思った。
悲しいより寂しいより、そう言ってもらえたことにほっとした。
私が蒼ちゃんの目の前で紅君の手を取った以上、今までのように二人で過ごすわけにはいかない。
もともと蒼ちゃんがひきあわせてくれた二人だからこそ、なおさらだ。
本当は私から言わなければならなかったことを、先に言ってくれた紅君の優しさに感謝する。
「うん。わかった。ごめんなさい」
「いや、俺こそごめん……」
お互い、何に対して『ごめんなさい』なのかは、言及しなかった。
確かめあうことが恐いので、私は先にその場から逃げだす。
「じゃあ私……こっちの車両に行くから……」
「ああ……」
背中を向けあい、私たちは別々の車両へ乗りこんだ。
夕暮れ時の電車は普段ならば学校帰りの学生で賑わっているが、今はまだ普通の学校は夏休み中なので、比較的人がまばらだ。
四人がけのボックスシートに一人で座り、頬がつくほど窓に顔を近づけ、外の景色を見ようとすると、今にも泣きだしそうな自分の顔が見えた。
(なによだらしない……紅君と再会する前に戻っただけじゃないの……)
半年前までは毎日一人で乗っていた電車なのに、今はそれが寂しい。
特に会話を交わすわけではないが、紅君はいつも私から見える範囲の場所にいてくれた。
それが自分にとってどれほど大切なことだったのかを、失って初めて思い知らされる。
(悪いのは私なんだから……! 傍にいたいなんて……もともとそんなこと望める立場じゃなかったのに、蒼ちゃんと紅君の優しさに甘えてただけなんだから……!)
自分を戒め、俯いて唇を噛みしめていたら、頭上から声をかけられた。
「ここ空いてる? ……ねえ君、隣座ってもいい?」
はっと顔を跳ね上げると、若い男の人が三人、狭い通路を塞いで立っていた。
四人がけの席に知らない男の人三人と座るのは嫌で、私は慌てて立ち上がる。
「どうぞ……私は移動しますから……」
他にも空いている席はたくさんあるのにと嘆息しながら、自分がその空席へ移動しようとしたら腕を掴まれた。
「いなくなっちゃったら意味ないじゃん。一緒に座ろうよ」
「いえ……! 私は……」
「いいからいいから」
大きな体で進路を塞がれ、焦る。
ふり解こうとした腕も、ますます力を入れられてしまい、なかなかとり戻せない。
「放してください……!」
きりっと睨みつけたら、馬鹿にしたように鼻で笑われた。
「いいじゃん仲良くしようよぉ」
これは車掌に気づいてもらうしかないと、男たちの間から隣の車両へ目を向けると、淡い色の髪が見えた。
その髪が太陽の光を受けてきらきらと輝いていた頃から、私は気がつけば、いつも彼を見ていた。
どれほど遠くからでも、一目で他の子とは見わけがつく相手を、やはりこういう時でも真っ先に見つけてしまい、そういう自分に困惑する。
彼の綺麗な色の髪が、私は子供の頃から大好きだった。
髪だけではない。
彼の全てが――。
(紅君……)
声に出して呼んだわけではないのに、ふり返ってこちらを見た紅君は、次の瞬間には立ち上がっていた。
走ることはできない足で、それでも彼にとっては最速の速さで、瞬く間に私のところへ駆けつけるから、泣きそうな気持ちになる。
「放せ! 嫌がってるだろ」
ぐるりと周りをとり囲まれた時は、とても逃げられないと観念しそうになった男たちだったが、並ぶと紅君よりは背が低かった。
しかもかなりの怒りをこめた目で睨みつけられ、あきらかに萎縮してしまったのが私にもわかった。
「こっちに来て」
ぐいっと反対の腕を紅君に引かれ、よろめきながら歩きだした私から、男たちは手を放した。
そのまま何もせず私たちを見送っているのに、紅君は歩みを止めない。
先頭車両まで手を引いたまま私を連れていき、強引に一人がけの席へ座らせた。
そして、まるで私の姿を隠すかのように、すぐ目の前に立ち塞がる。
「目を放したら、次の瞬間にはもうこれなんて……冗談じゃない」
怒ったような声に、私はうな垂れた。
「ごめんなさい」
「違うよ、ごめん……自分に腹が立ってるんだ……いや……呆れてるのかも……」
先日からのよそよそしい態度と比べれば、あきらかに親しい調子をとり戻した声音に、私は恐る恐る顔を上げた。
紅君は本当に困りきった表情で、私を見下ろしていた。
「兄さんが大切にしてる子だってことは、わかってる……だから俺だって守ってやんなきゃ、兄さんがいない時は俺が傍にいてやんなきゃって思ってたはずなのに……それはいったいなんのためだったのか……本当に兄さんのためだったのか……自分でももう、全然わからない!」
「紅君……?」
「なんで俺のことをそう呼ぶの? なんでその声を聞いたら……遠くからでも姿を見つけたら……どんなに自制しようとしたって、俺の体は勝手に動きだすの……?」
「紅君……!」
「ごめん。やっぱり変なこと言ってる……無理だよ……これ以上傍にいるなんてやっぱりできない。でも目を放すことだって、本当は一瞬だってできない……!」
私が座る座席の背もたれを、指先が真っ白になるほどギュッと掴んだまま、紅君は顔を伏せた。
心臓を鷲づかみにされたかのように胸が痛く、つうっと一筋、私の目から涙が零れ落ちる。
今にも零れそうに溢れだし、先ほどからずっと我慢していた涙が、やはり我慢できずに零れ落ちた。
紅君は何の迷いもなく私に手を伸ばし、指先でその涙をすくう。
「泣き顔なんて見たくない。いつも笑っててほしい……いろんなことをたくさん抱えこんで、きっと一人で泣いてるんだろうななんて思ったら……頭ではわかってるつもりでも、やっぱり放っておけない……!」
頬を撫でるように涙の跡を拭っていた大きな手が、私の頭のうしろへ廻った。
力強くひき寄せられ、そのまま紅君の胸に抱きしめられる。
「兄さんが好きならそう言って! もう二度と会わないし、学校だって辞める! 大好きな兄さんの幸せなら……たとえ今すぐは無理でも……きっといつかは祝えるはずなんだ……!」
涙で濡れた顔のまま、恐る恐る彼の背中へ手を廻し、私は首を振った。
懸命に振った。
(無理だ! 紅君に嘘を吐くなんて私にはできない! たとえ紅君自身がそれを望んでも……私のほうから突っぱねることを望んでるってわかってても……やっぱりできない!)
決して言葉にできない本当の気持ちを、紅君に伝えようとするかのように、無我夢中で彼にしがみついた。
(私が好きなのは紅君だから! いつになっても、何があっても、ずっとずっと紅君だから!)
ぎゅっと一瞬力をこめ、私を強く抱きしめてから紅君は腕を解いた。
床に置いたままにしていた鞄を持ち上げ、踵を返す。
「ごめん……帰る……やっぱりもう会えない……」
私は慌てて席から立ち上がる。
足をひきずりながら電車から降りていく背中を、急いで追おうとした瞬間、プシューッと扉の閉まる音がした。
「紅君!」
出口に駆け寄った私の目の前で、重たい鉄の扉は静かに閉じた。
「紅君! 紅君!」
周りの目も気にしないで、拳で扉を叩く。
ホームに降り立った紅君はこちらをふり返り、苦しそうに顔を歪めて首を振った。
「ごめん」と呟くように、小さく唇が動く。
『さよなら……』
彼の唇の動きだけで、私がその言葉を読み取った瞬間、電車が静かに動きだした。
「待って! やだ……待って、紅君!」
みっともなく叫びながら、窓に貼りつき、遠くなっていくホームを見る。
紅君は微動だにせず、同じ場所に立っていた。
私の乗った電車を、静かに見送っていた。
「やだよ紅君!」
届くはずのない声をふり絞り、懸命に首を捻り、見つめるホームが次第に見えなくなっていく。
私の視界から消えていく。
彼と私のわずかな繋がりが、確かに分断されていく感覚があり、私はその場に崩れ落ちるように座りこんだ。
「いやだよ!」
良心の呵責や罪悪感や後悔や苦悩。
胸に渦巻く様々な感情を全て取り払えば、私の中に残るのは結局ただ一つ――紅君を想う気持ちだけなのに。
それこそが一番許されない、望むべくもない願いだということが辛かった。
短い夏休みが終わり、新しい学期が始まった初日。
いつもの駅のホームで紅君から切りだされた時、悪い予感が的中したと思った。
悲しいより寂しいより、そう言ってもらえたことにほっとした。
私が蒼ちゃんの目の前で紅君の手を取った以上、今までのように二人で過ごすわけにはいかない。
もともと蒼ちゃんがひきあわせてくれた二人だからこそ、なおさらだ。
本当は私から言わなければならなかったことを、先に言ってくれた紅君の優しさに感謝する。
「うん。わかった。ごめんなさい」
「いや、俺こそごめん……」
お互い、何に対して『ごめんなさい』なのかは、言及しなかった。
確かめあうことが恐いので、私は先にその場から逃げだす。
「じゃあ私……こっちの車両に行くから……」
「ああ……」
背中を向けあい、私たちは別々の車両へ乗りこんだ。
夕暮れ時の電車は普段ならば学校帰りの学生で賑わっているが、今はまだ普通の学校は夏休み中なので、比較的人がまばらだ。
四人がけのボックスシートに一人で座り、頬がつくほど窓に顔を近づけ、外の景色を見ようとすると、今にも泣きだしそうな自分の顔が見えた。
(なによだらしない……紅君と再会する前に戻っただけじゃないの……)
半年前までは毎日一人で乗っていた電車なのに、今はそれが寂しい。
特に会話を交わすわけではないが、紅君はいつも私から見える範囲の場所にいてくれた。
それが自分にとってどれほど大切なことだったのかを、失って初めて思い知らされる。
(悪いのは私なんだから……! 傍にいたいなんて……もともとそんなこと望める立場じゃなかったのに、蒼ちゃんと紅君の優しさに甘えてただけなんだから……!)
自分を戒め、俯いて唇を噛みしめていたら、頭上から声をかけられた。
「ここ空いてる? ……ねえ君、隣座ってもいい?」
はっと顔を跳ね上げると、若い男の人が三人、狭い通路を塞いで立っていた。
四人がけの席に知らない男の人三人と座るのは嫌で、私は慌てて立ち上がる。
「どうぞ……私は移動しますから……」
他にも空いている席はたくさんあるのにと嘆息しながら、自分がその空席へ移動しようとしたら腕を掴まれた。
「いなくなっちゃったら意味ないじゃん。一緒に座ろうよ」
「いえ……! 私は……」
「いいからいいから」
大きな体で進路を塞がれ、焦る。
ふり解こうとした腕も、ますます力を入れられてしまい、なかなかとり戻せない。
「放してください……!」
きりっと睨みつけたら、馬鹿にしたように鼻で笑われた。
「いいじゃん仲良くしようよぉ」
これは車掌に気づいてもらうしかないと、男たちの間から隣の車両へ目を向けると、淡い色の髪が見えた。
その髪が太陽の光を受けてきらきらと輝いていた頃から、私は気がつけば、いつも彼を見ていた。
どれほど遠くからでも、一目で他の子とは見わけがつく相手を、やはりこういう時でも真っ先に見つけてしまい、そういう自分に困惑する。
彼の綺麗な色の髪が、私は子供の頃から大好きだった。
髪だけではない。
彼の全てが――。
(紅君……)
声に出して呼んだわけではないのに、ふり返ってこちらを見た紅君は、次の瞬間には立ち上がっていた。
走ることはできない足で、それでも彼にとっては最速の速さで、瞬く間に私のところへ駆けつけるから、泣きそうな気持ちになる。
「放せ! 嫌がってるだろ」
ぐるりと周りをとり囲まれた時は、とても逃げられないと観念しそうになった男たちだったが、並ぶと紅君よりは背が低かった。
しかもかなりの怒りをこめた目で睨みつけられ、あきらかに萎縮してしまったのが私にもわかった。
「こっちに来て」
ぐいっと反対の腕を紅君に引かれ、よろめきながら歩きだした私から、男たちは手を放した。
そのまま何もせず私たちを見送っているのに、紅君は歩みを止めない。
先頭車両まで手を引いたまま私を連れていき、強引に一人がけの席へ座らせた。
そして、まるで私の姿を隠すかのように、すぐ目の前に立ち塞がる。
「目を放したら、次の瞬間にはもうこれなんて……冗談じゃない」
怒ったような声に、私はうな垂れた。
「ごめんなさい」
「違うよ、ごめん……自分に腹が立ってるんだ……いや……呆れてるのかも……」
先日からのよそよそしい態度と比べれば、あきらかに親しい調子をとり戻した声音に、私は恐る恐る顔を上げた。
紅君は本当に困りきった表情で、私を見下ろしていた。
「兄さんが大切にしてる子だってことは、わかってる……だから俺だって守ってやんなきゃ、兄さんがいない時は俺が傍にいてやんなきゃって思ってたはずなのに……それはいったいなんのためだったのか……本当に兄さんのためだったのか……自分でももう、全然わからない!」
「紅君……?」
「なんで俺のことをそう呼ぶの? なんでその声を聞いたら……遠くからでも姿を見つけたら……どんなに自制しようとしたって、俺の体は勝手に動きだすの……?」
「紅君……!」
「ごめん。やっぱり変なこと言ってる……無理だよ……これ以上傍にいるなんてやっぱりできない。でも目を放すことだって、本当は一瞬だってできない……!」
私が座る座席の背もたれを、指先が真っ白になるほどギュッと掴んだまま、紅君は顔を伏せた。
心臓を鷲づかみにされたかのように胸が痛く、つうっと一筋、私の目から涙が零れ落ちる。
今にも零れそうに溢れだし、先ほどからずっと我慢していた涙が、やはり我慢できずに零れ落ちた。
紅君は何の迷いもなく私に手を伸ばし、指先でその涙をすくう。
「泣き顔なんて見たくない。いつも笑っててほしい……いろんなことをたくさん抱えこんで、きっと一人で泣いてるんだろうななんて思ったら……頭ではわかってるつもりでも、やっぱり放っておけない……!」
頬を撫でるように涙の跡を拭っていた大きな手が、私の頭のうしろへ廻った。
力強くひき寄せられ、そのまま紅君の胸に抱きしめられる。
「兄さんが好きならそう言って! もう二度と会わないし、学校だって辞める! 大好きな兄さんの幸せなら……たとえ今すぐは無理でも……きっといつかは祝えるはずなんだ……!」
涙で濡れた顔のまま、恐る恐る彼の背中へ手を廻し、私は首を振った。
懸命に振った。
(無理だ! 紅君に嘘を吐くなんて私にはできない! たとえ紅君自身がそれを望んでも……私のほうから突っぱねることを望んでるってわかってても……やっぱりできない!)
決して言葉にできない本当の気持ちを、紅君に伝えようとするかのように、無我夢中で彼にしがみついた。
(私が好きなのは紅君だから! いつになっても、何があっても、ずっとずっと紅君だから!)
ぎゅっと一瞬力をこめ、私を強く抱きしめてから紅君は腕を解いた。
床に置いたままにしていた鞄を持ち上げ、踵を返す。
「ごめん……帰る……やっぱりもう会えない……」
私は慌てて席から立ち上がる。
足をひきずりながら電車から降りていく背中を、急いで追おうとした瞬間、プシューッと扉の閉まる音がした。
「紅君!」
出口に駆け寄った私の目の前で、重たい鉄の扉は静かに閉じた。
「紅君! 紅君!」
周りの目も気にしないで、拳で扉を叩く。
ホームに降り立った紅君はこちらをふり返り、苦しそうに顔を歪めて首を振った。
「ごめん」と呟くように、小さく唇が動く。
『さよなら……』
彼の唇の動きだけで、私がその言葉を読み取った瞬間、電車が静かに動きだした。
「待って! やだ……待って、紅君!」
みっともなく叫びながら、窓に貼りつき、遠くなっていくホームを見る。
紅君は微動だにせず、同じ場所に立っていた。
私の乗った電車を、静かに見送っていた。
「やだよ紅君!」
届くはずのない声をふり絞り、懸命に首を捻り、見つめるホームが次第に見えなくなっていく。
私の視界から消えていく。
彼と私のわずかな繋がりが、確かに分断されていく感覚があり、私はその場に崩れ落ちるように座りこんだ。
「いやだよ!」
良心の呵責や罪悪感や後悔や苦悩。
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