大天使に聖なる口づけを

シェリンカ

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第二章 秘密の任務と憧れの騎士

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臨時衛兵の仕事というのは、それほどたいへんなものではなかった。

 祭りの時限りの増員なのだから、当然と言えば当然である。



 主な仕事は城の周囲の見回りと、通用口の警備。

 エミリアたちに割りふられたのは、城壁の西側の通用口だった。



 祭り当日の人出を考慮して、少しゆっくりとした歩調で城の周りを見回る。

 それでも元いた場所に帰ってくるまでに、それほど長い時間はかからなかった。

 残りの時間は近くにいる者たちと談笑して、通用口の周りで形ばかりの警備の時間を過ごす。



 指導者であるランドルフは、城の周辺に怪しいものがないかを確認しながら、緊張気味の臨時衛兵たちを先導して、何周も何周も城の周りを巡っていた。



 単調な仕事を厭わない様子にも、みんなの気持ちをほぐそうとしきりに声をかけてあげている様子にも、エミリアはただただ感動するばかりだった。



(ランドルフ様って本当に素敵な方だな……)



 しかし、そう思えば思うほど変に意識してしまい、自然に話すことは難しくなっていく。



 フィオナがことあるごとに、

「どう? もうキスできる?」

「まだやらないの?」

 とくり返したが、そんなこと、できるはずもなかった。



「今日会ったばかりの相手といきなりキスなんてできるはずないじゃない! ……しかも私は今、男の子なんだよ⁉ それでなくたって緊張するばかりで、話だって全然まともにできないのに……!」



 全隊共通の休憩時間になり、ひさしぶりに一緒になったアウレディオの顔を見て、ついにエミリアの怒りが爆発した。

 半ば八つ当たり気味の言葉が、次々と口から飛び出す。



 膝を抱えて座りこんでしまったエミリアを、黙ったまましばらく見下ろしていたアウレディオは、そのままふいとどこかへいなくなってしまった。



「そう……そうよね……」



 隣に屈みこんだフィオナは自分の言動を反省し、エミリアを労わってくれているようだった。

 後ろで一つに束ねた栗色の髪を、優しくすいてくれる指が気持ちいい。



「ちょっとこの計画には無理があるわよね……」

「そうよ!」



 膝に突っぷしていた顔を跳ね上げたエミリアは、いつの間にか自分達の目の前に人が立っていたことに気がついた。



 足から体、体から顔へと目線を上げ、その人物が誰なのかを確認して、小さく悲鳴を上げる。



「どうした? 気分でも悪くなったのか?」



 心配げに眉を曇らせてエミリアを見下ろしていたのは、ランドルフだった。



 背後にはアウレディオの姿も見える。

 まさかランドルフを呼びに行っていたのだろうか。



「あ、あの……」



 真っ赤になって言い淀むエミリアの言葉を遮って、アウレディオが口を挟む。



「大丈夫です。お腹がすいてるだけです」

「な、なんっ……!」



 あまりの言い草に、抗議の声を上げようとしたエミリアだったが、



「ランドルフ様も我々と一緒に休憩されませんか?」

「ああ、そうだな。それじゃ……少し休憩することにしよう」



 アウレディオの提案に従って、あっさりとランドルフがその場に腰を下ろしてしまったので、もう何も言えなくなった。



 エミリアたちが座る周りには、小花をつけた雑草があちらこちらに生えている。

 ぽつぽつと咲く花を揺らして、爽やかな風が吹き抜けていく中、見上げれば空は青空。

 感謝祭が近づいた初秋のリンデンは、目に映る風景も肌で感じる空気も、実に清々しかった。 

 

 その清々しさに負けないくらいに爽やかな騎士が、エミリアのすぐ近くに座る。

 小さな額に収まる絵の中ではなく、実際に隣にいる。



(本当に信じられない!)



 ドキドキと高鳴る胸が苦しくて、息を吸うのさえままならない。

 言葉など出てくるはずもなく、おし黙るばかりのエミリアを、アウレディオがふいにふり返った。



「エミリオ。はらぺこじゃ、このあと仕事にならないぞ……どうせ何か持ってるんだろ? 今朝いい匂いがしてた……」

「あっ!」



 エミリアは慌てて、腰に下げていた荷物袋に手を伸ばした。



「すっかり忘れてた!」



 中から取り出したのは小さな包みだった。

 両手に載せると、隣に来たフィオナが心得たかのようにそっと開いていく。



「今日は香草入りのクッキー? ふーんいい香り……」



 お菓子作りはエミリアの趣味であると同時に、使命であると言ってもよかった。

 たどり着きたい味があって、忙しい家事と仕事の合間を縫っては、ああでもないこうでもないと試行錯誤をくり返している。



 目指していたのは、小さな頃によく作ってもらった母の味だった。

 母が突然いなくなり、大好きだったお菓子も食べられなくなってから、エミリアは母の味を再現することに砕身した。

 このまま忘れてしまいたくなどなかった。



『もっとこんな味だったよね……? 固さはどうだった?』



 アウレディオと二人で、かなり研究を重ねた。



 学校を卒業したあたりから、アウレディオが手伝うことは滅多になくなったが、エミリアは一人でも時間を見つけては作り続けた。

 その甲斐あってか、今ではかなり母の味にも近づけたと自負している。



「ランドルフ様もどうですか? 甘いものお嫌いですか?」



 自分も一枚つまみながら、促したアウレディオの声に従って、



「いや、そんなことはないんだが、食べる機会はそんなにないな」



 ランドルフがエミリアのクッキーを一枚取り上げる。



 一挙手一投足も見逃すまいと見つめ続けるエミリアの目の前で、一口、また一口と口に入れ、見る見るその表情が変わった。



「おいしい……!」

「でしょう?」



 まるで自分のことのように誇らしそうに胸を張るアウレディオが、エミリアはなんだかおかしい。



 しかしそれにも増して、驚いた顔で手にしたクッキーをまじまじと見つめているランドルフの様子が嬉しかった。



 誰よりもたくさんのクッキーを、黙々と小さな口に詰めこみ続けていたフィオナは、ランドルフをチラリと横目に見て、

「うん。エミリアのお菓子を初めて食べた人の、いつもどおりの反応だわ」

 と評価した。



「エミリオよ。エ・ミ・リ・オ!」



 慌てて小声で訂正するエミリアに、ランドルフが灰青色の瞳を輝かせながら問いかける。



「もう一つもらえるかな?」

「ど、どうぞ……」



 エミリアは震える手で、クッキーの包みをさし出した。

 ようやく初めての会話が交わせたことに、泣きたいくらいに感動していた。



 つい昨日まで絵を眺めるばかりだった憧れの人が、今、エミリアの作ったお菓子を食べてくれている。

 しかも肩が触れそうなくらいにすぐ近くに座って、穏やかな笑顔を向けてくれる。



 信じられない状況に緊張するばかりだったエミリアの心が、ようやく今の状態を、現実のこととして受け止められるようになってきた。



(本当……なんだよね……)



 素直に嬉しいという感情がこみ上げて、こわばっていた頬が綻ぶ。



 今ならもっと、自分からランドルフに話しかけることもできそうな気がした。



「明日はランドルフ様の好きなもの作ってきます。何がいいですか?」



 声が裏返らないようにと気をつけながら、せいいっぱいの勇気をふり絞っての言葉だった。

 しかしふとエミリアに目を向けたランドルフは、なぜか次の瞬間、首まで真っ赤になってふいと視線を逸らす。



(え? 何? 私なにか変なこと言った……?)



 わけもわからずうろたえるエミリアから身を引くように、ランドルフはその場に立ち上がった。



「そ、そろそろ時間だな。私はこれで失礼する」



 慌てたように城のほうへと去って行く背中は、ついにそれきり、一度もふり返らなかった。



「どうしたんだろう? ……ねえ、私なにかした?」



 困惑するエミリアに、アウレディオは何も答えてくれない。

 ただ何かを考えこむかのように、エミリアのクッキーと小さくなって行くランドルフの背中を交互に見つめている。



 フィオナはというと、エミリアの周囲に視線を巡らせながら、さも納得したかのように、「ああ」と頷くばかりだった。



「何か知ってるんなら、私にもわかるように説明してよ!」



「別になんでもないだろ」



 焦るエミリアに、アウレディオは感情の読み取れない冷たい顔を向け、ランドルフのあとを追って行ってしまった。



 その背中がまったく見えなくなってから、フィオナは呆然と座りこむエミリアに、逆に問いかけてきた。



「ねえ、エミリア……今日は自分からお菓子を作ろうって思ったの?」



 唐突な質問にエミリアは首を傾げた。

 ぶるぶると首を横に振りながら、聞かれたことに対して答える。



「ううん。お母さんが、作っていったら、って言うから作ったんだけど……」

「えっ? ……アウレディオじゃないの?」

「どうしてディオ?」

「いいえ、そうじゃないならいいの……私も、ひょっとしてって思っただけだから……」



 いつもは歯に衣着せぬフィオナの言葉が、なんとも歯切れが悪い。

 アウレディオもフィオナも、何かを知っているふうなのにエミリアには教えてくれない。

 それらのことに、エミリアは小さな苛立ちと疎外感を感じた。



「ねぇ、私にもわかるように説明してよ」



 強めの口調で懇願したエミリアに、フィオナは、「あくまでもこれは私の考えよ……」と前置きして、ようやく説明を始めてくれた。



 しかしそれは、あまりにも信じられないような内容だった。
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