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冬の章
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「どこにいるんだ」
「ヒントその一。村じゃありません」
「それは雑音でわかる」
「あはは、そうだね。じゃあ改めてヒントその一。何時間前になるかな、僕のところに編集部から電話がかかってきた。もし僕にその気があるなら、連絡を取って欲しいって教わった番号は、君のマネージャーの携帯の番号だった」
「えっ!?」
真珠は手を上げて通りかかったタクシーを止めた。住所を告げて、どくどくと血液が流れる音をうるさく思いながら、篤宏の声に再び耳を傾ける。
「ヒントその二は、味噌と醤油、かな」
「味噌と醤油……」
何の暗号なのだろうか。これは真珠には咄嗟にわからなかった。
わかったのは、篤宏と久米が直接話したらしいということだ。
そして、篤宏が真珠を驚かせようとしているならば、真珠が行くべき場所はひとつしかなかった。
そこは、初乗りの距離に満たないほどの近さだった。けれど、一秒でも早く着きたかった。
運転手に千円札を押しつけて、釣り銭を渡される前に真珠はタクシーから飛び出した。
マンションのエントランスに、黒いコートに身を包んだ長身の影が立っていた。真珠に気付いて、軽く手を上げてみせる。その影に向かって真珠は走り、息を荒げながら問いを重ねた。
「……なんで、ここがわかったんだ? 久米が教えたのか? それに、今はバスが出てないんじゃ」
「味噌と醤油ってわからなかったかな。君が送ってくれたお中元。あれに住所があったからね。それに、バスは出てないけど、達雄さんに駅まで車で乗せてもらった」
「あっ」
一気に真珠の脳裏で色々なことが繋がった。あの村から最後に帰ったとき、通りかかった達雄には篤宏が連絡して真珠のことを頼んだのではないか。それに、久米がわざわざすぐに読めと渡してきた本のことも。確かにあれは、真珠を立ち直らせる最後の一手であったが、同時に時間稼ぎだったのだ。
もしかすると池田が久米に、篤宏を呼び寄せるように頼んだのかもしれなかった。
驚きすぎて固まっている真珠を見下ろして、篤宏はくすりと笑った。
「それ、シロくんの驚いてる顔ってさ……見るのは久しぶりだなあ。でも、やっぱりその顔が僕は凄く好きだ。
君はもうあそこに来ないって言ったけど、僕はもう一度君に会いたかった。だから」
ここは人の少ない村ではないし、周りを歩く人もいる。けれど、もう真珠にはそんなことはどうでも良かった。
「あそこで待ってるだけじゃダメだと思った。――迎えに来たよ」
篤宏が広げた腕に飛び込んで、力一杯抱きしめる。冷たい空気の中に篤宏の匂いを感じて、真珠の目にじわりと涙が浮かんだ。
すぐに我に返った真珠は、篤宏を部屋に招き入れた。真珠の部屋は物が少なく、ともすれば殺風景に見えるが、そこに篤宏がいるだけでとても温かく思えた。
「篤宏、会いたかった」
篤宏の胸に頭を擦り寄せると、しっかりとした厚みが真珠を受け止めてくれる。まるで行き違いも空白もなかったとでもいうように、篤宏はいつもと同じ穏やかさで真珠を抱きしめてくれた。
「僕も、ずっと君に会いたかった。君があの時泣いたことが、わからないわけじゃないんだ。
でも、僕にもどうしたらいいかがわからなかった。君よりも僕は大人だと思ってたから、君を宥めなきゃいけない。ちゃんとしたところを歩かせなきゃいけないって、体面のことを考えてしまった。
ごめん、君が苦しんでるのに、僕の言葉は君を突き放した。君がひとりにされるのを嫌がってるって、わかってたはずなのに傷つけた」
「謝るのは俺の方だ。タイムリミットに焦って、自分のわがままばかり押しつけた。
……久米に言われていたんだ。こんなことをいつまでも続けられると思っていないだろう、と。オフを続けて取るために、俺は周りに無理を押しつけてた。
確かに、俺の都合だけでスケジュールは動かない。俺の都合を中心にスケジュールが回るなら、それはもっと信頼と実力を重ねていって、氷坂真珠でないとこの仕事はできない、って任されるようになったときだと思う。だから」
真珠は顔を上げた。強い光を持った目で、篤宏の目を正面から見つめる。
「俺は、そうなってみせる」
「君にならできるよ」
真珠の強い視線を受け止めて、篤宏は柔らかく笑った。
「ヒントその一。村じゃありません」
「それは雑音でわかる」
「あはは、そうだね。じゃあ改めてヒントその一。何時間前になるかな、僕のところに編集部から電話がかかってきた。もし僕にその気があるなら、連絡を取って欲しいって教わった番号は、君のマネージャーの携帯の番号だった」
「えっ!?」
真珠は手を上げて通りかかったタクシーを止めた。住所を告げて、どくどくと血液が流れる音をうるさく思いながら、篤宏の声に再び耳を傾ける。
「ヒントその二は、味噌と醤油、かな」
「味噌と醤油……」
何の暗号なのだろうか。これは真珠には咄嗟にわからなかった。
わかったのは、篤宏と久米が直接話したらしいということだ。
そして、篤宏が真珠を驚かせようとしているならば、真珠が行くべき場所はひとつしかなかった。
そこは、初乗りの距離に満たないほどの近さだった。けれど、一秒でも早く着きたかった。
運転手に千円札を押しつけて、釣り銭を渡される前に真珠はタクシーから飛び出した。
マンションのエントランスに、黒いコートに身を包んだ長身の影が立っていた。真珠に気付いて、軽く手を上げてみせる。その影に向かって真珠は走り、息を荒げながら問いを重ねた。
「……なんで、ここがわかったんだ? 久米が教えたのか? それに、今はバスが出てないんじゃ」
「味噌と醤油ってわからなかったかな。君が送ってくれたお中元。あれに住所があったからね。それに、バスは出てないけど、達雄さんに駅まで車で乗せてもらった」
「あっ」
一気に真珠の脳裏で色々なことが繋がった。あの村から最後に帰ったとき、通りかかった達雄には篤宏が連絡して真珠のことを頼んだのではないか。それに、久米がわざわざすぐに読めと渡してきた本のことも。確かにあれは、真珠を立ち直らせる最後の一手であったが、同時に時間稼ぎだったのだ。
もしかすると池田が久米に、篤宏を呼び寄せるように頼んだのかもしれなかった。
驚きすぎて固まっている真珠を見下ろして、篤宏はくすりと笑った。
「それ、シロくんの驚いてる顔ってさ……見るのは久しぶりだなあ。でも、やっぱりその顔が僕は凄く好きだ。
君はもうあそこに来ないって言ったけど、僕はもう一度君に会いたかった。だから」
ここは人の少ない村ではないし、周りを歩く人もいる。けれど、もう真珠にはそんなことはどうでも良かった。
「あそこで待ってるだけじゃダメだと思った。――迎えに来たよ」
篤宏が広げた腕に飛び込んで、力一杯抱きしめる。冷たい空気の中に篤宏の匂いを感じて、真珠の目にじわりと涙が浮かんだ。
すぐに我に返った真珠は、篤宏を部屋に招き入れた。真珠の部屋は物が少なく、ともすれば殺風景に見えるが、そこに篤宏がいるだけでとても温かく思えた。
「篤宏、会いたかった」
篤宏の胸に頭を擦り寄せると、しっかりとした厚みが真珠を受け止めてくれる。まるで行き違いも空白もなかったとでもいうように、篤宏はいつもと同じ穏やかさで真珠を抱きしめてくれた。
「僕も、ずっと君に会いたかった。君があの時泣いたことが、わからないわけじゃないんだ。
でも、僕にもどうしたらいいかがわからなかった。君よりも僕は大人だと思ってたから、君を宥めなきゃいけない。ちゃんとしたところを歩かせなきゃいけないって、体面のことを考えてしまった。
ごめん、君が苦しんでるのに、僕の言葉は君を突き放した。君がひとりにされるのを嫌がってるって、わかってたはずなのに傷つけた」
「謝るのは俺の方だ。タイムリミットに焦って、自分のわがままばかり押しつけた。
……久米に言われていたんだ。こんなことをいつまでも続けられると思っていないだろう、と。オフを続けて取るために、俺は周りに無理を押しつけてた。
確かに、俺の都合だけでスケジュールは動かない。俺の都合を中心にスケジュールが回るなら、それはもっと信頼と実力を重ねていって、氷坂真珠でないとこの仕事はできない、って任されるようになったときだと思う。だから」
真珠は顔を上げた。強い光を持った目で、篤宏の目を正面から見つめる。
「俺は、そうなってみせる」
「君にならできるよ」
真珠の強い視線を受け止めて、篤宏は柔らかく笑った。
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