青い鳥

幾月柑凪

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前編

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『さりげなく癒して』 番外編

青い鳥

前編



「あのね、吾妻さん。友達が美味しいパスタのお店を教えてくれたんです。今度一緒にどうですか?」
 朝っぱらから、とびきりの笑顔を向けられて、落ち着かない気分でいる吾妻晴彦に、原田美鳥は信じられないような事を言ったのだ。

 何を隠そう、吾妻が朝イチで美鳥の持ち場であるオフィスの五階まで出向いてきたのは、かねてから意中の女性であった彼女を、今日こそデートに誘うつもりだったからである。
 これまでだって、冗談めかして好意を示してきたつもりだった。
 しかし、美鳥の方は気付いているのか、いないのか、それとも気付いていながら気付かぬ振りをしているのか、ことごとく、素っ気なくあしらわれて来た吾妻だった。

 それなのに、突然のこのセリフである。
 吾妻が自分の耳を疑っても、至極当然の事であった。

 真っ白になりかけた頭で、懸命に考えた吾妻は、やがて妥当な答えに行き着いた。
 多分これは、個人的に誘われているのではなく、ひとつの提案なのだ。
 心の中で溜息を付きつつ、訊く。
「それって、合コンのお誘いかな?」

 ところが、美鳥はいきなりぶんむくれて吾妻を睨むと、ぷいっと踵を返した。
 すたすたと、持ち場のインフォメーションカウンターへ歩き去って行く。

 も、もしかして……っ

 信じられないような事が、本当に起こったらしい。
 吾妻は漸くそれに気付いて、慌てて美鳥の後を追った。
 後ろから美鳥の腕をぐいっと掴んで、力一杯言った。
「美鳥ちゃんとふたりでなら、絶対行くっ」

 美鳥は一瞬呆気に取られた後、蕩けるような笑顔で頷いた。
 そして、こう言ったのである。
「じゃぁ、さっそく今夜……。約束ですよ、吾妻さん」

 その後、自分がどうやってエレベーターに乗り、どうやって二階の営業部へ戻って来たのか、吾妻に記憶はない。
「気合を入れろ、吾妻」
 上司から名指しで言われてもなお、吾妻の思考はお花畑を彷徨っていた。










 待ち合わせは会社の側の喫茶店だった。
 客先で足止めを食い、帰社が遅れた吾妻が店に駆け込むと、美鳥は隅っこの席で紅茶を飲んでいた。
 吾妻の姿に気付くと、花のような笑顔を見せて立ち上がった。

 受付け嬢の制服姿しか見た事のない吾妻には、私服の美鳥はまた新鮮である。
 すれた所のない笑顔に、お嬢様っぽいワンピースが良く似合っていた。
 その立ち姿に見惚れながら吾妻が近付くと、美鳥はにこやかに会釈をした。

「お疲れ様でした、吾妻さん」
「ごめん。十五分の遅刻だ。客先で捕まっちゃって……」
 吾妻の荒い息遣いに、走って来た事が窺え、美鳥はくすくす笑いながら椅子を勧めた。
「お仕事なのは知っていますから、そんなに慌てなくても大丈夫だったのに」

 ああ……なんて優しい子だろう……
 何でも感動してしまう、今の吾妻であった。

 すぐに出ようかとも思ったのだが、とりあえず落ち着いて下さい……と、美鳥が言ってくれたので、吾妻はコーヒーを注文した。
「どうして、俺を誘ってくれたのかな……?」
 ウエイトレスが運んできたコーヒーを一口飲んで、吾妻が訊いた。
 美鳥は、ちょっと悪戯っぽく、ふふふっと笑った。
「さぁ……どうしてなんでしょうね」

 こういう駆け引きはヘタクソだった。吾妻はそれを自覚している。
 それ以上訊く事が出来ずに、美鳥の笑顔をまぶしく見詰めた。





「こりゃまた……」
 美鳥の言う、パスタの美味しいお店――にやって来たふたりは、呆然と立ち尽くした。
「こんなに混んでるなんて」
 店の前は長蛇の列が出来ていたのだ。

「この間まで、穴場的なお店だったのに、先週発売の雑誌に紹介されちゃったから……」
 美鳥が困ったように呟いた。

 立ち食い蕎麦屋なら、ものの十分で順番も回って来そうだが、イタリアンレストランでこの長蛇はいただけない。
 気が遠くなる程、待たされそうである。
「ごめんなさい……。お誘いする前に予約を入れておくべきでした」
 吐息混じりに美鳥が言った。

 吾妻は小さく笑った。
「どうする? 美鳥ちゃんのお腹が、ここのパスタじゃなきゃ嫌だ~~って、駄々をこねるなら待ってもいいけど」
 吾妻らしい明るい口調に、美鳥はほっとしたように笑顔になった。
「他、行きましょう。私のお腹、待ってられないって駄々をこねてます」
 ふたりは顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。

「次はちゃんと予約して、絶対来ましょうね」
 無邪気に美鳥が言う。
 次……も、あるのか……?
 長蛇の列に、ちょっぴり感謝したい気分の吾妻であった。

「この辺りで、吾妻さんの行きつけのお店って、あります?」
 そう訊かれて、吾妻は苦笑した。
「あるにはあるけど。居酒屋とか、屋台のラーメンとかだからなぁ……」
 頭を掻きながら言う。

 美鳥はしかし、瞳をぱぁっと輝かせた。
「屋台! 一度体験してみたかったの! 連れてって頂けます?」

 ええっ!?
 おい……初デートだぞ?
 いや、美鳥ちゃんはデートだと思ってないかも知れないけど……。
「マジで言ってる……?」
 窺うように訊くと、美鳥は満面笑みで、大きく頷いた。





「おやじさ~ん、こんばんは~」
 声を掛けながら、吾妻は屋台のラーメン屋の暖簾をくぐった。
 屋台が混む時間には少し早い。他に客はいなかった。

「おお、吾妻さん、いらっしゃ……」
 仕事をしながら顔を上げたおやじが、呆気に取られた。
 吾妻の後ろから、美鳥が顔を出したからである。

「こんばんは」
 美鳥がにこにこしながら言うと、おやじは相好を崩した。
「いらっしゃい、お嬢さん。まあ、座って下さいよ……」
「うん、座って、美鳥ちゃん」
 二人に勧められて、美鳥は椅子に目を落とした。
「木の長椅子……」
 感動したように呟いている。
 その感触を楽しむように、そっと腰を下ろした美鳥を微笑ましく見詰め、吾妻も隣に座った。

 裸電球のオレンジ掛かった明かり。
 湯気の立ち上る作業場。
 暖簾をひとつ隔てただけで、初めて体験する世界がそこにあった。
 瞳をキラキラさせてそれらを見回す美鳥が、吾妻には可愛くて仕方がない。

「ラーメン二つね」
 吾妻が言うと、おやじは、はいよ~、と言いながら、グラスを二人の前に置いた。
 そこに、一升瓶から酒を注ぐ。
「おやじさん、酒は注文してないぜ?」
 吾妻が慌てて言うと、おやじは笑った。
「これは俺のおごりだよ。まさか、本当に連れて来てくれるとは思わなかったよ……」
 そう言って、意味ありげに吾妻と美鳥を交互に見た。

「え?」
 首を傾げた美鳥に、おやじは、いえね……と、話を始めようとする。
「うわ~~っ! おやじさん、タンマ!」
 何を喋るつもりなのか、何となく察した吾妻がストップをかける。

 美鳥とおやじが、ジロリと吾妻を見た。
「いいじゃないか……」
「いいじゃないですか……」
 同時に言われて、吾妻は小さくなってしまった。



「吾妻さん、十日に一度は来て下さるんだがね……いつも一人でお見えになるんですよ」
 ラーメンを作りながら、おやじが言う。
「いい歳なんだから、そろそろ彼女も作らないと……って言ってやったんです。そしたら吾妻さん、見栄はって言うんだ。ガールフレンドくらい、掃いて捨てるほどいる……なんてね」

「ふ~~ん、そうなんだ……。知りませんでした」
 吾妻を横目で見て、美鳥が言う。
 吾妻は、あちゃ~~……と、頭を掻いた。
 おやじはそんなふたりを見て、声を立てて笑った。

「じゃぁ、連れて来なさいよと言ったんですよ。どの子がいいか、俺が見てやろうって……」
「掃いて捨てるほど、連れて来たんですか?」
 美鳥が訊くと、おやじはまた笑って、首を横に振った。
「それがひとりも……」
 おやじの言葉に、美鳥が小さく吐息をついた。

「で、こう言うんだ。屋台のラーメン屋に、遊びの女は似合わない。連れて来るのは本命だけだよ、おやじさん……ってね」

 美鳥は自分の頬が染まるのを自覚しながらも、吾妻を見た。
 しかし、吾妻は突っ伏していて、その表情は見えない。
 美鳥も恥ずかしくなって、顔を俯けた。

「見栄をはって言ったにしても、嬉しくてね。いつか本当に、可愛い彼女を連れて来てくれたらいいなぁって、ずっと思ってたんですよ」
 へい、おまち……と言って、おやじは出来上がったラーメンをふたりの前に置いた。
 丼から湯気が立ち上り、スープの濃厚な香りが食欲を刺激する。
 ふたりはそれにつられるように、やっと顔を上げた。
「美味しそう……」
「うん、食べよ……」
 照れ臭そうに笑いながら、仲良く、いただきます……と手を合わせた。



                              つづく
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