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Bastard & Master 【3】
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【3】
アーヴィンの家を一度辞したクリステルは、翌朝、どこで調達したのか、レオンの分まで馬を引いて現れた。
そんな事までしてもらう訳にはいかない……と、アーヴィンは自分の家の一頭きりの馬を使うように言ったが、それはアーヴィンが遠出の仕事に出かける際に馬車を引く馬だった。
レオンは父親を制し、クリステルの厚意を受ける事にした。
後で両親が困る事は目に見えていたからだった。
町外れまで見送りに来た両親と、別れを惜しみつつ、再会を誓い――
レオンは王宮の使者と共に、まだ見ぬ生まれ故郷へと旅立ったのである。
「馬の事、すまない」
都への道を進みながら、レオンが短く言った。
「買ったのか……? 高かっただろ?」
悔しそうな響きが滲む。
昨日出会ったばかりのクリステルに、結果、ほどこしを受けた形になった事を、屈辱だと感じているのだろう。
高貴なプライドを持った男のようだった。
しかし、両親を想い、自分のプライドを犠牲にする潔さも同時に持ち合わせている。
領民を大事にする、いい領主になるだろう……
クリステルはそう分析していた。
「それは、私より先にトレッカの町に入っていた先発隊の乗ってきた馬です。買ったわけではありませんから、心配は無用です」
並んで馬を操るクリステルの言葉に、レオンは驚いて彼女を見た。
「先発隊?」
クリステルもレオンをちらりと見やって、頷いた。
「あなたの紋章のペンダントが発する気を辿りながら、ようやくそれがトレッカの町にある事を掴み、王宮から送り込んだ先発隊です。町の人間や旅行者になりすまして、あなたの身辺を警護していました」
「いつから?」
「もうじき、二ヶ月になります」
レオンは絶句した。
全く気付かなかったのだ。
裕福ではないながらも、両親は何かを予感していたのか、レオンに剣術を習わせてくれた。
学校を卒業し、友人たちが皆働き始めても、午前中は剣術の稽古に通うよう言いわたされ、仕事は午後から父親を手伝うのみだった。
そうやって修行を積んで来た身であるのに、自分の周囲に蠢く影に、全く気付いていなかった。
レオンにとって、これはかなりショックな事である。
「けど……こいつに乗って来た奴は、帰り困るんじゃないのか?」
内心の動揺を隠しながら、レオンは、やっとそう言った。
しかし、クリステルはそんなレオンの気持ちを見透かしているかのように、ふっと笑った。
「彼らは、今しばらくトレッカに残ります」
目的はレオンを都へ連れ帰る事のはずなのに、クリステルはそう言った。
訝しく思ったレオンだったが、はっと気が付いた。
「もしかして……親父とおふくろのために……か?」
「十名ほどですが、精鋭揃いです」
そうだ……という意味なのだろう。クリステルは前を向いたまま続ける。
「そのうちの一人は、私と同じ師に学ぶスピリッツ・マスターです。若いですが、かなりの使い手ですので、何かあっても必ずご両親をお守りいたします。それに……」
クリステルはレオンに顔を向けた。
「風の精霊の力を借りれば、彼と私は離れていても情報のやり取りができます。ご両親の様子を伝えてもらう事もできますから……」
信じられないような言葉に、レオンは目を見開いた。
「スピリッツ・マスターって、俺の身近にはいなかったから、よく知らないんだが……」
パンをちぎりながら、レオンが言った。
二人はあの後、言葉少なに馬を進め、今は泉のほとりで昼食を兼ねての休憩を取っていた。昼食は、レオンの母、サラーが持たせてくれたものである。
二頭の馬も、傍らで仲良く草を食んでいる。
木陰に、気持ちの良い風が吹いていた。
「万物に宿る精霊と契約を結び、その気を自在に操る力を得た者をスピリッツ・マスターと言います」
クリステルの淡々とした声。
感情の起伏に乏しいのか、それとも抑制しているのか――
クリステルの硬質な雰囲気に、レオンは慣れないでいた。
洗練された身のこなしなどを見ていると、きっと貴族の出身なのだろうと思われたが、そのどこにも「お姫さま」を感じない。
女にしてはすらりと背が高く、かっちりとした長い上着を着込んでいるため、後ろから見れば男か女かの判別さえ難しい。
丁寧だが、あくまで淡々とした語り口。
この女は、笑い転げたり怒ったりするんだろうか……。
白磁のようなきめ細かく整った美しい顔を、レオンは無言で見詰めた。
続きを促していると解釈したのか、クリステルはまた口を開いた。
「術師のレベルによって、召喚出来る精霊の位も違います。それを決めるのは私達ではなく、精霊界です。ですから術師が精霊と心を通わせる努力を怠ると、昨日呼び出せた精霊が、今日は来てくれないなんて事もあります」
「厳しい世界なんだな」
お姫さまが道楽で身に付けられる能力ではなさそうだと思い、レオンが呟いた。
「そうですね……。でもこの道で生きる才能に恵まれたお陰で、ただの貴族の娘では到底出会えないような、たくさんの経験をさせてもらっています」
クリステルは静かに微笑んで言った。
「だが、いくらスピリッツ・マスターでも、貴族のお姫さんが、たったひとりでこんな辺境まで旅をするなんて、普通じゃ考えられないぜ?」
レオンが最初から思っていた疑問を口にすると、クリステルは、ふふふ……と笑った。
綺麗な笑顔だった。
「それはあなたが、王に呼ばれて都へ出向く『要人』だからです。しかも事は密かに運ばなければならない。どんな邪魔が入るか知れませんから……」
レオンは疑問符をぶら下げたような顔をクリステルに向けた。
「『要人』が長旅をするのは大変な事です。護衛、身の回りの世話をする召使い、医者……大勢の供の者を引き連れて、それはそれは大掛かりな大移動となります。しかし、お忍びの旅となればそうもいきません。……そういう時に、私のような者がいると、すべてを一人で引き受ける事が可能なのです」
疑わしい話であった。
レオンは訝しげに首を傾げた。
「よく……わからないな」
そう言うと、クリステルはまた、ふふふ……と笑った。
「今におわかりになるでしょう……」
そう言っておいて、思い出したように声の調子を変えた。
「それだけではないのです。私は都までの道すがら、あなたに貴族教育を施さねばなりません。お覚悟を」
クリステルの瞳の端に、悪戯っぽい光が宿り、レオンはパンを喉に詰まらせた。
「な、なんだよっ。貴族教育って……」
慌てて訊く。
「王宮でのマナー、言葉遣い、立ち居振舞い……それから、ダンス。いろいろございます」
クリステルがにっこり微笑んだ。
レオンにはそれが悪魔の微笑みにさえ映る。
「うへぇ~……」
情けなく顔を歪めて、レオンは盛大な溜息を吐き出した。
そしてもうひとつ――
私の一番大切な任務。
あなたの人となりを見極める事。
クリステルが冷静に戻った瞳で見詰めている事に、傍らのレオンは気付かない。
ダンスだとさ~……と呟いて、吐息をもうひとつ吐き出した。
風がそよぎ、馬が、ぶるん……と鼻を鳴らした。
つづく
アーヴィンの家を一度辞したクリステルは、翌朝、どこで調達したのか、レオンの分まで馬を引いて現れた。
そんな事までしてもらう訳にはいかない……と、アーヴィンは自分の家の一頭きりの馬を使うように言ったが、それはアーヴィンが遠出の仕事に出かける際に馬車を引く馬だった。
レオンは父親を制し、クリステルの厚意を受ける事にした。
後で両親が困る事は目に見えていたからだった。
町外れまで見送りに来た両親と、別れを惜しみつつ、再会を誓い――
レオンは王宮の使者と共に、まだ見ぬ生まれ故郷へと旅立ったのである。
「馬の事、すまない」
都への道を進みながら、レオンが短く言った。
「買ったのか……? 高かっただろ?」
悔しそうな響きが滲む。
昨日出会ったばかりのクリステルに、結果、ほどこしを受けた形になった事を、屈辱だと感じているのだろう。
高貴なプライドを持った男のようだった。
しかし、両親を想い、自分のプライドを犠牲にする潔さも同時に持ち合わせている。
領民を大事にする、いい領主になるだろう……
クリステルはそう分析していた。
「それは、私より先にトレッカの町に入っていた先発隊の乗ってきた馬です。買ったわけではありませんから、心配は無用です」
並んで馬を操るクリステルの言葉に、レオンは驚いて彼女を見た。
「先発隊?」
クリステルもレオンをちらりと見やって、頷いた。
「あなたの紋章のペンダントが発する気を辿りながら、ようやくそれがトレッカの町にある事を掴み、王宮から送り込んだ先発隊です。町の人間や旅行者になりすまして、あなたの身辺を警護していました」
「いつから?」
「もうじき、二ヶ月になります」
レオンは絶句した。
全く気付かなかったのだ。
裕福ではないながらも、両親は何かを予感していたのか、レオンに剣術を習わせてくれた。
学校を卒業し、友人たちが皆働き始めても、午前中は剣術の稽古に通うよう言いわたされ、仕事は午後から父親を手伝うのみだった。
そうやって修行を積んで来た身であるのに、自分の周囲に蠢く影に、全く気付いていなかった。
レオンにとって、これはかなりショックな事である。
「けど……こいつに乗って来た奴は、帰り困るんじゃないのか?」
内心の動揺を隠しながら、レオンは、やっとそう言った。
しかし、クリステルはそんなレオンの気持ちを見透かしているかのように、ふっと笑った。
「彼らは、今しばらくトレッカに残ります」
目的はレオンを都へ連れ帰る事のはずなのに、クリステルはそう言った。
訝しく思ったレオンだったが、はっと気が付いた。
「もしかして……親父とおふくろのために……か?」
「十名ほどですが、精鋭揃いです」
そうだ……という意味なのだろう。クリステルは前を向いたまま続ける。
「そのうちの一人は、私と同じ師に学ぶスピリッツ・マスターです。若いですが、かなりの使い手ですので、何かあっても必ずご両親をお守りいたします。それに……」
クリステルはレオンに顔を向けた。
「風の精霊の力を借りれば、彼と私は離れていても情報のやり取りができます。ご両親の様子を伝えてもらう事もできますから……」
信じられないような言葉に、レオンは目を見開いた。
「スピリッツ・マスターって、俺の身近にはいなかったから、よく知らないんだが……」
パンをちぎりながら、レオンが言った。
二人はあの後、言葉少なに馬を進め、今は泉のほとりで昼食を兼ねての休憩を取っていた。昼食は、レオンの母、サラーが持たせてくれたものである。
二頭の馬も、傍らで仲良く草を食んでいる。
木陰に、気持ちの良い風が吹いていた。
「万物に宿る精霊と契約を結び、その気を自在に操る力を得た者をスピリッツ・マスターと言います」
クリステルの淡々とした声。
感情の起伏に乏しいのか、それとも抑制しているのか――
クリステルの硬質な雰囲気に、レオンは慣れないでいた。
洗練された身のこなしなどを見ていると、きっと貴族の出身なのだろうと思われたが、そのどこにも「お姫さま」を感じない。
女にしてはすらりと背が高く、かっちりとした長い上着を着込んでいるため、後ろから見れば男か女かの判別さえ難しい。
丁寧だが、あくまで淡々とした語り口。
この女は、笑い転げたり怒ったりするんだろうか……。
白磁のようなきめ細かく整った美しい顔を、レオンは無言で見詰めた。
続きを促していると解釈したのか、クリステルはまた口を開いた。
「術師のレベルによって、召喚出来る精霊の位も違います。それを決めるのは私達ではなく、精霊界です。ですから術師が精霊と心を通わせる努力を怠ると、昨日呼び出せた精霊が、今日は来てくれないなんて事もあります」
「厳しい世界なんだな」
お姫さまが道楽で身に付けられる能力ではなさそうだと思い、レオンが呟いた。
「そうですね……。でもこの道で生きる才能に恵まれたお陰で、ただの貴族の娘では到底出会えないような、たくさんの経験をさせてもらっています」
クリステルは静かに微笑んで言った。
「だが、いくらスピリッツ・マスターでも、貴族のお姫さんが、たったひとりでこんな辺境まで旅をするなんて、普通じゃ考えられないぜ?」
レオンが最初から思っていた疑問を口にすると、クリステルは、ふふふ……と笑った。
綺麗な笑顔だった。
「それはあなたが、王に呼ばれて都へ出向く『要人』だからです。しかも事は密かに運ばなければならない。どんな邪魔が入るか知れませんから……」
レオンは疑問符をぶら下げたような顔をクリステルに向けた。
「『要人』が長旅をするのは大変な事です。護衛、身の回りの世話をする召使い、医者……大勢の供の者を引き連れて、それはそれは大掛かりな大移動となります。しかし、お忍びの旅となればそうもいきません。……そういう時に、私のような者がいると、すべてを一人で引き受ける事が可能なのです」
疑わしい話であった。
レオンは訝しげに首を傾げた。
「よく……わからないな」
そう言うと、クリステルはまた、ふふふ……と笑った。
「今におわかりになるでしょう……」
そう言っておいて、思い出したように声の調子を変えた。
「それだけではないのです。私は都までの道すがら、あなたに貴族教育を施さねばなりません。お覚悟を」
クリステルの瞳の端に、悪戯っぽい光が宿り、レオンはパンを喉に詰まらせた。
「な、なんだよっ。貴族教育って……」
慌てて訊く。
「王宮でのマナー、言葉遣い、立ち居振舞い……それから、ダンス。いろいろございます」
クリステルがにっこり微笑んだ。
レオンにはそれが悪魔の微笑みにさえ映る。
「うへぇ~……」
情けなく顔を歪めて、レオンは盛大な溜息を吐き出した。
そしてもうひとつ――
私の一番大切な任務。
あなたの人となりを見極める事。
クリステルが冷静に戻った瞳で見詰めている事に、傍らのレオンは気付かない。
ダンスだとさ~……と呟いて、吐息をもうひとつ吐き出した。
風がそよぎ、馬が、ぶるん……と鼻を鳴らした。
つづく
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