Bastard & Master

幾月柑凪

文字の大きさ
5 / 22

Bastard & Master 【5】

しおりを挟む
【5】





 不思議な空間から飛び出したレオンは、自分の周りに風が渦を巻くのを感じた。
 血生臭さが纏わり付く。

 くそっ……ふざけやがって!

 性悪な風の精霊に悪態をつきながら、飛び掛ってきた一頭目の狼を剣で薙ぎ払う。

 狼は甲高い鳴き声を上げて、地面に転がった。
 しかし、興奮し切っている群は、怯む様子がない。
 低い唸り声が絶え間なく響き、レオンを取り囲む。

 レオンが構える。剣がギラリと光を放つと、それを合図にしたように、狼たちが飛び掛った。

 レオンは鋭い身のこなしで狼たちを次々に切り倒す。
 逆に、敵はその数で、レオンをじりじりと追い詰めていく。



 クリステルは二頭の馬に、じっとしているように言いつけると、自分も空間から出た。

 杖を高く振りかざす。
「風の精霊よ。悪しき者に飼われし汝の同胞に戒めを与えよ!」

 目には目を。風の精霊には風の精霊を――
 クリステルは、悪戯者の精霊より、更に高位に位置する風の精霊を呼び出したのである。

 突風が起こり、群の上で小躍りしていた精霊は、その勢いに成す術もなかった。
 悪戯が過ぎた精霊は、あっという間に暴風の鎖に戒められ、精霊界へと連れ去られて行った。

 彼はそこで、精霊裁判にかけられるのだ。

 悪事に手を染めた精霊は、消滅させられるか、力を奪われ、下級精霊へと追い落とされるのが常だった。もう二度と、飼い主と繋がる事は許されないであろう。
 つまりこれを企てた術師は、召喚可能な風の精霊を失った事になる。

 クリステルはそう考えて、小さく吐息をついた。

 レオンを振り返ると、健闘はしているが、そろそろ限界のように見受けられた。

 クリステルは杖の仕掛けを操作して、先端に刃を突出させた。風変わりな槍のようでいて、刃の形状は突き刺す事も薙ぎ払う事も可能な作りに出来ている。
 手に馴染んだ得物で、我を失ったようにレオンに執着している狼たちを、背後から薙ぎ払う。



 突然別の所から聞こえた狼の悲鳴がレオンの耳を打つ。

 はっとして視線を向けると、クリステルが舞うように杖を振るっていた。

 無駄のない動きは優美ですらあった。
 殺生するつもりはなく、少しだけ脅して追い払うのが目的なのだと、レオンにはわかった。
 その余裕が憎らしい。

 冗談だろ……とんでもないお姫さんだぜ。

 呆気に取られた途端――
 レオンは足元に転がった狼の死骸にけつまずいて、体勢を崩した。



 倒れ込んだ自分の上に、何匹もの狼が飛び掛って来る様を、レオンはスローモーションの映像を見るように眺めた。

「ヴィクトール殿っ!」
 クリステルの悲鳴が、もの凄く遠い所から聞こえたような気がした。



「大気の精霊よ! かの者と我とに、見えざる鎧を纏わせよ!」
 クリステルは叫んだ。

 瞬時に全身を見えない膜が覆う。さっき作った不思議な空間と同じ技である。

「炎の精霊よ! 我らに仇なす者を、その業火にて追い払え!」
 言い終わると同時に、あたり一面が炎に包まれた。



 鋭い痛みを太ももに感じた。
 胸を押さえ付けるたくさんの前足の感触。

 それでもなお、剣を振り回しながら、レオンの思考の片隅を死がよぎる。

 しかし――

 後にも先にも、痛みはそれだけだった。
 前足で踏みつけられた感触も、出し抜けになくなった。
 見回すと、視界は炎に包まれていた。

 なんだよ。狼のくせに、ナマで食わない気か……?

 自嘲気味にそう考えて、はっと気が付いた。
 炎はすぐ側で燃えさかり、狼たちは逃げ惑っているのに――レオンにはその炎の熱さが感じられなかった。



 やがて――
 狼たちは姿を消し、炎がその勢いを、すうっ……と失った。



「ヴィクトール殿!」
 クリステルが駆け寄って来た。

「……レオンだ……」
 レオンは言いながら半身を起こし、太ももの痛みに顔をしかめた。
「足をやられたのですか?」
 クリステルは手馴れた様子で、レオンの全身をチェックした。他に外傷はないようだった。

 立ち上がりかけたレオンに肩を貸そうとするクリステルを、レオンは手で制した。
「大丈夫だ、これくらい……」
 言いながら痛みに顔が歪む。
 よろけたところをクリステルが支えた。

「意地は、別の機会に張る事です」
 穏やかだが、しかしきっぱりと言われて、レオンは苦笑した。

「あんた……強いな……」
 レオンが呟くように言った。
「光栄です」
 クリステルは微笑んで答えた。





 二人は少し離れた木陰へ移動し、腰を下ろした。

「傷を診ます」
 クリステルはレオンのズボンを少し裂いて、自分の荷物の中から出した布で血を拭った。
 レオンが顔をしかめる。
「骨は大丈夫のようです。少し辛抱を……」

 クリステルは杖を手に取って立ち上がった。

 何をされるのか……と、レオンが訝しげに見上げたが、クリステルは構わず杖を天にかざし、左手は胸の前で印を結んだ。

「万物に宿りし精霊たちよ。我が呼びかけに応え、我の助けとなれ……。カデューシアスの加護をここに与えよ」

 クリステルの声には、凛とした独特の響きがある。
 心地良く聴き入ってしまったレオンの目の前で、クリステルの呼びかけに応えるかのように、杖の宝石が輝きを増し、次いで、そこから清んだ水が滴り始めた。

「な、何だ……?」
 ぎょっとしたレオンに、クリステルは足を出すように仕草で促した。
「聖水です」
 そう言いながら屈み込み、レオンの傷口をその水で濯いだ。
「消毒と痛み止めになります。……どうです?」

 最初は呆気に取られたレオンだったが、ふうっと溜息を吐き出して木にもたれ掛かると、目を閉じた。
「いい気持ちだ……。痛みがやわらいでいく……」

 熱を持ったようにズキズキ痛んでいた傷口を、聖水は円やかな感触で癒して行く。
 レオンはその心地良さに、何度も溜息に似た深い息を吐いた。
 不思議な事に、傷口を綺麗に洗い終えると、水はひとりでに止まった。

 今まで聖水を溢れさせていたその杖を、クリステルが空気を切るように振るうと、一枚の木の葉が現れた。
 木の葉は、クリステルが差し伸べた手の平に、お行儀良く舞い降りた。
 みずみずしく、いい香りのする薬草であった。

「手当てをします。ズボンをお脱ぎなさい」
 こいつは魔女か……? と、固まっていたレオンは、我に返って立ち上がった。
「あ、ああ……すまない」
 さっきはあれほど痛んだのに、すんなり立ち上がった自分に、レオンは後になって気付いたのだった。



 あとはクリステルにされるがままであった。

 レオンの傷口に薬草を当て、きちんと包帯を巻き――
 そのてきぱきとした仕事振りは、レオンが安心して身を任せようと納得するに充分な経験を感じさせた。

「済みました。……しかし、今日は動かさない方がいいですね。今夜はここで休みましょう」
 事も無げに言われて、レオンは周りを見回した。
「ここ……?」

 木が一本あるだけの、石がごろごろある硬い地面。
 近くに川が流れている様子もない。
 クリステルのような身分の高そうな女が休むには、適当でないようにレオンには思えた。

「大丈夫です」
 レオンの考えを察したのか、クリステルが言った。
「精霊たちの守護がありますから……」

 微笑んでそう言うと、狼の群と自分たちの空間を分けた時のように、杖で地面を撫で始めた。さっきより、ゆったりと大きな円を描いている。
「大地の精霊よ。我らに休息の場を貸し与えよ」
 続いて、その杖を空に掲げる。
「大気の精霊よ。我らが休息の妨げとなるものを遮断し、目に見えぬ壁で我らを包め」

 変化はたちまち訪れた。

 杖が描いた円の内側に、柔らかい草が芽を出した。
 芝生のようにびっしりと地面を埋め、自然の絨毯を広げたようである。
 埃っぽく乾いた風もぴたりと止んだ。
 しかし、すぐ側の木の枝は風に揺られている。

「これは……さっきと同じ奴か?」
「本来はこうやって使うものなのです」
 クリステルはにっこり笑って言った。

「私たちはハウスと呼んでいます。大地と空気を操作して、快適な空間を作ったものです。このサークルの中は、虫の一匹もいません。雨も風も生き物も、外から侵入する事はできませんし、光の屈折で、このハウスは外からは見えません。安心して、ゆっくり休んで下さい」



 クリステルは呆然としているレオンをそのままに、ハウスと呼んだサークルの外に出た。
 と言っても、レオンの目には、彼女が緑の絨毯の外へ出たようにしか見えなかったのであるが――

 クリステルは二頭の馬の側へ行き、同じようにハウスで包んだ。

 同時に、レオンの視界から、馬たちもクリステルの姿も掻き消えた。
 景色の中に溶けてしまったかのように、ハウスそのものが外から見えなくなるのである。

 狼たちがあの時、目標を見失ったような仕草をしたのは、こういう理由だったのだ。

「すごい……」
 レオンの口から呟きが漏れた。

 多分……こいつには逆らえない……
 ちらりと考えて、苦笑してしまう。



 一日で、一生分の不思議体験をした気分だった。
 脳味噌が、休息を求めていた。

 レオンは目を閉じ――

 そのまま夢の世界へと落ちて行った。





   つづく
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから

渡里あずま
ファンタジー
安藤舞は、専業主婦である。ちなみに現在、三十二歳だ。 朝、夫と幼稚園児の子供を見送り、さて掃除と洗濯をしようとしたところで――気づけば、石造りの知らない部屋で座り込んでいた。そして映画で見たような古めかしいコスプレをした、外国人集団に囲まれていた。 「我々が召喚したかったのは、そちらの世界での『学者』や『医者』だ。それを『主婦』だと!? そんなごく潰しが、聖女になどなれるものか! 役立たずなどいらんっ」 「いや、理不尽!」 初対面の見た目だけ美青年に暴言を吐かれ、舞はそのまま無一文で追い出されてしまう。腹を立てながらも、舞は何としても元の世界に戻ることを決意する。 「主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから」 ※※※ 専業主婦の舞が、主婦力・大人力を駆使して元の世界に戻ろうとする話です(ざまぁあり) ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

元公爵令嬢は年下騎士たちに「用済みのおばさん」と捨てられる 〜今更戻ってこいと泣きつかれても献身的な美少年に溺愛されているのでもう遅いです〜

日々埋没。
ファンタジー
​「新しい従者を雇うことにした。おばさんはもう用済みだ。今すぐ消えてくれ」  ​かつて婚約破棄され、実家を追放された元公爵令嬢のレアーヌ。  その身分を隠し、年下の冒険者たちの身の回りを世話する『メイド』として献身的に尽くしてきた彼女に突きつけられたのは、あまりに非情な追放宣告だった。  ​レアーヌがこれまで教育し、支えてきた若い男たちは、新しく現れた他人の物を欲しがり子悪魔メイドに骨抜きにされ、彼女を「加齢臭のする汚いおばさん」と蔑み、笑いながら追い出したのだ。 ​ 地位も、居場所も、信じていた絆も……すべてを失い、絶望する彼女の前に現れたのは、一人の美少年だった。 ​「僕とパーティーを組んでくれませんか? 貴方が必要なんです」  ​新米ながら将来の可能性を感じさせる彼は、レアーヌを「おばさん」ではなく「一人の女性」として、甘く狂おしく溺愛し始める。  一方でレアーヌという『真の支柱』を失った元パーティーは、自分たちがどれほど愚かな選択をしたかを知る由もなかった。  ​やがて彼らが地獄の淵で「戻ってきてくれ」と泣きついてきても、もう遅い。  レアーヌの隣には、彼女を離さないと誓った執着愛の化身が微笑んでいるのだから。

処理中です...