Bastard & Master

幾月柑凪

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Bastard & Master 【6】

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【6】





 馬を休ませる仕度を終えて、レオンのいるハウスに戻って来たクリステルは、そこで穏やかな寝息をたてている住人に気付いて、ほっとしたように微笑んだ。
 馬から降ろして来た荷物を開けブランケットを取り出すと、そっとレオンに掛けてやる。

 幼い頃、都で何度も会った事のあるレオンの父・ジョセフに生き写しの美しい顔かたち――
 田舎で心優しい夫婦の手で純朴に育てられた男なのに、時折はっとさせられるような高貴な雰囲気を漂わせる事がある。
 これが受け継いだ血の成せる技なのだろう……。
 絆の強さとその妙に、自分は感謝をしなければならない、と、クリステルは思った。
 都へ連れ帰る落胤が、王の召喚を受けるに相応しくない男であったら……というのは、彼女にとって何よりの心配事であった。

 相応しいか否か――
 旅の間にそれを見極めなければならなかった。
 教育係も任されていたが、短期間でどれだけの事を吸収してくれるか――それを受け入れる引き出しが小さければ、見目が父親に似ているだけに、王は落胆されるだろう……と、最初に一目見た時からクリステルは危惧していた。

 しかし、今日一日彼と行動を共にし、いくつかの会話もしたところ、素直な男である事が感じられた。好奇心もある。
 無意識の領域にある、実の両親から受け継いだものと、表面に現れる、育ての両親から学んだ事――それらが彼の助けとなるだろう。
 レオンはきっと、いい生徒になる。それがクリステルの見解であった。

 王はお喜びになるだろう……。
 その時……私は……?

 クリステルはかぶりを振って、今考えても仕方のない事を、頭の中から追い出した。





 鼻腔をくすぐるいい香りに、空きっ腹を刺激されて、レオンは目を覚ました。
 どれくらい眠り込んだのか……と、辺りを見回すと、ハウスの中は柔らかい光に包まれていた。

 上半身を起こして、自分の身体に掛けられた上質なブランケットに気付く。
 旅の荷物がかさばらないように薄手であるが、とても肌触りが良い。
 クリステルが掛けてくれたのだろうと思い、照れ臭いような、子供のように眠り込んだ自分が恥ずかしいような、複雑な気持ちがレオンの思考を覚醒へと導く。

「目が覚めましたか?」
 不意に声を掛けられて、レオンはそちらに視線を向けた。
 ハウスの隅に石を積んで作った簡単なかまどがあり、小さな鍋が湯気を上げている。
 その側でクリステルはティーポットに茶葉を入れていた。

 レオンは、ここが荒野の真ん中である事を忘れてしまうような安らぎを感じ、クリステルを見つめた。
「どうかしましたか?」
 言いながら、クリステルはポットに鍋の湯を注ぐ。
「あ……いや……」
 レオンは首を振った。
「すまない……。眠り込んじまった」
 思わず苦笑して言うレオンに、クリステルは微笑みかける。
「休んでいただくためにハウスを設けたのですよ?」
 そして、何かを思い出したように立ち上がった。

 隅っこにまとめてある荷物の山の一番上から、きちんとたたまれたレオンのズボンを取って、クリステルは振り返った。
「血で汚れてしまっていたから、洗濯をしておきました」
 手渡されたズボンを、レオンは不思議そうに眺めた。
「こんな川もない所で、洗濯を? ……しかももう乾いてる」
 クリステルは、ふふっと笑った。
「水の精霊の力を借りました。乾かすのは、風の精霊が頑張ってくれたのですよ?」
 言い終わるか終わらないかのうちに、レオンの頬を、風が優しく撫でた。

 ハウスの中は、虫の一匹もいない。風も雨も、侵入は出来ない。クリステルは確かにそう言ったはずだったと思い出し、レオンが空間を仰ぎ見る。
「温度調節はされていても、無風状態では息が詰まるかと思いまして、小さな風の精霊を、ハウスの中に放しています。この子はさっきまで、あなたのズボンに掛かりっきりだったのですよ?」
 風にじゃれつかれている事を感じて戸惑っているレオンに、クリステルはくすくす笑いながら説明した。
「あなたを気に入っているみたいです」
「そ、そうなのか?」

 どうすればいいのかわからなくて、困ったようにレオンはクリステルに視線を向ける。
 クリステルはにっこり笑って頷いて見せた。

「あー……ありがとうな。助かったよ……」
 レオンが、姿の見えぬ風の精霊に向かって躊躇いがちに礼を言うと、風は喜んだのか、レオンの髪の毛をかきあげ、耳元をくすぐって、やがてすぅっとおとなしく離れて行った。

 空間全体に、柔らかく静かな風がそよぎ始める。

「すごい……精霊とスキンシップしちまった」
 呟くと、クリステルは嬉しそうな優しい眼差しでレオンに微笑みかけた。

「食事にしましょう。お腹空いたでしょう?」
「ああ……ペコペコだ」
 思い出した途端に、レオンの空きっ腹が抗議の声を上げた。



 緑の絨毯の中央にクロスが広げられ、パンケーキの乗った皿が二枚と、果物がかごに盛られていた。更にクリステルは鍋からスープをよそっている。
 鼻腔をくすぐった美味そうな匂いは、スープだったのか……と思いながら、レオンはクロスの前に腰を下ろし、クリステルに視線を向ける。
 昼間は硬質なイメージだったクリステルが、今は常に穏やかな表情で、微笑を絶やさない。
 レオンは今はいたばかりのズボンと、クリステルとを、無言で交互に眺めた。

 ズボンの裂け目は、丁寧に繕ってあった。

「どうかされましたか?」
 言いながら、クリステルがスープの入った皿を差し出す。
「あ……いや……」
 レオンの指が、無意識に縫い目をなぞる。
「あの、これ……縫ってくれたんだな……。ありがとう」
 クリステルはレオンの手元に目をやって、ああ……と言った。
「どういたしまして」
 また、にっこりと微笑む。

 次の言葉がなかなか出て来ないレオンに気付いて、クリステルは苦笑した。
「いろいろ……お訊きになりたい事があるようですが、食事をしながらにしましょう」
 何もかも見透かされているようで、レオンは柄にもなく赤くなって頷いたのだった。



 クリステルが用意した食事はどれも美味であった。
 レオンが素直にそう言うと、クリステルは満足げに微笑んだ。
 レオンはスープの皿をスプーンでかき回しながら、疑問のひとつを口にした。

「なぁ……この食材はどうしたんだ? 野菜とか、果物とか……」
 旅の荷物はそれなりにあったが、生鮮食料品まで持ち歩いているようには見えなかった。
 それなのに、スープには野菜がどっさり入っているし、目の前には果物が盛ってある。
 クリステルはレオンの視線を追うようにクロスの上を見て、言った。
「精霊からの贈り物です」
「はぁ?」
 余程間抜けな顔をしていたのか、クリステルはレオンを見てくすくすと笑った。

 クリステルは、夕刻かまどにくべる小枝を探していると、一際大きな風が吹いてどこからともなく小枝が集まって来た話や、湯を沸かし始める頃には、荒れた大地ににょきにょきと野菜が生えて来た事、スープが出来上がる頃にはハウスの周りに果物がごろごろ転がっていた事などを話して聞かせた。
 まるで夢を見ているような話に、レオンは唖然としている。

「私たちは、この世の万物に宿る精霊たちからさまざまな恩恵を受けています。また、精霊たちも、人間と交流を持ち、良い働きをする事によって自らの徳を積んでゆくのです。徳を積み重ねるごとに、精霊たちはより大きな力を身につけます。……ですから、本来、精霊たちは何者にも縛られず、自由な存在なのです。より能力の高い術者の呼びかけに応えたくて、誰か一人の術者に飼われる事はしないのです」
 淡々と語るクリステルの声に、少しだけ悲しげな響きが宿る。

 レオンはその話の矛盾に、すぐに気付いた。
 自分たちを狼に襲わせたあの風の精霊の事を、心根の良くない術者に飼われていると、クリステルは確かに言ったのだ。
 レオンの問うような視線に、クリステルは小さく吐息をついた。

「術師は常に、精霊に尊敬される存在でなければなりません。精霊は、尊敬に値する術師の呼びかけにしか応えないからです。力のある精霊ほど、能力の高い術師の呼びかけでなければ現れません。しかし、ごく稀に……道を誤ってしまう術師がいるのです。邪悪な働きの為に精霊を呼び出すという、間違った行いをする術師が……」
 クリステルはマグカップを口に運んで、紅茶を飲んだ。
 カップをそのまま手の中で弄ぶ。

「……そしてまた、ごく稀に、好奇心からその呼びかけに応えてしまう精霊もいるのです。悪に手を染めた精霊は、飛躍的に力を身につけますが、それは一時的なもので……それ以降、成長する事はありません。しかも、そんな術師と何度も逢瀬を重ね、汚れてしまったエナジーは、善なる呼びかけに反応出来なくなってしまうのです。……術師もまた、他の精霊が応えてくれる事はおそらくありませんから、能力の成長はありません。お互いに、寄り掛かる事でしか成り立たない関係……。それが『飼われた精霊』です」

「あの精霊は、どうなったんだ?」
 レオンが訊くと、クリステルは首を左右に振った。
「処分は精霊界で決める事……。人間が口出し出来る領域ではありません。悪に手を染めた精霊は、消滅させられるか、下級精霊への降格です。もう飼い主であった術師と交流を持てるほどの力は与えられないでしょう」

 消滅――その予感が、クリステルの心を重くしていた。
 元々、風の精霊は好奇心が旺盛で無邪気である。術師の呼びかけに、ただ何となく近寄ったのがきっかけだったのかも知れない。
 同じ術師として、邪な呼びかけをした者にこそ一番の許し難い罪があると、クリステルは胸を痛めていた。

 レオンもまた、そんなクリステルの気持ちを、どこかで感じ取っていた。
 そして、諸悪の根源である術師は、間違いなく敵の中にいる――
 レオンは吐息を付いて、空間を見上げた。

「お前はいい子だよな? 変な奴についてっちゃ駄目だからな」
 目に見えぬ風の精霊に、ことさら明るく言って聞かせる。
 その、自然に口をついて出たようなさりげなさに、クリステルがはっとしてレオンを見る。

 レオンは、また風にじゃれつかれて笑っていた。
 クリステルの心が和んだ。





                                    つづく
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