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Bastard & Master 【17】
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【17】
地鳴りと共に、足元が大きく揺らぎ始めた。
ラインハルトは馬を宥めるように操りながら、森の方向を見やって、息を呑んだ。
森が、地面ごと、高くせり上がっていく。
砂塵の向こうに、森を大地ごと担ぎ上げている褐色の肌の魔人が見えた。
上空には、炎の魔人と、空気の魔人の他に、新たに水の魔人が現れ、豪雨を降らせ始めた。
木々に燃え移っていた炎に豪雨は降り注ぎ、一瞬にして蒸気になる。
シュウシュウと水が蒸発する音が、鋭く耳を打つ。
雨は容赦なく降り注ぎ、高台となった森からフッサール兵たちの元へ、おびただしい量の土砂と共に、煮え湯となりなだれ落ちる。
森を取り囲んでいたフッサール軍は、すでに半数以下になっていた。
土の精霊王ハピィ……。水の精霊王イムセテリアス……。
無茶だ!
あの方は死ぬおつもりか……っ!?
ダニエルはしかし、口に出せずにいた。
過去の文献にも、四体の精霊王を一度に召喚したという話はない。
高位の精霊ほど、召喚するのに、術師は自分の精神力をすり減らすのだ。
こんな大技を続ければ、クリステルとて無事では済むまい。
それを口にすれば、ラインハルトは何とかしようとするだろう。
しかし、すでにダニエルの力で干渉可能な領域を、それは遥かに超えていた。
主人を、危険にさらす訳にはいかない。
ダニエルは、自分の無力を呪いながら、沈黙を守った。
「形勢は、逆転した」
ラインハルトが傍らで呟く。
ダニエルは頷いた。
「ええ……。そのようです」
「結局……私は、彼女の力にはなれなかった」
ラインハルトは自嘲気味に薄く笑った。
「これ以上、地獄絵を彼女に描かせたくはない。アルバート様をお探ししろ。あんな男でも王弟殿下だ。お命にもしもの事があれば、フォンテーヌとの間にしこりが残ろう……。白旗を揚げて、退却させるのだ」
ラインハルトは部下たちに命じ、自分も馬を駆った。
フォンテーヌ王の勅命を受けた彼女らに、一方的に仕掛けたのはこちらだ。
アルバートの命がなくとも、本来なら、こちらから文句を言う事は出来ぬはず。
そして、アルバートも王も、二度と妙な気を起こす事はないだろう。
策に溺れたあげくに、牙を抜かれて逃げ帰るがいい……。
忘れえぬ恐怖を、一生夢に見るがいい……。
ラインハルトは苦々しい思いを、心の中で吐き捨てた。
深いトランス状態に陥っていたクリステルは、精神世界の中を漂っていた。
色もない、音もない世界――
操る精霊王たちからの情報のみが、テレパシーのように流れ込んで来る。
レオンに手出しをする事は許さない
もう二度と……そんな邪な心を起こさせない
愚かな所業を、後悔させてやるのだ
その思考が、クリステルの極限状態を保ち続けるエネルギーとなっていた。
しかし精神力をすり減らし、やがてクリステルの思考は、ドロドロと無に溶けて行く。
溶けたものが小さくなって霧散した時……私は、自分が何者であったかも思い出せなくなるだろう……
僅かに残った自分が、冷静にそんな事を呟く。
それでも、構わないと思っていた。
「無茶よ! やめて!」
ネリーが叫んで、クリステルに駆け寄る。
「一度に四体の精霊王を召喚するなんて! 危険よ! あなたがもたないわ!」
その手がクリステルの身体に触れた途端、ネリーは弾き飛ばされて転がった。
クリステルの気は、集中力を妨げるものすべてを遮断するように働いているのだろう。
恐らく、ネリーの声も届いていない。
レオンはネリーを助け起こしながら、それを感じた。
「このままじゃ……クリステルが……」
ネリーがべそをかきながら訴える。
レオンは頷き返した。
「俺が、やめさせる」
レオンは決意を秘めた眼差しを、真っ直ぐにクリステルに向けた。
こういう時のレオンは、とてつもなく高貴な表情をする……
ネリーはその横顔を、声もなく見つめた。
レオンはクリステルに歩み寄り、彼女の背後で両腕を大きく広げた。
側に寄っただけで、ビリビリと痺れるような気の威圧感を受ける。
「クリステル……クリステル……」
そっと、呼び掛ける。
レオンは思い出していた。
クリステルと、月明かりの下で踊ったのは、ほんの昨夜の事だ。
あの満ち足りた一体感を、もう一度取り戻したい……
レオンは、あの時に感じた、切ないほどにクリステルを大切に思う気持ちを、心に一杯に満たした。
クリステル……俺の声を聞いて
戻って来て欲しい
ひとりで、手の届かない所へは行かせない
俺達は……いつも一緒だ……
レオンは広げた両腕を、ゆっくりと動かして――
クリステルの身体を後ろから抱き締めた。
ふたりの気が同調し、まばゆい光を放った。
誰……?
無に程近いクリステルだけの領域に、別の誰かが踏み込む気配がした。
しかしそれは心地良く、追い返そうという気持ちは起こらない。
そう……知っている……この気配……
クリステル……
声が、自分の名を呼んだ。
その声に反応して、白い世界に色が流れ込み、ひとつの風景となる。
白い満月が、空の高いところにぽっかりと浮かんでいた。
涼やかな夜の風が頬を撫でる。
これは……昨夜の風景……
私は……彼と、ここで踊った
気配が近付き、囁いた。
俺達は……いつも一緒だ……
刹那――
自分に手を差し伸べる男の姿がフラッシュバックした。
レオン……!
クリステルが我に返った。
酷い脱力感に、足が立たない。
しかし――身体は、しっかりと誰かの手に抱き留められていた。
「クリステル……」
幻聴ではなかった。
背後からすっぽりと包み込むように抱かれ、その声は耳元で囁いている。
「レオン……」
呟くと、回された両腕に、更に力がこもった。
「お帰り……クリステル……」
ああ……レオンが……
私を連れ戻して下さったのだ……
不意に、精霊王が言った。
主(あるじ)よ……白旗が見える。
まだ続けるか……?
その声は、クリステルの気と同調しているレオンにも聞こえた。
「クリステル……終わったんだ。もう、いいんだ」
クリステルは頷く。
残る力を振り絞って、杖を掲げる。
「精霊王よ……ご苦労様でした。我が呼び掛けに応じて下さって、感謝します。森を元通りに戻したら、どうぞ退いて下さい……」
大地が揺れ、森が元の場所に戻って行く。
その揺れの中でも、自分をしっかり支えてくれるレオンのぬくもりを背中に感じる。
クリステルは小さく吐息をついた。
「まったく無茶をする……」
レオンの呟きに、クリステルは首を巡らせる。
「無茶はあなたです。あの状態の私に触れるなんて……。怪我でもしたらどうなさるんですか」
そのおかげで戻って来られたのだ。感謝しながらも、クリステルは言わずにいられなかった。
レオンはしかし、ふっと微笑んだ。
「言ったろう。守られてばかりは嫌だって……」
クリステルは言葉を失って、ただレオンを見つめ返す。
やがて、つられるように、その顔にも微笑みが浮かんだ。
そして――そのまま、レオンの腕の中で意識を失った。
つづく
地鳴りと共に、足元が大きく揺らぎ始めた。
ラインハルトは馬を宥めるように操りながら、森の方向を見やって、息を呑んだ。
森が、地面ごと、高くせり上がっていく。
砂塵の向こうに、森を大地ごと担ぎ上げている褐色の肌の魔人が見えた。
上空には、炎の魔人と、空気の魔人の他に、新たに水の魔人が現れ、豪雨を降らせ始めた。
木々に燃え移っていた炎に豪雨は降り注ぎ、一瞬にして蒸気になる。
シュウシュウと水が蒸発する音が、鋭く耳を打つ。
雨は容赦なく降り注ぎ、高台となった森からフッサール兵たちの元へ、おびただしい量の土砂と共に、煮え湯となりなだれ落ちる。
森を取り囲んでいたフッサール軍は、すでに半数以下になっていた。
土の精霊王ハピィ……。水の精霊王イムセテリアス……。
無茶だ!
あの方は死ぬおつもりか……っ!?
ダニエルはしかし、口に出せずにいた。
過去の文献にも、四体の精霊王を一度に召喚したという話はない。
高位の精霊ほど、召喚するのに、術師は自分の精神力をすり減らすのだ。
こんな大技を続ければ、クリステルとて無事では済むまい。
それを口にすれば、ラインハルトは何とかしようとするだろう。
しかし、すでにダニエルの力で干渉可能な領域を、それは遥かに超えていた。
主人を、危険にさらす訳にはいかない。
ダニエルは、自分の無力を呪いながら、沈黙を守った。
「形勢は、逆転した」
ラインハルトが傍らで呟く。
ダニエルは頷いた。
「ええ……。そのようです」
「結局……私は、彼女の力にはなれなかった」
ラインハルトは自嘲気味に薄く笑った。
「これ以上、地獄絵を彼女に描かせたくはない。アルバート様をお探ししろ。あんな男でも王弟殿下だ。お命にもしもの事があれば、フォンテーヌとの間にしこりが残ろう……。白旗を揚げて、退却させるのだ」
ラインハルトは部下たちに命じ、自分も馬を駆った。
フォンテーヌ王の勅命を受けた彼女らに、一方的に仕掛けたのはこちらだ。
アルバートの命がなくとも、本来なら、こちらから文句を言う事は出来ぬはず。
そして、アルバートも王も、二度と妙な気を起こす事はないだろう。
策に溺れたあげくに、牙を抜かれて逃げ帰るがいい……。
忘れえぬ恐怖を、一生夢に見るがいい……。
ラインハルトは苦々しい思いを、心の中で吐き捨てた。
深いトランス状態に陥っていたクリステルは、精神世界の中を漂っていた。
色もない、音もない世界――
操る精霊王たちからの情報のみが、テレパシーのように流れ込んで来る。
レオンに手出しをする事は許さない
もう二度と……そんな邪な心を起こさせない
愚かな所業を、後悔させてやるのだ
その思考が、クリステルの極限状態を保ち続けるエネルギーとなっていた。
しかし精神力をすり減らし、やがてクリステルの思考は、ドロドロと無に溶けて行く。
溶けたものが小さくなって霧散した時……私は、自分が何者であったかも思い出せなくなるだろう……
僅かに残った自分が、冷静にそんな事を呟く。
それでも、構わないと思っていた。
「無茶よ! やめて!」
ネリーが叫んで、クリステルに駆け寄る。
「一度に四体の精霊王を召喚するなんて! 危険よ! あなたがもたないわ!」
その手がクリステルの身体に触れた途端、ネリーは弾き飛ばされて転がった。
クリステルの気は、集中力を妨げるものすべてを遮断するように働いているのだろう。
恐らく、ネリーの声も届いていない。
レオンはネリーを助け起こしながら、それを感じた。
「このままじゃ……クリステルが……」
ネリーがべそをかきながら訴える。
レオンは頷き返した。
「俺が、やめさせる」
レオンは決意を秘めた眼差しを、真っ直ぐにクリステルに向けた。
こういう時のレオンは、とてつもなく高貴な表情をする……
ネリーはその横顔を、声もなく見つめた。
レオンはクリステルに歩み寄り、彼女の背後で両腕を大きく広げた。
側に寄っただけで、ビリビリと痺れるような気の威圧感を受ける。
「クリステル……クリステル……」
そっと、呼び掛ける。
レオンは思い出していた。
クリステルと、月明かりの下で踊ったのは、ほんの昨夜の事だ。
あの満ち足りた一体感を、もう一度取り戻したい……
レオンは、あの時に感じた、切ないほどにクリステルを大切に思う気持ちを、心に一杯に満たした。
クリステル……俺の声を聞いて
戻って来て欲しい
ひとりで、手の届かない所へは行かせない
俺達は……いつも一緒だ……
レオンは広げた両腕を、ゆっくりと動かして――
クリステルの身体を後ろから抱き締めた。
ふたりの気が同調し、まばゆい光を放った。
誰……?
無に程近いクリステルだけの領域に、別の誰かが踏み込む気配がした。
しかしそれは心地良く、追い返そうという気持ちは起こらない。
そう……知っている……この気配……
クリステル……
声が、自分の名を呼んだ。
その声に反応して、白い世界に色が流れ込み、ひとつの風景となる。
白い満月が、空の高いところにぽっかりと浮かんでいた。
涼やかな夜の風が頬を撫でる。
これは……昨夜の風景……
私は……彼と、ここで踊った
気配が近付き、囁いた。
俺達は……いつも一緒だ……
刹那――
自分に手を差し伸べる男の姿がフラッシュバックした。
レオン……!
クリステルが我に返った。
酷い脱力感に、足が立たない。
しかし――身体は、しっかりと誰かの手に抱き留められていた。
「クリステル……」
幻聴ではなかった。
背後からすっぽりと包み込むように抱かれ、その声は耳元で囁いている。
「レオン……」
呟くと、回された両腕に、更に力がこもった。
「お帰り……クリステル……」
ああ……レオンが……
私を連れ戻して下さったのだ……
不意に、精霊王が言った。
主(あるじ)よ……白旗が見える。
まだ続けるか……?
その声は、クリステルの気と同調しているレオンにも聞こえた。
「クリステル……終わったんだ。もう、いいんだ」
クリステルは頷く。
残る力を振り絞って、杖を掲げる。
「精霊王よ……ご苦労様でした。我が呼び掛けに応じて下さって、感謝します。森を元通りに戻したら、どうぞ退いて下さい……」
大地が揺れ、森が元の場所に戻って行く。
その揺れの中でも、自分をしっかり支えてくれるレオンのぬくもりを背中に感じる。
クリステルは小さく吐息をついた。
「まったく無茶をする……」
レオンの呟きに、クリステルは首を巡らせる。
「無茶はあなたです。あの状態の私に触れるなんて……。怪我でもしたらどうなさるんですか」
そのおかげで戻って来られたのだ。感謝しながらも、クリステルは言わずにいられなかった。
レオンはしかし、ふっと微笑んだ。
「言ったろう。守られてばかりは嫌だって……」
クリステルは言葉を失って、ただレオンを見つめ返す。
やがて、つられるように、その顔にも微笑みが浮かんだ。
そして――そのまま、レオンの腕の中で意識を失った。
つづく
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