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第二章 交差する想い
1 広まる噂とすれ違いと壊れゆく心
しおりを挟む「シリルっ、ああこれでもう私達の邪魔をする者はいなくなったのね!! えぇそう、これでもう貴方は私の――――」
第一王女とシリルの婚約破棄の噂は瞬く間に国中へと広がって行った。
そしてその噂は実に内容は様々なものであった。
譬えば第一王女が余りにも聡過ぎ、腕は確かでも凡庸過ぎたシリルへ、とうとう王女が愛想を尽かしてしまったた……とか。
実は王女には既に心に秘めた別の男性がいて、今回漸く王の許しを得た末の婚約破棄だとか。
また王女は噂によると天空に住まう女神の如く美しいと言われていたが、実は目も当てられないくらいの醜女だったとか。
更には久しく貴族だけでなく民の前にも姿を現さない王女へ多くの者達が思った事は、遠国にあるだろう大国へ既に輿入れされたのではないかと、実しやかに様々……どれも好き勝手過ぎるだろう憶測が、あちらこちらで飛び交っているのだがしかし、何故かシリルに関しては何も噂される事もなく、どちらかと言えば我儘王女に弄ばれた不幸な騎士として多くの同情を寄せられていたのである。
そんなシリルにしてみれば実に複雑な心境でもあるのだ。
あの日――――断罪されるだろう所を護ってくれたのは、確かにあの儚げな後ろ姿をした王女なのである。
然も王女は噂をされる様な醜女等ではない。
あの時はまだ14歳だと言うのにも拘らず、ほんの一瞬だけしか拝してはいなかったのだが、彼女と成す全てのパーツは両親の良い所ばかり受け継いだのかと言わんばかりに、実に美しい姫だったのだ。
それにただ美しいだけじゃあない。
聡い姫だと言う噂通り王女は凛とした美しさ、そして王家特有の情熱的な紅いルビーの瞳には理知の光が宿っていた。
威風堂々然としてはいても、決して傲慢な所は少しも見られやしない。
王へ直言した時でさえ、棘が残らぬように可愛らしい娘として強い父親を求めてもいた。
そう、何処にも、また誰にも王女を責める要素や権利もないっっ。
責められるべきはシリル本人なのだとっ、婚約破棄をされ、今になって初めて王女の寛大さが理解出来たのだ。
きっと今回の婚約を破棄すると言い出したのも多分王女なのだろう。
婚約を結んだと同時に逃げた男等、愛想を尽かされて当然。
おまけに二年の遠征で一度も手紙や伝達魔法を行使し、王女へ向き合おうとさえしなかった。
アイリーンにはマメに手紙や伝達魔法を遣っていたと言うのにだっっ。
恐らく噂か何かで知ったのだろう、シリルには王女以外に想う女性がいる事を……。
そうして二年もの間、王女を傷つけていたのはシリル本人なのだ!!
王国を、王家や無辜の民を護るのがシリルの、騎士としての務め。
なのに正々堂々と騎士らしく好きな女性がいるのであれば、正面より王女と向き合って話し合わねばならなかったというのにっ、今年17歳と言うまだうら若き王女の心を虐げてしまったのだ。
またアイリーンに対しても然り。
どちらの女性にもはっきりとした態度をしてこなかったシリルは、騎士として、いや男として如何なものなのだろう。
また婚約が正式に破棄されたと耳聡く聞きつけたアイリーンはと言えば、今度こそはと誰憚る事無く、そしてシリルからのプロポーズを受け身で待つという選択はないものとして、肉食道一本道と定めたかの様に、彼女はベディングトン公爵家で懇意にしている侍女より彼の予定を聞き出し、こうして屋敷にいる時は押し掛け女房宜しくと言った具合に我が物顔で自由に出入りしていた。
そうして公爵邸内においてアイリーンは、もうシリルの婚約者どころか正妻の様に振る舞い、隙あらば自身の腕を絡めたりしたかと思えば、身体を、特に最近豊満になりつつある胸をこれでもかと押しつけ、文字通り彼の身体を雁字搦めにするのだ。
まるでそうでもしなければシリルが自身より離れてしまうと、強く不安を感じてしまうかのように……。
だから譬えばシリルが不意に予定もないのに不意に出掛けると言えば……。
「何処へいらっしゃると言うのシリル!! 貴方の家はこの御屋敷でしょう。今日はお休みの筈で、何処もお出掛けになられる予定等ない筈よ――――ってまさか、まさか新たなる女の許へでもお行きになるのかしら!!」
「アイリーン一体何を……」
「嫌っ、嫌よっ、絶対に嫌っっ!! シリルっ、貴方は私の、私だけのものよっっ。もう誰にも絶対に渡さないっっ。二人の時が別たれる瞬間まで――――貴方は私だけのモノ!! ええっ、永遠に貴方は私のものよっっ。そしてもう直ぐ……私はこのベディングトン公爵夫人になるのっっ」
「アイリーン落ち着くんだっ、確かに俺は今婚約者はいない。それにリーンの父上にもまだ何もお話しをしてはいない」
「だったら今直ぐっ、ほら直ぐにでも一緒に行きましょう。私達の愛は本物でしょう?」
「リーン落ち着いて。キャラガー伯爵に今直ぐにとはいかないよ。お願いだから少し時間をくれないか。俺は王女やリーンに対して誠意のない対応ばかりしてきた情けない男なのだよ」
「違う!! シリルは情けなくなんてないわっっ。シリルは何時でも強くて弱音を絶対に吐かない……」
「違うリーン。俺は本当は情けないくらい憶病者なんだ。英雄である祖父と優秀な宰相である父の影に何時も怯えていたんだ。だから幼い頃よりずっと二人に負けない様に強がっていただけなのだよ」
「嘘……」
「嘘じゃない、遠征の時だって何時も……」
ベルに悩みや愚痴を散々零していたのだから……な。
「嘘嘘嘘嘘!! 私はそんな言葉を信じないわっっ。私のシリルは誰よりも強くて、逞しい誰もが羨む……王子様」
「それは偽りの仮面に過ぎない」
「いやあああああぁぁぁぁっっ!!」
「リーン!!」
「お嬢様っ、どうぞこれをお飲みになって下さいませっっ」
「……っうぅ、だってエステルぅぅ……私の、シリルが弱い……って――――……」
アイリーンの侍女エステルが何時もの様に用意していただろう即効性の精神安定剤を彼女に呑ませると、漸く屋敷に平穏が戻る。
そう、これが最近のベディングトン公爵家のちょっとした騒動なのだ。
毎日のように繰り返される事にシリルだけではない。
ベディングトン公爵夫妻をはじめ、キャラガー伯爵夫妻に両屋敷へ勤める者達の誰もが心底疲弊していた。
元々親同士が親友同士だった所為もあり、幼い頃よりお互いの屋敷を行き来していた事で、シリルとアイリーンは双方の屋敷へ気軽に出入り出来ていた。
お互いに幼馴染から仄かな恋心を抱き、そうして何時かは結ばれるといいな……と胸に抱いていた純粋な想い。
祖父や父親が優れていた故に何時も強がっていた少年は、心を許した幼馴染にさえ一度たりとも弱音を吐く事はなかった。
そして一方少年の強い一面しか知らない少女は、そんな少年を誰よりも強い男になると信じきっていた。
やがて二人が成人を迎え偶然とは言えど23年もの年月を掛け、青年となった少年は他人に弱音を吐く事の出来る人間へと、弱い自分を受け入れる事が出来たのだ。
しかし少女が乙女へと成長しようが、青年となった少年は誰よりも強くて当たり前だと、弱音等永遠に吐かないものだと、彼女の心の中でそれは決めつけられていたのだった。
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