1 / 5
死神との出会い。
しおりを挟む
「なあ、あと一週間だけ、待ってくれないか」
そんな締め切りを引き延ばそうとする作家のような台詞と共に、彼は突然やって来た。
身に纏う古びたローブは夜闇のように深く、フードから覗く柔らかそうな髪は烏の濡れ羽根色。瞳は硝子細工のように暗く澄んで、闇に紛れてしまいそうなその青年の容姿は、喧騒の中でどこか作り物めいている。
そんな彼を、忙しなく人の行き交う夕方の駅のホームで佇んだまま、わたしは思わず凝視する。
こんなにも人が居るにも関わらず、誰一人として目立つ容姿の彼を一瞥もしない。それどころか、何人もの人達が彼の身体を文字通り通過していったのだ。
疑う余地もなく、わたしの目の前に現れたのは人ならざる存在。漆黒の死神だった。
「……あんまり見るな。それで、どうなんだ。待ってくれるのか?」
「……いろいろ聞きたいことはあるけど、なんで一週間なの?」
「あんたの死亡予定日、一週間後なんだよ。今死なれたら、色々手続きが面倒くさい」
「……何それ」
自殺を止めに来たにしては、何とも自分本意な青年の言い分に、思わず脱力してしまう。
そうこうしてる内に、飛び込み予定だった電車は時刻きっちりに駅のホームに到着してしまった。乗らずに立ち止まるわたしを迷惑そうに避けて、人々はその狭い箱にぎゅうぎゅうになって詰め込まれていき、やがて走り去る。
出鼻を挫かれたわたしは適当なベンチに腰かけて、黒衣の青年を見上げた。
「わたしが一週間待つメリットは?」
「……は?」
「文字通り人の『決死の覚悟』を邪魔しておいて、何もないなんて言わないよね?」
予想外の言葉だったのだろう、青年はどこまでも暗いのに綺麗な目を見開いて、すぐに苦虫を噛み潰したような顔をする。整った顔が台無しだ。
今までのわたしなら、きっと何も言えないまま受け入れただろう。けれど、鞄に簡素な遺書を忍ばせて、とっくに死を覚悟したわたしには、もう何も怖いものなんてなかった。
「……あんたの願いを一つ叶える、とか?」
「ふうん……? まあいいか。願いなんかないけど、どうせ捨てる命だもん。最後くらい、誰かの役に立ってみせようじゃない」
そんなわたしの慈悲の心に、死神は心底安心したように頷いた。
こうして『死にたかったわたし』と『死なせまいとする死神』の、奇妙な一週間は始まった。
*****
「わたし、雨。五月雨って書いて『さみだれ』じゃなくて『さつき あめ』っていうの」
「知ってる」
「あなたの名前は?」
「……夜」
「へえ、いい名前。よろしくね、夜」
夜、なんて、真っ黒な装いの彼にはとても似合いの名前だと思った。
ちなみに五月雨とは、簡単に言うと梅雨のことだ。そんな名前にぴったりのどんよりとした季節の中、死に損なったわたしは死神を連れて、もう二度と帰らないと思っていたぼろアパートに戻る。
どうやら彼の姿はわたしにしか見えないようで、外で彼と話していると、わたしは一人虚空に向かって語りかけるどう見ても不審者の類いだった。さすがに死ぬ前に警察のお世話になるつもりはない。
「どうぞ」
「……お邪魔します」
思いの外丁寧な死神は、土砂降りの中歩いて来たにも関わらず水濡れ一つしていない綺麗な靴を脱いで、綺麗に並べてから家財一式整理してしまった何もない部屋に上がる。
がらんどうの部屋の隅、戸惑いながら居心地悪そうに佇む彼の様子がまるで拾ってきた犬猫みたいで、何だかおかしくて、思わず笑ってしまった。
そしてすぐに、はっとする。笑みが溢れるなんて、一体いつぶりだろうか。自分でも驚いて、思わず口許を手で覆った。
「どうした?」
「何でもない」
「……一週間後、あんたの魂を俺が狩る。それまで、勝手に死なないよう見張らせて貰うからな」
「もうしないよ。一週間したら、どうせ勝手に死ぬんでしょ?」
「運命に抗って自殺未遂する奴の言うことなんか信じるか」
「え、運命に抗うとか何か格好いい……」
「……あんた、死神の存在をあっさり信じたり、死ぬと言われても動じなかったり、それだけ肝が据わってるのに何で……」
何で、わたしが死のうとしたのか。夜の問いたいことはすぐにわかった。けれど彼はその先の言葉を飲み込んだ。うっかり語らせてまた死ぬ気になったら困ると思ったのか、下手に踏み込むまいと決めたのか、そのまま何とも言えない沈黙は外の雨音に紛れて、やがて自然に消えてしまった。わたしは仕切り直して、明るく問い掛ける。
「さて、一週間生きるなら、ご飯とか買わないとね。あなたは何か食べられるの?」
「え、ああ……一応」
「よし! じゃあ何か作るね、先ずは材料と調理器具の買い出しに……あ、冷蔵庫も要る?」
「待て、そこまでしなくていい! せっかく片付けたんだろう、どうせ一週間しか使わないんだ、買わなくて良い」
「それもそうか。じゃあ外食三昧? 最期の晩餐には駅前の喫茶店のパフェって決めてたけど、昨日食べちゃったんだよね……」
「……パフェは晩餐なのか?」
人生卒業計画の前に突然訪れた、一週間のモラトリアム。身辺整理は済ませてしまったし、未練も後悔もすぐには思い付かない。けれど生きている限りお腹は空くし着るものも必要で、寝るなら寝具も欲しいところだ。
飛び込みなんてしたら鉄道会社に迷惑を掛けるから、せめて賠償金にでもなればと手をつけていなかった細やかな貯金。
鞄の中に遺書と共に詰めた、簡素な茶封筒に突っ込んだ纏まった現金を取り出して、それを使ってわたしは彼と最後の一週間を過ごすことにした。人生最後の豪遊だ。ほんの少しだけわくわくしてきた。
*****
そんな締め切りを引き延ばそうとする作家のような台詞と共に、彼は突然やって来た。
身に纏う古びたローブは夜闇のように深く、フードから覗く柔らかそうな髪は烏の濡れ羽根色。瞳は硝子細工のように暗く澄んで、闇に紛れてしまいそうなその青年の容姿は、喧騒の中でどこか作り物めいている。
そんな彼を、忙しなく人の行き交う夕方の駅のホームで佇んだまま、わたしは思わず凝視する。
こんなにも人が居るにも関わらず、誰一人として目立つ容姿の彼を一瞥もしない。それどころか、何人もの人達が彼の身体を文字通り通過していったのだ。
疑う余地もなく、わたしの目の前に現れたのは人ならざる存在。漆黒の死神だった。
「……あんまり見るな。それで、どうなんだ。待ってくれるのか?」
「……いろいろ聞きたいことはあるけど、なんで一週間なの?」
「あんたの死亡予定日、一週間後なんだよ。今死なれたら、色々手続きが面倒くさい」
「……何それ」
自殺を止めに来たにしては、何とも自分本意な青年の言い分に、思わず脱力してしまう。
そうこうしてる内に、飛び込み予定だった電車は時刻きっちりに駅のホームに到着してしまった。乗らずに立ち止まるわたしを迷惑そうに避けて、人々はその狭い箱にぎゅうぎゅうになって詰め込まれていき、やがて走り去る。
出鼻を挫かれたわたしは適当なベンチに腰かけて、黒衣の青年を見上げた。
「わたしが一週間待つメリットは?」
「……は?」
「文字通り人の『決死の覚悟』を邪魔しておいて、何もないなんて言わないよね?」
予想外の言葉だったのだろう、青年はどこまでも暗いのに綺麗な目を見開いて、すぐに苦虫を噛み潰したような顔をする。整った顔が台無しだ。
今までのわたしなら、きっと何も言えないまま受け入れただろう。けれど、鞄に簡素な遺書を忍ばせて、とっくに死を覚悟したわたしには、もう何も怖いものなんてなかった。
「……あんたの願いを一つ叶える、とか?」
「ふうん……? まあいいか。願いなんかないけど、どうせ捨てる命だもん。最後くらい、誰かの役に立ってみせようじゃない」
そんなわたしの慈悲の心に、死神は心底安心したように頷いた。
こうして『死にたかったわたし』と『死なせまいとする死神』の、奇妙な一週間は始まった。
*****
「わたし、雨。五月雨って書いて『さみだれ』じゃなくて『さつき あめ』っていうの」
「知ってる」
「あなたの名前は?」
「……夜」
「へえ、いい名前。よろしくね、夜」
夜、なんて、真っ黒な装いの彼にはとても似合いの名前だと思った。
ちなみに五月雨とは、簡単に言うと梅雨のことだ。そんな名前にぴったりのどんよりとした季節の中、死に損なったわたしは死神を連れて、もう二度と帰らないと思っていたぼろアパートに戻る。
どうやら彼の姿はわたしにしか見えないようで、外で彼と話していると、わたしは一人虚空に向かって語りかけるどう見ても不審者の類いだった。さすがに死ぬ前に警察のお世話になるつもりはない。
「どうぞ」
「……お邪魔します」
思いの外丁寧な死神は、土砂降りの中歩いて来たにも関わらず水濡れ一つしていない綺麗な靴を脱いで、綺麗に並べてから家財一式整理してしまった何もない部屋に上がる。
がらんどうの部屋の隅、戸惑いながら居心地悪そうに佇む彼の様子がまるで拾ってきた犬猫みたいで、何だかおかしくて、思わず笑ってしまった。
そしてすぐに、はっとする。笑みが溢れるなんて、一体いつぶりだろうか。自分でも驚いて、思わず口許を手で覆った。
「どうした?」
「何でもない」
「……一週間後、あんたの魂を俺が狩る。それまで、勝手に死なないよう見張らせて貰うからな」
「もうしないよ。一週間したら、どうせ勝手に死ぬんでしょ?」
「運命に抗って自殺未遂する奴の言うことなんか信じるか」
「え、運命に抗うとか何か格好いい……」
「……あんた、死神の存在をあっさり信じたり、死ぬと言われても動じなかったり、それだけ肝が据わってるのに何で……」
何で、わたしが死のうとしたのか。夜の問いたいことはすぐにわかった。けれど彼はその先の言葉を飲み込んだ。うっかり語らせてまた死ぬ気になったら困ると思ったのか、下手に踏み込むまいと決めたのか、そのまま何とも言えない沈黙は外の雨音に紛れて、やがて自然に消えてしまった。わたしは仕切り直して、明るく問い掛ける。
「さて、一週間生きるなら、ご飯とか買わないとね。あなたは何か食べられるの?」
「え、ああ……一応」
「よし! じゃあ何か作るね、先ずは材料と調理器具の買い出しに……あ、冷蔵庫も要る?」
「待て、そこまでしなくていい! せっかく片付けたんだろう、どうせ一週間しか使わないんだ、買わなくて良い」
「それもそうか。じゃあ外食三昧? 最期の晩餐には駅前の喫茶店のパフェって決めてたけど、昨日食べちゃったんだよね……」
「……パフェは晩餐なのか?」
人生卒業計画の前に突然訪れた、一週間のモラトリアム。身辺整理は済ませてしまったし、未練も後悔もすぐには思い付かない。けれど生きている限りお腹は空くし着るものも必要で、寝るなら寝具も欲しいところだ。
飛び込みなんてしたら鉄道会社に迷惑を掛けるから、せめて賠償金にでもなればと手をつけていなかった細やかな貯金。
鞄の中に遺書と共に詰めた、簡素な茶封筒に突っ込んだ纏まった現金を取り出して、それを使ってわたしは彼と最後の一週間を過ごすことにした。人生最後の豪遊だ。ほんの少しだけわくわくしてきた。
*****
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
私たちの離婚幸福論
桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。
しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。
彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。
信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。
だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。
それは救済か、あるいは——
真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる