十人十色の恋愛模様

黒蓬

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手持ちぶさたな週末に

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風鈴の音色が部屋中に響き渡る。窓から差し込む光が、揺れる風鈴のガラスに反射して、壁に七色の光の輪を描いていた。山田結衣は、ぼんやりとその様子を眺めながら、横になっていた。

「はぁ…」

溜息が漏れる。土曜日の午後。特にすることもなく、ただベッドに横たわっていた。スマホを手に取るが、SNSをスクロールしても心が動かない。友達は皆、どこかに出かけているようだった。

「私、何してるんだろう」

二十歳になったばかりの結衣は、大学二年生。恋愛経験はゼロ。友達から「モテそうなのに勿体ない」と言われることもあるが、どうもきっかけがつかめない。いや、正確には踏み出せないのだ。

風鈴が再び涼やかな音を奏でる。その音に誘われるように、結衣はベッドから体を起こした。

「このままじゃダメだ。どこかに行こう」

決心して、結衣は簡単なメイクをし、ワンピースに着替えた。行き先は決めていない。ただ、この部屋から出ることだけが目的だった。

――――――――――――――――――――――――

街に出ると、人々の喧騒が結衣を包み込んだ。カップルが多い。手をつないで歩いたり、カフェで談笑したり。その光景が、なぜか今日は特に心に刺さる。

「みんな楽しそう…」

羨ましさと孤独感が入り混じった感情を抱えながら、結衣は歩いていた。ふと視界に入ったのは、古びた看板の喫茶店。「珈琲香」と書かれている。

「ここにしよう」

入ると、昭和の雰囲気が漂う店内。カウンター席しかないようだが、客は結衣だけだった。奥からは年配の男性が姿を見せた。

「いらっしゃい。何にします?」

穏やかな声で店主が尋ねてきた。

「アイスコーヒーをお願いします」

結衣が答えると、店主は黙ってコーヒーを淹れ始めた。その手つきには熟練の技が感じられる。

「はい、どうぞ」

出された琥珀色の液体に、結衣は一口含んだ。苦味と酸味のバランスが絶妙で、後味には甘さも感じられた。

「美味しい…」

思わずつぶやいた言葉に、店主は微笑んだ。

「ありがとう。一人で来たのかい?」

結衣は少し驚きながらも、素直に頷いた。

「暇だったから、特に目的もなく…」

「そうか。若いのに珍しいね。今時の若者は予定で埋まってるものだと思ってた」

店主の言葉に、結衣は苦笑いを浮かべた。

「私、あんまり友達多くないんです。恋人もいないし…」

なぜこんな話をするのだろう。初対面の店主に、心の内を明かしている自分が不思議だった。しかし、店主は優しく聞いてくれる。

「恋愛か…若いっていいね。まだ何でも始められる」

店主の目が少し遠くを見つめた。

「店主さんは…恋愛経験豊富なんですか?」

大胆な質問に、自分でも驚いた。しかし店主は穏やかに微笑んだ。

「そうだね。色々あったよ。幸せな時も、辛い時も」

店主の言葉に、結衣は続きを促した。

「よかったら…聞かせてもらえませんか?」

店主は少し考え、そして頷いた。

「いいよ。ちょうど暇だしね」

店主はカウンターの中から古いアルバムを取り出した。

「これは私の宝物だ」

開かれたアルバムには、若かりし店主の写真が収められていた。様々な女性との写真。笑顔あり、真剣な表情あり。結衣はそれを食い入るように見つめた。

「店主さん、モテてたんですね」

店主は照れくさそうに笑った。

「いや、ただ真剣だっただけさ。恋愛に対して」

そして店主は語り始めた。最初の恋、実らなかった思い、長く続いた恋愛、そして今の奥さんとの出会い。一つ一つの恋にはストーリーがあり、喜びも悲しみもあった。

「恋愛に正解はないんだよ。十人いれば十通りの恋愛がある」

店主の言葉が、結衣の心に響いた。

――――――――――――――――――――――――

話を聞いているうちに、外の空が茜色に染まり始めていた。気づけば二時間以上が経過していた。

「こんなに話し込んでしまって、すみません」

結衣が謝ると、店主は首を横に振った。

「いいんだよ。こういう会話も、この店の楽しみの一つだからね」

店を出る時、結衣の心は不思議と軽くなっていた。恋愛について考えすぎていたのかもしれない。もっと自然体でいいのだと思えた。

「ありがとうございました。また来ます」

店主に手を振り、結衣は帰路についた。

――――――――――――――――――――――――

次の日曜日、結衣は再び「珈琲香」を訪れていた。今度は本を持参して、ゆっくりと読書を楽しむつもりだった。

店に入ると、今日は客が一人いた。結衣と同じぐらいの年齢の男性だ。

「いらっしゃい。昨日の子だね」

店主が結衣に声をかけた。カウンターに座ると、隣の男性がちらりと結衣を見た。

「いつものでいいですか?」

店主が尋ねると、結衣は頷いた。

「はい、お願いします」

コーヒーを待つ間、結衣は持参した本を開いた。村上春樹の「ノルウェイの森」。大学の課題で読んでいるものだった。

「村上春樹か。いい小説だよね」

突然、隣の男性が話しかけてきた。結衣は少し驚いて顔を上げた。

「あ、はい…課題で読んでるんです」

「僕も好きな作家の一人だよ。特に初期の作品が」

男性は柔らかい笑顔を浮かべた。優しそうな目をしている。

「大学生?」

「はい、M大の二年です」

「へえ、僕もM大だよ。三年だけど」

結衣は少し驚いた。同じ大学とは思わなかった。

「本当ですか?見かけたことないかも…」

「文学部だからね。君は?」

「私は経済学部です」

二人の会話は自然と弾んだ。名前は佐々木拓也。文学部で日本文学を専攻している。読書好きで、この喫茶店には週末によく来るという。

「こういうレトロな雰囲気が好きでね。それに、マスターのコーヒーは絶品だし」

拓也の言葉に、結衣は頷いた。

「私は昨日初めて来たんです。偶然見つけて」

「そうだったんだ。いい偶然だね」

拓也の笑顔が、結衣の心をほんの少し揺らした。

「君は普段、週末は何してるの?」

「特に…何も。友達とたまに出かけるぐらいで」

素直に答えた結衣に、拓也は少し意外そうな顔をした。

「そうなんだ。見た目的に、もっと忙しそうだったから」

「そんなことないです。むしろ暇です」

そう言って笑うと、拓也も一緒に笑った。

店主はそんな二人の様子を、何も言わずに見守っていた。

――――――――――――――――――――――――

それから結衣は、毎週末「珈琲香」に通うようになった。拓也もほぼ毎週来ていて、二人は自然と会話を楽しむようになった。

「今日は何読んでるの?」

ある日、拓也が結衣の読んでいる本を覗き込んだ。

「太宰治の『人間失格』です」

「重いね。でも名作だよね」

拓也は自分の読んでいる本を見せた。川端康成の「雪国」だった。

「私たち、なんか似てますね」

結衣がそう言うと、拓也は微笑んだ。

「そうかな?でも、こうして同じ空間で読書するのは、なんだか心地いいよね」

その言葉に、結衣は心臓が少し速く鼓動するのを感じた。

――――――――――――――――――――――――

一ヶ月が経ち、二人の関係は少しずつ深まっていった。カフェの外でも会うようになり、大学の中央図書館で一緒に勉強したり、映画を見に行ったりした。

「結衣は何か趣味とかあるの?」

ある日、拓也が尋ねた。

「特にないかも…読書ぐらい?」

「そっか。じゃあ今度、僕の趣味に付き合ってくれない?」

「何ですか?」

「風鈴コレクション」

結衣は驚いた。

「風鈴…ですか?」

「うん。色んな地方の風鈴を集めてるんだ。今度、風鈴市があるんだけど」

「行ってみたいです」

結衣は素直に答えた。拓也の意外な一面を知れるのが嬉しかった。

――――――――――――――――――――――――

風鈴市は予想以上に賑わっていた。全国各地の風鈴が並び、涼やかな音色が会場全体に響いていた。

「すごい…こんなに種類があるんですね」

結衣は目を輝かせた。

「でしょ?形も音色も全然違うんだよ」

拓也は詳しく説明してくれた。江戸風鈴、南部風鈴、篠山風鈴など。地方によって特徴が違い、音色も様々だという。

「この音、私の部屋の風鈴に似てる」

ふと気づいて結衣が言うと、拓也は興味深そうに尋ねた。

「結衣も風鈴持ってるの?」

「はい、一つだけ。でも由来は分からなくて…母が昔から持ってたものなんです」

「見せてくれない?専門家として興味があるな」

拓也が冗談めかして言うと、結衣は少し照れた。

「よかったら…今度」

――――――――――――――――――――――――

後日、結衣は拓也を自分の部屋に招いた。初めて男性を部屋に入れる緊張感で、朝から掃除に明け暮れていた。

「お邪魔します」

拓也が入ってくると、風鈴が軽やかな音を鳴らした。

「あれが私の風鈴です」

窓辺に吊るされた青いガラスの風鈴を指さす。拓也は近づいて、じっと見つめた。

「これは…名品だね。江戸風鈴の中でも、かなり古いタイプだよ」

「そうなんですか?」

「うん。この絵付けの技法は、今ではほとんど見られないんだ」

拓也は慎重に風鈴を手に取り、光に透かして見た。

「美しい…」

その言葉が、風鈴についてなのか、それとも別のことなのか、結衣には分からなかった。しかし、その瞬間、二人の間に流れる空気が変わったことは確かだった。

拓也は風鈴を元の場所に戻し、結衣の方を見た。二人の視線が絡み合う。

「結衣…」

拓也が一歩近づき、結衣の手を取った。

「私…」

言葉が出てこない。心臓が激しく鼓動している。

「好きだ」

シンプルな言葉だったが、結衣の世界を揺るがすには十分だった。

「私も…好きです」

素直な気持ちが自然と言葉になった。

拓也はゆっくりと結衣に近づき、そっと唇を重ねた。風鈴の音色が、その瞬間を美しく彩った。

――――――――――――――――――――――――

次の週末、二人は「珈琲香」を訪れた。今度は恋人同士として。

「おや、二人とも来たのか」

店主は二人の変化に気づいたようだが、特に何も言わなかった。

「マスター、いつものをお願いします」

拓也が二人分を注文した。

席に座り、結衣は拓也の隣でコーヒーを飲みながら考えた。あの日、もし勇気を出して一人で外出していなければ、この喫茶店に来ることもなく、拓也と出会うこともなかった。店主の言葉を聞くこともなかった。

「何考えてるの?」

拓也が尋ねた。

「ちょっと不思議だなって。私たちの出会い」

「運命かもね」

拓也はそう言って、結衣の手を握った。

店主はそんな二人を見ながら、静かに微笑んだ。窓の外では、風が木々を揺らし、まるで風鈴の音色のような優しい音を奏でていた。
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