35 / 55
星の王子様と宇宙の君
しおりを挟む
教室の窓から差し込む午後の柔らかな日差しが、私の机の上に小さな光の四角形を作っていた。その光の中で、ほこりが舞い踊っている。ぼんやりとそれを眺めていると、突然、視界が遮られた。
「喂、新城さん。また宇宙人でも見てるの?」
顔を上げると、そこには不機嫌そうな顔をした志村が立っていた。彼女は私の考え事を「宇宙人との交信」と呼んで茶化すのが好きなようだ。
「別に…宇宙人と交信してるわけじゃないよ」
「ふーん。じゃあ、何を考えてたの?」
志村は私の机に腰掛け、首を傾げる。彼女の長い黒髪が風に揺れて、香りが漂ってきた。桜の香り。志村らしい清楚な香りだ。
「考えごとって言うか…ただぼんやりしてただけ」
「相変わらず、夢見がちね」
そう言って志村は小さく笑った。彼女の笑顔は、クラスの男子を虜にする理由の一つだ。私は彼女のように愛らしい笑顔は持ち合わせていない。その代わり、「宇宙人と交信している」と言われるほど、想像の世界に没頭する能力がある。それが取り柄かは分からないけど。
「放課後、付き合ってくれる?」
唐突な志村の誘いに、私は少し驚いた。私たちは同じクラスだけど、特別仲が良いわけではない。むしろ、タイプが違いすぎて、話が合わないことの方が多い。
「どこに?」
「秘密♪」
志村はウインクをして立ち上がった。彼女の仕草は計算されていて、でも自然。私にはできない芸当だ。
「じゃあ、放課後に教室で待ってるね」
そう言い残して、志村は自分の席へと戻っていった。
「…何だろう」
私は小さくつぶやいた。志村綾香。成績優秀で容姿端麗、運動神経も良く、男子からの人気も高い。そんな彼女が私に何の用があるというのだろう。
放課後、教室に残っていると、約束通り志村がやってきた。
「お待たせ~。行こっか」
志村は軽快な足取りで教室を出ていく。私はほとんど無言で彼女についていくことしかできなかった。
校舎を出て、少し歩くと、見慣れない道に入った。住宅街を抜けて、小さな公園を通り過ぎる。どこへ連れて行かれるのか分からず、不安になってきた頃、志村は足を止めた。
「ここだよ」
見上げると、小さな洋菓子店があった。店の看板には『スターダスト』と書かれている。
「ここのケーキ、すっごく美味しいんだ。でも、一人で来るのはなんだか寂しくて。だから、付き合ってくれると嬉しいなって」
志村の言葉に、私は少し戸惑った。なぜ、クラスの人気者である彼女が、私のようなぱっとしない女子を誘ったのだろう。彼女には、もっと仲の良い友達がいるはずだ。
「私じゃなくて、他の子を誘えば良かったんじゃ…」
「新城さんがいいの。他の子じゃダメ」
志村はきっぱりと言い切った。彼女の真剣な眼差しに、私は何も言い返せなかった。
店内は落ち着いた雰囲気で、優しい光に包まれていた。カウンターには色とりどりのケーキが並び、その美しさに目を奪われる。
「どれにする?私はストロベリーショートケーキ!」
志村は迷いなく言った。私は少し考えてから、ブルーベリーのチーズケーキを選んだ。
席に着くと、志村は急に真面目な表情になった。
「実は…相談があるの」
彼女の声は小さく、少し震えていた。いつもの自信に満ちた志村ではない。
「どんな相談?」
「恋愛相談…」
「え?」
私は思わず声を上げてしまった。恋愛相談なんて、私が最も不得意とする分野だ。恋愛経験はゼロ。妄想の中でしか恋をしたことがない私に、何を相談するというのだろう。
「私、好きな人がいるの」
志村の頬が赤く染まる。その姿は、学校では見せない弱々しさがあった。
「でも、どうやって告白すればいいか分からなくて…」
「待って。なんで私に相談するの?私、恋愛経験ないよ?」
志村は少し困ったような笑みを浮かべた。
「だって、新城さんって小説書くの好きでしょ?いつも国語の授業で書く作文が素敵だって先生が言ってたし。恋愛小説も書けるんじゃないかなって思って…」
「だからって、現実の恋愛相談に乗れるかは…」
「お願い!アドバイスじゃなくても、聞いてくれるだけでいいから!」
志村の必死な表情に、断る理由が見つからなかった。
「分かった…聞くだけなら」
ケーキが運ばれてきた。志村は一口食べると、幸せそうな表情を浮かべた。
「美味しい♪ねえ、新城さんも食べてみて」
私もケーキを一口。確かに絶品だった。口の中でとろけるチーズの風味と、爽やかなブルーベリーのハーモニーに、思わず目を閉じてしまう。
「で、どんな人なの?その好きな人」
志村はフォークを置き、少し俯いた。
「同じクラスの…橘くん」
橘悠馬。クラスで一番の秀才で、容姿も整っていて、運動もできる。まさに完璧な王子様。志村が彼を好きになるのは自然な流れだ。むしろ、釣り合いが取れている。
「橘くんね…」
「うん。でも、橘くんって、私に興味ないみたいで…」
それは意外だった。クラスの男子のほとんどが志村に好意を持っているのに、橘だけが違うなんて。
「どうして?」
「橘くんって、いつも本ばっかり読んでるでしょ?話しかけても、すぐに本に戻っちゃうの。私のことを女の子として見てくれてないみたいで…」
確かに、橘は休み時間になると必ず本を読んでいる。クラスメイトと話すことも少なく、どこか浮いた存在だ。
「だから、どうやって橘くんの心を掴めばいいか、考えてほしいの」
「え?私が?」
「うん!新城さんなら、素敵な告白の仕方を思いつくんじゃないかなって」
そう言われても…私は恋愛小説を書いたことすらない。ただ、妄想が好きなだけだ。
「考えてみるけど…あんまり期待しないでね」
「ありがとう!」
志村は満面の笑みを浮かべた。その笑顔に、不思議と心が温かくなった。
それから数日、私は橘のことを観察するようになった。彼が何の本を読んでいるのか、どんな話題に興味を示すのか、休み時間は何をしているのか。そうすることで、志村の恋の助けになればと思ったからだ。
ある日の放課後、図書室で橘を見つけた。彼はいつものように本に没頭していた。興味本位で、彼の読んでいる本のタイトルを覗き込む。「星の王子様」。意外にも児童文学だった。
「その本、好きなの?」
思わず声をかけてしまった。橘は驚いたように顔を上げた。
「ああ、新城さん。うん、何度も読み返してる」
彼の声は静かで落ち着いていた。
「私も好き。特に、キツネと王子様の会話シーンが」
「『大切なものは、目に見えないんだよ』のところ?」
「そう!あそこ、いつも泣いちゃう」
橘は少し微笑んだ。普段は無表情な彼が、こんな風に笑うなんて珍しい。
「実は…」
橘は本を閉じ、私を見つめた。
「志村さんのこと、どう思う?」
突然の質問に、私は動揺した。もしかして、彼は志村の気持ちに気づいているのだろうか。
「え?どうって…綺麗で、勉強もできて、スポーツも得意で…完璧な人だと思うけど」
「そう…じゃあ、彼女が僕に興味があるって知ってる?」
「え?」
「気づいてるよ。志村さんが僕のことを見てるのも、話しかけてくるのも」
「じゃあ、どうして応えないの?」
橘は少し考えるような素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。
「僕には、好きな人がいるから」
その言葉に、私の心臓が一拍飛んだ。
「誰…?」
「秘密」
橘はそう言って、再び本を開いた。話はそこで終わり、という雰囲気だ。しかし、私の好奇心は収まらなかった。
「志村に言った方がいいんじゃない?彼女、本気だよ」
「うーん、そうかもね。でも、もう少し考えさせて」
橘の態度は曖昧だった。志村にどう伝えればいいのか、途方に暮れた。
次の日、志村は期待に満ちた表情で私に近づいてきた。
「どう?何か分かった?」
嘘はつけない。でも、全てを話すのも酷だ。どうすればいいのだろう。
「橘くんは…本が好きみたい。特に『星の王子様』」
「星の王子様?児童書じゃない」
「うん。でも、そこに何かヒントがあるかも」
志村は少し考え込んだ。
「分かった!読んでみる!ありがとう、新城さん!」
その日の帰り道、志村は本屋に立ち寄ると言って、別れた。彼女の頑張る姿に、何だか胸が痛んだ。橘の気持ちを知っているのに、志村を応援している自分がいる。これは裏切りなのだろうか。
数日後、志村は再び私を呼び止めた。
「新城さん、また付き合ってくれない?」
彼女の表情は少し暗く、元気がなかった。
「どうしたの?」
「話せる場所に行ってから」
今度はスターダストではなく、学校近くの小さな公園だった。誰もいない静かな場所で、志村は深いため息をついた。
「橘くんに告白したの」
「え?いつ?」
「昨日。でも…振られちゃった」
志村の目に涙が浮かんでいた。
「橘くん、他に好きな人がいるんだって」
やはり、橘は正直に答えたのだ。
「そっか…ごめんね」
「なんで新城さんが謝るの?」
「だって…」
もし私が橘に「志村のことを好きになれないの?」と聞いていなかったら、彼女はもう少し希望を持てたかもしれない。そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「新城さんのおかげで、私、『星の王子様』読んだよ。すごく良かった」
志村は涙を拭って、微笑んだ。
「特にキツネのところ。『大切なものは、目に見えないんだよ』って」
「そうだね…」
「橘くんが好きだって言った子、誰だと思う?」
「さあ…」
私は目を逸らした。嘘はつきたくなかったが、真実も言えなかった。
「私ね、橘くんの好きな子のこと、応援しようと思うの」
「え?」
「だって、橘くんの気持ちを尊重したいから。もし、彼が幸せになれるなら…それでいいよ」
志村の強さに、私は言葉を失った。振られたばかりなのに、こんな風に前向きでいられるなんて。
「新城さん、これからも友達でいてくれる?」
「もちろん」
帰り道、星が瞬き始めていた。夜空を見上げると、小さな流れ星が一瞬だけ光った。
「あ、流れ星!」
志村は小さく叫んで、すぐに目を閉じた。何か願い事をしているのだろう。私も目を閉じ、心の中で願った。志村が幸せになりますように。そして…橘の秘密の恋が実りますように。
次の日、教室に入ると、橘が私の席に近づいてきた。
「おはよう、新城さん」
「おはよう…」
緊張した様子の橘に、私は戸惑った。
「昨日、志村さんに話したよ。彼女に好きな人がいることを」
「うん…聞いた」
「でも、誰が好きなのかは言わなかった」
橘は少し照れくさそうに頬を掻いた。
「言う必要があるの?」
「うん、言わないとダメだと思って…」
橘は深呼吸をして、私の目をまっすぐ見つめた。
「僕が好きなのは、新城さんだよ」
その言葉に、教室が静まり返った気がした。時間が止まったような、不思議な感覚。
「え?」
「いつも本を読んでるのは、新城さんが小説好きだって聞いたから。共通の話題を作りたくて」
「でも、なんで私なの?志村の方が…」
「志村さんは素敵な人だけど、僕は新城さんの方が好き。いつも宇宙のことを考えてるみたいな、その不思議な雰囲気が」
宇宙人と交信しているみたいだと言われ続けた私の特徴が、橘には魅力的に映っていたなんて。
「返事はすぐじゃなくていい。ゆっくり考えて」
橘はそう言って、自分の席に戻っていった。私は混乱していた。自分が橘に好かれているなんて、想像したこともなかった。そして、志村の気持ちを考えると、複雑だった。
そんな私の様子を、志村は見ていたようだ。休み時間、彼女は私の隣に座った。
「おめでとう。橘くん、ずっと新城さんのこと見てたよ」
「志村…私…」
「いいの。私も応援する」
志村は優しく微笑んだ。その笑顔の裏にある痛みが、痛いほど伝わってきた。
「私たち、十人十色でいいんだよ。それぞれの形で幸せになれればいいの」
志村の言葉に、私は思わず涙が出そうになった。
「ありがとう…」
その放課後、私は図書室に向かった。橘はいつものように本を読んでいた。
「あのね、橘くん」
彼は顔を上げ、私を見た。
「私も…橘くんのこと、好きになれるかもしれない」
橘の顔が明るくなった。
「本当に?」
「うん。でも、時間をかけて、ゆっくりと」
「もちろん。僕も急がないよ」
橘は立ち上がり、窓の外を指さした。
「見て、星が出てる」
早い時間なのに、一つだけ星が輝いていた。
「流れ星じゃなくても、願い事していい?」
「うん」
橘は目を閉じ、何かを願っているようだった。私も目を閉じて願った。この複雑な気持ちの中で、三人とも幸せになれますように。
あの日、スターダストで志村に出会わなければ、今日はなかった。人との出会いは、星のように突然訪れ、そして私たちの人生を照らすのかもしれない。これから先、どんな恋愛模様が描かれるのか、まだ分からない。ただ、星降る夜に交わした約束を、私は大切にしたいと思う。
「喂、新城さん。また宇宙人でも見てるの?」
顔を上げると、そこには不機嫌そうな顔をした志村が立っていた。彼女は私の考え事を「宇宙人との交信」と呼んで茶化すのが好きなようだ。
「別に…宇宙人と交信してるわけじゃないよ」
「ふーん。じゃあ、何を考えてたの?」
志村は私の机に腰掛け、首を傾げる。彼女の長い黒髪が風に揺れて、香りが漂ってきた。桜の香り。志村らしい清楚な香りだ。
「考えごとって言うか…ただぼんやりしてただけ」
「相変わらず、夢見がちね」
そう言って志村は小さく笑った。彼女の笑顔は、クラスの男子を虜にする理由の一つだ。私は彼女のように愛らしい笑顔は持ち合わせていない。その代わり、「宇宙人と交信している」と言われるほど、想像の世界に没頭する能力がある。それが取り柄かは分からないけど。
「放課後、付き合ってくれる?」
唐突な志村の誘いに、私は少し驚いた。私たちは同じクラスだけど、特別仲が良いわけではない。むしろ、タイプが違いすぎて、話が合わないことの方が多い。
「どこに?」
「秘密♪」
志村はウインクをして立ち上がった。彼女の仕草は計算されていて、でも自然。私にはできない芸当だ。
「じゃあ、放課後に教室で待ってるね」
そう言い残して、志村は自分の席へと戻っていった。
「…何だろう」
私は小さくつぶやいた。志村綾香。成績優秀で容姿端麗、運動神経も良く、男子からの人気も高い。そんな彼女が私に何の用があるというのだろう。
放課後、教室に残っていると、約束通り志村がやってきた。
「お待たせ~。行こっか」
志村は軽快な足取りで教室を出ていく。私はほとんど無言で彼女についていくことしかできなかった。
校舎を出て、少し歩くと、見慣れない道に入った。住宅街を抜けて、小さな公園を通り過ぎる。どこへ連れて行かれるのか分からず、不安になってきた頃、志村は足を止めた。
「ここだよ」
見上げると、小さな洋菓子店があった。店の看板には『スターダスト』と書かれている。
「ここのケーキ、すっごく美味しいんだ。でも、一人で来るのはなんだか寂しくて。だから、付き合ってくれると嬉しいなって」
志村の言葉に、私は少し戸惑った。なぜ、クラスの人気者である彼女が、私のようなぱっとしない女子を誘ったのだろう。彼女には、もっと仲の良い友達がいるはずだ。
「私じゃなくて、他の子を誘えば良かったんじゃ…」
「新城さんがいいの。他の子じゃダメ」
志村はきっぱりと言い切った。彼女の真剣な眼差しに、私は何も言い返せなかった。
店内は落ち着いた雰囲気で、優しい光に包まれていた。カウンターには色とりどりのケーキが並び、その美しさに目を奪われる。
「どれにする?私はストロベリーショートケーキ!」
志村は迷いなく言った。私は少し考えてから、ブルーベリーのチーズケーキを選んだ。
席に着くと、志村は急に真面目な表情になった。
「実は…相談があるの」
彼女の声は小さく、少し震えていた。いつもの自信に満ちた志村ではない。
「どんな相談?」
「恋愛相談…」
「え?」
私は思わず声を上げてしまった。恋愛相談なんて、私が最も不得意とする分野だ。恋愛経験はゼロ。妄想の中でしか恋をしたことがない私に、何を相談するというのだろう。
「私、好きな人がいるの」
志村の頬が赤く染まる。その姿は、学校では見せない弱々しさがあった。
「でも、どうやって告白すればいいか分からなくて…」
「待って。なんで私に相談するの?私、恋愛経験ないよ?」
志村は少し困ったような笑みを浮かべた。
「だって、新城さんって小説書くの好きでしょ?いつも国語の授業で書く作文が素敵だって先生が言ってたし。恋愛小説も書けるんじゃないかなって思って…」
「だからって、現実の恋愛相談に乗れるかは…」
「お願い!アドバイスじゃなくても、聞いてくれるだけでいいから!」
志村の必死な表情に、断る理由が見つからなかった。
「分かった…聞くだけなら」
ケーキが運ばれてきた。志村は一口食べると、幸せそうな表情を浮かべた。
「美味しい♪ねえ、新城さんも食べてみて」
私もケーキを一口。確かに絶品だった。口の中でとろけるチーズの風味と、爽やかなブルーベリーのハーモニーに、思わず目を閉じてしまう。
「で、どんな人なの?その好きな人」
志村はフォークを置き、少し俯いた。
「同じクラスの…橘くん」
橘悠馬。クラスで一番の秀才で、容姿も整っていて、運動もできる。まさに完璧な王子様。志村が彼を好きになるのは自然な流れだ。むしろ、釣り合いが取れている。
「橘くんね…」
「うん。でも、橘くんって、私に興味ないみたいで…」
それは意外だった。クラスの男子のほとんどが志村に好意を持っているのに、橘だけが違うなんて。
「どうして?」
「橘くんって、いつも本ばっかり読んでるでしょ?話しかけても、すぐに本に戻っちゃうの。私のことを女の子として見てくれてないみたいで…」
確かに、橘は休み時間になると必ず本を読んでいる。クラスメイトと話すことも少なく、どこか浮いた存在だ。
「だから、どうやって橘くんの心を掴めばいいか、考えてほしいの」
「え?私が?」
「うん!新城さんなら、素敵な告白の仕方を思いつくんじゃないかなって」
そう言われても…私は恋愛小説を書いたことすらない。ただ、妄想が好きなだけだ。
「考えてみるけど…あんまり期待しないでね」
「ありがとう!」
志村は満面の笑みを浮かべた。その笑顔に、不思議と心が温かくなった。
それから数日、私は橘のことを観察するようになった。彼が何の本を読んでいるのか、どんな話題に興味を示すのか、休み時間は何をしているのか。そうすることで、志村の恋の助けになればと思ったからだ。
ある日の放課後、図書室で橘を見つけた。彼はいつものように本に没頭していた。興味本位で、彼の読んでいる本のタイトルを覗き込む。「星の王子様」。意外にも児童文学だった。
「その本、好きなの?」
思わず声をかけてしまった。橘は驚いたように顔を上げた。
「ああ、新城さん。うん、何度も読み返してる」
彼の声は静かで落ち着いていた。
「私も好き。特に、キツネと王子様の会話シーンが」
「『大切なものは、目に見えないんだよ』のところ?」
「そう!あそこ、いつも泣いちゃう」
橘は少し微笑んだ。普段は無表情な彼が、こんな風に笑うなんて珍しい。
「実は…」
橘は本を閉じ、私を見つめた。
「志村さんのこと、どう思う?」
突然の質問に、私は動揺した。もしかして、彼は志村の気持ちに気づいているのだろうか。
「え?どうって…綺麗で、勉強もできて、スポーツも得意で…完璧な人だと思うけど」
「そう…じゃあ、彼女が僕に興味があるって知ってる?」
「え?」
「気づいてるよ。志村さんが僕のことを見てるのも、話しかけてくるのも」
「じゃあ、どうして応えないの?」
橘は少し考えるような素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。
「僕には、好きな人がいるから」
その言葉に、私の心臓が一拍飛んだ。
「誰…?」
「秘密」
橘はそう言って、再び本を開いた。話はそこで終わり、という雰囲気だ。しかし、私の好奇心は収まらなかった。
「志村に言った方がいいんじゃない?彼女、本気だよ」
「うーん、そうかもね。でも、もう少し考えさせて」
橘の態度は曖昧だった。志村にどう伝えればいいのか、途方に暮れた。
次の日、志村は期待に満ちた表情で私に近づいてきた。
「どう?何か分かった?」
嘘はつけない。でも、全てを話すのも酷だ。どうすればいいのだろう。
「橘くんは…本が好きみたい。特に『星の王子様』」
「星の王子様?児童書じゃない」
「うん。でも、そこに何かヒントがあるかも」
志村は少し考え込んだ。
「分かった!読んでみる!ありがとう、新城さん!」
その日の帰り道、志村は本屋に立ち寄ると言って、別れた。彼女の頑張る姿に、何だか胸が痛んだ。橘の気持ちを知っているのに、志村を応援している自分がいる。これは裏切りなのだろうか。
数日後、志村は再び私を呼び止めた。
「新城さん、また付き合ってくれない?」
彼女の表情は少し暗く、元気がなかった。
「どうしたの?」
「話せる場所に行ってから」
今度はスターダストではなく、学校近くの小さな公園だった。誰もいない静かな場所で、志村は深いため息をついた。
「橘くんに告白したの」
「え?いつ?」
「昨日。でも…振られちゃった」
志村の目に涙が浮かんでいた。
「橘くん、他に好きな人がいるんだって」
やはり、橘は正直に答えたのだ。
「そっか…ごめんね」
「なんで新城さんが謝るの?」
「だって…」
もし私が橘に「志村のことを好きになれないの?」と聞いていなかったら、彼女はもう少し希望を持てたかもしれない。そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「新城さんのおかげで、私、『星の王子様』読んだよ。すごく良かった」
志村は涙を拭って、微笑んだ。
「特にキツネのところ。『大切なものは、目に見えないんだよ』って」
「そうだね…」
「橘くんが好きだって言った子、誰だと思う?」
「さあ…」
私は目を逸らした。嘘はつきたくなかったが、真実も言えなかった。
「私ね、橘くんの好きな子のこと、応援しようと思うの」
「え?」
「だって、橘くんの気持ちを尊重したいから。もし、彼が幸せになれるなら…それでいいよ」
志村の強さに、私は言葉を失った。振られたばかりなのに、こんな風に前向きでいられるなんて。
「新城さん、これからも友達でいてくれる?」
「もちろん」
帰り道、星が瞬き始めていた。夜空を見上げると、小さな流れ星が一瞬だけ光った。
「あ、流れ星!」
志村は小さく叫んで、すぐに目を閉じた。何か願い事をしているのだろう。私も目を閉じ、心の中で願った。志村が幸せになりますように。そして…橘の秘密の恋が実りますように。
次の日、教室に入ると、橘が私の席に近づいてきた。
「おはよう、新城さん」
「おはよう…」
緊張した様子の橘に、私は戸惑った。
「昨日、志村さんに話したよ。彼女に好きな人がいることを」
「うん…聞いた」
「でも、誰が好きなのかは言わなかった」
橘は少し照れくさそうに頬を掻いた。
「言う必要があるの?」
「うん、言わないとダメだと思って…」
橘は深呼吸をして、私の目をまっすぐ見つめた。
「僕が好きなのは、新城さんだよ」
その言葉に、教室が静まり返った気がした。時間が止まったような、不思議な感覚。
「え?」
「いつも本を読んでるのは、新城さんが小説好きだって聞いたから。共通の話題を作りたくて」
「でも、なんで私なの?志村の方が…」
「志村さんは素敵な人だけど、僕は新城さんの方が好き。いつも宇宙のことを考えてるみたいな、その不思議な雰囲気が」
宇宙人と交信しているみたいだと言われ続けた私の特徴が、橘には魅力的に映っていたなんて。
「返事はすぐじゃなくていい。ゆっくり考えて」
橘はそう言って、自分の席に戻っていった。私は混乱していた。自分が橘に好かれているなんて、想像したこともなかった。そして、志村の気持ちを考えると、複雑だった。
そんな私の様子を、志村は見ていたようだ。休み時間、彼女は私の隣に座った。
「おめでとう。橘くん、ずっと新城さんのこと見てたよ」
「志村…私…」
「いいの。私も応援する」
志村は優しく微笑んだ。その笑顔の裏にある痛みが、痛いほど伝わってきた。
「私たち、十人十色でいいんだよ。それぞれの形で幸せになれればいいの」
志村の言葉に、私は思わず涙が出そうになった。
「ありがとう…」
その放課後、私は図書室に向かった。橘はいつものように本を読んでいた。
「あのね、橘くん」
彼は顔を上げ、私を見た。
「私も…橘くんのこと、好きになれるかもしれない」
橘の顔が明るくなった。
「本当に?」
「うん。でも、時間をかけて、ゆっくりと」
「もちろん。僕も急がないよ」
橘は立ち上がり、窓の外を指さした。
「見て、星が出てる」
早い時間なのに、一つだけ星が輝いていた。
「流れ星じゃなくても、願い事していい?」
「うん」
橘は目を閉じ、何かを願っているようだった。私も目を閉じて願った。この複雑な気持ちの中で、三人とも幸せになれますように。
あの日、スターダストで志村に出会わなければ、今日はなかった。人との出会いは、星のように突然訪れ、そして私たちの人生を照らすのかもしれない。これから先、どんな恋愛模様が描かれるのか、まだ分からない。ただ、星降る夜に交わした約束を、私は大切にしたいと思う。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる