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梅雨なんか、もうイヤだ!
しおりを挟むポツリ、ポツリとはっきりしない雨の中、タケルがランドセルを背負ってトボトボ帰っていると、後ろからノリアキが走ってきて背中をパンチした。
「いってぇ! 誰だよ!!」
ランドセルがクッションになっているから本当は痛くなんかなかったけれど、これは条件反射だ。怒鳴りながら振り返ると、そこには悪びれないノリアキの笑顔があった。
「よお!」
「なんだ、ノリアキ兄ちゃんか」
兄ちゃん、といっても二人は兄弟では無い。近所に住む幼馴染みである。
「なあ、いいかげん、雨降りすぎじゃねぇ?」
ノリアキは謝りもせず、主題を言い放つ。
「確かに小降りとは言え、こう毎日降られちゃあなぁ」
タケルも謝られなくても気にしない。幼くとも、それだけの時間が二人の中を流れている証拠なのだ。
「オレさ、この長雨にはもう飽き飽きしてるんだよ。それでさ、この雨を降らせてる雲をさ、ぶっ飛ばすことにしたんだ」
雨雨言ってるが、二人は傘などさしてはいない。とっくにチャンバラごっこで壊してしまった。そして二人、仲良くそれぞれの親から叱られていたのであった。
「雲をぶっ飛ばすって、どうやって?」
「それはなぁ……」
ノリアキは自分だけが知っている特別なことを話そうと、小声で顔を寄せてくる。逆にタケルは、胡散臭そうに顔を歪ませた。
「雲の尻尾を捕まえるのさ!」
そう言ってノリアキは、得意気な顔をした。とたんに白けるタケル。
「小6にもなって何言ってんの。もう21世紀だよ? 今はネットの時代だよ? 雲に尻尾なんかあるわけ無いじゃん。はー、アホらし。オレ帰る」
「待て! 待て待て待て!! マジなんだよ、この話。それこそ動画で見たんだって!!」
「ほんと~?」
タケルは疑わしそうな目で、ノリアキをじろじろ眺めた。
「おう! 知ってるか? あの暗い雨雲の中には、でーっかい鯨の形の船があるんだってさ。オレの従弟の兄さんの友達の妹のそのまた友達のお姉さんが、『雨を止めるには雲の尻尾を捕まえてよじ昇り、空に浮かぶ鯨の船を乗っ取って、雨雲に穴を開ければいい』って言ってる動画を見たんだってよ!!」
タケルの眉毛はすます変な方向に曲り、口からは勝手に長いため息が漏れた。
「……それ、本気で信じてんの?」
「当ったり前だろう! とにかくサッカーは出来ないし、蒸し暑いのに『お腹を壊すから』って、アイスは一日に一個しか食べさせて貰えないし、オレはもう、梅雨は嫌なんだよ!!」
「……で?」
「で?」
「ノリアキ兄ちゃん、一度言い出したら止まんないじゃん。で、どーすんの?」
「だから、雲の尻尾を捕まえる!」
「それは分かったよ。具体的にどーすんのさ」
「幸い明日は休みだ。ってことは今夜、オレん家ちに泊まりにこれるな? 母ちゃんが仕事に行く前に、タケルん家ちに電話しといてもらうから来いよ!」
とびきりの笑顔で、ノリアキが言い放つ。ノリアキの家は母子家庭で、母親は夜勤の仕事でいない方が多かった。
「絶対来いよな! 晩ごはんを食べて、風呂に入ってから泊まりに来い。約束だからな!!」
ノリアキは言いたいことを言うと、さっさと駆けて行った。
「マジかよー。今日見たいテレビがあんのに……」
タケルはさっきよりももっと、トボトボと立ち去ったのであった。
タケルがノリアキのアパートに着くと、ノリアキはアパートの自転車置き場で、自転車の手入れをしていた。
「ノリアキ兄ちゃん、何してんの?」
「おう、来たか! どうもチェーンの動きが悪いからさ、油を挿さしてたんだ」
「ふうん」
ノリアキは自転車のペダルをつかんで、くるくると回してみせた。すると車輪は、カラカラと小気味いい音をたてながら軽快に回った。
「ま、こんなもんで良いだろ。さ、家に行こうぜ」
ノリアキは立ち上がり両手をパンパンとはたき、チェーン用のスプレー缶と、自転車の修理キットを尻のポケットにねじ込んだ。
夜なので、二人は五月蝿くないようにアパートの外階段を上がったのだった。
タケルがノリアキのアパートに来て、およそ三時間が経過した。
「で、このあとどーすんの?」
「待機だな」
「いつまで? オレ、もう眠い」
タケルは5年生。と言っても3月生まれなのでまだ体も小さく、夜更かしには慣れていなかった。
「もう? まだ10時半じゃん。12時くらいになるとな、雲が地面に下がってくるんだよ。ここは高台だし、アパートの2階であるこの部屋の窓からなら、簡単に雲の尻尾を捕まえられると思わないか?」
「はっ!? 危ないよ! 嫌だよ、そんなの」
「何だよ、恐いのかぁ? 嫌ならオレ一人で行っちゃうぜ? 良いのかぁ? 良いのかああああ?」
「分かったよ……」
煽られたタケルは観念した。ノリアキは満足そうに頷くとおもむろに立ち上がりキッチンへ行き、何かをし始めた。そして暫くすると、湯気の出ているカップを2つ持ってきた。
「ほれ」
1つをタケルに差し出す。
「何?」
「コーヒーだよ。眠気覚ましにはコレだな」
小六のノリアキは大人ぶってみたい年頃である。対してタケルは、これまでコーヒーと名のつくものは、コーヒー牛乳しか飲んだことが無かった。
「お前の分は、牛乳と砂糖を入れたから飲めるだろ」
タケルはほろ苦い匂いを嗅ぎ、それから一口すすった。それは大人の味がしたが、悪くはなかった。
それから二人はぺちゃくちゃとおしゃべりを楽しんだ。話題はこの年齢の子供らしく、いくらでもあった。
ふと時計を見ると、遂に12時を指していた。
「よし! 行くか!」
この頃にはタケルの腹は決まっていた。生まれて初めて深夜まで起きている、そのテンションが神経を図太くさせたようだ。
ノリアキがエアコンを消し窓をガラリと開けると、予想した通りに雲が目の前まで降りて来ていた。
「湿気の匂いがすげえ。これならいけるかも」
タケルもノリアキの隣に立つ。確かに夏の夜特有の、ムッとする暑さの空気が漂っている。
「さあ、行くぞっ!」
言葉とは裏腹に二人は用心深く、両手でガシッと雲を掴んだ。予想もしていなかった手触りと固さに、顔を見合わせ、それからそうっと雲に乗った。
「なんだ、全然平気じゃん」
強気な言葉で本心を隠すのは、この年齢ならよくあることである。こわごわと前へと進む二人。へっぴり腰で両手を伸ばして、バランスを取りながら進んだ。
「それで、鯨の船ってのはどこにあるんだろうね」
タケルがノリアキに質問すると、二人の足下に白いボールのようなものが飛んできた。
「あっ、ミーコ!」
「ほんとだ、ミーコだ!!」
近所のノラ猫のミーコだった。本当はいけないことだが、二人はいつも給食の残りのパンをミーコにあげていたのだ。
ミーコはノリアキとタケルを見上げると、喉をゴロゴロと鳴らしながら、白毛に四本足は茶色の靴下を履いたような体を丸め、毛づくろいをし始めた。
「ミーコ、オレたち鯨の船を探してるんだよ。何か見なかったか?」
ミーコは「ニャン」と短く返事をすると、むくりと体を起こし雲の上を駆け出した。
「待って、ミーコ!」
「何か知ってるんだ。急ごうぜ!」
ミーコは時おり振り返り、二人がついて来てるかを確認する。こうして一匹と二人は雲の上を駆け抜けた。
ゴゴゴゴーンと音がする。目の前にそびえるのは、真っ黒な入道雲の壁だ。ときどき雲の中に稲光が走るのが見える。
「何だよ、これ。こんな真っ黒な入道雲なんか、見たこと無いぞ」
「面白そうだなぁ! どっかに入り口は無いのか?」
おびえるタケルに対し、喜びキョロキョロするノリアキ。
「何言ってんだよ、ノリアキ兄ちゃん!! こんなの無理だよ、怪我しちゃうよ!!」
そのとき、またも眩しい閃光が走り、耳元に雷鳴が轟いた。
「テンション、上っがるううっ!」
ノリアキの声量は雷に負けていない。タケルは、「どーしてついてきちゃったんだろう」と呟いたが、こちらはノリアキの耳には届かなかった。
「ミャウ」
足下の灰色の雲と目の前の黒い雲の隙間に立ち、ミーコが鳴いた。まるで「ここから入れるよ」、と言うかのように。首をかしげて座り、タケルの顔をじっと見ていた
「よし! 入るぞ」
「分かったよ」
体の小さなミーコが言ってるんだ、逃げ出すわけには行かない、タケルはそう思った。二人はしゃがみ、四つ這ばいになって雲の隙間をくぐった。
どこからともなく、パタパタパタと羽が旋回する音がする。それも一つではなく、幾つもだ。キュイーーンと、乾いた鉄がこすれる音もする。
酷い湿気の中にいるというのに、少しだけだが、何故か何かが燃えているような匂いがしている。
稲光は止まず、明るくなったり暗くなったりするから目がチカチカした。何度めかの閃光で、ようやく目の前に何があるのか分かった。
「すーーっげえ……」
「本当に、あるんだ……」
鯨の形をした、鉄が錆びたような色の巨大な船だった。流れるような美しい形状。上の方に小さなプロペラがいくつも付いていて、くるくると回っている。ヒレは動いているようには見えないが、その辺りで「キュイーーン」という乾いた音がしていた。湿気に混ざった鉄の匂いが鼻をつく。
「ここから、どーすんの?」
高まってくる緊張を飲んで、タケルがノリアキに聞いた。
「ナァー」
しかし、返事をしたのはミーコだった。声のした方を見ると、少し離れた、鯨のヒレの上に乗っている。
「あそこだ! 行くぞ」
ノリアキはさっさと駆け出す。さっきの灰色の雲は土の上のような感触だったが、今いる黒雲の上は真綿のようで走りづらい。
「ノリアキ兄ちゃん、待ってよーー」
タケルは雲に足を取られながら、必死に後を追いかけたのだった……。
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