華夏百鬼抄

盛桃李もりももり

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第八話 委託

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 食事を終えた三人は、黄浦江こうほこう沿いの遊歩道をゆっくりと歩いていた。

 川風は湿り気を含み、対岸の高層ビルの灯りが、黒い水面に砕けた金属片のように散らばっている。
 遊覧船が通るたび、揺れる光が夜景をさらに艶やかに染めた。

「上海の夜景って、ほんとすごいね。思ってたよりずっと派手だね。」
 キキが目を細めてネオンを見上げる。

 真言は思わず笑った。
 東京の夜が「静かな白光」だとすれば、上海は「脈打つ赤い光」だ。
 街そのものが鼓動しているように見えた。

 ふと、真言は隣を歩くリリィへと声をかけた。

「そういえば……博文ひろふみのこと、何か聞いてる?」

 リリィは一瞬だけ足を止め、すぐに小さく首を振った。
「あれ以来、全然。連絡もしてないわ。」

「あ……いや、来る前に会って。君によろしくってさ。」

 リリィは川面へ視線を落とす。
「元気なら、よかった。」

「うん。相変わらず創作漬けだよ。」

「変わらないわね、ほんとに。」
 リリィの口元に、かすかな笑みが灯る。

 ふたりの間に、そっと夜風が吹き抜けた──そのとき。

 ぱん、と軽い音を立ててキキが手を叩いた。
「ごめん! 今ね、依頼の電話きた!」

「依頼……?」
 真言は眉をひそめる。

 キキはどこか誇らしげに胸を張った。
「そりゃね、遊びに来ただけじゃないんだよ!視てほしいって人、ちゃんといるわけ。」

「“見てほしい”って……何を?」
 真言はますます混乱する。

 リリィが横から笑って補足した。
「家に“何か”いる気がするとか、変な気配がするとか……そういう相談よ。
 キキの“本業”ね。」

 真言の背筋に冷たいものが走る。

「……本当に、見えるの?」

「見えるって……」
 キキは軽く肩をすくめる。
「せっかくだし、行ってみる? 出馬仙しゅつばせんの仕事、見せてあげる。」

 川風が強く吹き、三人の影を揺らした。
 真言の胸に、得体の知れないざわめきが生まれる。

 タクシーに乗り込むと、街の灯りはすぐ遠ざかり、窓の外は黒い道路と、ときどき流れる看板だけになった。

「……思ったより遠いね。」
 真言は窓の外を見つめながら呟く。だが胸の奥は、不思議と熱を帯びていた。

 ──深夜の依頼。
 ──霊を見る少女。
 ──そして、未知の現場。

 車が止まったのは、一見きれいな新築マンションだった。
 だが、煌々と照らされた外観とは裏腹に、敷地全体がどこか息をひそめているような静けさをまとっていた。

 エレベーターで最上階へ上がると、ドアの向こうで待っていたのは小花シャオファと名乗る若い女性だった。
 落ち着いた佇まいで、薄いメイクがよく似合う。
 だがその目の奥には、説明のつかない緊張の影が見えた。

 部屋は白を基調にしたメゾネット。
 整っているのに、なぜか“体温”がない。
 真言はそんな印象を受けた。

「わたし一人暮らし、セルフメディアしてて……」
 小花シャオファは水を三つのグラスに注ぎながら、落ち着いた声で言った。
「ライブ配信とか、短い動画を撮ったりとか。
 だから静かで広い場所がよくて……ここにしたんです。
 家賃も安くて、最初は“当たり”だと思ったんですけど……」

 彼女はそこで言葉を切り、眉を寄せる。

「……でも、住み始めてすぐに、変なんです。
 最初はただ、誰かに“見られてる”気がするだけでした。」

「見られてる?」
 リリィが反射的に聞き返す。

「はい……」
 小花シャオファは落ち着いた声で状況を語るが、指先はかすかに震えていた。

「配信中、鍵をかけてるのに……男の人の声がするんです。
 ぼそぼそ、って。内容は聞き取れないんですけど……」

 真言の背筋に、じわりと冷たいものが這う。

「最近は……夜になると、階段を“上がってくる”音がします。
 ゆっくり、一段ずつ……
 そして、最後は寝室の前で止まるんです。」

「それから……物が勝手に動くんです。
 服とか、道具とか。
 しまった場所と、違う所にあるんです……」

 その声が震えると同時に、沈黙が落ちる。

 真言はてっきりキキが「出た出た、怪談だよ!」と冗談めかすと思っていた。
 だが──彼女は驚くほど冷静だった。

 キキは細めた目で小花をじっと見つめ、
 淡々と、しかし鋭く質問を重ねていく。

「いつから住んでる?
 出入りの時間は決まってる?
 あんたがひとりで住んでるって、誰が知ってる?
 宅配は? 管理人は? 合鍵を持ってる人は?
 ……外から入れる“隙間”は?」

 まるでベテラン刑事の尋問だった。

 小花はひとつひとつ答えていく。
 キキは頷きながら情報を整理し、リリィは横で静かに見守る。

 真言は呆然とその光景を見ていた。
(……え? 霊媒じゃなくて、ほんとに刑事なんじゃ……?)

 やがてキキは息を吐き、組んだ腕をほどく。

「……よし。“人の仕業”の線は薄いね。」

 その声とともに、部屋の空気がわずかに沈む。

 キキが立ち上がり、鋭い目を向けた。

「じゃ、次は……この家、あたしが見て回る。」

 真言の心臓がどくりと鳴る。
 ──いよいよ、“本物の探索”が始まる。
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