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薬の効果が切れるまで後五日(1)
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「え? 今日は殿下はいないのですか?」
ソフィアが執務室へと向かうと、そこには護衛騎士であるフィンだけがいた。戸惑いつつ尋ねると返ってきたのは、「午前中殿下は席を外しているので、いつも通り仕事を進めておいてほしい。と言伝を預かっています」だった。
(まさか……仕事がめんどくさくなって逃げたんじゃないでしょうね?!)
机の上で山となっている書類を睨みつけていると、フィンが慌ててさらに説明を加えた。
「実は、先日のお詫びと言いますか、埋め合わせのために殿下は今マルゲリータ様にお会いになっているんです! 決して仕事をソフィア嬢に押し付けようとしてのことではありませんので、いつも通りご自分の仕事だけをこなして帰ってもらっても大丈夫だと思います!」
「え、ああ。そう……なのですね。説明、ありがとうございます」
「いえ!」
上品な笑みを浮かべつつ、ソフィアは自分に用意された仕事に取りかかる。
(そういうことならまあ……仕方ないわよね)
そう自分に言い聞かせ集中する。フィンの視線が気にはなるが仕方ない。極秘資料等も置かれているクリスティアーノの執務室にソフィアを一人にするわけにいかないのも道理。一応、気を遣って部屋の扉も少し開けてくれている。未婚の男女が二人きりという点にも配慮してくれているのだ。
集中してからの時間経過はあっという間。予定より早く、書類を捌き切ってしまった。
(終わったらもう出て行っていいらしいし……いいわよね)
まとめた書類を執務机の上へと運ぶ。その際、ふと窓の外から声が聞こえ、気が逸れた。
(あれは……)
執務室の窓から見えるのは、立派な庭園。そこには一組の男女と、少し距離を離したところにいる数名の護衛と侍女たち。
「ふふっ」とマルゲリータの吐息交じりの笑い声がソフィアの耳に届く。レオンの声は聞こえないが、マルゲリータの楽しそうな声色から話が盛り上がっているのだろうと、推測できる。
(……随分楽しそうね)
レオンと二人でいてあんな和やかな空気に、楽しそうな雰囲気になった覚えはない。
(私とは喧嘩ばっかのくせに……)
「キャッ」
なにかに躓いたようにマルゲリータの体が傾く。咄嗟にレオンが支えた。ただ、本来のレオンならば楽々支えることができたのであろうが、あいにく今の体はクリスティアーノのもの。マルゲリータとクリスティアーノの身長差はたった二センチだ。しかも、残念ながらクリスティアーノには鍛え上げられた筋肉も備わってはいない。つまり……支えきれず一緒に倒れた。
レオンが下になり、その上にマルゲリータが倒れこんでいる形だ。ソフィアからは見えないが、きっとマルゲリータのたわわな果実が思いっきり彼の上に乗っていることだろう。
ミシッ
ソフィアは自分が握っている窓枠のきしむ音で我に返った。
(な、な、なによあれっ! っていうかいつまで乗っているの?! レオンもなに黙って乗っかられたままになってるのよっ)
今すぐあの二人を引き離したくなって窓から背中を向けようとした。が、すぐ後ろにクリスティアーノが立っているのに気づいて動きを止める。というより、彼の腕と窓とに挟まれ、動きたくても動けなかった。
(い、いつの間に?!)
「なにを熱心に見ているのかと思えば、なるほど……。ソフィー……あれを見て焼いちゃったんだ?」
小声でささやかれ、ソフィアの顔と頭に熱が一気に昇った。
「ちがっ」
「しっ。ここにいるのは俺たちだけじゃないこと忘れないでね?」
「っ」
フィンの存在を思い出し、苦々しく口を閉じる。一度深呼吸をしてから口を開いた。
「わかったから、離してちょうだい」
「ソフィーのご所望とあれば……」
気障ったらしいセリフとともに離れるクリスティアーノ。あまりにも本人とかけ離れた言動にソフィアの眉間に皺が寄る。ときめきすらしない。代わりに漏れたのはため息。そして、ふと気づく。壁際に立っているフィンがわざとらしく天井を向いていることに。彼の頬は赤い。それに気づいたソフィアの顔も赤く染まった。
「わ、私の分の仕事は終わったので、失礼します!」
「お、お疲れ様です!」
「じゃあ、頑張れよフィン」
「はい隊長も!」
(休暇中のレオンがなにを頑張るって言うのよ!)
フィンに見送られ執務室を出た二人は、いつものように二人に用意された部屋へと向かった。もうここ数日で慣れてしまって、無意識にそちらの方へと足が向いた。
後ろから聞こえてくる鼻歌が腹立たしかった。
室内に入ると早速クリスティアーノが、からかうような口調で話しかけてきた。
「ソフィーは随分不機嫌なようだね?」
「誰のせいでこうなってると思っているのよ?」
「うーん……僕のせい?」
「当たり前っ」
「でも、僕だけじゃないよね」
と、いきなり顔を近づけてくるクリスティアーノにソフィアはのけぞった。
「いちいち近づかなくていいから。顔近すぎなのよっ」
「そう? これくらいが普通なんだと思ってたんだけど……」
(っ、たしかに、さっきのレオンとマルゲリータ様も近かったけど)
「だって、いつもの君らの方がよっぽど近いし」
「はあ?」
(いつもの君らって……まさか私とレオンのこと言ってるの?)
「変な言いがかりつけないでくれる? 私はきちんと節度を守った距離をいつも心掛けてるんだから」
「え? あれで?」
心底驚いたとばかりのクリスティアーノに、ソフィアの表情が心外だとゆがむ。
「ってことは無自覚だったってこと?」
「……なにがよ」
「普段の君たち、これくらいの距離だよ」
と言ってクリスティアーノはソフィアに近づいた。体が触れるか触れないかの距離。けれど、確かに男女の距離としては近い。
「これくらいの距離でいつも二人は罵り合っていたんだけど……」
「……本当に?」
「本当に」
その言葉に愕然とする。
(こ、今後は気を付けよう)
口を手で押さえながらうなっていると「ねえ」とクリスティアーノが話しかけてきた。
「なによ。まだなにかある……」
「それで、さっきの見て、ソフィーはどう思ったの?」
「……別に。っていうか、それ聞いてどうするのよ」
「ん? 知りたいだけだよ」
「え?」
「僕が知りたいだけ、ソフィーはレオンとマルゲリータを見てどう感じたのかなって」
「……悪趣味ね」
「……そうだね」
そう言ったきり、口を閉ざすクリスティアーノ。けれど、彼の視線は雄弁に語っている。「さあ、話してみてよ」と。ソフィアが本音を吐くまで待つつもりらしい。
仕方ないとソフィアはため息をつき、口を開いた。
「いい気分ではなかったのは確かよ」
「そっか。それは……中身がレオンだったから?」
「当たり前でしょう。クリスとマルゲリータ様がいちゃいちゃしていようと、二人は婚約者同士なんだから思うところがあるわけないもの。でも、レオンは……」
「ソフィーの婚約者だから、か。……ずるいなあ」
「え?」
「ずるい」の意味がわからず顔を上げるソフィア。クリスティアーノの悔し気な表情が目に入って固まる。
(なん、て顔してるのよ……)
てっきりからかっているのかと思ったら違った。本気で言っているのかと困惑するソフィア。
「ねえ、ソフィー」
「な、なに?」
「もし、このまま僕らが元に戻らないとしたら……どうする?」
「どうするって……」
「中身が僕でも、結婚してくれる?」
「なに、言って……」
真剣なクリスティアーノの表情にソフィアは息を呑んだ。しかし、それも一瞬。すぐに呆れたように笑みを浮かべる。
「まず、そんなことにはならないでしょ」
「だから、これはもしもの話で……」
「たとえばの話だとしてもよ。責任感の塊のクリスが、本来の責務を放置できるわけがないもの」
「っえ?」と呆気に取られるクリスティアーノ。
「まず、クリスはどうにかして元に戻る方法を探そうとするでしょ。もちろん私もそれを手伝う。あんなアホにこの国を任せてなんていられないし。元に戻る方法が見つかるまではクリスと私でレオンのフォローに専念する必要があるから、結婚式は後回しになるでしょうね。っていうか、もともと私とレオンの婚約自体政略的なものなんだから、中身が入れ替わったくらいじゃ結婚の話はなくならないと思うけど? 変わるとしたら式を挙げるタイミングくらい?」
ソフィアの言葉に、クリスティアーノの頬が微かに赤く染まる。狼狽えたように左右に泳ぐピンクの瞳。
「……あ、あー、いや、ちょっと待って、そうじゃなくて……えっと、んん。いや、ソフィーらしい答えと言えばそうか。つまり、中身が僕だからって結婚を嫌がったりはしないと……」
「まあ、というかそれどころじゃないっていう話なんだけど……(今だっていろんなことを後回しにして、こうしてココにいるわけだし……)。それよりも、この話はもう終わりにしましょ」
「ふんふん」とクリスティアーノはうなずいた後、「まあ、そう言わず」と今度はどこか緊張した面持ちで続けて別の質問を口にした。
「じゃあ……元に戻った後、僕が王太子妃にソフィーを望んだら?」
「は? むりむりむりむり」
「なんで?」
「なんでって無理に決まってるでしょ! あんな完璧なマルゲリータ様を差し置いて私が王太子妃なんて分不相応もいいところよっ」
「そんなことないと思うけど? ソフィーにも十分王太子妃になる素質はあると思う」
「買いかぶりすぎ」
「そんなことないよ。実際……いや、この話はいいや。えっと、なんだっけ……ああ、そうそう。ソフィーは責任感が強いし、勤勉家だ。否定するような言葉を言っていても、もし王太子妃に選ばれたら責務を全うしようと全力で努力するでしょ?」
「当然でしょ。万が一、何かの間違いで私が王太子妃になったとしたら、腹をくくってこの国のために全力を尽くすわよ」
「だよね。ソフィーはそういう人だ」
ソフィアは照れながらも、「クリスも同類でしょ」と返す。
「ふふ、だね。……でも、ソフィーが王太子妃になったら、レオンとは今みたいに話せなくなるけど……それは大丈夫?」
「え?」
「だって、王太子妃と王太子の護衛騎士だよ。しかも、元婚約関係にあった二人。変な噂が立たないようにって距離を取る必要が出てくるでしょ。……ソフィーにとって、それはたいした痛手にならないのかな?」
「……ええ。それは……仕方ないことだもの。っていうか、むしろ昔も今もたいして変わらないじゃない」
「たしかに」と笑ってうなずき返すクリスティアーノ。ソフィアは口角を上げたまま、そっと視線を逸らす。
(そもそもこの一年間、顔すらまともに合わせていなかったのよね。レオンとクリスが入れ替わってからは毎日顔を合わせているし、会話もしてはいるけど……昔の方がずっとレオンとの心の距離が近かった気がするのはなんでなんだろう)
以前は会わなくても単細胞なレオンのことなんてわかっているつもりだったのに、今は……よくわからない。レオンのことも、自分のことも。
(クリスの挑発に乗せられてか、らしくない言動ばっかり取ってくるし。いや、それはクリスもだけど……それに狼狽えている自分もらしくない)
ぼんやりとしているソフィアの横顔を、切なさと期待を帯びた瞳でじっと見つめるクリスティアーノ。しかし、ソフィアはその視線に気づかない。ましてや、今感じているその想いこそが、彼が期待した「気づき」の第一歩であることにも、さらにその期待の奥に沈む彼の真意にも。
ソフィアが執務室へと向かうと、そこには護衛騎士であるフィンだけがいた。戸惑いつつ尋ねると返ってきたのは、「午前中殿下は席を外しているので、いつも通り仕事を進めておいてほしい。と言伝を預かっています」だった。
(まさか……仕事がめんどくさくなって逃げたんじゃないでしょうね?!)
机の上で山となっている書類を睨みつけていると、フィンが慌ててさらに説明を加えた。
「実は、先日のお詫びと言いますか、埋め合わせのために殿下は今マルゲリータ様にお会いになっているんです! 決して仕事をソフィア嬢に押し付けようとしてのことではありませんので、いつも通りご自分の仕事だけをこなして帰ってもらっても大丈夫だと思います!」
「え、ああ。そう……なのですね。説明、ありがとうございます」
「いえ!」
上品な笑みを浮かべつつ、ソフィアは自分に用意された仕事に取りかかる。
(そういうことならまあ……仕方ないわよね)
そう自分に言い聞かせ集中する。フィンの視線が気にはなるが仕方ない。極秘資料等も置かれているクリスティアーノの執務室にソフィアを一人にするわけにいかないのも道理。一応、気を遣って部屋の扉も少し開けてくれている。未婚の男女が二人きりという点にも配慮してくれているのだ。
集中してからの時間経過はあっという間。予定より早く、書類を捌き切ってしまった。
(終わったらもう出て行っていいらしいし……いいわよね)
まとめた書類を執務机の上へと運ぶ。その際、ふと窓の外から声が聞こえ、気が逸れた。
(あれは……)
執務室の窓から見えるのは、立派な庭園。そこには一組の男女と、少し距離を離したところにいる数名の護衛と侍女たち。
「ふふっ」とマルゲリータの吐息交じりの笑い声がソフィアの耳に届く。レオンの声は聞こえないが、マルゲリータの楽しそうな声色から話が盛り上がっているのだろうと、推測できる。
(……随分楽しそうね)
レオンと二人でいてあんな和やかな空気に、楽しそうな雰囲気になった覚えはない。
(私とは喧嘩ばっかのくせに……)
「キャッ」
なにかに躓いたようにマルゲリータの体が傾く。咄嗟にレオンが支えた。ただ、本来のレオンならば楽々支えることができたのであろうが、あいにく今の体はクリスティアーノのもの。マルゲリータとクリスティアーノの身長差はたった二センチだ。しかも、残念ながらクリスティアーノには鍛え上げられた筋肉も備わってはいない。つまり……支えきれず一緒に倒れた。
レオンが下になり、その上にマルゲリータが倒れこんでいる形だ。ソフィアからは見えないが、きっとマルゲリータのたわわな果実が思いっきり彼の上に乗っていることだろう。
ミシッ
ソフィアは自分が握っている窓枠のきしむ音で我に返った。
(な、な、なによあれっ! っていうかいつまで乗っているの?! レオンもなに黙って乗っかられたままになってるのよっ)
今すぐあの二人を引き離したくなって窓から背中を向けようとした。が、すぐ後ろにクリスティアーノが立っているのに気づいて動きを止める。というより、彼の腕と窓とに挟まれ、動きたくても動けなかった。
(い、いつの間に?!)
「なにを熱心に見ているのかと思えば、なるほど……。ソフィー……あれを見て焼いちゃったんだ?」
小声でささやかれ、ソフィアの顔と頭に熱が一気に昇った。
「ちがっ」
「しっ。ここにいるのは俺たちだけじゃないこと忘れないでね?」
「っ」
フィンの存在を思い出し、苦々しく口を閉じる。一度深呼吸をしてから口を開いた。
「わかったから、離してちょうだい」
「ソフィーのご所望とあれば……」
気障ったらしいセリフとともに離れるクリスティアーノ。あまりにも本人とかけ離れた言動にソフィアの眉間に皺が寄る。ときめきすらしない。代わりに漏れたのはため息。そして、ふと気づく。壁際に立っているフィンがわざとらしく天井を向いていることに。彼の頬は赤い。それに気づいたソフィアの顔も赤く染まった。
「わ、私の分の仕事は終わったので、失礼します!」
「お、お疲れ様です!」
「じゃあ、頑張れよフィン」
「はい隊長も!」
(休暇中のレオンがなにを頑張るって言うのよ!)
フィンに見送られ執務室を出た二人は、いつものように二人に用意された部屋へと向かった。もうここ数日で慣れてしまって、無意識にそちらの方へと足が向いた。
後ろから聞こえてくる鼻歌が腹立たしかった。
室内に入ると早速クリスティアーノが、からかうような口調で話しかけてきた。
「ソフィーは随分不機嫌なようだね?」
「誰のせいでこうなってると思っているのよ?」
「うーん……僕のせい?」
「当たり前っ」
「でも、僕だけじゃないよね」
と、いきなり顔を近づけてくるクリスティアーノにソフィアはのけぞった。
「いちいち近づかなくていいから。顔近すぎなのよっ」
「そう? これくらいが普通なんだと思ってたんだけど……」
(っ、たしかに、さっきのレオンとマルゲリータ様も近かったけど)
「だって、いつもの君らの方がよっぽど近いし」
「はあ?」
(いつもの君らって……まさか私とレオンのこと言ってるの?)
「変な言いがかりつけないでくれる? 私はきちんと節度を守った距離をいつも心掛けてるんだから」
「え? あれで?」
心底驚いたとばかりのクリスティアーノに、ソフィアの表情が心外だとゆがむ。
「ってことは無自覚だったってこと?」
「……なにがよ」
「普段の君たち、これくらいの距離だよ」
と言ってクリスティアーノはソフィアに近づいた。体が触れるか触れないかの距離。けれど、確かに男女の距離としては近い。
「これくらいの距離でいつも二人は罵り合っていたんだけど……」
「……本当に?」
「本当に」
その言葉に愕然とする。
(こ、今後は気を付けよう)
口を手で押さえながらうなっていると「ねえ」とクリスティアーノが話しかけてきた。
「なによ。まだなにかある……」
「それで、さっきの見て、ソフィーはどう思ったの?」
「……別に。っていうか、それ聞いてどうするのよ」
「ん? 知りたいだけだよ」
「え?」
「僕が知りたいだけ、ソフィーはレオンとマルゲリータを見てどう感じたのかなって」
「……悪趣味ね」
「……そうだね」
そう言ったきり、口を閉ざすクリスティアーノ。けれど、彼の視線は雄弁に語っている。「さあ、話してみてよ」と。ソフィアが本音を吐くまで待つつもりらしい。
仕方ないとソフィアはため息をつき、口を開いた。
「いい気分ではなかったのは確かよ」
「そっか。それは……中身がレオンだったから?」
「当たり前でしょう。クリスとマルゲリータ様がいちゃいちゃしていようと、二人は婚約者同士なんだから思うところがあるわけないもの。でも、レオンは……」
「ソフィーの婚約者だから、か。……ずるいなあ」
「え?」
「ずるい」の意味がわからず顔を上げるソフィア。クリスティアーノの悔し気な表情が目に入って固まる。
(なん、て顔してるのよ……)
てっきりからかっているのかと思ったら違った。本気で言っているのかと困惑するソフィア。
「ねえ、ソフィー」
「な、なに?」
「もし、このまま僕らが元に戻らないとしたら……どうする?」
「どうするって……」
「中身が僕でも、結婚してくれる?」
「なに、言って……」
真剣なクリスティアーノの表情にソフィアは息を呑んだ。しかし、それも一瞬。すぐに呆れたように笑みを浮かべる。
「まず、そんなことにはならないでしょ」
「だから、これはもしもの話で……」
「たとえばの話だとしてもよ。責任感の塊のクリスが、本来の責務を放置できるわけがないもの」
「っえ?」と呆気に取られるクリスティアーノ。
「まず、クリスはどうにかして元に戻る方法を探そうとするでしょ。もちろん私もそれを手伝う。あんなアホにこの国を任せてなんていられないし。元に戻る方法が見つかるまではクリスと私でレオンのフォローに専念する必要があるから、結婚式は後回しになるでしょうね。っていうか、もともと私とレオンの婚約自体政略的なものなんだから、中身が入れ替わったくらいじゃ結婚の話はなくならないと思うけど? 変わるとしたら式を挙げるタイミングくらい?」
ソフィアの言葉に、クリスティアーノの頬が微かに赤く染まる。狼狽えたように左右に泳ぐピンクの瞳。
「……あ、あー、いや、ちょっと待って、そうじゃなくて……えっと、んん。いや、ソフィーらしい答えと言えばそうか。つまり、中身が僕だからって結婚を嫌がったりはしないと……」
「まあ、というかそれどころじゃないっていう話なんだけど……(今だっていろんなことを後回しにして、こうしてココにいるわけだし……)。それよりも、この話はもう終わりにしましょ」
「ふんふん」とクリスティアーノはうなずいた後、「まあ、そう言わず」と今度はどこか緊張した面持ちで続けて別の質問を口にした。
「じゃあ……元に戻った後、僕が王太子妃にソフィーを望んだら?」
「は? むりむりむりむり」
「なんで?」
「なんでって無理に決まってるでしょ! あんな完璧なマルゲリータ様を差し置いて私が王太子妃なんて分不相応もいいところよっ」
「そんなことないと思うけど? ソフィーにも十分王太子妃になる素質はあると思う」
「買いかぶりすぎ」
「そんなことないよ。実際……いや、この話はいいや。えっと、なんだっけ……ああ、そうそう。ソフィーは責任感が強いし、勤勉家だ。否定するような言葉を言っていても、もし王太子妃に選ばれたら責務を全うしようと全力で努力するでしょ?」
「当然でしょ。万が一、何かの間違いで私が王太子妃になったとしたら、腹をくくってこの国のために全力を尽くすわよ」
「だよね。ソフィーはそういう人だ」
ソフィアは照れながらも、「クリスも同類でしょ」と返す。
「ふふ、だね。……でも、ソフィーが王太子妃になったら、レオンとは今みたいに話せなくなるけど……それは大丈夫?」
「え?」
「だって、王太子妃と王太子の護衛騎士だよ。しかも、元婚約関係にあった二人。変な噂が立たないようにって距離を取る必要が出てくるでしょ。……ソフィーにとって、それはたいした痛手にならないのかな?」
「……ええ。それは……仕方ないことだもの。っていうか、むしろ昔も今もたいして変わらないじゃない」
「たしかに」と笑ってうなずき返すクリスティアーノ。ソフィアは口角を上げたまま、そっと視線を逸らす。
(そもそもこの一年間、顔すらまともに合わせていなかったのよね。レオンとクリスが入れ替わってからは毎日顔を合わせているし、会話もしてはいるけど……昔の方がずっとレオンとの心の距離が近かった気がするのはなんでなんだろう)
以前は会わなくても単細胞なレオンのことなんてわかっているつもりだったのに、今は……よくわからない。レオンのことも、自分のことも。
(クリスの挑発に乗せられてか、らしくない言動ばっかり取ってくるし。いや、それはクリスもだけど……それに狼狽えている自分もらしくない)
ぼんやりとしているソフィアの横顔を、切なさと期待を帯びた瞳でじっと見つめるクリスティアーノ。しかし、ソフィアはその視線に気づかない。ましてや、今感じているその想いこそが、彼が期待した「気づき」の第一歩であることにも、さらにその期待の奥に沈む彼の真意にも。
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