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薬の効果が切れるまで後四日(1)
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静寂な室内に秒針の音だけが響く。ソフィアは「そろそろ時間だわ」と、そわそわした気持ちで立ち上がった。
次いで、己の身にまとっているドレスを見下ろす。
(本当にこれで大丈夫かしら……)
今になって心配になってきた。
良く言えばシンプル、悪く言えば地味なデザインのドレス。色も濃いモスグリーンとかなり落ち着いている。さらにはその上に着る予定のロングコートもダークチャコールと全体的に渋い。いくら流行に疎いソフィアでも普段なら絶対に選ばないコーデだ。
しかし、彼は言っていた。
「これくらいがちょうどいいんだ。特に今日の潜入先にはね」と。
そう、今日この後。ソフィアはクリスティアーノと共に、とある場所に潜入する予定だ。
緊張をほぐそうと深呼吸をしていると、コンコンとノック音が鳴った。
(きた!)
焦る気持ちのせいで相手を確認することを忘れ、そのまま扉を開けた。そこにいたのは予想外の人物。ソフィアは目を丸くし、固まる。その隙に相手は強引に部屋の中へと押し入ってきた。
ワンテンポ遅れて止めようとしたが、すかさず口を塞がれ、壁に押し付けられる。
「ん~!」
(なにすんのよ!)
抗議の声は彼――レオン――の手に吸い込まれた。
「大きな声出すなよ」と耳元で囁かれる。
渋々ながらもソフィアはうなずき返した。すると、手が離れる。
「……はあ。……ちょっと、なんのつもりよ。いきなりきてこんな……」
冷静に、けれどもしっかり苦言を呈しようとしたソフィアだが、レオンの怒りを含んだ視線とぶつかり口を閉じた。
「おまえさあ……何考えてんの?」
「……え?」
「俺、『デート』するなって言ったよな?」
「あ……」
レオンの一言で、そういえば……と思い出す。ソフィアの中では今回のこれは『デート』ではなく、完全に任務という認識だったためすっかり頭から抜けていた。
「いや、でもこれは別に『デート』じゃ……」
「『デート』じゃない? それ、本気で言ってんの?」
彼の指摘に、強く言い返せないソフィア。
(たしかに、それはそう。立場が逆なら私もそう思うもの……でも、本当に今回のは『デート』ではないし、すごく重要な任務だから……)
「……本気、だよ。たしかに傍目から見ればそう見えるかもしれないけど。これは入れ替わりがバレないようにするためには必要なことだもの」
「毎日昼飯一緒に食って、部屋で二人きりで茶会してんじゃん。それで十分じゃねえの? あ、いや……まあ、ソフィーが言っていた婚約者としての最低限のマナーってやつ的には外に行く『デート』ってやつも必要なのかもしれねえけど。でも、それは一度もう行ってんじゃん。こんな近々に行かないといけないもんなの? っていうか、なんでクリスの方にべったりなんだよ。ソフィーは俺の婚約者だろ? なのになんで俺のフォローはしてくれねえの? 心配になんねえの?」
いつになく真剣な表情。そして、怒涛の質問に、ソフィアの良心は痛み始める。
「そ、それは……レオンのことも心配だけど。だから仕事も手伝ってるんだし……」
「……俺のこともってことは、クリスのこともってことね。おまえにとってはどっちも一緒なんだな」
「ちがっ」
「なら、クリスばっかにかまってんじゃねえよ!」
「っ!」
怒りをぶつけられて思わず目を閉じるソフィア。その反応に傷ついた表情を浮かべるレオン。
「っんで、なんで何も言わねえんだよ……」
「ごめ……」
切なさと悲しさをないまぜにしたような声色が聞こえ、ソフィアは慌てて目を開ける。至近距離でレオンと目が合って息を呑む。
「なあ、ソフィー。ソフィーは……俺の(婚約者)、だよな?」
肯定してくれ、という切羽詰まった感情が彼の声色と表情から伝わってくる。
ソフィアの胸がぎゅうっと締め付けられた。
本来のレオンの体より身長が低い分、ソフィアとの距離も近い。
一気に心臓のドクドク音が大きくなり、ソフィアは動揺した。
(こんなレオン、初めて見る。ここまでレオンを追い詰めたのは私だ。クリス、ごめん。クリスには悪いけど……私っ)
「レオン。私っ……」
決心して口を開こうとしたソフィア。レオンもその覚悟を感じ取っているかのようにじっと続きを待っている。
しかし、その空気を壊すように「ねえ」と抑揚のない声が響いた。
バッ! と勢いよく離れる二人。
「……っクリス! おまえいつの間にっ」
あからさまに動揺しているレオンの後ろで、なんとか平常心を取り戻そうとしているソフィア。
そんな二人をクリスティアーノは感情が読めない瞳で見比べた後、にっこりと笑顔を浮かべた。その胡散臭い笑みにレオンとソフィアが動きを止める。
「うーん。どうやら邪魔しちゃったみたいだね」
「そ、そうだよ。わかってるんなら気を利かせろよ」
「そうしたいのはやまやまだったんだけどね。もう時間が……」
と言って懐中時計を取り出し、わざとらしく時間を確認するクリスティアーノ。
その一言でソフィアの意識が仕事モードに切り替わった。
「え?! もうそんな時間?!」
「ソフィー?」
「ごめん、レオン。私たちもう行かないと」
「だね。この機を逃すわけにはいかないから」
「はやく行きましょ!」
「は?! ちょ、ちょっと待てって」
レオンがソフィアに伸ばした手を、クリスティアーノが掴んで止める。
「ごめんね。申し訳ないけど、本当に時間がないんだ。あ、でも安心して」
「は?」
「これは『デート』じゃなくて、れっきとした仕事だから。……だから、あんまりソフィアをいじめちゃダメだよ。嫉妬深い男は嫌われるぞっ」
語尾を上げ、ウインクをかますクリスティアーノ。不意打ちを喰らい、思考を停止させたレオンを置いて、ソフィアの手を引き部屋を出た。
その際、ソフィアは部屋に残っているレオンに「行ってくるね」と告げたが、己が絶対しないような仕草をされた衝撃から立ち直れない彼の耳に届いたかは定かではない。
◇
王城を出たクリスティアーノとソフィアは、辻馬車に偽装した馬車に乗り、街へと向かう。なお、行き先は数日前と同じ、オペラ鑑賞をした劇場だ。
ソフィアは知らなかったが、実はあの日、あの劇場には王弟派の主要人物たちが集まっていたのだという。クリスティアーノはソフィアの飲み物に睡眠薬を仕込み、眠らせている間に彼らの話を盗み聞きしていた。その際に、クリスティアーノ暗殺についても口にしており、その証言を録音することもできた。しかし、音声データだけでは証拠不十分。その上、あの日捕まえた暗殺者たちも早々に処分されてしまった。
その動きの速さにクリスティアーノは確信を得た。自身の近くに頭が切れる王弟派が潜んでいると。
クリスティアーノが知る王弟はそこまで頭が回る人物ではない。となれば、まずはその敵の知将が誰なのかを確定させたい。そう考えていた時、暗部から報告が入った。今日、あの劇場で王弟が誰かと二人きりで会う予定らしいという情報が。
そんな話を聞いて使命感を募らせているソフィアが黙っていられるはずもなく。ならば、今回は自分も全面的に協力しようと買って出たのだ。
(なのに……もう少しでレオンに全部白状するところだった……)
自己嫌悪に陥る。自分は情に流されない性格だと思っていたのに、蓋を開けてみればこれだ。レオンの常とは違う言動に、揺れてしまった。勘づいているだろうクリスティアーノがなにも言わないのも堪えていた。
(考えすぎてもダメ。今は目の前のことに集中)
ソフィアは己の頬を両手でたたいて、気を引き締め直す。
「そろそろ着きそうだね。はい、これ」
向かいに座っているクリスティアーノが差し出してきたのは、茶色いおさげ髪のかつら。本来のソフィアの金髪では目立つ。ということで、用意してくれたらしい。一方のクリスティアーノは眼鏡をかけ、鍛えられた体を隠すために分厚いコートを羽織っている。
変装を完成させた二人は劇場から離れたところで馬車を降りた。オペラを観に来たお忍び貴族カップルを装いながら、劇場へと向かって歩く。
「ここからは念のため、声は出さないように」
小声で下されたクリスティアーノからの指示に、ソフィアは黙ってうなずき返す。
館内に入ると、前回同様二階へと通された。
慣れ親しんだ感じで薄暗い中を進んでいく。さっとボックス席へ入り、注文を済ませるとカーテンを閉めてもらった。
声が出ないように気を付けながらソフィアは息を吐く。
緊張気味の彼女に、クリスティアーノはアドバイスをした。
「劇が始まるまでは小声で(テキトーに)会話を楽しもう」
その言葉の意味を瞬時に理解したソフィアはうなずく。
(その方が自然。というだけでなく、おそらくこちらの声も聞こえる範囲内に相手もいる、もしくはくるってこと……ね)
神経を集中させると、左隣から人の気配を感じる。その気配が目当ての人物たちかはわからないが、ソフィアは運ばれてきた飲み物に徐に口をつけると、演技を始めた。
「ねえ、これ美味しいわよ。ほら、あなたも飲んでみて?」
(相手はレオンの声を知っているかもしれない。なら、私ができる限り一方的に話す感じで……)
「ん、ああ」
と、クリスティアーノもわざと低い声色で返す。
「ふふ。……私、今日、とっても楽しみにしてたの」
と言ってわざと衣擦れの音を出しながら、そっと席を立った。クリスティアーノも録音機片手に、隣の音を拾いやすい位置へと移動している。
緊張感はひとしおだが、どうやら隣にいる人たちはカップルがいちゃつき始めたのだと勘違いしてくれたらしい。
(……え? 隣、カップルっぽい?)
聞こえてきたのは男女の声。
「……なんだ? 隣にあてられたのか? 物欲しそうな顔をしているぞ」と色気とからかいを多分に含んだ男の声。
それに対して、
「……相変わらず意地悪なお方ですこと。私がどんなにあなたと会いたいと思っていたことかっ」と拗ねたような甘えるような女の声。
(なんだ、左隣は一般のカップルか)と頬を赤らめ、意識を遠ざけようとしたソフィアだったがすぐに違和感に気づいた。もう一度、耳を澄ませる。そして、思わず息を呑んだ。聞き覚えがないと思っていた男の声だが、よく聞けばクリスティアーノと似ている気がする。血が繋がっているフェルディナンドの可能性は十分にある。そして、相手の女性の声は最近聞いたばかりだ。
(どうして彼女が……)
信じられないという思いのまま、クリスティアーノを見やる。彼はソフィアの視線に気づいていないのか、真剣な表情で録音機を片手に聞き耳を立てていた。
茫然と立ち尽くしていたソフィアだったが、オペラが始まったことによって我に返る。ホッとしたのもつかの間。今度は隣から到底聞いていられないような音が聞こえてきた。それらの音はわざわざ聞こうとしなければ耳に届くことはないほど小さな音。
無意識のうちにソフィアは動いていた。クリスティアーノの手から録音機を奪い取り、代わりに彼の両手を彼自身の耳に被せるように誘導する。驚いている彼の視線を無視して、無心でソフィアは彼らの情事が終わるまで耐えきった。
苦行とも思える時間は存外早く終わり、衣擦れの音がしばらく鳴ったと思ったら、気だるげな男の声が響いた。
「これを」
どうやら先ほどの音はなにかを取り出す音だったらしい。重要な会話が始まるかもしれないとソフィアはクリスティアーノに知らせる。
「これは……?」と女の戸惑う声。
「これは私と君が結ばれるために必要なモノさ」
「……つまり、これを私があの人に?」
女の声が若干震えている。女の迷いを感じ取ったのか、男がさらに言葉を重ねる。
「ああ。こんな汚れ役を君にさせるのは忍びないが……これも二人の未来のため。大丈夫。この秘薬は魔女お手製のものだ。証拠も残らない。……君なら見事やり遂げてくれるだろう?」
「っええ、もちろんよ。二人のために、必ず」
「さすがだ。期待しているよ。愛しい……」
「……ああ……様」
再燃する二人。そして、まるで同調しているかのようにオペラも盛り上がりをみせる。姫役の歌姫が声を張り上げ、応えるように相手役の男が愛を歌う。
(もう、十分だわ)
これ以上ここにいる必要も感じられず、ソフィアはクリスティアーノの手を引いてボックス席を抜け出す。彼は抵抗することなくついてきた。まっすぐに前だけを見て歩くソフィアは、後ろの彼がどんな表情を浮かべているか知ることはなかった。
次いで、己の身にまとっているドレスを見下ろす。
(本当にこれで大丈夫かしら……)
今になって心配になってきた。
良く言えばシンプル、悪く言えば地味なデザインのドレス。色も濃いモスグリーンとかなり落ち着いている。さらにはその上に着る予定のロングコートもダークチャコールと全体的に渋い。いくら流行に疎いソフィアでも普段なら絶対に選ばないコーデだ。
しかし、彼は言っていた。
「これくらいがちょうどいいんだ。特に今日の潜入先にはね」と。
そう、今日この後。ソフィアはクリスティアーノと共に、とある場所に潜入する予定だ。
緊張をほぐそうと深呼吸をしていると、コンコンとノック音が鳴った。
(きた!)
焦る気持ちのせいで相手を確認することを忘れ、そのまま扉を開けた。そこにいたのは予想外の人物。ソフィアは目を丸くし、固まる。その隙に相手は強引に部屋の中へと押し入ってきた。
ワンテンポ遅れて止めようとしたが、すかさず口を塞がれ、壁に押し付けられる。
「ん~!」
(なにすんのよ!)
抗議の声は彼――レオン――の手に吸い込まれた。
「大きな声出すなよ」と耳元で囁かれる。
渋々ながらもソフィアはうなずき返した。すると、手が離れる。
「……はあ。……ちょっと、なんのつもりよ。いきなりきてこんな……」
冷静に、けれどもしっかり苦言を呈しようとしたソフィアだが、レオンの怒りを含んだ視線とぶつかり口を閉じた。
「おまえさあ……何考えてんの?」
「……え?」
「俺、『デート』するなって言ったよな?」
「あ……」
レオンの一言で、そういえば……と思い出す。ソフィアの中では今回のこれは『デート』ではなく、完全に任務という認識だったためすっかり頭から抜けていた。
「いや、でもこれは別に『デート』じゃ……」
「『デート』じゃない? それ、本気で言ってんの?」
彼の指摘に、強く言い返せないソフィア。
(たしかに、それはそう。立場が逆なら私もそう思うもの……でも、本当に今回のは『デート』ではないし、すごく重要な任務だから……)
「……本気、だよ。たしかに傍目から見ればそう見えるかもしれないけど。これは入れ替わりがバレないようにするためには必要なことだもの」
「毎日昼飯一緒に食って、部屋で二人きりで茶会してんじゃん。それで十分じゃねえの? あ、いや……まあ、ソフィーが言っていた婚約者としての最低限のマナーってやつ的には外に行く『デート』ってやつも必要なのかもしれねえけど。でも、それは一度もう行ってんじゃん。こんな近々に行かないといけないもんなの? っていうか、なんでクリスの方にべったりなんだよ。ソフィーは俺の婚約者だろ? なのになんで俺のフォローはしてくれねえの? 心配になんねえの?」
いつになく真剣な表情。そして、怒涛の質問に、ソフィアの良心は痛み始める。
「そ、それは……レオンのことも心配だけど。だから仕事も手伝ってるんだし……」
「……俺のこともってことは、クリスのこともってことね。おまえにとってはどっちも一緒なんだな」
「ちがっ」
「なら、クリスばっかにかまってんじゃねえよ!」
「っ!」
怒りをぶつけられて思わず目を閉じるソフィア。その反応に傷ついた表情を浮かべるレオン。
「っんで、なんで何も言わねえんだよ……」
「ごめ……」
切なさと悲しさをないまぜにしたような声色が聞こえ、ソフィアは慌てて目を開ける。至近距離でレオンと目が合って息を呑む。
「なあ、ソフィー。ソフィーは……俺の(婚約者)、だよな?」
肯定してくれ、という切羽詰まった感情が彼の声色と表情から伝わってくる。
ソフィアの胸がぎゅうっと締め付けられた。
本来のレオンの体より身長が低い分、ソフィアとの距離も近い。
一気に心臓のドクドク音が大きくなり、ソフィアは動揺した。
(こんなレオン、初めて見る。ここまでレオンを追い詰めたのは私だ。クリス、ごめん。クリスには悪いけど……私っ)
「レオン。私っ……」
決心して口を開こうとしたソフィア。レオンもその覚悟を感じ取っているかのようにじっと続きを待っている。
しかし、その空気を壊すように「ねえ」と抑揚のない声が響いた。
バッ! と勢いよく離れる二人。
「……っクリス! おまえいつの間にっ」
あからさまに動揺しているレオンの後ろで、なんとか平常心を取り戻そうとしているソフィア。
そんな二人をクリスティアーノは感情が読めない瞳で見比べた後、にっこりと笑顔を浮かべた。その胡散臭い笑みにレオンとソフィアが動きを止める。
「うーん。どうやら邪魔しちゃったみたいだね」
「そ、そうだよ。わかってるんなら気を利かせろよ」
「そうしたいのはやまやまだったんだけどね。もう時間が……」
と言って懐中時計を取り出し、わざとらしく時間を確認するクリスティアーノ。
その一言でソフィアの意識が仕事モードに切り替わった。
「え?! もうそんな時間?!」
「ソフィー?」
「ごめん、レオン。私たちもう行かないと」
「だね。この機を逃すわけにはいかないから」
「はやく行きましょ!」
「は?! ちょ、ちょっと待てって」
レオンがソフィアに伸ばした手を、クリスティアーノが掴んで止める。
「ごめんね。申し訳ないけど、本当に時間がないんだ。あ、でも安心して」
「は?」
「これは『デート』じゃなくて、れっきとした仕事だから。……だから、あんまりソフィアをいじめちゃダメだよ。嫉妬深い男は嫌われるぞっ」
語尾を上げ、ウインクをかますクリスティアーノ。不意打ちを喰らい、思考を停止させたレオンを置いて、ソフィアの手を引き部屋を出た。
その際、ソフィアは部屋に残っているレオンに「行ってくるね」と告げたが、己が絶対しないような仕草をされた衝撃から立ち直れない彼の耳に届いたかは定かではない。
◇
王城を出たクリスティアーノとソフィアは、辻馬車に偽装した馬車に乗り、街へと向かう。なお、行き先は数日前と同じ、オペラ鑑賞をした劇場だ。
ソフィアは知らなかったが、実はあの日、あの劇場には王弟派の主要人物たちが集まっていたのだという。クリスティアーノはソフィアの飲み物に睡眠薬を仕込み、眠らせている間に彼らの話を盗み聞きしていた。その際に、クリスティアーノ暗殺についても口にしており、その証言を録音することもできた。しかし、音声データだけでは証拠不十分。その上、あの日捕まえた暗殺者たちも早々に処分されてしまった。
その動きの速さにクリスティアーノは確信を得た。自身の近くに頭が切れる王弟派が潜んでいると。
クリスティアーノが知る王弟はそこまで頭が回る人物ではない。となれば、まずはその敵の知将が誰なのかを確定させたい。そう考えていた時、暗部から報告が入った。今日、あの劇場で王弟が誰かと二人きりで会う予定らしいという情報が。
そんな話を聞いて使命感を募らせているソフィアが黙っていられるはずもなく。ならば、今回は自分も全面的に協力しようと買って出たのだ。
(なのに……もう少しでレオンに全部白状するところだった……)
自己嫌悪に陥る。自分は情に流されない性格だと思っていたのに、蓋を開けてみればこれだ。レオンの常とは違う言動に、揺れてしまった。勘づいているだろうクリスティアーノがなにも言わないのも堪えていた。
(考えすぎてもダメ。今は目の前のことに集中)
ソフィアは己の頬を両手でたたいて、気を引き締め直す。
「そろそろ着きそうだね。はい、これ」
向かいに座っているクリスティアーノが差し出してきたのは、茶色いおさげ髪のかつら。本来のソフィアの金髪では目立つ。ということで、用意してくれたらしい。一方のクリスティアーノは眼鏡をかけ、鍛えられた体を隠すために分厚いコートを羽織っている。
変装を完成させた二人は劇場から離れたところで馬車を降りた。オペラを観に来たお忍び貴族カップルを装いながら、劇場へと向かって歩く。
「ここからは念のため、声は出さないように」
小声で下されたクリスティアーノからの指示に、ソフィアは黙ってうなずき返す。
館内に入ると、前回同様二階へと通された。
慣れ親しんだ感じで薄暗い中を進んでいく。さっとボックス席へ入り、注文を済ませるとカーテンを閉めてもらった。
声が出ないように気を付けながらソフィアは息を吐く。
緊張気味の彼女に、クリスティアーノはアドバイスをした。
「劇が始まるまでは小声で(テキトーに)会話を楽しもう」
その言葉の意味を瞬時に理解したソフィアはうなずく。
(その方が自然。というだけでなく、おそらくこちらの声も聞こえる範囲内に相手もいる、もしくはくるってこと……ね)
神経を集中させると、左隣から人の気配を感じる。その気配が目当ての人物たちかはわからないが、ソフィアは運ばれてきた飲み物に徐に口をつけると、演技を始めた。
「ねえ、これ美味しいわよ。ほら、あなたも飲んでみて?」
(相手はレオンの声を知っているかもしれない。なら、私ができる限り一方的に話す感じで……)
「ん、ああ」
と、クリスティアーノもわざと低い声色で返す。
「ふふ。……私、今日、とっても楽しみにしてたの」
と言ってわざと衣擦れの音を出しながら、そっと席を立った。クリスティアーノも録音機片手に、隣の音を拾いやすい位置へと移動している。
緊張感はひとしおだが、どうやら隣にいる人たちはカップルがいちゃつき始めたのだと勘違いしてくれたらしい。
(……え? 隣、カップルっぽい?)
聞こえてきたのは男女の声。
「……なんだ? 隣にあてられたのか? 物欲しそうな顔をしているぞ」と色気とからかいを多分に含んだ男の声。
それに対して、
「……相変わらず意地悪なお方ですこと。私がどんなにあなたと会いたいと思っていたことかっ」と拗ねたような甘えるような女の声。
(なんだ、左隣は一般のカップルか)と頬を赤らめ、意識を遠ざけようとしたソフィアだったがすぐに違和感に気づいた。もう一度、耳を澄ませる。そして、思わず息を呑んだ。聞き覚えがないと思っていた男の声だが、よく聞けばクリスティアーノと似ている気がする。血が繋がっているフェルディナンドの可能性は十分にある。そして、相手の女性の声は最近聞いたばかりだ。
(どうして彼女が……)
信じられないという思いのまま、クリスティアーノを見やる。彼はソフィアの視線に気づいていないのか、真剣な表情で録音機を片手に聞き耳を立てていた。
茫然と立ち尽くしていたソフィアだったが、オペラが始まったことによって我に返る。ホッとしたのもつかの間。今度は隣から到底聞いていられないような音が聞こえてきた。それらの音はわざわざ聞こうとしなければ耳に届くことはないほど小さな音。
無意識のうちにソフィアは動いていた。クリスティアーノの手から録音機を奪い取り、代わりに彼の両手を彼自身の耳に被せるように誘導する。驚いている彼の視線を無視して、無心でソフィアは彼らの情事が終わるまで耐えきった。
苦行とも思える時間は存外早く終わり、衣擦れの音がしばらく鳴ったと思ったら、気だるげな男の声が響いた。
「これを」
どうやら先ほどの音はなにかを取り出す音だったらしい。重要な会話が始まるかもしれないとソフィアはクリスティアーノに知らせる。
「これは……?」と女の戸惑う声。
「これは私と君が結ばれるために必要なモノさ」
「……つまり、これを私があの人に?」
女の声が若干震えている。女の迷いを感じ取ったのか、男がさらに言葉を重ねる。
「ああ。こんな汚れ役を君にさせるのは忍びないが……これも二人の未来のため。大丈夫。この秘薬は魔女お手製のものだ。証拠も残らない。……君なら見事やり遂げてくれるだろう?」
「っええ、もちろんよ。二人のために、必ず」
「さすがだ。期待しているよ。愛しい……」
「……ああ……様」
再燃する二人。そして、まるで同調しているかのようにオペラも盛り上がりをみせる。姫役の歌姫が声を張り上げ、応えるように相手役の男が愛を歌う。
(もう、十分だわ)
これ以上ここにいる必要も感じられず、ソフィアはクリスティアーノの手を引いてボックス席を抜け出す。彼は抵抗することなくついてきた。まっすぐに前だけを見て歩くソフィアは、後ろの彼がどんな表情を浮かべているか知ることはなかった。
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