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恋愛掌篇小説集
君のこと
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編集さんから「掌篇を一本ください」と連絡が来たとき、最初に思いついた言葉がそれだった。
――君のことを書こう。
だけど、「君のこと」という題名のまま送るのは、いささか図々しい気もした。 世界には「君」が多すぎる。読み手の数だけ、違う「君」がいる。
それなのに、わたしが思い浮かべている君は、あのベージュのコートを着た、ただ一人の君だけだ。
最初に会ったのは、図書館だった。 小さな市立図書館の、二階の窓際。
君は文庫本を片手で開きながら、もう片方の手でノートパソコンのキーボードをたたいていた。
本を読みながら、文章を書く。
その無駄のない動きが、なぜかとてもかっこよく見えた。
しおりを落としたのは、わたしだ。 ページのあいだからするりと床に滑り落ちたそれを、君が拾ってくれた。
細長い紙切れには、喫茶店のロゴマークが入っていた。
「ここ、好きなんですか」
君がそう訊ねるから、わたしはうなずいた。
それだけの会話で、その日は終わった。
けれど一週間後、同じしおりが、わたしの本のあいだから消えていた。
代わりに、似た色合いの、少し厚みのある紙が挟まっていた。
──このしおりの店、コーヒーがおいしかったです。
──もしよければ、今度、別のおすすめも教えてください。
震えそうになる指先で、その紙をもう一度読んだ。 紙の端には、小さく名前が書いてある。
それが、君の名前との最初の出会いだった。
その日から、わたしたちは「紙」で話し始めた。 図書館では声を出せないから、ノートの端や、しおりの裏、貸出レシートの余白。
わたしが好きなエッセイのタイトルを教えると、君はそれを読み、次の週には感想を書いてくる。
君がおすすめのミステリを挙げると、わたしは犯人を外し、そこにへこんだ顔文字を描き添える。
文字のクセから、君の性格を想像した。 きれいにそろったひらがな、ところどころ急いだみたいに流れる漢字。
迷って、でも最後はちゃんと決める人なのだと、勝手に結論づけた。
あるとき、君がこう書いた。
──文章を書くのが仕事なんですか?
わたしは少しだけ迷ってから、 ──まだ「なりたい」と思っているだけです
と返した。
すると翌週、君からの紙には、短い一文だけが書かれていた。
──じゃあ、いつかわたしのことも題材に、小説を書いてください。
そのときは冗談だと思った。
だからわたしも、冗談みたいに返した。
──そんなに面白い人間じゃないですよ?
──面白くなくていいです。わたしの日常は、わたし以外書けないから。
読み終えた瞬間、目の奥が少し熱くなった。
その紙をどこかにしまい込んでしまう前に、胸の奥に刻みつけるみたいに何度も読み返した。
それから一年後、わたしは街を出た。 仕事が決まり、ばたばたと引っ越しをし、図書館に通う時間は消えた。
あの窓際の席も、君の横顔も、意識的に思い出さないようにした。
なぜかというと、思い出してしまうと、その続きがまったく書けなくなるからだ。
君のことを題材に、どんな物語を作っても、現実に追いつけない気がした。
それでも、夜更けになると、机の引き出しを開けてしまう。 あのときの紙切れたちが、きちんと束ねられて眠っている。
一枚めくるたび、薄いインクの線から、君の声が立ち上がる気がした。
──わたしの日常は、わたし以外書けないから。
ならば、君が書いた君自身のかけらたちを、わたしが拾い集めて並べるのは、反則ではないだろうか。
そんな言い訳をしながら、この短編を書いている。
君の好きだったミステリ作家の名前。 君が「人生で一番おいしかった」と言っていたチーズケーキ。
雨の日は必ず持ち歩いていた、黄色い折りたたみ傘。
それら全部を、わたしは紙の上に並べ直していく。
本当は、ここに君のフルネームを書きたい。 どこの街のどこの図書館かも、正確に描写したい。
でも、それをしてしまうと、この物語はただの記録になってしまう気がする。
だから、あえて曖昧なままにしておく。 「君」としか呼ばない。
その代わり、読んでくれている誰かが、自分の中の「君」を重ねられる余白を残しておく。
君との最後の紙には、こう書いてあった。
──いつか本になったら、図書館で見つけられるように、表紙だけは教えてくださいね。
わたしは今、その約束のぎりぎり手前に立っている。 この掌篇が本になるかどうかなんて、まだ全然わからない。
でも、もしも本のかたちになったら、その最初のページには、こう書こうと思う。
「君のことを題材に短編を書いてほしい、と言った人へ。」
それがあの日の君に届くかどうかも、やっぱりわからないけれど。 それでもわたしは、今日も机に向かっている。
君のことを題材に、君以外の誰かの物語を書き続けるために。
――君のことを書こう。
だけど、「君のこと」という題名のまま送るのは、いささか図々しい気もした。 世界には「君」が多すぎる。読み手の数だけ、違う「君」がいる。
それなのに、わたしが思い浮かべている君は、あのベージュのコートを着た、ただ一人の君だけだ。
最初に会ったのは、図書館だった。 小さな市立図書館の、二階の窓際。
君は文庫本を片手で開きながら、もう片方の手でノートパソコンのキーボードをたたいていた。
本を読みながら、文章を書く。
その無駄のない動きが、なぜかとてもかっこよく見えた。
しおりを落としたのは、わたしだ。 ページのあいだからするりと床に滑り落ちたそれを、君が拾ってくれた。
細長い紙切れには、喫茶店のロゴマークが入っていた。
「ここ、好きなんですか」
君がそう訊ねるから、わたしはうなずいた。
それだけの会話で、その日は終わった。
けれど一週間後、同じしおりが、わたしの本のあいだから消えていた。
代わりに、似た色合いの、少し厚みのある紙が挟まっていた。
──このしおりの店、コーヒーがおいしかったです。
──もしよければ、今度、別のおすすめも教えてください。
震えそうになる指先で、その紙をもう一度読んだ。 紙の端には、小さく名前が書いてある。
それが、君の名前との最初の出会いだった。
その日から、わたしたちは「紙」で話し始めた。 図書館では声を出せないから、ノートの端や、しおりの裏、貸出レシートの余白。
わたしが好きなエッセイのタイトルを教えると、君はそれを読み、次の週には感想を書いてくる。
君がおすすめのミステリを挙げると、わたしは犯人を外し、そこにへこんだ顔文字を描き添える。
文字のクセから、君の性格を想像した。 きれいにそろったひらがな、ところどころ急いだみたいに流れる漢字。
迷って、でも最後はちゃんと決める人なのだと、勝手に結論づけた。
あるとき、君がこう書いた。
──文章を書くのが仕事なんですか?
わたしは少しだけ迷ってから、 ──まだ「なりたい」と思っているだけです
と返した。
すると翌週、君からの紙には、短い一文だけが書かれていた。
──じゃあ、いつかわたしのことも題材に、小説を書いてください。
そのときは冗談だと思った。
だからわたしも、冗談みたいに返した。
──そんなに面白い人間じゃないですよ?
──面白くなくていいです。わたしの日常は、わたし以外書けないから。
読み終えた瞬間、目の奥が少し熱くなった。
その紙をどこかにしまい込んでしまう前に、胸の奥に刻みつけるみたいに何度も読み返した。
それから一年後、わたしは街を出た。 仕事が決まり、ばたばたと引っ越しをし、図書館に通う時間は消えた。
あの窓際の席も、君の横顔も、意識的に思い出さないようにした。
なぜかというと、思い出してしまうと、その続きがまったく書けなくなるからだ。
君のことを題材に、どんな物語を作っても、現実に追いつけない気がした。
それでも、夜更けになると、机の引き出しを開けてしまう。 あのときの紙切れたちが、きちんと束ねられて眠っている。
一枚めくるたび、薄いインクの線から、君の声が立ち上がる気がした。
──わたしの日常は、わたし以外書けないから。
ならば、君が書いた君自身のかけらたちを、わたしが拾い集めて並べるのは、反則ではないだろうか。
そんな言い訳をしながら、この短編を書いている。
君の好きだったミステリ作家の名前。 君が「人生で一番おいしかった」と言っていたチーズケーキ。
雨の日は必ず持ち歩いていた、黄色い折りたたみ傘。
それら全部を、わたしは紙の上に並べ直していく。
本当は、ここに君のフルネームを書きたい。 どこの街のどこの図書館かも、正確に描写したい。
でも、それをしてしまうと、この物語はただの記録になってしまう気がする。
だから、あえて曖昧なままにしておく。 「君」としか呼ばない。
その代わり、読んでくれている誰かが、自分の中の「君」を重ねられる余白を残しておく。
君との最後の紙には、こう書いてあった。
──いつか本になったら、図書館で見つけられるように、表紙だけは教えてくださいね。
わたしは今、その約束のぎりぎり手前に立っている。 この掌篇が本になるかどうかなんて、まだ全然わからない。
でも、もしも本のかたちになったら、その最初のページには、こう書こうと思う。
「君のことを題材に短編を書いてほしい、と言った人へ。」
それがあの日の君に届くかどうかも、やっぱりわからないけれど。 それでもわたしは、今日も机に向かっている。
君のことを題材に、君以外の誰かの物語を書き続けるために。
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