呪われた白猫王子は、飼い主の王女様を可愛がりたい 【ネコ科王子の手なずけ方】

鷹凪きら

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3章

14話 情動

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 自室へ戻ると、アリーがお茶を用意してくれていた。
 ロマリアと話していたのは一時間程度で、午後のティータイムとしてはいくらか過ぎてしまっているが問題はない。

「申し訳ございません!私がメイドに話を通していれば……」

 アリーが謝罪をしてきたが、彼女が悪いわけではない。
 婚約破棄騒動のことをアリーは掻い摘んで聞いていたらしく、ロマリアのことは危険視していた。しかし、ロマリアの訪問を誰も予想できるはずもなく、午後の珍事件と相成ってしまったのだ。

「気にしないでアリー。それより、早くお茶にしましょう?今日のお菓子は、とても楽しみにしていたの!」

 パンッと手を叩き、アリーを促す。
 それを合図に、彼女が優しく笑って紅茶を淹れてくれた。

「やっぱりカッサドブランのマドレーヌは最高ね」
「はい、このしっとり感が他と全然違いますね」

 カッサドブランとは、最近王都にできたばかりのスイーツ専門店である。主に小麦粉を使用したお菓子をメインにしており、店主のカッサドが他国を渡り歩いて学んだ技術を駆使し作り上げたそのお菓子は、他の店舗にはない感動的な美味しさを誇っていた。
 セレナもアレストリアに来てここのお菓子を食べてからは病みつきになってしまい、頻繁にメイドに頼んで買ってきてもらっている。
 王宮お抱えの菓子職人が作る見栄えの良いスイーツももちろん美味しいのだが、庶民も利用できるような菓子店に並ぶお菓子も大好きなのだ。

「今度新作のパウンドケーキが発売されるようですよ?なんでも、外国から取り寄せた珍しいフルーツを使っているとか」
「まあ!それは楽しみだわ」

 アリーとはここ最近でだいぶ親しくなれたと感じている。それというのも、この午後のティータイムを一緒に楽しむことにしたのだ。
 もともと一人でお菓子を食べても味気ないと思っていたセレナは、アリーに一緒に食べようと提案した。
 最初はそれはさすがにと渋っていたアリーだが、セレナに相談されたシュニーに、命令という形でお茶をともにするように言われたのだ。これにはアリーも逆らえない。
 それからはティータイムの時間を、アリーに用事がない限りは二人で楽しむことにしている。

 ロマリアとの苦い会話を忘れるように、セレナはアリーと二人でお菓子を堪能した。



 ティータイムも終わりというところで、部屋のドアがノックもなしに勢いよく開かれた。

「セレナ!」

 入るなり息を切らせた声で呼ばれる。
 セレナとアリーは何事かと、駆け込んできた人物を見上げた。

「セレナ!大丈夫!?あの女に変なことされてない!?」
「殿下、落ち着いてください」

 二人が座るソファーへと駆けてきたシュニーが、セレナの顔を覗き込み、落ち着かない様子で言う。
 セレナの肩を掴み、心配そうに様子を窺ってくる彼の顔は真剣そのものだ。

 ――あの女とはロマリアのことだろうか。

 胸の内に忘れようとしていた感情が、再び湧き上がるのを感じた。

「私は大丈夫です。それより、殿下はなぜここに?会議は終わったのですか?」

 突き放すような物言いのセレナに、シュニーは片眉を上げる。そして、向かいに座るアリーに横目で言った。

「アリー、すまない。席を外してくれるかな?」
「かしこまりました」

 アリーは一礼すると、ティーセットを素早く片付けて部屋を出ていった。
 部屋に残った二人に沈黙が続く。

 セレナの隣に腰を下ろしたシュニーは、どう切り出したものかと悩んでいるようで、足元を見つめながら、手を握ったり開いたりして落ち着かない様子だ。
 先にこの微妙な空気を破ったのはセレナだった。

「殿下。私、怒っているんです」

 びくっと隣に座る彼が肩を震わせたのが見えた。
 セレナはそれに気付かないふりをして続ける。

「なぜ、私に話してくださらなかったのですか?」
「それは――って君はどこまで知って?」
「恐らく、全てかと」
「全て……」

 シュニーは大きく息を吐いて、観念したように話し始めた。

「君に言わなかったのは、話す必要がないと思ったから。あの時の事は、僕とロマリアの問題で――」

 関係のない君を、あの女に関わらせたくなかったんだ、と彼は言う。
 だが結局、シュニーが話さなかったせいで今日の珍事は起きてしまった。それを抗議するように、セレナはシュニーを見る。
 彼女の視線に気付いた彼の水色の瞳が、わずかに開かれた。その清廉な菫色の瞳の奥に宿る、静かな炎を目にして。


 セレナは怒っていた。
 それはもう、生まれて初めて感じたと言っても良いくらいの怒りだ。異母姉たちに罵られ、蔑まれた時よりもずっと強く、セレナは怒りを感じていた。
 それは目の前の彼に対してなのか、それとも彼を傷つけた人物に対してなのか。矛先を探っても、怒りと嫉妬によって麻痺した思考では、答えを見つける事は出来なかった。

「関係ないはずがありません」

 自分の声が酷く冷たいものに聞こえた。
 その声に反して、セレナの菫色の瞳の奥に炎が灯る。じりじりと胸を焦がすそれは、嫉妬の炎だった。

「ロマリア様とのことが、私に、関係ないはずがないでしょう?」

 だって、彼女は、殿下を。

 わたしの、シュニー様を――

 シュニーが息を飲んだのが分かった。
 彼は、セレナを見たまま動けないでいた。
 セレナの様子に、その瞳に宿る小さな炎に、まるで金縛りに遭ってしまったかのように、指一本動かせなかったのだ。

 そんなシュニーを気にも留めず、ソファーの上を滑るように彼の方へにじり寄る。
 そして膝が触れる距離まで近づくと、身を乗り出すようにして、シュニーのこめかみの辺りへ手を伸ばした。右手で白い髪を掻き上げると、そこに残る痛々しい傷痕が姿を見せた。

 そっと、その傷痕を指先でなぞる。彼の身体が小さく跳ねた。

「傷痕、結構目立ちますね」

 髪に隠れて普段は分からないが、直接見てしまうとその存在感に否応なく思い知らされる。
 これが、ロマリアによって彼につけられた傷。

「……ま、まあ、髪で隠れるし、僕は男だからこれくらいの傷は気にならな……っ」

 こんな傷、気にしていない、と伝えようとしたシュニーの言葉は途中で途切れた。
 セレナの唇が傷痕に触れたのだ。
 ソファーに片膝を突き、彼の方へ身を寄せる。そして、キスをするように己の唇でその傷痕を撫でた。

「あの人がこの傷をつけたと思うと、とても腹立たしいです」

 嫉妬の炎が渦巻く。
 セレナの中で燻っていたその炎は、今や轟々と燃え盛らんとばかりに成長していた。

「シュニー様は、私のものなのに……」

 シュニーは背筋にゾクリとしたものが這い上がってくるのを感じた。
 触れられたこめかみが熱い。全身が震え上がるようなこの感覚に、抑えきれない情動が込み上げる。
 無意識に目の前の細い肩を掴み引き寄せると、彼女に顔を近づけて懇願した。

「セレナ、キスしたい」
「……え?」

 突然の熱を含んだ要望に、一瞬呆けてしまう。
 この流れでどうして?という疑問は、彼の熱っぽい視線を受けて、言葉にする事は出来なかった。

「キス、したい」

 艶のある、だが真剣なその表情に、セレナの心は溶けるように解かれた。

 目を瞑る。
 それを了承と取った彼の唇が、セレナのそれと重なった。
 触れ合ったところから熱を感じる。わずか数秒の間感じた彼の温もりは、すぐに離れていった。

 消えてしまった彼の熱に寂しさを感じ目を開けると、思ったよりもずっと近くにシュニーの顔があった。その距離、わずか数センチ。
 セレナを見つめる水色の瞳が、熱を帯びて揺れていた。

「だめだ、足りない」

 吐息がかかるほどの距離で、彼は言うなり再び唇を押しつけてきた。
 今度は啄むように、角度を変えて何度もセレナを玩ぶ。頭の芯が蕩けて、くらくらした。
 熱に浮かされ思考が曖昧になってきた頃、漸く彼はセレナを解放してくれた。最後に彼の熱を持った舌先が、セレナの下唇をぺろりと舐めていった。

 顔が熱い。たぶん、今セレナの全身は真っ赤に染まっているだろう。初めての唇へのキスに、心臓の音がはち切れんとばかりにうるさかった。

「あ、あのっ……」

 いまだ熱を含んだ顔の彼が首をかしげる。どうしたのかと、セレナの顔を覗き込んだ。
 そんなシュニーの胸を両手で押し返すと、無理やり距離を空ける。

「ごっ誤魔化さないでください!」
「誤魔化す?」

 会話の途中だったことを指摘すると、シュニーは艶っぽい笑みを浮かべて言った。

「すまない。君が嫉妬してくれたのが嬉しくて、つい」
「っ……!」

 隠そうとしていたわけではないが、シュニーにもセレナの嫉妬心は十分伝わってしまっていたようだ。
 恥ずかしさに俯くと、彼がまた距離を詰めてきた。背中に腕を回され、二人の間にあるセレナの腕ごと強引に抱き寄せられる。
 抵抗しようともがいたが、シュニーが表情を隠すようにセレナの肩口に顔を埋めたのを見て、動きを止めた。

 気のせいかと思うくらいに、その身体が小さく震えていた。セレナは思わずその背に腕を回し、片手で白い髪に触れ、優しく頭を撫でる。少しして彼が洟を啜る音が聞こえてきた。

 彼が呟く。掠れた声で。

「君に、出会えてよかった…」

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