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1.病
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村の集会所は、人でごった返していた。時は夕刻、広間の隅と天井のあたりには暗闇が漂っていた。中央の細長い炉では煌々と炎が燃え、もくもくと煙が立ち昇っている。
広間の奥には、村長が飾りを施した大きな椅子に腰掛けている。その周囲には、村人らの信頼の厚い人々が、椅子や敷物に座っていた。村長の隣には、灰色の衣の呪術師もいた。
広間の壁際の長椅子には、高齢の者らが座っており、そのそばには年長の少年たちが控えている。炉端には若者たちが集まって、厚く敷いた草の上に腰を降ろしていた。
ホムラも、炉のそばに座っている一人だった。その顔は火に向けられており、なんの感情も表していなかった。
そこは青枝族の村の一つだった。黄金火の氏族の若者ホムラは、一年前に春の祭で青枝の氏族のイシコロと出会って、それから一緒に暮らすようになったのだった。両氏族は関係が深かったから、そうやって別の氏族の間で暮らすことは珍しくなかったし、正式に伴侶となって別の氏族の成員になることもあった。一年経ったいまでは、この村の若者たちとは、まるで少年の頃から育ってきたかのように気心知れた仲だった。
そのイシコロはいま、この広間にはいなかった。熱病で臥せっているのだ。そしてそのことが、この夜の集会の議題だった。
村長が立ち上がって、広間を見渡した。
「これで、来られる者は全員だろうな。集まってもらった理由は、皆も知っている通りだ。だが、改めて事実を確認したほうがいいだろうな。」
そう言って、長は傍らに立つ呪術師に顔を向け、頭を下げた。呪術師は頷いて応じる。まだ年若い。ホムラやイシコロと、十かそこら違うだけだろう。だが灰色の衣をまとった呪い師は、大樹のように落ち着き払っていた。
呪術師は説明をはじめた。それはホムラがすでに何度も聞いたことだった。イシコロは病に臥せっているが、それはただの病ではなく、魔物憑きだった。
ホムラたちが言うところの魔物は、呪い師が魔力と呼ぶものだった。魔力は熱病や悪夢で持ち主を苦しめるが、一方で呪術師としての才能をも与える。魔力はふつう先天的で、ただ偶然に現れた。
それゆえ、魔力を持つと認められた子どもは、ごく幼い頃から呪術師の下で、その力を使いこなすことができるようにと訓練を受ける。そうすれば魔力が害をなすこともなくなるし、子は優れた呪術師として氏族に仕えることができる。
だからイシコロの魔力が子どもの頃に現れたのであれば、ことは簡単だった。呪術師の指導下に入り、その力を支配できるようになればいい。だが大人になってから現れた魔力は、厄介な問題だった。いまさら呪いの入門をすることは難しい。そして支配されない魔力は、持ち主を苦しめる。魔物と呼ばれるゆえんだった。
それでも、たとえ成人してから魔力が現れたとしても、ふつうはそれほど重大な問題をもたらすことはない。呪術師の助けを得ながら、不便を抱えつつも、生きることができる。しかしイシコロに取り憑いた魔力は、特別に強力なものだった。もはや呪術師にも抑えることが難しく、イシコロをひどく消耗させ、やがては命取りになりうるものだった。
こうなると、イシコロが助かるとしたら、二つに一つだった。遅まきながら呪術の訓練を受けて、その力を支配できるようになるか、それとも、力ある精霊の下を訪れ、その助力を求めるかであった。しかしそのいずれも、難しかった。
呪い師は言った。
「いまも、イシコロは我が師より、呪術の手ほどきを受けています。凡庸な魔力であれば、それで長く生きることができるでしょう。しかしイシコロに備わった魔力は、それで抑えきれるとは限りません。おそらくは、死を少しばかり先延ばしにできるだけでしょう。
他方で、精霊のご助力によって、我々人間の呪い師にはできぬ方法で、イシコロを癒やすことができるかもしれません。しかし我々の知る限り、精霊が魔力を取り去ったり、抑えたりした前例はありません。精霊がイシコロを救うという保障はありません。
それどころか、精霊に会うことも難しい。精霊に会うためには、隠り世を訪れる必要があります。それも、我々呪術師が肉のない霊として訪れるのとは違い、肉として行く必要が。精霊は現し世では、まして人里では、満足に力を振るえないからです。言うまでもなく、隠り世を旅することは危険で、無事に帰ってこられるとは限りません。」
そこまで言ってから、呪い師は村長に顔を向けた。
「さて、私から申し上げるべきことは以上です。見込みは少なくとも、イシコロが魔力を抑えられるように訓練を続けさせるか、それとも、イシコロ本人とその付添の危険を顧みず、隠り世の精霊を求めるか。呪い師の務めは、我々の知ることを教えることのみ。選び、おこなうのは、戦士たちの務めです。」
呪い師が言い終えると、村長の傍らに腰を下ろしていた一人が立ち上がって、呪い師に向けて口を開いた。
「イシコロが訓練で魔物を抑え込むとして、助かる見込みはどれほどありますでしょうか。そしてその見込みは、精霊のご助力を得るより、大きいのでしょうか、それとも小さいのでしょうか。」
「さて、それは我々には答えようがありません。先程も申し上げた通り、魔力による害を、精霊が治したという前例はありません。しかし他方、イシコロが訓練でその害を抑え込むことができる可能性は、非常に低い。おそらくは死ぬでしょう。」
呪い師は悲しげに首を振った。
「もしもイシコロが少年であったら、この強い魔力は、喜んでいい事です。きっと力ある呪術師となったことでしょう。しかし、いまとなっては……。」
それから、広間に沈黙が降りた。皆の目は、村長に向けられていた。だがホムラは、炉の火にじっと目を向けていた。イシコロに取り憑いたのは、火の魔力だった。イシコロが熱に苦しめられて呻く声が、耳に蘇った。
村長が口を開いた。
「どうするかを決めねばなるまいな。イシコロに訓練を続けさせるか、それとも精霊のお力添えを求めて隠り世へと赴くか。」
ホムラがゆらりと立ち上がって、長に厳しい目を向けた。周りの視線がすべて自分に集まっていることを意識しながら、口を開く。
「精霊のお力を求めましょう。これは私とイシコロが話し合って決めたこと。座して苦しむよりは、隠り世へでも行くほうがはるかにましだ。もちろん、旅には私がイシコロに付き添います。イシコロの熱は高く、支えが要ります。」
ホムラの周りに座っている若者たちが、口々に賛同の声を上げた。だが村長とその周りの重鎮たちは、気乗りした様子ではなかった。長の取り巻きの一人、白髪混じりの壮年が立ち上がって、言った。
「あの若者の言うこととは思えんな。イシコロは、精霊のお力を求めることをはっきりと、また進んで求めたのか。恋人であるお前さんが、頼み込んで説き伏せたのではあるまいな。私の見るところでは、あの者は、静かに訓練をして過ごし、仮に死の定めから逃れられないと分かっても、毅然とそれを受け入れそうなものだが。」
言い終えると、発言者はまた腰を下ろした。
ホムラは、歳の違いも氏族の違いも忘れて、相手を睨みつけた。それは、相手の言うことが間違っているからではなく、まさしくそのとおりだったからだ。確かに、イシコロは最初、呪術の技を覚えることを望んだ。そしてそれは、ホムラを危険に晒すまいという気遣いなのだということが、ホムラには分かっていた。
だがホムラには、イシコロが苦しんでいるところを、そばでぐずぐずと見るようなつもりは、さらさらなかった。口を開くと、ホムラは短刀のように刺々しい声で言った。
「確かにイシコロは、呪術の修練をすることに、より気持ちが傾いていました。だが私には恋人を、死の危険に一人で立ち向かわせるつもりはありませんでした。そして私が言葉を尽くして話し合いますと、イシコロは考えを改めました。しかし誓って言いますが、無理強いしたわけではなく、双方が納得しての結論です。」
ホムラが言い終えると、別の者が立ち上がった。
「仮に隠り世へ行くにしても、イシコロに付き添うのは、そなたではない。そなたは未だ、我らの同胞ではないのだ。本当なら、この集会に出る権利もないはずだ。」
そこまで言ったところで、若者たちが色めき立ち、何人かが腰を浮かしかけた。ホムラは手でそれを制す。こんなところで暴れてもらっては困るのだ。それに、暴れたいのはホムラのほうだった。それを抑えているのは、ここで取り乱して暴れたところで、イシコロが助かることはないからだ。
発言者は言葉を続けた。
「黄金火族の者を、我らの同胞のために、危険に晒すわけにはいかない。我々の同胞から選ぼう。そしてなにより、そなたは我々の精霊の名を知らない。求める精霊の名を知らず、どうして探し出せる。」
ホムラは、苛立ちを含んだ声を上げた。
「精霊の名なら、イシコロが知っています。そして、おれはあいつの恋人だ。まだ正式に結ばれたわけではないが、ともに生きると誓い合った仲だ。」
ホムラの語気は、自然と強くなった。
「氏族の違いが気になるなら、いまここで誓おう。黄金火の氏族のホムラ、青枝の氏族のイシコロに、命尽きるまでこの身を捧げ仕える。火と大地よ、我が誓いの証人となれ。」
ホムラは短剣を抜くと、自分の手を切った。そして炉の上に手をかざすと、血をぽたぽたと垂らした。燃える薪と熱せられた灰の上に血が落ちて、じゅう、と音を立てた。それから、短剣を鞘に戻した。
先に発言していた白髪混じりの人物が、溜め息をついて頭を振った。
「困ったことをしてくれる。腕ずくでも自分の道を行くということか。若者組の連中も、同じ意見ということだな。まったく、若い血を滾らせるのはいいが、少しは年寄りの心配をしてくれんかね。」
青枝の若者たちは、なにも言わず、ただ座っていた。若者組では、すでに話し合いを持っていて、結論を出していたのだった。
壮年はお手上げとばかりに首を振って、村長に顔を向けた。長は暗い顔をホムラに向けた。しばらく黙って、ホムラの顔をじっと見つめる。ホムラも見返し、少しも視線を逸らさなかった。
やがて、長が言った。
「もしもお前が我々の氏族の一員であれば、なんの躊躇いもなく送り出しただろう。だが、お前は青枝の者ではない。お前の行動が、我々を困らせるかもしれないということに、お前も、若者組の連中も、思い至らなかったのか。」
「考えはしました。」
ホムラは言った。自分がなにをしようとしているのか、分かっていた。
ホムラは、誰がなんと言おうとも、未だ黄金火の氏族の成員だった。となれば、ホムラがイシコロのために危険を冒すことは、黄金火族が青枝族のために危険を冒すことと同義だった。それは言ってみれば、黄金火族が、ホムラの命を青枝族のために贈り物として与えるのと同じことだ。そして贈り物には、常に返礼が期待されるものだった。
――この場合には、ホムラの命に見合うだけの贈り物が。
「しかし、それでも、イシコロを他の者に任せたくありません。」
広間に沈黙が降りた。ホムラは村長にじっと目を向けた。村長は、考え込むように、少し俯いていた。若者連中と年寄りとの間に、張り詰めたような空気が流れていた。薪がぱちっと音を立てて爆ぜ、火の粉が舞った。
長は溜め息をついて、手近に控える者らを見回した。
「他に言うべきことを持つ者はおらんかね。」
みな肩をすくめるか、首を振るかした。一人が、苦々しい笑みを浮かべつつ言った。
「若い頑固者どもに理を説けるはずもありますまい。」
そして長は、今度は若者たちを見回した。
「お前たちは、もちろん、ホムラに仕事をさせようという気なのだろうな。自分たちの氏族の者を、自分たちで助けようとは思わんか。」
すると、若者組の年長の一人が立って答えた。
「もしもホムラがいなければ、それか事がイシコロに関わるものでなければ、我々の誰でも、引き受けようとするでしょう。しかしホムラがいます。我々にとっては、ホムラはもう仲間です。そしてこいつとイシコロのことは、誰もが知っています。」
青年が再び腰を下ろすと、長は、ずっと立ったままのホムラに目を向けた。
「お前の気持ちも変わらんのだろうな。」
ホムラは目を逸らさず、躊躇いなく言った。
「イシコロに仕えると、たったいま誓いました。」
そう言って、ホムラは手のひらに走る赤い筋を見せた。長は続けてたずねた。
「たとえ死の危険があっても。」
「たとえ死ぬことになろうとも、イシコロに仕えます。」
長は、また溜め息をついた。
「よろしい。では、私の決定を言おう。まずイシコロに訓練を続けさせるか、それとも精霊のお力を求めるかであるが、精霊のお力を求めればいい。イシコロもそれに同意しているのだし、私としても、村の若者をみすみす大きな死の危険に晒すことはこのまん。
そして隠り世への旅の同行者だが、ホムラでよいだろう。そうしなければ、血気盛んな愚か者たちが剣でも抜きそうな気配だからな。また、ホムラが誓いを立てたのだから、その誓いを守らせてやるべきだろう。
さて、異論のある者はいるか。」
長が言うと、みな黙った。ホムラはほっと息をついた。もっと激しい反対に遭うかと思っていたのだ。
しかし少しして、壁際に座っていた古老の一人が、付き添いをしている年長の少年の手を借りて立ち上がった。
「黄金火の氏族については、どうするつもりかね。」
長は頷いた。
「次に黄金火の者とうたげに望む時に、返礼をしなくてはなるまいな。だがその前に――。」
と、長は自分の腰に差していた短剣を、鞘ごと引き抜いた。それは決して華美ではないが、青い釉を焼き付けた金具で飾られた鞘に収められ、銀にきらめく鍔と柄頭を持った、美しい剣だった。長は剣をホムラに差し出した。
ホムラはどうしようかと思い、戸惑った。まさかいきなりそんな贈り物をされるとは、思いもよらなかった。すると、長は笑った。
「受け取れ、黄金火のホムラ。お前の差し出したものと比べれば、こんな剣など、やすいものだ。」
ホムラはおずおずと長に近づくと、目を伏せて敬意を表し、それから剣を受け取った。急に、自分がわがままを言ってものをねだる幼ない子どもにでもなったような気がして、恥ずかしかった。
その恥じらいが、ホムラに腰の短剣を引き抜かせた。それはなんの変哲もない短剣だったが、長に差し出した。長が頷いて剣を受け取ると、二人は自分の腰に相手の武器を差した。
ホムラが長の前を下がり、元いた炉のそばに腰を下ろすと、長が言った。
「さて、それで、いつ発つつもりだ。早いほうがいいだろうな。」
「これから数日後に発つつもりです。いまはイシコロが、呪い師さまと魔力を抑えるための訓練をしています。それがもう少しで、それなりに形になるようです。」
「なら、旅立ちはそれに合わせればよい。旅には準備も必要であるしな。」
それから、一同は旅に向けての話し合いを続けた。精霊の住まう辺境の森には、二日はかかる。旅路が決められ、必要な目印が教えられた。また、必要な物資の確認と手配もおこなわれた。それに加えて、長はホムラに、旅慣れた戦士を二人付けることを約束した。もっとも、その二人は精霊の森にまでついてくるだけで、その後はホムラとイシコロの二人旅となるのだが。
やがて日が暮れて話が尽きると、一同は解散した。
広間の奥には、村長が飾りを施した大きな椅子に腰掛けている。その周囲には、村人らの信頼の厚い人々が、椅子や敷物に座っていた。村長の隣には、灰色の衣の呪術師もいた。
広間の壁際の長椅子には、高齢の者らが座っており、そのそばには年長の少年たちが控えている。炉端には若者たちが集まって、厚く敷いた草の上に腰を降ろしていた。
ホムラも、炉のそばに座っている一人だった。その顔は火に向けられており、なんの感情も表していなかった。
そこは青枝族の村の一つだった。黄金火の氏族の若者ホムラは、一年前に春の祭で青枝の氏族のイシコロと出会って、それから一緒に暮らすようになったのだった。両氏族は関係が深かったから、そうやって別の氏族の間で暮らすことは珍しくなかったし、正式に伴侶となって別の氏族の成員になることもあった。一年経ったいまでは、この村の若者たちとは、まるで少年の頃から育ってきたかのように気心知れた仲だった。
そのイシコロはいま、この広間にはいなかった。熱病で臥せっているのだ。そしてそのことが、この夜の集会の議題だった。
村長が立ち上がって、広間を見渡した。
「これで、来られる者は全員だろうな。集まってもらった理由は、皆も知っている通りだ。だが、改めて事実を確認したほうがいいだろうな。」
そう言って、長は傍らに立つ呪術師に顔を向け、頭を下げた。呪術師は頷いて応じる。まだ年若い。ホムラやイシコロと、十かそこら違うだけだろう。だが灰色の衣をまとった呪い師は、大樹のように落ち着き払っていた。
呪術師は説明をはじめた。それはホムラがすでに何度も聞いたことだった。イシコロは病に臥せっているが、それはただの病ではなく、魔物憑きだった。
ホムラたちが言うところの魔物は、呪い師が魔力と呼ぶものだった。魔力は熱病や悪夢で持ち主を苦しめるが、一方で呪術師としての才能をも与える。魔力はふつう先天的で、ただ偶然に現れた。
それゆえ、魔力を持つと認められた子どもは、ごく幼い頃から呪術師の下で、その力を使いこなすことができるようにと訓練を受ける。そうすれば魔力が害をなすこともなくなるし、子は優れた呪術師として氏族に仕えることができる。
だからイシコロの魔力が子どもの頃に現れたのであれば、ことは簡単だった。呪術師の指導下に入り、その力を支配できるようになればいい。だが大人になってから現れた魔力は、厄介な問題だった。いまさら呪いの入門をすることは難しい。そして支配されない魔力は、持ち主を苦しめる。魔物と呼ばれるゆえんだった。
それでも、たとえ成人してから魔力が現れたとしても、ふつうはそれほど重大な問題をもたらすことはない。呪術師の助けを得ながら、不便を抱えつつも、生きることができる。しかしイシコロに取り憑いた魔力は、特別に強力なものだった。もはや呪術師にも抑えることが難しく、イシコロをひどく消耗させ、やがては命取りになりうるものだった。
こうなると、イシコロが助かるとしたら、二つに一つだった。遅まきながら呪術の訓練を受けて、その力を支配できるようになるか、それとも、力ある精霊の下を訪れ、その助力を求めるかであった。しかしそのいずれも、難しかった。
呪い師は言った。
「いまも、イシコロは我が師より、呪術の手ほどきを受けています。凡庸な魔力であれば、それで長く生きることができるでしょう。しかしイシコロに備わった魔力は、それで抑えきれるとは限りません。おそらくは、死を少しばかり先延ばしにできるだけでしょう。
他方で、精霊のご助力によって、我々人間の呪い師にはできぬ方法で、イシコロを癒やすことができるかもしれません。しかし我々の知る限り、精霊が魔力を取り去ったり、抑えたりした前例はありません。精霊がイシコロを救うという保障はありません。
それどころか、精霊に会うことも難しい。精霊に会うためには、隠り世を訪れる必要があります。それも、我々呪術師が肉のない霊として訪れるのとは違い、肉として行く必要が。精霊は現し世では、まして人里では、満足に力を振るえないからです。言うまでもなく、隠り世を旅することは危険で、無事に帰ってこられるとは限りません。」
そこまで言ってから、呪い師は村長に顔を向けた。
「さて、私から申し上げるべきことは以上です。見込みは少なくとも、イシコロが魔力を抑えられるように訓練を続けさせるか、それとも、イシコロ本人とその付添の危険を顧みず、隠り世の精霊を求めるか。呪い師の務めは、我々の知ることを教えることのみ。選び、おこなうのは、戦士たちの務めです。」
呪い師が言い終えると、村長の傍らに腰を下ろしていた一人が立ち上がって、呪い師に向けて口を開いた。
「イシコロが訓練で魔物を抑え込むとして、助かる見込みはどれほどありますでしょうか。そしてその見込みは、精霊のご助力を得るより、大きいのでしょうか、それとも小さいのでしょうか。」
「さて、それは我々には答えようがありません。先程も申し上げた通り、魔力による害を、精霊が治したという前例はありません。しかし他方、イシコロが訓練でその害を抑え込むことができる可能性は、非常に低い。おそらくは死ぬでしょう。」
呪い師は悲しげに首を振った。
「もしもイシコロが少年であったら、この強い魔力は、喜んでいい事です。きっと力ある呪術師となったことでしょう。しかし、いまとなっては……。」
それから、広間に沈黙が降りた。皆の目は、村長に向けられていた。だがホムラは、炉の火にじっと目を向けていた。イシコロに取り憑いたのは、火の魔力だった。イシコロが熱に苦しめられて呻く声が、耳に蘇った。
村長が口を開いた。
「どうするかを決めねばなるまいな。イシコロに訓練を続けさせるか、それとも精霊のお力添えを求めて隠り世へと赴くか。」
ホムラがゆらりと立ち上がって、長に厳しい目を向けた。周りの視線がすべて自分に集まっていることを意識しながら、口を開く。
「精霊のお力を求めましょう。これは私とイシコロが話し合って決めたこと。座して苦しむよりは、隠り世へでも行くほうがはるかにましだ。もちろん、旅には私がイシコロに付き添います。イシコロの熱は高く、支えが要ります。」
ホムラの周りに座っている若者たちが、口々に賛同の声を上げた。だが村長とその周りの重鎮たちは、気乗りした様子ではなかった。長の取り巻きの一人、白髪混じりの壮年が立ち上がって、言った。
「あの若者の言うこととは思えんな。イシコロは、精霊のお力を求めることをはっきりと、また進んで求めたのか。恋人であるお前さんが、頼み込んで説き伏せたのではあるまいな。私の見るところでは、あの者は、静かに訓練をして過ごし、仮に死の定めから逃れられないと分かっても、毅然とそれを受け入れそうなものだが。」
言い終えると、発言者はまた腰を下ろした。
ホムラは、歳の違いも氏族の違いも忘れて、相手を睨みつけた。それは、相手の言うことが間違っているからではなく、まさしくそのとおりだったからだ。確かに、イシコロは最初、呪術の技を覚えることを望んだ。そしてそれは、ホムラを危険に晒すまいという気遣いなのだということが、ホムラには分かっていた。
だがホムラには、イシコロが苦しんでいるところを、そばでぐずぐずと見るようなつもりは、さらさらなかった。口を開くと、ホムラは短刀のように刺々しい声で言った。
「確かにイシコロは、呪術の修練をすることに、より気持ちが傾いていました。だが私には恋人を、死の危険に一人で立ち向かわせるつもりはありませんでした。そして私が言葉を尽くして話し合いますと、イシコロは考えを改めました。しかし誓って言いますが、無理強いしたわけではなく、双方が納得しての結論です。」
ホムラが言い終えると、別の者が立ち上がった。
「仮に隠り世へ行くにしても、イシコロに付き添うのは、そなたではない。そなたは未だ、我らの同胞ではないのだ。本当なら、この集会に出る権利もないはずだ。」
そこまで言ったところで、若者たちが色めき立ち、何人かが腰を浮かしかけた。ホムラは手でそれを制す。こんなところで暴れてもらっては困るのだ。それに、暴れたいのはホムラのほうだった。それを抑えているのは、ここで取り乱して暴れたところで、イシコロが助かることはないからだ。
発言者は言葉を続けた。
「黄金火族の者を、我らの同胞のために、危険に晒すわけにはいかない。我々の同胞から選ぼう。そしてなにより、そなたは我々の精霊の名を知らない。求める精霊の名を知らず、どうして探し出せる。」
ホムラは、苛立ちを含んだ声を上げた。
「精霊の名なら、イシコロが知っています。そして、おれはあいつの恋人だ。まだ正式に結ばれたわけではないが、ともに生きると誓い合った仲だ。」
ホムラの語気は、自然と強くなった。
「氏族の違いが気になるなら、いまここで誓おう。黄金火の氏族のホムラ、青枝の氏族のイシコロに、命尽きるまでこの身を捧げ仕える。火と大地よ、我が誓いの証人となれ。」
ホムラは短剣を抜くと、自分の手を切った。そして炉の上に手をかざすと、血をぽたぽたと垂らした。燃える薪と熱せられた灰の上に血が落ちて、じゅう、と音を立てた。それから、短剣を鞘に戻した。
先に発言していた白髪混じりの人物が、溜め息をついて頭を振った。
「困ったことをしてくれる。腕ずくでも自分の道を行くということか。若者組の連中も、同じ意見ということだな。まったく、若い血を滾らせるのはいいが、少しは年寄りの心配をしてくれんかね。」
青枝の若者たちは、なにも言わず、ただ座っていた。若者組では、すでに話し合いを持っていて、結論を出していたのだった。
壮年はお手上げとばかりに首を振って、村長に顔を向けた。長は暗い顔をホムラに向けた。しばらく黙って、ホムラの顔をじっと見つめる。ホムラも見返し、少しも視線を逸らさなかった。
やがて、長が言った。
「もしもお前が我々の氏族の一員であれば、なんの躊躇いもなく送り出しただろう。だが、お前は青枝の者ではない。お前の行動が、我々を困らせるかもしれないということに、お前も、若者組の連中も、思い至らなかったのか。」
「考えはしました。」
ホムラは言った。自分がなにをしようとしているのか、分かっていた。
ホムラは、誰がなんと言おうとも、未だ黄金火の氏族の成員だった。となれば、ホムラがイシコロのために危険を冒すことは、黄金火族が青枝族のために危険を冒すことと同義だった。それは言ってみれば、黄金火族が、ホムラの命を青枝族のために贈り物として与えるのと同じことだ。そして贈り物には、常に返礼が期待されるものだった。
――この場合には、ホムラの命に見合うだけの贈り物が。
「しかし、それでも、イシコロを他の者に任せたくありません。」
広間に沈黙が降りた。ホムラは村長にじっと目を向けた。村長は、考え込むように、少し俯いていた。若者連中と年寄りとの間に、張り詰めたような空気が流れていた。薪がぱちっと音を立てて爆ぜ、火の粉が舞った。
長は溜め息をついて、手近に控える者らを見回した。
「他に言うべきことを持つ者はおらんかね。」
みな肩をすくめるか、首を振るかした。一人が、苦々しい笑みを浮かべつつ言った。
「若い頑固者どもに理を説けるはずもありますまい。」
そして長は、今度は若者たちを見回した。
「お前たちは、もちろん、ホムラに仕事をさせようという気なのだろうな。自分たちの氏族の者を、自分たちで助けようとは思わんか。」
すると、若者組の年長の一人が立って答えた。
「もしもホムラがいなければ、それか事がイシコロに関わるものでなければ、我々の誰でも、引き受けようとするでしょう。しかしホムラがいます。我々にとっては、ホムラはもう仲間です。そしてこいつとイシコロのことは、誰もが知っています。」
青年が再び腰を下ろすと、長は、ずっと立ったままのホムラに目を向けた。
「お前の気持ちも変わらんのだろうな。」
ホムラは目を逸らさず、躊躇いなく言った。
「イシコロに仕えると、たったいま誓いました。」
そう言って、ホムラは手のひらに走る赤い筋を見せた。長は続けてたずねた。
「たとえ死の危険があっても。」
「たとえ死ぬことになろうとも、イシコロに仕えます。」
長は、また溜め息をついた。
「よろしい。では、私の決定を言おう。まずイシコロに訓練を続けさせるか、それとも精霊のお力を求めるかであるが、精霊のお力を求めればいい。イシコロもそれに同意しているのだし、私としても、村の若者をみすみす大きな死の危険に晒すことはこのまん。
そして隠り世への旅の同行者だが、ホムラでよいだろう。そうしなければ、血気盛んな愚か者たちが剣でも抜きそうな気配だからな。また、ホムラが誓いを立てたのだから、その誓いを守らせてやるべきだろう。
さて、異論のある者はいるか。」
長が言うと、みな黙った。ホムラはほっと息をついた。もっと激しい反対に遭うかと思っていたのだ。
しかし少しして、壁際に座っていた古老の一人が、付き添いをしている年長の少年の手を借りて立ち上がった。
「黄金火の氏族については、どうするつもりかね。」
長は頷いた。
「次に黄金火の者とうたげに望む時に、返礼をしなくてはなるまいな。だがその前に――。」
と、長は自分の腰に差していた短剣を、鞘ごと引き抜いた。それは決して華美ではないが、青い釉を焼き付けた金具で飾られた鞘に収められ、銀にきらめく鍔と柄頭を持った、美しい剣だった。長は剣をホムラに差し出した。
ホムラはどうしようかと思い、戸惑った。まさかいきなりそんな贈り物をされるとは、思いもよらなかった。すると、長は笑った。
「受け取れ、黄金火のホムラ。お前の差し出したものと比べれば、こんな剣など、やすいものだ。」
ホムラはおずおずと長に近づくと、目を伏せて敬意を表し、それから剣を受け取った。急に、自分がわがままを言ってものをねだる幼ない子どもにでもなったような気がして、恥ずかしかった。
その恥じらいが、ホムラに腰の短剣を引き抜かせた。それはなんの変哲もない短剣だったが、長に差し出した。長が頷いて剣を受け取ると、二人は自分の腰に相手の武器を差した。
ホムラが長の前を下がり、元いた炉のそばに腰を下ろすと、長が言った。
「さて、それで、いつ発つつもりだ。早いほうがいいだろうな。」
「これから数日後に発つつもりです。いまはイシコロが、呪い師さまと魔力を抑えるための訓練をしています。それがもう少しで、それなりに形になるようです。」
「なら、旅立ちはそれに合わせればよい。旅には準備も必要であるしな。」
それから、一同は旅に向けての話し合いを続けた。精霊の住まう辺境の森には、二日はかかる。旅路が決められ、必要な目印が教えられた。また、必要な物資の確認と手配もおこなわれた。それに加えて、長はホムラに、旅慣れた戦士を二人付けることを約束した。もっとも、その二人は精霊の森にまでついてくるだけで、その後はホムラとイシコロの二人旅となるのだが。
やがて日が暮れて話が尽きると、一同は解散した。
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その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
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