初陣

火吹き石

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3.朝

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 タイヨウはうっすらと目を開いた。朝の気怠けだるさが、石のように体にのしかかっていた。

 何か違和感を覚えたが、それが何かはすぐには分からなかった。ぼうっと天井を見上げる。部屋の中は薄暗い。窓の木戸の隙間から差し込む早朝の冷たい光が、天井に一本の白い筋を描いていた。

 不意に、かたわらで人の動く気配を感じ、眠気が一瞬で吹き飛んだ。若者は掛け布を蹴飛ばすようにして飛び起きると、自分の隣を見た。そこにはミナモが横たわっていて、こちらを見て小さく呻き声を上げた。

「もう起きたのか、ちび。」

 ミナモがかすれた声で言う。いったいどうしてミナモが砦の宿舎にいるのかといぶかったが、すぐに思い出した。ここは宿舎ではなく、飯屋にあるミナモの私室だった。昨夜、タイヨウはここに泊めてもらったのだった。だが、どうしてそんなことになったのかは、よく覚えていなかった。

「おれ、そんなに酔ってたっけ?」

 タイヨウは呟いた。たしかにミナモと交わした会話は覚えていた。そんなに酔っ払っていたわけではなく、ここに泊まる理由が分からなかった。

 困惑する若者の腕を、ミナモは少し引っ張った。引かれる力に身を任せ、タイヨウはふたたび横になった。昔していたように、ミナモの胸元に頬を寄せる。どちらも裸だったから、肌の感触が直に感じられる。自分と比べて冷たい肌が気持ちよかった。久しぶりに触れた亭主の体は、以前よりも脂が乗り、柔らかく、分厚くなっているような気がした。

 ミナモは片手で頭をがしがしと撫でた。

「久しぶりだな、そんなふうに甘えるのは。」

 そう言って苦笑する。こうやって身を寄せるのは、もっと小さかった時しかしたことがなかった。タイヨウは少し恥ずかしい気もしたが、ミナモと体を触れ合わせる感触が気持ちよくて、身を離さなかった。

 ミナモは若者の背を撫でた。

「でかくなったなあ、タイヨウ。分厚くなった。立派なもんだ。」

 そう言って、大きく太い腕や、分厚い筋肉に包まれた背や肩を撫でていく。タイヨウのほうでも身を寄せ、体に腕を回し、ぎゅっと抱きついた。

「相変わらず、肌が温いなあ。もっとちびだった頃を思い出す。よく熱を出して泣いてたもんな。」

 タイヨウは苦笑した。いまよりももっと背が低く、体がうんと細かった頃、タイヨウはよく高熱を出して泣いた。自分に宿った光の魔力を操ることができず、自らを蝕んでしまっていたのだ。そしてひどい熱を出したら決まって泣き喚き、ミナモと一緒に寝るのだと主張し、児童院の先生を困らせたものだった。

 名付けの親というものは、ただ単に名を付けるだけで、必ずしも親と子で親しくなるわけではなく、他の大人と変わらない。幼い子どもが泣きつくのは、年上の少年か先生であるのがたいていだった。タイヨウがミナモを求めたのは、とくに仲がよかったことによる例外的なことであり、タイヨウが児童院の外の大人を泣いて呼ぶ泣くさまは、先輩たちをあきれさせた。

 恥ずかしい過去について話をする気にもならず、タイヨウは話題を変えた。

「おれ、酔っ払ってたっけ。話してたことも覚えてるんだけどなあ。」

 タイヨウはミナモの肩に頬を擦り寄せ、呟いた。ミナモが少しくすぐったそうに笑った。それがなんだか楽しくて、タイヨウはもっと頬擦りした。

 今日は非番であったから、ここに泊まったということ自体は大きな問題というわけではない――もちろん飯屋で潰れるまで飲むなど、非番でなければするわけがなかった。それでも、外泊するならすると前もって申し出ておかねばならない。きっと砦に戻ったら、十人隊長にどやされるだろう。

 ミナモはにやりと笑った。

「やっぱり忘れていたな。たくさん飲んだものな。」

 そう言って、昨夜の話をはじめた。

 あの話の後、タイヨウはしばらく考えにふけり、店仕舞いまで残っていたらしい。先輩のクモと口喧嘩をした手前、砦に戻るのもいやがった。それで飯屋の見習いであるカワラに誘われて、少しばかり飲み直した。ミナモはそれを止めたらしいが、カワラがうまく挑発してタイヨウの気を引いたらしい。もとから酒に弱く、おまけにすでに酔っているというのに飲んで、最後には店の床に吐いたという。

「まあ、掃除はあのばかにやらせたがな。それから、酔っ払って歩けなくなったお前さんを、おれの寝床で寝かせたわけだ。」

 聞いていると、タイヨウは恥ずかしさに顔を赤らめた。とんだ醜態だった。顔を上げていられず、顔をミナモの胸元に埋めた。ミナモは若者の頭を優しく撫でた。

 少しのあいだ抱き合っただけで、二人の肌は汗ばんでいた。タイヨウは体温が高くて、汗が出やすかった。それが光の魔力に取り憑かれた者に共通する体質なのかは知らなかったが、少なくともタイヨウはそうだった。

 ミナモのほうでも、熱い若者の肌に触れ合っていると、自然と汗をかく。二人の肌は濡れてぺっとりと重なり、あたりには湿った匂いが漂っていた。芳しい匂いというわけではないが、タイヨウは汗の匂いをきらってはなかった。何より懐かしい匂いを感じ、気が緩んで不意に眠気が戻ってきた。

「もう起きるだろ。」

 タイヨウは言った。もうミナモは仕事に出る時間だろう。まだ早朝だが、しばらくすれば朝食を求める客が入る。そろそろ準備に入らねばならない。

 ミナモが頷くと、タイヨウは溜め息をついた。こうして寝ているのが、とても暖かくて心地よかった。それで離れがたい。タイヨウとしても暇なわけではなく、早めに隊長に外泊した旨を報告したほうがいいのだろう。しかしどうせタイヨウが酒を飲んだことは知っているだろうから、帰ってこなかったら、酔い潰れたのだとわかっているはずだ。すでに規則を破ったのだから、報告を少し早めることに意味があるとは思えなかった。

 それで、ミナモが起きようとしてタイヨウを横にどけようとすると、若者はぎゅうと抱きついた。

「おい、どけ。重い。」

 ミナモはにこりともせずに言った。だが声の響きから、面白がっているのが窺えた。タイヨウは笑いながら壮年の体にのしかかると、ぎゅうぎゅうとしがみついた。腕を回すだけでなく、膝を寝台に立て、腿でぎゅっと挟む。ミナモはそれを引っ張って剥がそうとしたが、タイヨウは昔とは違って力が強く、どうにもこうにも剥がせないでいた。

 しばし戯れると、タイヨウは自分からミナモの上から降りた。亭主は少し息を弾ませつつ、身を起こした。

「おれはもう起きる。お前はどうする。」

 ミナモに問われて、タイヨウはううん、と唸った。二日酔いなのだろうか、まだ眠たかった。寝床にはミナモの匂いがついていて、それも懐かしくて眠気を誘う。起きる気にはならなかった。

「早めに砦に戻ったほうがいいんじゃないか。」

「いいよ。いまさらちょっと急いだってなあ。」

 タイヨウが答えると、ミナモは少し目を細めた。

「お前さんがそう言うなら、無理には言わんが。まあ、自分ですることには責任を持てよ。」

 そう言ってミナモは寝床から起きると、服を着はじめた。それをタイヨウは寝転んで見上げる。ミナモは手早く装いを整えると、部屋の隅の長持ちを指した。

「お前さんの服と剣はそこにある。」

 長持ちの蓋の上には、丁寧に畳んだタイヨウの服と、鞘に収まった剣と短剣が置いてあった。若者はそれを認めると、亭主に頷きかけた。ミナモは笑みを浮かべる。

「それじゃあ、また後でな。早いとこ起きたほうがいいぞ。」

 最後にタイヨウの頭を撫でると、ミナモは部屋を出ていった。
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