見つけた、いこう

かないみのる

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「可那人、おきろー」



 不意に身体を揺さぶられた。

テーブルの向かいに座る拓也が俺の肩に手をかけていた。

机に突っ伏した状態で寝ていたせいか、身体に空気が溜まっていて気持ちが悪い。

痺れた手を伸ばして欠伸をした。


 一階の学生談話室は日当たりが悪く薄暗いため、昼間でも明かりなしでは過ごせない。

そのせいか昼なのか夜なのかも分からず時間感覚が狂う。



「んあ」


「随分寝てたな」



 拓也がテーブルの上の教科書閉じながら言った。

俺が寝ている間も勉強していたらしい。



「走馬灯みたいな夢見てた」


「どんな?」


「母親のお腹にいる時からの出来事がハイライト形式で映し出された」


「生まれる前からの出来事ってお前知らないだろ」


「たぶん親から聞いていた話を脳が勝手に映像化したんだと思う」


「ほら、教育実習のガイダンス始まるから早く行こうぜ」



 俺は慌てて荷物をまとめて、拓也と理学部棟を後にし、教育実習のガイダンスが行われる基盤教育棟へ向かった。


 ガイダンスが行われる教室には理学部の他に人文学部や地域教育学部の学生でごった返していた。


 教育実習担当の職員が教室に入ってくると、教壇の机の上に乱暴に書類を置き、睨みつけるような顔で教室内を見渡した。

今回のガイダンスは今年の九月に行われる教育実習についての説明会だ。

対象は学部の三年生、中学の教員免許取得希望の生徒で、県内の中学校に実習に行くことになる。



 担当職員は説明というより説教のような口調で話し始めた。

小太りで眼鏡をかけた四十代くらいの男性で、毎年実習先で苦情が出るのだろうか、唾を飛ばしながら乱暴に話し始めた。



「いいか、教育実習は実習であって遊びではない。行くからには真剣に取り組むように。ほらそこ、聞いているのか」



 いかにも「お前らが教育実習なんて行くから自分は大変なんだ」とヒステリーを起こしているようだ。

そんなことを言っても、教員免許取得のために必修となっているのだから仕方ないだろう。

そもそもまだ実習すら始まっていないのに文句を言われても「はい気を付けます」しか言えないではないか。理不尽だ。


 長い説教のような説明の後、実習先が一緒の学生たちでそれぞれ集まり、顔合わせをした。

俺の実習先は、同じ理学部数理学科の生徒である健吾と野中さん、化学科の秋広、地球環境学科の嶋村さんの五人で、県内の附属中学に行くことになっている。

簡単に自己紹介を済ませ、役割の確認をし、残り時間は雑談をしていた。


 化学科の学生、秋広が、学生実験で課されるレポートがいかに自分たちを苦しめているか力説している間、俺は隣に座っていたグループを盗み見た。


 隣のグループには、俺の幼馴染である拓也と、同じ数理学科の女子学生、藤谷奈菜さんがいた。


 長いまつげと奥二重、口角の上がった唇。

かわいらしくも、どこかエキゾチックな顔立ち。


 俺は藤谷さんがいつもと同じ表情で微笑んでいるのを、気付かれないように横目で確認し、視線を秋広に戻した。秋広の話に耳を傾けているふりをして、俺は今見た藤谷さんの美しい微笑みを思い出していた。



 藤谷さんは、家が不動産会社の社長という資産家の娘で、お嬢様である。

 お嬢様が集まることで有名な女子高を卒業しているらしいが、大学は付属の女子大ではなく、このY大に入学した。


 由緒ある家系に生まれ厳しく育てられたのか、感情をあまり表さない。

しかし男子の間では、それがかえってミステリアスな雰囲気を醸し出していると人気である。

そして俺もその男子の一人である。

もっとも俺の場合は、好きという強い感情を抱いているわけではなく、お気に入りの女優を眺めるような感情に近い。

だから彼女にアプローチをすることはないが、同じ授業では、どこの席に座っているか探してしまうし、グループワークがあると同じグループになりたいと念じてしまう。



「有機化学の実験した時さ、初めて硫酸触ったわ。慌てて水で洗い流したんだけど、硫酸ってバイオハザードの武器じゃん。終わったと思ったね。俺の左手」



 秋広が鼻息を荒くしながら話している。

今は秋広が会話の主導権を握っていて、秋広の話がうまいのか、健吾や野中さんも会話に乗ってきている。



「あれ怖いよなあ。あのゲームで硫酸ってすごく危険なんだって知ったわ」



 健吾が腕を組んで椅子に深くもたれ掛かった。



「なにそれバイオハザードで硫酸知ったとか、健吾君すっごく頭悪そう」



 野中さんが笑いながら言った。



「おいおいゲームの情報量なめんなよ。めちゃくちゃ作り込まれてるゲームとか、知識の百葉箱だから」



秋広が続ける。



「百葉箱って小学校にあるやつ?あれの中、温度計だけでスカスカじゃん。秋広君、滑ってるよ」


 三人はケラケラ笑った。

嶋村さんは三人の会話を春の陽気のような笑顔で聞いているが、本当に興味があるのかは定かではない。


 秋広と健吾がバイオハザードは何作目が名作かを語っているうちに、小太りの男性職員が終了時間となったことを告げた。



「いいですか。教育実習は遊びではありません。くれぐれも休んだりしないように。いいですか。絶対に、絶対にですよ」



 担当職員が唾を飛ばしながら繰り返し、説明会は終了となった。


 健吾と目が合い、「あれ、逆にサボれって言われてるようなもんだよな」「押すなよ、絶対に押すなよ!みたいなもん?」と二人で苦笑した。



 帰る準備をしながら、教室の出入口を見ると、藤谷さんがいた。

友人と話しながら教室を出ていった。

俺はこの時間、何回か藤谷さんを見たが、一回も目が合わなかった。

藤谷さんの目には俺のことは映っていないらしい。


 藤谷さんにとっては自分の存在はただの風景と変わらないのか、そう思うと少し寂しくなった。



 拓也が俺達のところへ来て、拓也と俺と健吾の三人で教室を出て、廊下を歩きながら話した。

俺と拓也は昔からの幼馴染だが、健吾は俺と拓也にとって大学で初めて友達になった相手だ。

妙に気が合い、知り合った期間は短いが、気づいたらずっと昔から三人で過ごしていたような関係になっていた。




「二人は一緒の学校なんだな。他は誰と一緒だった?」


「化学科の秋広と、野中さんと地球環境学科の子、名前なんだったけかな」



健吾が答えた。



「ひでえ。いくらなんでも忘れるの早すぎだろ」



拓也が鼻で笑う。


「嶋村有紗さんだよ。まあ目立つタイプではないよね」



俺は自分のことを棚に上げて言った。



「おれは人の名前を覚えるのが苦手なの。自慢じゃないけど、クラスの女子の名前は三分の一も覚えてない。円周率の方がよっぽど覚えやすい」


「いうほど円周率の方も覚えてないだろ」


健吾と拓也は漫才のような会話を続けた。


 出入り口の脇に、同じ数理科の恭平が立っていた。恭平は拓也と同じグループ、つまり藤谷さんと同じグループという勝ち組である。



「よっす。可那人と健吾は同じグループだったんだな。他は誰と一緒だった?」


 先ほど拓也に答えたことと同じことを伝えた。

健吾は案の定嶋村さんの名前を忘れていた。



「へえ、そうなんだ。良かったじゃん」



 恭平は適当な返事をした。自分で聞いておきながら俺達のグループの事は興味ないらしい。

自分のことを話したくて、否、自分のグループの女子のことを話したくて仕方がない様子である。

俺か健吾が話題を振ってくれるのを待っている。



「ああ、恭平はいいよな。藤谷さんと一緒で。なんで俺じゃないんだよ。ちくしょう」



恭平が話したかったであろう話題に俺は自分から踏み込んでいった。



「なんだよ可那人、知ってたのかよ。そうなんだよ。奈菜ちゃんと一緒なんだよ。これから仲良くなっていく予定だから」



 恭平が勝ち誇ったように言った。

勝者から直接勝利を宣言されるのは悔しかった。

俺だって藤谷さんと同じグループがよかったのに、現実は残酷だ。

神はなぜいつも俺に微笑んでくれないのだ。
 

 恭平はただただ藤谷さんとのことを自慢したかっただけなのか、自分の話をしたら満足したようで「これからバイトだから」と言ってさっさと帰っていった。

俺は屈辱感でいっぱいになりながらも平静を装っていたが、たぶん拓也にはバレていたと思う。

拓也は慰めるように俺の背中を軽く叩いた。

拓也は目立たない俺の数少ない友人であり、一番の理解者だ。

藤谷さんに憧れを抱いていることもたぶん知っている。俺は肩をすくめて拓也の方を見た。



───橘君って優しいんだね!



あの時のあどけない笑顔が脳に深く刻まれている。一生忘れられない光との会遇。



俺は一瞬自分の世界に入ったが、すぐに我に帰った。俺もバイトに向かわないといけない時間だ。


外へ出ると、冷たい風が顔をかすめた。暖かくなったとはいえ、山形の四月はまだ寒い。
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