見つけた、いこう

かないみのる

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「先生、このプリントのこの問題の答えって、『x=9』ってなってますけど、『x=3』じゃないんですか?」


「え、どれ?」



ここですよここ、と男子生徒は俺の作ったプリントの問題を指さす。

二年生の数学の授業を終え、実習生の控え室に戻る準備をしている間に、授業を受けていた生徒の一人である忠士君が質問をしてきた。

形のいい坊主頭が俺を見る。

淡々としているが、わずかに挑発的な口調であった。



「あ、『x=3』だね。ごめん、間違えてた。明日の授業で訂正するね。ありがとう」



 忠士君は無表情で俺のことを見つめた。

感情を隠しているが、どことなくしたり顔である。

先生の間違いを摘発し、「僕、他の生徒よりすごいでしょう」と優越感に浸っているようである。

俺はもう一度忠士君にお礼を言って教室を出た。

俺の授業を教室の後ろで見ていた、指導員である結城先生の元へ行き、授業の良かったところや改善点を聞く。



「授業の速度がまだゆっくりだね。分からない子に気を使ってゆっくり進めるのはいいけど、いまの速度だとできる子は退屈しちゃうよ。あとは、もう少し黒板より生徒の方を見た方がいい。数学は嫌いな子が多いし、生徒の方をよく見ないと、独りよがりの授業になってしまうよ。そうだね、生徒に問いかける回数をもう少し増やしてみたらどうかな」


 
俺は今、大学付属の中学校で教育実習中である。


実習は三週間あり、現在は二週目の木曜日。

来週の木曜日に研究授業があるため、残された授業をよりいいものにできるよう毎日自分の授業の改善や準備に勤しんでいる。



 教育実習は気が狂うほど忙しいと聞いていたが、学校にいる時は自分の授業、他の実習生や指導員の先生の授業見学。

家に帰っても指導案や日報、授業で使うプリント作成などで忙しく、毎日徹夜で準備をしていた。



何故俺が教師を目指したかというと、単純に人に勉強を教えることが好きだったからである。

小学校の頃は友達こそ少なかったが、勉強はそこそこできたので「ここの問題教えて」と聞かれることが多く、人に何かを教えることには慣れていた。

俺自身も勉強を教えることで、自分がそのコミュニティの一員であることを実感できて嬉しかった。

学校の先生という職業に就きたいと思ったのも、塾の講師をしていることも、自分の存在価値をあたえてくれる「教えること」の実践の場を欲していたからだと思う。



 そんな俺でも、教育実習にはかなり苦しんでいる。

教えることに自信を持っていたが、予想以上に反応の悪い生徒、計画通りに進められない自分のマネジメント力不足、睡眠時間を削ってでもしなければいけない授業準備に心と体力をすり減らしていた。



 他の実習生の授業を見ると、自分の何倍も完成度が高く見えて、落ち込んだ。

廊下で女子生徒が「教育実習の先生たちってホント授業分かりづらいよね。早く終わればいいのに」などと笑いながら言っているのを耳にすることもあり、夢だった教師への憧れが霞みつつあった。



 教師になったらこんなことが毎日続くのかと、俺のモチベーションは経過した日数に反比例して下がっていった。

反比例の一例として授業で扱いたいくらいだ。



「結城先生、どうやったら先生のような、生徒を惹きつける授業ができるんですか?」



俺は弱音を吐くように言った。



「え?惹きつけているように見える?それは嬉しいなあ」



 結城先生の授業は、俺とは比べ物にならないほど、生徒の考える力を引き出している。

まあ、経験豊富な現役教師とただの教育実習生を比べる事自体おこがましいのだが、自分の情けない授業との違いを探さずにはいられない。

結城先生の授業を受けている生徒はみなそろって黒板を見つめ、一生懸命にノートを取り、話を聞き、考えを巡らせている。

一方俺の授業では、後ろを向いて私語にいそしんでいる生徒や、鏡を机の上に出して髪のセットアップをしている生徒などがいて、俺の話などはなから聞いていない。

先ほどの情けない授業を何度も思い出し、何度も打ちひしがれる。自傷行為をしているようだ。



「相当落ち込んでるみたいだね」



結城先生は心配そうでいてどこか懐かしんでいるような不思議な表情をしていた。

自分の実習生時代か過去の実習生達を思い出しているのだろうか。



「そ、そんなことないです。まだまだ頑張れます」



俺は背筋を伸ばし、元気があることをアピールした。

弱気なところを見せたくなかった。

結城先生に見放されたくなかったから。

そして、この程度が自分の限界だということを認めたくなかったから。



「回数を重ねるうちに、慣れてくるよ。慣れれば、いろいろ挑戦してみたいことも増える。橘先生にしかできないようなことがあるはずだよ」

 
「はい……」



 俺と結城先生が廊下を歩いていると、前から、女子生徒が走ってきた。小柄で控えめそうな子である。

長めのスカートから真面目さが伺える。

女子生徒は結城先生の前で立ち止まると、俺を気にしつつも結城先生にこそこそと何かを告げた。

不安で泣き出しそうな顔をしている。

何かトラブルだろうか。

友達と喧嘩でもしたのか?

結城先生が女子生徒に何か伝えると、生徒はうなずいて、来た道を戻っていった。



 生徒の後姿を見つめながら、結城先生は俺に言った。



「最近、体育の時間中に女子生徒の荷物が荒らされる事案が発生しているんだよ。服のたたみ方が授業前と違うだとか、私物がなくなっているとか。ただの勘違いなんじゃないかとも思うけどね。なくなった私物が何なのか聞くと、言えないというし。加藤先生をはじめ、いろいろな先生が見回りをしてくれているんだけど、一向になくならないんだよね。実習生の皆も、良かったら見回りをしてくれるとありがたいんだけど」


「そうだったんですか。なら、自分が」


「その心配はご無用ですよ結城先生」



 背後からやけに大きい耳障りな声がした。

体格のいい男性教師が俺と結城先生の真後ろで仁王立ちしている。

薄くなった頭髪に黒々とした肌。

筋肉質の腕。

生徒指導担当の加藤先生である。

体育教師のような風貌だが担当科目は国語。

教育実習生を風紀を乱す荒くれものとして、子供をさらった誘拐犯のごとく憎んでいる。

俺たち教育実習声に何かとケチをつけてくるのだ。



 加藤は異物でも見るような目で俺を一瞥し、結城先生に向かっていった。



「3Aと3Bで体育の授業ですが、今回は私が教室を見回りますので、結城先生は気にせず授業に集中してください。ご心配なく」


「ありがとうございます。こんなトラブル、少しでもなくなるといいんですがね」



加藤は二人の会話を黙って聞いていた俺を一瞥し、「君には関係ない。君はせいぜい自分の授業の駄目だったところでも考えてればいいんだよ」と鼻で笑った。

相変わらず嫌味な奴だ。

結城先生はまあまあ、と加藤をなだめた。



「こんなやつに頼んだって無駄ですよ、ムダ。私に任せておけば大丈夫です。こいつは自分の授業をこなすだけで死にそうなんですから。最近の若者は甘ったれていてだめだ」



そこでチャイムがなった。

結城先生は授業があると言って慌てて職員室に向かった。

加藤は俺に「学校の風紀を乱す馬鹿者め」と言って、廊下のど真ん中を怪獣のようにドスドス歩いてどこかへ行ってしまった。


 
 俺は教育実習生の控室に戻った。

他の実習生は授業や見学に行っており、控室は俺一人である。

俺は次の授業の準備をしようと教科書とノートを開いたが、文字を目で追うばかりで内容が全く頭に入って来ない。


 
 他の実習生の席に目をやる。

秋広の机にはヘリウムガスのスプレーが数本置いてあった。



「空気の密度の話をするときに、ヘリウム風船作って持っていこうと思ってるんだよ。ヘリウムは空気より軽いから浮かぶんだ。ただ話すより実物を持って行った方が分かりやすいだろう」



そう言って目を輝かせていた秋広の姿を思い出した。

工夫を凝らしていて、授業への意気込みが感じられて俺には眩しかった。



生徒が「ヘリウムガスを吸ってみたい」と言ってきたときのために、風船を膨らますためのスプレーとは別に、吸引用のスプレーも用意していると言っていた。

秋広は生き生きと授業や準備に取り組んでいる。健吾だって、他の実習生だってそうだ。


 
「拓也はうまくやってるのかなあ」



他の実習先で教鞭を取っているであろう拓也の姿を想像する。

俺と違って明るくコミュニケーション力のある拓也だから、きっと授業も活気があり、生徒も目を輝かせているのだろう。

恭平だってきっとそうだ。

そして藤谷さんに尊敬の眼差しを向けられているのだろう。

ああ、うらやましい、妬ましい。
 


 俺は憧れの藤谷さんを思い浮かべた。

エキゾチックで綺麗な顔立ちと妖艶なほほえみ。

優実ちゃんに振られてから、現実逃避をするように俺は度々藤谷さんの事を思い出した。
 


「藤谷さんってどんな授業をするんだろう」



俺はふと疑問に思った。

いつも感情を表に出さない藤谷さんが、どのように生徒に接しているのか全く想像できなかった。

普段通り、あまり表情を崩さず授業を進めるのか。

俺は見たことがないが、満面の笑みを浮かべて生徒に接するのか。


どちらにしろ───



「藤谷さんが先生だったら、俺ずっと大人にならなくていいかも」



こんな時でも不純なことを考える自分の脳細胞に心底呆れた。
 
俺は大きなため息をついた。



「きっと今の情けない自分を見たら、藤谷さんもきっと軽蔑するだろうな」



疲労と睡眠不足でメンタルに支障が出ているのかもしれない。

だからこんなにマイナス思考になるのだろう。

仮眠でも取ろうか。


 
「腰抜け!意気地ナシ!」
 


先月、優実ちゃんに浴びせられた言葉が脳裏に浮かびあがり、気持ちをさらに落ち込ませた。

優実ちゃんの怒り狂った顔、軽蔑の眼差しが、幾度となく俺を苦しめた。

 
優実ちゃんの言葉に呼応して思い出される数々の言葉。



「可那人君って子供っぽいね」


「水たまりが怖いなんて信じられない。可那人君って臆病なんだね」


「雨なんかでおどおどしちゃって。女の子を置いて帰るなんてサイテー」



過去にぶつけられた罵声の記憶が心を殴ってくる。
 


「俺、だめなのかなあ」
 


机にうつぶせになりひとり呟いた。
 


 窓の外を見ると校庭で生徒達がサッカーをしていた。生徒の声がかすかに聞こえてくる。

確か加藤が3Aと3Bのクラスで体育の授業と言っていたから、校庭にいるのはその生徒か。

今、彼らの教室は片方が男子の更衣室、もう片方は女子の更衣室になってるだろう。

女子生徒の私物を狙う犯人は、今回も犯行に及んでいるのだろうか。
 


「橘先生にしかできないようなことがあるはずだよ」



これは誰の言葉だったか。

記憶が曖昧になっている。

そうだ、先ほどの結城先生の言葉だ。

何故か俺の頭には結城先生と話している時に来た女子生徒の不安そうな顔が思い出された。


 
3Aと3Bの教室は、三階東側。

控室からは階段を上って少し歩けば着く。

今俺がいる控室の向かい側にはトイレ、職員室や教室からは少し離れているからあまり人は来ない。



俺にしかできないこと。
 


俺は秋広の机に目をやる。



「やってみるか」



俺は秋広の持ってきていた吸引用のヘリウムガスのスプレーを手に取り、控室を出た。
 
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