見つけた、いこう

かないみのる

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***

廊下を歩くと、足に馴染んだスリッパはぺたんぺたんと気の抜けた音を響かせた。

授業中であるため、周囲には誰もいない。

この廊下を歩いた一番奥に3Aの教室、その一つ手前に3Bの教室がある。

今は体育の授業中であるため、教室はもぬけのからのはずだ。


これから私だけの楽しい時間が始まる。


早く、教室へ。

気持ちが高まる。

だが、焦ってはいけない。

焦りは行動を雑にさせ、雑な行動は周囲の注目を集めてしまう。

慌てずスマートに、決してバレないように行動するのだ。



 3Bの教室を通り過ぎ、3Aの教室の前に来た。

3Bが男子、3Aが女子の更衣室になっている。

引き戸についている覗き窓から教室を注意深く覗く。

よし、誰もいないな。



「なに、ただの持ち物検査だ」



そう心の中でつぶやき、引き戸を開け、教室の中に入った。

教壇にはヘリウムガスのスプレーが置いてあった。

たしか理科担当の教育実習生がいたから、そいつが忘れて行ったのだろう。

あいつは楽しそうにしていて生徒から注目されているところが気に入らなかったし、ちょっと呼び出してしめてやるか。

教育実習とは本来厳しいものなのだ。

奴らはどれだけいじめても指導だといえば文句が言えない。

だから教育実習生を利用して日々のストレスを解消するのだ。

なに、指導だ、シ・ド・ウ。



私は机の上に無造作に置いてある着替えを見た。

ブラウスを手に取ると、手拭いで拭くように顔をこすりつけた。

スカートも同様に顔にこすりつけ、においを嗅いだ。



 今の中学生は大人びていて、汗のにおいを気にしているのか、どの生徒も清汗剤をつけているようだ。

違う生徒の席に行き、同様に衣服のにおいを嗅ぐ。

石鹸や柑橘系の香りが鼻を刺激する。



 私は次に机の横にかけてある鞄の中のからポーチを取り出した。中を開けると、化粧品が入っていた。

きらきらと輝く色とりどりのパウダーが入ったケース、スティック状の何か、太いペンシル型の何か、そして色付きリップ。


私は男だから化粧品についてはよくわからないのだが、リップだけはわかる。

唇に色を付けるもの、つまり、女子生徒の唇に接している道具である。



「女子中学生が化粧品を学校に持ってくるなんてけしからんな」



リップを手に取り、自分のスラックスのポケットにしまった。



学校に不要なものを持ってくるのは禁止されている。

化粧品など持ってきていたとバレたら、確実にすべて没収される。

だから女子生徒は自分の化粧品の一部がなくなっていることに気付いても、教師に申告できないのである。



だから私の行為が公になることはない。



違う女子生徒のカバンもあさり、ポーチを手に取った。

中には生理用品が入っていた。

中学生といえども身体は女性なのである。

私は生理用品を一つ、手に取る。


男が手にすることのない、女性特有のデリケートな持ち物。

まだ幼い少女の身体から徐々に女性の丸みを帯びた身体に発達していく過程で、思い悩む女子生徒たちを想像するとついつい興奮してしまう。



生理用品をポケットにしまおうとした瞬間、不意に後ろから声が聞こえた。



「アンタダッタノカ」



心臓が喉から飛び出るのではないかというくらい驚いた。

誰もいないはずの教室から声が聞こえた。



「誰だっ!?」



つい大きい声が出てしまった。

教室を見渡すが、誰もいない。

聞き間違いだったのだろうか。

もう一度、生理用品をポケットに入れようとする。



「オレハ見テイルゾ」



また聞こえた。

ボイスチェンジャーで変えたような、不気味に甲高い声。

声の主を探そうと、カーテンをめくったり、ゴミ箱を覗いたりした。

しかし何処を探しても誰もいない。

何か残像のようなものが教室内を移動しているような気がするが、実体は捉えられない。

疲れで目がかすんでいるのだろうか。

混乱で思考がパンクしそうだ。



「オレハ見タゾ」



誰なんだっ!!



「見テイルゾ」



やめろっ!!



「オマエヲ見テイルゾ」



「うわあああああっ」



驚愕と恐怖で、大声で叫んでしまった。

腰が抜け、近くの机を倒してしまい、中から教科書やノートが雪崩の様に落ちた。



「加藤先生、どうしました?」



大声を聞いて、少し離れた教室で授業をしていた若い男性教師が駆け寄ってきた。



「この教室から声がするんだ!」



男性教師が教室内を見渡す。

教室にいるのは俺とこの教師の二人、今は静まり返っている。

男性教師は困惑の表情で俺に尋ねてきた



「誰もいないですよ?」


「でも、声が聞こえたんだ!」


「誰の?」


「そんなの分かる訳ないだろう!」



男性教師は困ったように頭をかいた。

騒動を聞きつけた生徒達が教室の外から遠巻きに俺達のやりとりを眺めていた。

野次馬のザワザワとした声が聞こえてくる。



「幻聴じゃないですか?きっと疲労で自律神経が乱れているんですよ。生徒指導で忙しいのはわかりますが休息は取った方がいいですよ」



まったく聞く耳をもってくれない。

男性教師は生徒達に教室に戻るよう促した。

人混みは蟻が巣に戻るように教室の中へ消えていく。

男性教師も教室を出ていった。

状況を理解してもらえずに私は苛立った。


立ち上がってもう一度教室を見渡す。



やはり誰もいない。



「本当に気のせいなのか?」



俺が教室を出ようとしたその時───



「見テイルゾ」



耳元で声がした。

私はもう一度腰を抜かし、叫び、這うようにして教室を出た。


叫び声を聞きつけ、今度は数名の先生が数名駆けつけてきた。



「加藤先生、一体どうしたんですか?」



「お、私は、私は、ああああああっ!」



私は発狂した。

もう何も信じられない。

手にはしっかりと生理用品を握っていたこともすっかり忘れてしまっていた。
 


***
 

トントン。



控室の戸をノックする音が聞こえた。

俺はタオルを頭から被り、その上をスーツのジャケットで覆って、机にうつぶせになって顔を隠していた。


もう乾いたかな。


自分の手を見る。

皮膚の色が視界に入った。

よし、OK。
 


 俺は立ち上がって戸を開けると、そこには男子生徒がいた。



「君はたしか───」


「二年B組の木村忠士です」


「そうだったね。どうしたの?今は授業中じゃないの?」


「うちのクラス、今英語の授業なんですけど、先生が今日休みだから自習中です」



自習だからと言っても教室を出ていいわけではないだろう。



「何かあったの?」



俺は平常を装うも、さっきのことが見られていたのではないかと不安でいっぱいだった。



「教室で何かトラブルでもあった?」


「先生、俺、見つけちゃったんです」


 口から心臓が飛び出しそうだった。

あれだけ注意していたのに、見られていたのか。



何をしているところを見られたのだろう。

トイレの個室にこもって水をかぶっているところか?

誰もいないはずのトイレから俺がジャケットをかぶって出てきたところか?



俺は覚悟を決めて忠士に聞いた。



「見つけったって、何を?」



鼓動が高まり、耳鳴りがした。

声が震えそうになるのを必死に堪え、何事もないかのように振る舞う。



 忠士は口を少し歪ませて笑った。

そして手に持っていた物を俺に見せた。

それは俺が作った数学のプリントだった。

忠士は真ん中あたりの問題を指差す。



「先生、さっきのプリント、ここも間違えてますよ。この問題。『A君は車に乗って時速60キロメートルで2次元移動した』ってなってる。A君は次元を移動できる人なの?」



全身の力が抜けた。

目眩を起こしてしまいそうだった。



忠士君はわざわざミスを指摘しに来てくれたのか。

目ざとい。

寝不足による単純なタイピングミスだが、生徒にとってはこういう間違いが気になって仕方がないのである。

くだらない自分のミスと、忠士君の淡々とした物言いに、俺は脱力した。

そんな自分が滑稽に思えて、次第に笑いが込み上げてきた。


 
「ふっ。ごめん。次の授業で訂正するよ」


「なんで先生そんなに嬉しそうなの?」


「いや、ちょっと面白くて」


「間違えたの、先生だからね。僕は何も変なこと言ってないよ?」


「わかってるよ。忠士君は鋭いね」



忠士君はまんざらでもないようだ。



「先生、僕、いつもキツイこと言ってるけどね、先生の授業、結構好きなんだからね。頑張ってよ」



大人びた言い方にまた笑ってしまった。

どこでそんな言い回しを覚えたのだろう。



「ありがとう。頑張るよ」



忠士君は教室に戻っていった。



俺は机に戻った。

チャイムが鳴り、休み時間に入り外がやけに騒がしくなった。

数分すると秋広や健吾が控室に戻ってきた。



「可那人、お疲れ」

「お疲れ」

「可那人、聞いたか?女子生徒の私物が盗まれる盗難事件あったじゃん?あれ、解決したよ。犯人は生徒指導の加藤だって。女子生徒の私物を握りしめて、廊下で騒いでたらしい」



秋広が興奮気味に言った。



「へえ。そうなんだ」


「気が狂ったように、おれは見られているって騒いでたな」



健吾が淡々と述べた。

健吾が現場を見ていたのは俺も知っている。



「生徒指導の仕事が激務だったんじゃないか?」



俺は鼻で笑うように言った。



「まあ、あいつ嫌な奴だったからザマアみろって気持ちになったわ」



秋広も加藤にいじめられていたのか。

本当にどうしようもないやつだ、加藤という男は。

加藤には散々嫌な思いをさせられたから、今回の件でスッキリしたというのが正直なところだ。



「あれ?ヘリウムガスの缶、一本、空になっているんだけど。」



秋広が言った。

そして軽く疑いの眼差しを俺に向けた。



「ごめん。俺が吸った」


「一人で吸って遊んでたのかよ」



秋広と健吾は笑った。



「ほら、吸引用のヘリウムガスって初めて見たから」


「一人で声変えて遊んでたって、加藤と同じでやばいやつじゃん」



まあ、否定はしないよ。

こんなことするなんて、酔狂だ。

 
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